海路による旅路
お読みくださって、ありがとうございました。
今回から「第三章 探偵と歌い手は帝都で躍る」が始まります。
この章が最終章です。最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
動力補助型帆船グローリー・ダリア号は海上を滑るように走っていた。
「この船はだねぇぇぇぇ、帆による推進力の他にぃぃぃぃ、ミカヅキイルカが泳ぐときに発生させる水流を補助としてスピードアップを図っているのだぁぁぁぁ!」
甲板に立ったヒビット博士は、懐から取り出した笛を吹いた。ラフカには何の音も聞こえなかったのだが、海面から六匹のイルカが顔を出す。
「これはイルカ達にだけ聞こえる音なのだぁぁぁぁ! この笛によって彼らに進路やスピードを指示できるのだよぉぉぉぉ!」
「へえ。でも、なんでイルカ達が一緒に泳いでくれるだけで船が速くなるんですかぁ?」
「この船底はイルカ達の作る水流を最も効率的に利用できる形状を計算して製作しておるのだぁぁぁぁ! ただしぃぃぃぃ、彼らの協力を得るためには大量の餌が必要なのだがねぇぇぇぇ!」
そう言って、博士はバケツを持って船の舳先に立ち、博士特製の栄養満点合成食餌を海上に撒いた。イルカ達は我先にとそれに齧り付き、腹を満たした彼らは船を進めるべく再び帆船に寄り添って泳ぎ始める。
「船旅は一日ほど、そこからすぐに帝都に着くな」
レンは海図と陸路の地図を見比べながら唸った。
「レン……大丈夫なの? 歩いていいの?」
「大丈夫だよ。もう傷は塞がったから」
にっこりと微笑むレンに、ラフカは疑いの目を向ける。
「本当にぃ? 無理してるんじゃないの?」
餌やりを終えて帰ってきたヒビット博士もその疑いに同調する。
「レン君、ラフカ君の言うとおりだぞぉぉぉぉ! 確かに君の傷跡自体は塞がっておるがねぇぇぇぇ、脈や体温の変動から察するにぃぃぃぃ、まだ体の中にだいぶ損傷が残っていると見受けられるぞぉぉぉぉ?」
「ほらやっぱり~!」
ラフカの非難の目に、レンはバツが悪そうな顔になる。
「レン君は先日の戦いで雷光を呼び出していたようだがぁぁぁぁ、君もラフカ君と同じように精霊を操るタイプの『夜の子供達』なのかねぇぇぇぇ? ただ、普通よりも精霊との交信後の消耗がかなり激しい様子なのが気になるがねぇぇぇぇ?」
「ええ……そうなんです。その代わり、体が頑丈で回復力が高いので、ご心配には及びませんよ」
レンは取り繕うように言った。ヒビット博士は興味深そうに頷いているが、ラフカはその説明が納得できずに首を傾げる。それが事実なら今までラフカに黙っていた理由がわからないし、あの雷撃は皇后ベリアーダと同じ魔術に見えた。ラフカのように精霊に力を借りる方法ではなく、魔人の血により術式と魔力を受け継ぐ魔術は魔人である皇族方にしか使えないはずなのだ。
「ふむぅぅぅぅ。魔人は体内に魔力を溜める特別な器官がありぃぃぃぃ、彼らに伝わる術式とその器官を利用して異界から魔術を引き出し行使すると聞くがねぇぇぇぇ。『夜の子供達』には精霊と交渉することで似通った力を発するとかぁぁぁぁ?」
「はい。ラフカの場合は交渉材料として、歌を精霊に捧げるんだよね?」
「うん、そうだよ。でも、だいたいそういう『夜の子供達』は僕みたいに体にハンデを抱えてたり、知恵遅れの子もいたりするっていうよね」
「レン君は代償として体が傷つくということかねぇぇぇぇ?」
「そんなところです」
微笑みながら頷くレンの顔が、ラフカには嘘臭く見えた。
「ところで、ヒビット博士。博士はどのような手術をイヴ女史に施したのですか? それに、ニーシアとの話に出てきた『ハンナの壺』とは?」
レンの問いに、ヒビット博士は不精髭を撫でながら思案する。
「ふむぅぅぅぅ。どこから話せばいいのかぁぁぁぁ。実はイヴさんも『夜の子供達』だったのだよぉぉぉぉ!」
「え! じゃあ、博士が言ってた、イヴさんの『障り』っていうのは……!」
ラフカの言葉にヒビット博士は重々しく頷く。
「イヴさんは生まれつき顔の右半分が鱗に覆われておったのだぁぁぁぁ。普段はあの美しい黒髪で隠しておったがねえええ」
