メリオット男爵邸の魔獣
「レン……これ、一体なに?」
不安げに周囲を見渡すラフカの肩を、レンが守るように抱き寄せる。
「私の想像が正しければ、あまり素敵な状況ではない」
キュルキュルと甲高い不快な音をたてながら、天井から部屋の壁沿いに何本もの鉄の棒が降りてくる。腕が通らないくらいの間隔で、まるで牢獄に閉じ込められたようだった。
「な、なにこれ!」
「むむうぅぅぅ! お屋敷の隠しカラクリかぁぁぁぁ」
「あ、扉が!」
廊下とつながる扉の前にも数本の鉄棒が降り立ち、出入りが出来なくなってしまう。ただし、一か所だけ鉄棒のない場所があった。廊下ではなく、どこか別の部屋につながっているらしき、両面扉。
――ガチャン
鍵を開けるような音が鳴り、その両面扉が自動的に解放された。
「ウオオオオオオオオオオ!」
扉の向こうから不気味な雄叫びが聞こえた。その声はまるで――。
「晩餐会の時、魔獣達が来た時に聞いた声に似てるよぉ……! まさか!」
ラフカは扉の向こうを見つめる。暗すぎて中を見通すことはできなかったが、ずりずりと脚を引き摺るような不気味な物音だけは聞こえてきた。
レンがニーシアを睨む。
「どうしてこの屋敷にこんな仕掛けが?」
「大昔、『大きな戦争』があったのよ。おそらくこのお屋敷はその時からあるのね。だから、『ミレニア文書』なんていう過去の遺物も蔵の中に眠っていたし、防衛のためか謀略のためか、屋敷にはたくさんのカラクリがあった。今の当主にはもうそのような歴史は伝わっていなかったようだけど、私達はそれを知る術があったから利用させてもらったというわけよ」
ニーシアはそう言うと、手にしたブロンズ像で近くの鉄棒を叩いて、大きな音を出しながら扉の向こう側に向かって叫んだ。
「何をしているの、化け物ども! 早く出て来なさい! 一週間ほど餌をやっていないからお腹が空いているでしょう! ここに食べ物があるわよ!」
「お前も我々と同じ状況だろう。道連れのつもりか?」
だが、レンの忠告にニーシアはニヤリと不敵に笑い、ブロンズ像である箇所の床板を殴りつけた。するとその部分が跳ね上がり、地下へと続く階段が姿を現したのだ。ラフカは目を丸くする。
「まさか、隠し通路?」
ニーシアはその中に身を躍らせ、目を憎しみに爛々と輝かせながら微笑んだ。
「では、皆さん、ご機嫌よう。探偵、あなたはこの国の魔人――デモンどもの犬なのでしょう? 必ずこの借りは返すわ。あなたの大事な主人を殺してやる! そして、セシル……いつか死者の国で会いましょうね」
「うん、姉さん……また……。『あの方』にも……よろしく……伝えて……」
そう言ったセシルの顔は蒼白で、目を閉じると動かなくなった。
「ええ。きっと『あの方』もお前の働きぶりを喜んでくれるでしょう。『あの方』さえいれば、私達は正しい方向へ進み続けることができる! 『あの方』さえご無事なら!」
ニーシアは階段の内側から隠し通路の扉を閉めた。レンとヒビット博士が慌ててその扉を調べたが、もう外から開けることは出来なくなっているようだった。
「さしものワシでも、さすがに短時間では屋敷のカラクリを解明することはできんぞぉぉぉぉ?」
「ならば、戦うしかないですね」
レンはそう言うと、暗い扉に向かって歩き始めた。慌ててラフカはレンの服の裾を引っ張る。
「やめてよ、レン! そんな小さなナイフしかないのに!」
「大丈夫だよ、ラフカ。部屋の隅で少し待っておいで」
そう言って、レンはラフカの額にキスをする。驚くラフカを博士に託して牢獄のようになった部屋の隅に移動させ、レンは扉の前でセシルの首から回収したナイフを構えた。
※
魔獣というものは普通、森の中や廃墟に潜み、動物を狩って暮らす生き物だ。人と似たプロポーションを持ってはいるが、知能は人間に比べるとかなり低い。しかし、膂力は人間の倍はあるとされ、毒をもつもの、魔人には及ばないが魔法に近い術を放つものもいる。
「だがしかぁぁぁし! 殺気だっていたりぃぃぃぃ、腹が減っていれば人間を襲うこともあるのだぁぁぁぁ!」
ヒビット博士の言うとおり、暗い部屋から躍り出た魔獣が鋭い爪でレンに襲いかかった。
――キンッ!
