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歌姫な僕と、名探偵な貴女 ~花散る帝都~  作者: フミヅキ
第二章 探偵と歌い手は海辺の街を奔走する
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人質交換

 その時。


「ラフカを放せ! 今すぐにだ! でなければこの女の首を切り落とすぞ!」


 突然扉が開く音がした。発されたのは聞き慣れた声で、ラフカは聞いただけで涙が溢れてくるくらいに愛しい声だった。


「うぐ……!」

「姉さん!」


 猿轡越しのラフカの声と、セシルの悲痛な声とが重なった。扉から入ってきたのはレンとニーシアだった。ただし、レンがニーシアの体を後ろから抱きかかえるようにして、首筋にナイフを押し当てている。


「お前、レンとかいう探偵か! 悪党みたいな真似しやがって!」

「今は手段を選んでいられない。私のことはどうとでも言えばいい。早くラフカを放すんだ!」


 レンの目は爛々と輝いていた。その青い瞳に宿っているのは大きな怒りだった。


「あぁあ! 姉さん!」


 レンのナイフがニーシアの白い首に浅く一筋の傷を作ると、セシルが悲鳴を上げた。どうやら彼はニーシアの弟であるらしい。


「貴様、姉さんに何をするんだ!」

「ラフカとニーシアを同時交換だ。いいな?」


 レンはセシルの非難を無視して言った。ニーシアが悔しげに唇を噛みながら言う。


「今は言うことを聞きなさい、セシル」

「姉さん……わかりました」


 項垂れながら承諾したセシルに、もう一人の仲間の男が不満げな表情を見せる。


「こっちの方が多勢だ。やっちまえばいいじゃねえか、セシル!」

「それで姉さんに何かあったらどう責任を取るつもりなんだ! お前は黙っていろ! 探偵、三、二、一のカウントで交換だ」

「わかった」


 セシルはラフカの腕の戒めを解き、杖を渡して立たせた。


「三、二、一」


 レンとセシルは同時に、それぞれの人質を前に押し出した。杖を使っても足取りがふらついているラフカを、レンは抱き留める。


「大丈夫か、ラフカ?」


 レンはラフカの口を縛っている布をナイフで切り離す。一方のニーシアもセシルに抱き留められたが、女執事はその瞬間に叫んだ。


「奴らを捕まえなさい!」


 仲間の男がすぐに反応して、いまだラフカの口の戒めにナイフをあてているレンに向かった。


「邪魔するな!」


 レンは叫び、ラフカを庇うように抱きしめ、男に背を向ける。


「隙だらけだな、探偵!」


 男は余裕の笑みを浮かべながら、大振りのパンチをレンの後頭部に見舞う。


 だが、彼のパンチは当たらなかった。逆に男の体から力が抜け、彼は膝を床についてガクガクと震えていた。


「は……? な、にゃにがおこっら……?」


 何が起こったのか、男自身にすらわかっていないようだった。呂律が回らず、男は得体のしれないものを見るような目でレンを見つめる。


 レンは男に背を向けたまま、脚を後方に蹴り上げただけだった。彼女のブーツのソールが狙い澄ましたように男の顎に吸い込まれ、衝撃が男の脳を揺さぶったのだ。


 その頃にはラフカの戒めは解かれていた。レンはラフカを背で庇いながら、いまだにグラグラと揺れている男の頭をミドルキックで水平に蹴り倒す。


「ぐ……!」


 白目を剥いて床に倒れる男を見て、セシルが唸った。


 レンはすぐにニーシアとセシルに対してナイフを構え直す。ラフカの素人目でも、その構えに隙がないことがわかった。セシルも懐からナイフを取り出して構えはしたが、一歩を踏み出せずにいる。その顔は、明らかに自分より戦闘技術が高いレンに対して、嫉妬と恐怖の混ざった表情を浮かべていた。


「応援を呼ばないのか、ニーシア?」

「く……!」

「もうこの屋敷には仲間が他にいないのだな? この屋敷に新たに雇い入れた者達はすべてお前達『アンチデモン戦線』の同胞だったが、前の魔獣襲撃事件のためにほとんど帝都グリアへ送ってしまったのだろう?」


 レンの言葉に、ニーシアの顔が引き攣る。


「今残っているメイド達は、何も知らずに雇われた者達なのだろう。空っぽになった屋敷をなんとかそれらしく回すための。だから、彼女達の前では一般的な執事らしく振舞うよう注意していた」


 ラフカは前にこの屋敷に来た時、メイド達の前では愛想よくしていたニーシアの姿を思い出した。


「メリオットのご一家はどうされた?」

「さあ? 病に伏せっておられる『はず』ですけれどねえ?」


 顔を引き攣らせながらも、ニーシアは余裕のある素振りで嘯いた。


 その時、扉が再び開いて一人の男性が現れる。


「ワシからも聞きたいことがあるぅぅぅぅ!」

「ヒビット博士!」


 目を見開くラフカに、レンが言う。


「宿で女将さんからラフカのメモを受け取って、慌てて博士の研究所に向かったんだ。一人で行かせるのはどう考えても危険だったからね。それから、ラフカに詳しく話を聞こうと思ってキャバレーに行ったのだが……そちらのママが言うには、ラフカはセシルという男が『お持ち帰り』だと」