博士の言葉に、魔獣となったイヴが全身を鱗に覆われた姿だったことをラフカは思い出した。
「私はグリア城で生前の彼女に会ったことがありますが、まったくそんな跡はありませんでした。顔も隠していませんでしたし」
「そうだろうともぉぉぉぉ。ワシの除去手術は完璧であったからなぁぁぁぁ!」
ヒビット博士はふんぞり返って叫ぶ。
「そもそも『夜の子供達』という言葉の定義が広すぎるのだぁぁぁぁ! 人間の両親の元に生まれながらも一般的な人間としての形状や能力から外れたものぉぉぉぉ……とはいえ、それは十人十色なのだよぉぉぉぉ!」
「ラフカのように精霊を見ることが出来る『夜の子供達』もいれば、見れない者もいるということですね?」
「うむぅぅぅぅ! イヴさんは見えないタイプだったねぇぇぇぇ。その代わり力持ちで普通の人間には持ち上げられないような荷物も軽々と運んでおったしぃぃぃぃ、遠泳に関しては成人男性以上の能力を持っていたぁぁぁぁ!」
「なるほど……。しかし、どのように、その鱗を切除したのです?」
レンの問いに、ヒビット博士は髭を撫でながら言う。
「例の『ミレニア文書』にはだねぇぇぇぇ、人間を別種の生物――つまり魔獣に作り替える方法が記載されておったのだよぉぉぉぉ!」
「そんなことできるんですかぁ?」
とても信じられないという顔のラフカに、ヒビット博士は重々しく頷く。
「簡単に説明するとだねぇぇぇぇ、いくつかの薬品を生成してそれを対象者に摂取させたうえでぇぇぇぇ、任意の動植物の組織を体内に埋め込むぅぅぅぅ! さらに『ハンナの壺』なる謎のエネルギー源を供給することでぇぇぇぇ、人間の膂力や瞬発力を爆発的に向上させたりぃぃぃぃ、特殊能力を与えたりすることができるのだぁぁぁぁ!」
「イヴさんに対しては、それとは逆のことをしたということですか?」
「そのとおりぃぃぃぃ! 『ミレニア文書』に記載されたのと同じ薬品を生成しぃぃぃぃ、何がしかのエネルギー源があれば人にない組織を除去できるということだぁぁぁぁ! ワシが利用したのは魔獣の秘臓とよばれる器官に蓄積されているエネルギーだぁぁぁぁ!」
「魔獣の秘臓……?」
「彼らの秘臓は魔人の魔力貯蔵器官に類似した臓器とも言われておるのだぁぁぁぁ! 駆除された魔獣のそれを、伝を頼っていくつも取り寄せてだねぇぇぇぇ、実験と実証を重ねてエネルギーを取り出す方法を導きだしたのだぁぁぁぁ!」
ヒビット博士の言葉を聞いて、レンは思案するように口元に手を当てる。
「城にあがったイヴ女史は『ミレニア文書』の内容を――魔獣になる方法をそのとおり実行したということでしょうか?」
「イヴさんはワシの研究記録をつけておったからなぁぁぁぁ! それをニーシアらに横流しして必要資材を調達したのかもしれんんん! 体内に埋め込んだのは除去した自分の鱗かもしれんなぁぁぁぁ! 取り除けた時にはあんなに喜んでおったのになぁぁぁぁ!」
そう言って、ヒビット博士は頭を抱え、バリバリと髪を掻きむしった。レンは深く息を吐き出す。
「ニーシアとイヴ女史はメリオット男爵一家への『実験結果』から魔獣化に要する時間や変化するタイミングを調整する方法を確立していたはず。しかし、思いのほか早く体が変化してしまったのかもしれない」
「彼女が『夜の子供達』であったことが変動要素となったのかもしれんなぁぁぁぁl!」
「だから『蕾』の役目をすっぽかして城の中に隠れてたってこと?」
ラフカの言葉にレンは頷く。だが、ヒビット博士は顔をしかめる。
「しかしだねぇぇぇぇ! 魔獣化には障りの除去以上のエネルギーが必要なはずなのだぁぁぁぁ! ワシにさえ何のことだかわからぬ『ハンナの壺』には魔獣の秘臓とは比べ物にならぬエネルギーが蓄えられておるらしいのだぁぁぁぁ! 奴らは一体どうやってそれを手に入れたのかぁぁぁぁ?」
博士の疑問には誰も答えられなかった。
「あの文書は現在では使われておらぬ古代語で書かれていたぁぁぁぁ! その言語が途絶えたのは千年以上前だと推定されているぅぅぅぅ! 『ハンナの壺』はその頃の遺物であるだろうぅぅぅ! どのように手に入れたのかぁぁぁぁ?」
ラフカは博士の指摘に寒気を感じた。背景に何か恐ろしい力が働いているような予感がして、彼は自分の体を抱きしめた。