鋭い音を立ててレンのナイフが魔獣の爪を弾くが、魔獣は素早く腕を旋回させて次の攻撃に移る。
その魔獣は焦げ茶色の毛皮に覆われた全身毛むくじゃらのクマのような巨体で、胴も腕も足も強靭で太い筋肉を纏っている。しかも、動作もかなり早い。縦横斜めから襲い来る鋭い爪をレンはからくもナイフで弾き続けた。
「レン……!」
ラフカが心配に押し潰されそうになりながら唇を噛んだその時、彼は扉の先の暗い部屋に動くもう一つの影を見た気がした。
「ガハッ……!」
突然レンが苦しげに呻きながら吹き飛んだ。もう一匹、別の魔獣が暗い部屋から猛然と飛び出し、レンを横から突き飛ばしたのだ。
「レン!」
その魔獣は上半身が人、下半身が牛のような魔獣だった。だたし、顔も牛の形をしている。魔獣は仰向けに転がったレンの上に馬乗りになると、大きく口を開け、レンの脇腹に食いついた。
「レンー!」
「くそ!」
レンはナイフをその魔獣の舌に全力で差し込む。
「ふぎゃあああああ!」
半人半牛の魔獣は舌にナイフを刺したまま飛びのき、大理石の床の上をのた打ち回った。
だが、危機が去ったわけではない。彼女のシャツの脇腹部分は真っ赤に染まっていた。
レンが起き上がる前に、毛むくじゃらの巨大な魔獣が襲い掛かる。
「ぐぅ……!」
レンは仰向けに倒れたまま、振り降ろされた魔獣の腕を両手で掴んだ。爪が額に触れるギリギリで魔獣の腕が止まる。
「レン!」
ラフカが悲鳴を上げた。
魔獣がレンの首に食いつこうとしたのだ。レンは魔獣の腕を止めるのを片手にし、もう一方の手で魔獣の首を掴んで牙を逸らさせる。
だが、魔獣は諦めず、そのまま負荷をかけ続けた。かなりの力らしく、レンの顔が苦痛に歪み、魔獣の腕と首を掴む彼女の腕がぶるぶると震えている。魔獣がさらに力を込めると、レンの額と首筋に血管が浮き出て、強く歯を噛みしめたせいか口から血が流れ出た。
「レンー!」
「らああああ!」
レンは叫ぶと、魔獣の腹を膝で蹴り上げ、その巨体を一瞬だけ浮き上がらせた。
「グオオオオオオ!」
魔獣がバランスを崩した一瞬、彼女は魔獣の首と腕を掴んでいる自分の腕を捻り、さらに腹部を蹴りあげた。
「うらああああ!」
毛むくじゃらの魔獣は、仰向けのレンの頭の上側へ吹き飛ばされた。頭から床に打ちつけ、床を一回転する。魔獣は打ちどころが悪かったのか、体を痙攣させながら床に転がったまま立ち上がれなくなっていた。憎悪に満ちた目だけがギロリとレンを睨みつけている。
「よ、よかった……」
力の抜けたラフカがクラッチ杖に寄り掛かる。レンは脇腹を抑えながら、荒い息で立ち上がった。
「レン、酷い怪我を……」
「このくらい平気だ」
「平気ってそんな……でも、これで魔獣を倒せたね」
「いや、まだだ」
レンが示す暗い部屋の奥を覗いて、ラフカの顔が凍り付く。
「ひいっ!」
別の魔獣が二匹、暗い部屋の中からこちらの様子を観察していた。一匹は人間の女の裸体に顔と両腕が蛇のようになっている魔獣、もう一匹は甲殻類のような殻を持った魔獣だ。
ラフカの顔が真っ青になる。
「魔獣が四匹も……この屋敷にいたってこと?」
「魔獣……実際はメリオット男爵のご一家だろう」
息を整えながら言ったレンの言葉に、ヒビット教授が唸る。
「ふむぅぅぅぅ……! だとすると、おそらくメリオット家当主――つまりイヴさんのお父上と、その妻、さらに嫡男と嫁入り前の三女であろうぅぅぅ……!」
「そんな……。まさか、ご一家もニーシアの組織の仲間だったの?」
「いや、おそらくは最初の実験台にされたのだろう。魔獣化のな」
レンは一歩前に出て、落ち着いた声で魔獣達に声を掛ける。
「メリオット男爵とご家族の皆様、わかりますか? 私達は皇后陛下の配下の者です。話を聞いてもらえませんか」
レンが呼び掛けたが、魔獣達は反応を見せなかった。ヒビット博士が唸る。
「むむむむぅぅぅ。ワシの危惧しておった通りだぁぁぁぁ! 『ミレニア文書』に記載された魔獣化はぁぁぁぁ、おそらくは人間の戦闘力強化が目的であったのだろうがぁぁぁぁ、魔獣化された人間はやがて知性と理性、記憶などがなくなりぃぃぃぃ、本物の魔獣と化してしまうのであろうぅぅぅ!」
「じゃ、じゃあ……男爵達は……?」
「もはや自分達が人間であったことすらわからなくなっているのだろう。惨いことだ」
レンは無念そうに目を伏せてから、ヒビット博士に視線を向ける。
「おそらく彼らは最近この問題に気付き、ヒビット博士に解決させようとしたのではないでしょうか」
「だからワシの研究成果を出せと言ったりぃぃぃぃ、城に連れて来ようとしたのかぁぁぁぁ!」
レンは頷く。彼女はセシルの仲間がこの部屋に運んできていた大鉈を拾って構えた。
「いずれにしろ、彼らを倒さなければ、ここから無事に帰ることは難しいでしょう」
レンは脇腹の怪我の重さを感じさせない軽やかさで、暗い部屋の魔獣達に向かって踊りかかった。
お読みくださって、ありがとうございました。
お話ではラフカ達のピンチが続いております。また続きは明日更新予定です。
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