 レンは、ナイフを握るセシルを睨む。


「セシルは執筆名――本名はカエクス・エリスだな?」


 ヒビット博士はいつもは猫背にしている大柄の体の背筋を伸ばし、ニーシアを睨みつける。


「道中、レン君に聞いたぞぉぉぉぉ! せっかく治したイヴさんを、魔獣に変えるなど……なんという所業ぅぅぅぅ!」

「それが何か?」


 鼻で笑ったニーシアに、ヒビット博士は血管が切れそうな勢いで叫ぶ。


「き、君は彼女を愛していたのではなかったのかぁぁぁぁ! まるでイヴさんを道具のように使うとはぁぁぁぁ……。彼女はどれほど悲しかったことかぁぁぁぁ!」

「我等は等しく目的遂行のための駒であり道具である。イヴはそれも理解していました」

「しかし、イヴさんは別に魔人への恨みなどないはずだぁぁぁぁ! 君らの組織に所属する理由がないぃぃぃ!」


 絶叫するヒビット博士を落ち着かせるように、レンは彼の肩を叩く。


「博士、アンチデモン戦線は皇族に家族を奪われた人達が参加する場合が多いですが、政治体制に不満を持つ者や暴れたいだけのならず者なども参加しているようです。そして一定数いるのが構成員の勧誘により入団した者だと言われています」

「勧誘ぅぅぅぅ?」

「特に、恵まれない環境にいる者を言葉巧みに『ここに来れば仲間がいる』と誘い込むのだとか。一度入ってしまえば、甘い言葉と裏切者への厳しい制裁によって、まるで洗脳のように組織に縛り付ける……そんな話も聞きます」


 レンがちらりとニーシアに視線を向けると、彼女は笑いながらそっぽを向いた。ヒビット博士はギリギリと歯を食いしばる。


「イ、イヴさんをぉぉぉぉ……家族から無視された孤独な彼女をぉぉぉ……君は慰めていたのではなくぅぅぅぅ、そこにつけ込んで組織に勧誘していたのかぁぁぁぁ!」


 叫ぶヒビット博士に、ニーシアが勝ち誇ったように笑う。


「ふふ。博士では救えなかったのですよ、イヴの孤独を! あの子の体は直せても、あの子の心は博士には救えない。イヴが心を真に開いていたのは、この私だけ」

「ぐぬぬぅぅぅぅ……!」

「報われない想い、ご愁傷さまでしたわね」


 ヒビット博士は悔しげに唇を噛んでいたが、大きく頭を振って叫ぶ。


「しかぁぁぁし! そもそも人を魔獣に加工するなど現在では不可能な技術のはずなのだぁぁぁぁ! 『ミレニア文書』には確かに人を別種――魔獣に作り替えると思しき作業要領が記載されていたがぁぁぁぁ、そのためには膨大なエネルギーを要するぅぅぅぅ! 『ミレニア文書』ではそのエネルギー源を『ハンナの壺』と呼称していたのだがぁぁぁぁ、それが何であるのかはこのワシにもわからなかったのだぁぁぁぁ!」


 ヒビット博士はハッとしたようにニーシアを見つめる。


「まさかぁぁぁぁ……君らの組織は『ハンナの壺』とやらを手に入れていたのかぁぁぁぁ!」


 ニーシアは厳しい顔つきになり、口を不機嫌そうに歪める。


「ふん! おしゃべりはもう終わりましょう。セシル、準備はいい?」

「はい、姉さん!」


 叫んだセシルが、突然、ナイフを構えてレンに飛び掛かった。


「くっ……!」


 セシルのナイフを握った手首を、レンは鮮やかなハイキックで蹴り飛ばす。


――カランカランカラン……


 衝撃でセシルのナイフが吹き飛び、床に転がったナイフが乾いた音をたてた。その一瞬後には、セシルの首元にレンのナイフが突き付けられていた。彼が一歩でも動けば、すぐに喉元に突き刺さる体勢だ。


「セシル、無駄だ。投降しろ!」

「やだね!」

「なに!」


 レンは目を見開く。セシルはレンのナイフが首に食い込むのも構わず、彼女の腰に向かってタックルをしかけたのだ。


「うおおおお!」


 だが、セシルに突っ込まれたレンはびくともしなかった。真っ向から彼を受け止め、セシルの肩を抱え込んで脚を踏ん張る。


「らああああ!」

「なに……!」


 セシルの体が地面から浮き上がった。成人男子の体重があるはずのセシルが地面から引き剥がされ、レンはそのまま体を旋回させて、セシルの体を投げ飛ばす。


「ぐあ!」


 セシルは大理石の床に頭から突っ込み、潰れたカエルのように突っ伏した。彼の首にはレンのナイフが刺さったままで、血が勢いよく吹き出している。


 だが、そんな状況であるにも関わらず、セシルは笑っていた。


「やったよ、姉さん!」

「よくやったわ、セシル!」


 セシルの視線の先にはニーシアがいた。セシルがレン達に向かっている間、彼女はなぜか調度品の棚を漁っていたのだ。小さなブロンズ像や貴重な皿を床に投げ捨てた彼女は、棚の奥のハンドルレバーのようなものを握っていた。


「メイド達にはこの部屋には入るなと言ってあったのよ。なぜかわかるかしら?」


 ニーシアは勝ち誇ったように笑いながら、ハンドルを引いた。


「探偵! さっきメリオットのご一家はどうしたと聞いていたわよね。教えてあげるわ!」

「まさか!」


 レンがハッとしたように目を見開くと、ゴロゴロと不気味な重低音を響かせながら部屋が振動し始めた。

お読みくださって、ありがとうございました。

お話ではラフカとレンがなかなかの危機的状況に陥っています。続きは明日更新予定です。

お気に召した方がいらっしゃいましたら、また読みに来ていただけると嬉しいです。

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