魔獣達との対峙
二匹の魔獣もまた、暗い部屋から飛び出してレンを迎え撃つ。
――ザシュッ!
レンの大鉈はまず、蛇女の右腕に当たる蛇を切り落とした。そのままの勢いでレンは甲殻類のような魔獣に鉈の刃を向ける。しかし――。
――キンッ!
甲殻類の魔獣の腕が籠手のような役割を果たし、斬撃を防いだ。
「なに……!」
しかも、殻はかなりの硬度があるらしく、大鉈が付け根から折れ、落ちた刃が床の上を転がっていく。
レンは一瞬だけそれに気を取られた。
その隙をついて、蛇女が彼女の体にとぐろを巻くようにして絡みつく。巨大な蛇が獲物を締め落とすのと同じように、蛇女はレンの体をギリギリと締め上げた。
「ぐああああ!」
「レンー!」
レンは苦痛に顔を歪めながらも、蛇女を振りほどこうと懸命にもがいていた。だが、その彼女の首に蛇女の頭が細い牙を立てる。
その瞬間、レンの動きが弛緩した。ヒビット博士が叫ぶ。
「まさか毒かぁぁぁぁ!」
ぐったりと力の抜けたレンを、蛇女は頭から丸飲みにしようとする。レンは懸命に体を動かそうとしているが、先ほどまでの力はまったく感じられなかった。
「レンー!」
だが、蛇女による捕食を甲殻類の魔獣が止めた。どうやら餌の取り合いでけん制し合っているようで、互いに睨み、噛みつき合っている。
ラフカは今のうちにレンを救う手段はないか考えた。
(そうだ! また火の精霊を呼んで、アイツらを燃やしてもらおう!)
ラフカは歌い始める。冬至の祭りで灯す聖なる火に関する歌だ。ヒビット博士が訝しげな目でラフカを見るが、構ってはいられない。
――マタ呼ンデクレルトハ、嬉シイゾ。何ヲシテ遊ブ?
(燃やして! 魔獣まとめて全部!)
――アノ女ゴト燃ヤシテヨイカ?
(だめに決まってるでしょ! レン以外を焼いて!)
――面倒ナ遊ビダ。マア、イイダロウ。
何もない虚空に炎が出現する。心なしか、先程セシルの仲間を焼いた炎より小さく見えるが、火炎はラフカにだけ見える精霊達を伴って蛇女と甲殻類の魔獣に襲い掛かる。
「ぐああああああ!」
「ぎいやああああ!」
炎は魔獣の体を取り巻いて燃え上がった。悲鳴を上げる二匹の魔獣を見ながら、ヒビット博士が目を見開く。
「ほ、炎が突然んんんん? もしやあれはラフカ君がぁぁぁぁ? ま、まさか、ラフカ君も『夜の子供達』だったのかねぇぇぇぇ?」
火の精霊たちは増殖し、けたたましい笑い声を上げながら――その声はラフカにしか聞こえなかったが――魔獣二匹を焼き続けた。あまりに炎の勢いが強くて、蛇女が巻き付いているレンに今にも燃え移りそうだった。
(コラ! レンは駄目だ! 火の勢いを抑えろ!)
――キャーハハハハ! 燃エロ! 燃エロ! 全部燃エテシマエ!
火の精霊達ははしゃぎまわり、ラフカの声が聞こえないようだった。蛇女と甲殻類の魔獣の表皮は焼け焦げ、ぶすぶすと煙を吐き、動きが止まり始めている。蛇女の巻き付きが緩み、レンの体が床に投げ捨てられた。
(もう歌を止めようか……?)
ラフカが逡巡した時、レンが舌にナイフを突き刺していた半人半牛の魔獣が、自らの舌先を噛み切った。
「ぶふおおおおお!」
ナイフの刺さった舌先を床に吐き捨て、興奮した魔獣は元凶であるレンに向かって憎しみに目を爛々の輝かせながら突進する。さらに頭を打ち付けていた毛むくじゃらの魔獣までもが起き上がり、ふらつきながらもレンに向かっていった。
(ヤバい! 精霊達、あの魔獣達も燃やせ!)
――ナラバ歌エ! 妾達に歌ヲ捧ゲルノダ!
精霊達の声に従って、ラフカは新たな曲を歌おうとした。しかし――。
(え……? 声が……?)
ラフカの可憐な唇から漏れたのは吐息だけだった。いつも歌唱する時と同じように喉を震わせている。それなのに、まるで誰かに声だけを盗まれてしまっているように、歌が喉から先に出てこなかった。
――ナンダ、モウ歌エヌノカ。サラバダ。
失望したように言って、火の精霊達は一瞬で姿を消した。
(待って! 消えないで! レンを助けて!)
心臓を握りつぶされるような絶望だった。同時に今まで経験したことのない疲労感がラフカの体を襲い、彼は杖を使っても体を支えきれなくなって床の上に崩れ落ちる。
「ラフカ君、限界だぁぁぁぁ! 魔人とは違いぃぃぃ、人間である『夜の子供達』はそんなに高い能力は長く扱えないのだよぉぉぉぉ!」
ヒビット博士はラフカを助け起こしながら叫んだ。その間にも、毛むくじゃらと半人半牛の魔獣が床に倒れるレンに迫る。
「ぐあああ!」
二匹の魔獣はレンの腹部にむしゃぶりついた。
(レン!)
赤い瞳から涙を零しながらラフカはレンを見つめる。だが、そんなラフカを安心させるように、レンは彼に向かって微笑んだ。
(レン……?)
彼女は魔獣達に食いつかれながらも、片腕を持ち上げ口を開く。
「我が名を以て命じる。次元の扉より引き出す魔名。雷鳴の音。轟き、舞う蛟。蠢き留まり、落差生む滝は流れ続ける……」
ラフカには聞きなれない言葉だったが、それは晩餐会の時、皇帝や皇后が魔術を行使する時に発した言葉に似ていた。
(これは……魔術の呪文?)
レンは虚空に指を滑らせる。空間に書いているのは魔法陣のようだった。指の軌跡にしたがってぼんやりと魔法陣が浮かび上がるが、それはベリオードやベリアーダが描いたものよりもだいぶ歪で、輝きも少なかった。
「現象名【雷電】」
呪文と魔法陣が完成した瞬間、稲妻の閃光と轟音が室内を走る。
(こ、これって、皇后陛下の……? でも……)
その威力も、皇后ベリアーダの放った雷撃よりは数段落ちるように思われた。しかし、すでにレンからダメージを与えられていた魔獣達には十分だったようだ。
「ギイヤアアアアアアア!」
「グギャアアアアアアア!」
魔獣二匹は絶叫し、焦げ臭い臭いを出すだけで動かなくなる。だが、ダメージを受けたのは魔獣だけではなかった。
「ぐああああ!」
レンが体をくの字に折り曲げて叫び、口から血と吐しゃ物を吐き出した。
「ゲホッ! ゴホッ!」
彼女は何度も咳き込んで、そのたびに口から大量の血が噴き出す。
「レンー!」
ラフカは自分の体の消耗も忘れ、床を這ってレンに近づく。見れば、レンは口からだけでなく、目や鼻や耳からも真っ赤な血を流している。
「すまない、ラフカ……ゴホッ! へ、変なところを見せて……ゲホッ!」
彼女は恥ずかしそうにラフカから顔を背けた。
「レン、どうしたの? ねえ、レン!」
ラフカはどうしたらいいのかわからず、レンの背中をそっと摩ることしか出来なかった。
「ヒビット博士ぇ! どうすれば!」
「う、うむぅぅぅぅ……とりあえず腹の傷が一番酷いはずだぁぁぁぁ! そこを確認してだなぁぁぁぁ、布なんかで止血をぉぉぉ!」
「わかりました!」
ラフカはレンのシャツを捲って、魔獣に噛みつかれた腹部を露出させる。だが、その傷口を見てラフカは頭が真っ白になった。勢いよく血が噴き出し、肉が抉れ、骨や一部の臓器が見えてしまっていたのだ。ラフカは頭がおかしくなりそうだった。
(こ、こんな傷じゃあ……レンは助からない……!)
しかし、その傷は何かがおかしかった。よく見れば、傷口が不気味に蠢いている。
「え……? これって一体……」
よく見なければわからないくらいの変化だが、臓器が元の位置に向かって収縮し、千切れた肉が再生し、皮膚が塞がり始めているように見えた。
「こ、これは何だぁぁぁぁ?」
困惑するラフカとヒビット博士に、レンは引き攣った笑みを返しながら、自分でシャツを戻して起き上がる。
「私は丈夫なだけが取り柄なので。少し休めば傷はある程度塞がるはずです。心配しないで、ラフカ」
「レン……起き上がるなんて……そんな無茶な……」
「こ、こ、この酷い傷が塞がるぅぅぅぅ? そ、そんなことがあるかぁぁぁぁ?」
ヒビット博士が頭を抱えた。当のレンは溜め息を吐きながら、再び床に寝転んでラフカの膝に頭を乗せる。
「ただ、さすがに少し無理をし過ぎた。少し、休んでいいかな、ラフカ?」
そう言って、彼女は目を閉じた。ラフカが恐々とレンの息を確認すると、少し苦しげではあるがきちんと寝息があった。彼はほっと胸を撫でおろす。
「レン……」
ラフカは安堵と不安と疑問の混じった表情でレンを見下ろしながら、彼女の短く切られた栗色の髪をそっと撫でた。
お読みくださって、ありがとうございました。
また昨日の更新ではブックマークしてくださった方がいて嬉しかったです。
今回のお話でメリオット男爵邸の魔獣達との対決に一応の決着がつきました。しかし、レンの異常ともいえる体質?能力?は一体何なのでしょうか。
こちらはおいおい明らかになるかと思います。
また引き続き連載を応援して頂けましたら幸いです。




