魔獣襲撃事件の目的
事件のあった翌日、帝都の新聞各社は城内で発生した魔獣襲撃事件を大々的に報じた。それを撃退した警備兵と近衛騎士団の雄姿、圧倒的な両陛下の魔術、そして探偵レンの活躍も。
「ごめんなさ~い。レン先生はお忙しいので、しばらく新しい依頼は受けられないんですぅ」
レンが帝都の下町の片隅に構えている探偵事務所には、事件の日以降、たくさんの客がやって来た。
探偵助手に就任したラフカは、愛想よく客達をもてなし、申込書への記入のお願いや捜索事情のヒアリングなどをこなしている。探偵事務所でも相変わらず婦人用のドレスを着ているラフカは、銀髪の美少女助手として新たな客層の開拓にも多少は貢献していた。
ちなみに、古風な造りのアパートメントの一階が事務所で二階の一室がレンの居住する部屋、ラフカはその隣の部屋を提供されて暮らすことになった。備え付けの家具も品のいいものばかりで、ラフカはその新しい部屋を気に入ている。
そんな新生活にワクワクいっぱいのラフカに対して、レンは少し沈んでいるように見えた。
(あの時のベリアーダ様のご様子――あの魔獣の刻印を気にしているのかしら……?)
レンは通常の探偵の仕事はしっかりとこなしているが、ふとした時に見せるレンの表情からラフカはそう感じていた。
そんな探偵事務所も事件から数日後には落ち着きを取り戻し始め、橙色の日差しが差し込み始めた夕刻、事務所にはもう客の姿はなかった。ラフカがたくさんの書類や書物が収まった棚をハタキで掃除し始めると、事務所の扉が開いた。
「邪魔をするぞ」
そう言いながら事務所に入ってきたのは「奥方様」だった。今日も顔を隠すベールの付いた帽子を被っている。手の込んだ織物をそうと思わせないデザインで仕立てたドレスを纏い、相変わらずの洒落ものぶりだった。
「なかなか事後処理が面倒でな。ここにはすぐ来るつもりであったのが遅くなった」
ベリアーダは勝手知ったる様子で来客用のソファに腰かけ、脚を組みながら溜め息をこぼす。ラフカはすぐにお茶出しの準備にかかった。
「奥方様、どうぞ」
「小僧のくせに案外気が利くではないか」
せっかく紅茶を淹れたのに茶化されたラフカが頬を膨らませると、ベリアーダはクスクスとおかしそうに笑ったが、それはすぐに憂鬱そうな顔に変わる。
「結局、あの事件は何が目的であったのか……」
珍しくぼやくように言ったベリアーダに、レンがある新聞を手渡す。
「こんなものを見つけました」
「ふむ。タブロイド紙か」
帝都で発行される新聞にもランクがあり、中にはスキャンダルや真偽の定かでない噂を報じる三流紙も流通していた。それらは一般的な新聞よりも小さな版型のものが多く、タブロイド紙と呼ばれている。レンの差し出したものも見た目は一般的なタブロイド紙のそれだったが、その手のものは話のネタによくチェックしていたラフカには発行元の「デイリー・ノーメッド」という名前に見覚えがなかった。
「ふふふ、面白い。魔獣襲撃事件は皇族による『食害未遂』の隠蔽とな?」
ベリアーダはページをめくりながら、おどろおどろしいイラストが続く紙面を眺め、不敵にくつくつと笑う。そこには恐ろしい怪物のように描かれた皇帝と皇后が晩餐会の招待客を襲う様が描かれている。
「あの騒ぎは我等に対する印象操作が目的であったか?」
「おそらく。もしあの場で対応が間に合わず、大多数の晩餐会参加者が殺されていたとしたら……」
「死人に口なし……ということか」
「はい。城から事件の詳細を発表したとしても、『事件の真相は皇族による虐殺だった!』とセンセーショナルな噂の火の手があがったら、それがどのような広がり方をするかはわかりません」
「今回は晩餐会参加者全員が目撃者であるがゆえ、そんな噂は広がりようもないということだな?」
レンはその言葉に頷きながらも、美しい顔の眉間に皺を寄せて言葉を続ける。
「我が国は他国と比べても国民の皇族への忠誠心が非常に高い国です。それを覆そうとする動き。こんなことを考えるのは……」
レンの言葉を聞いて、ラフカの頭に閃いた言葉があった。
「まさか、アンチデモン戦線?」
その言葉を発した瞬間、レンの顔が冷たく凍り付いた。その顔は今まで見たことがないくらい嫌悪と憎しみに満ちている。
(まるで悪鬼のみたい……)
「レン……? どうかしたの?」
ラフカが不安げにレンの顔を覗き込むと、彼女はハッとしたように彼の顔を見つめ返す。
「いや、私は……」
「以前にもかの組織は一度だけ我等が国において事件を起こしておるな。今回のような手の込んだ事件ではないものの、夫とわたくしの行幸中に警護の隙を狙った皇族暗殺未遂事件だ。その際、残念なことに一人の近衛騎士が亡くなったが、首謀者は捕らえられ、現在収監中だ」
ベリアーダが助け舟を出すように言うと、レンは取り繕うように笑いながら頷く。
「そうです。あの事件のことを思い出していました。あの組織を知っているのか、ラフカ?」
ラフカはレンの反応を訝しげに思いつつ、こくりと頷いた。見世物小屋の地方興行で出会った行商人から聞いた外国の話を思い出しながら彼は口を開く。
「皇族の方々に対して『デモン』とかって蔑称を作って呼んでる不敬な連中でしょ? ただまあ……なんか外の国の皇族って怖い人もいるっていう話だったけど……」
正直、以前のラフカにとっては皇族というものは遠い存在過ぎて好き嫌いも尊敬憎悪も抱きようがないものだった。今は、恐れ多い気持ちもありつつ――特にベリアーダはいちいち自分のことをバカにしてくる点が面白くないと感じるくらいお近づきになってしまったことに彼自身驚くばかりだった。
(そんな風に思うのも不敬なのかもしれないけど……)
「そいつらがこの国に入り込んだってこと?」
「おそらく。彼らはこの地上からの『魔人根絶』をスローガンに掲げている。彼らにとっては、我が国の皇族と国民のありようは面白くないのだろう」
「だからって、それを崩すために、わざわざあんなテロ行為をしたってこと? レンが事前に気付いてなかったら、怪我人どころじゃ済まない被害が出たよ……。人間を殺しちゃう可能性があってもしなきゃいけないことなの? それに魔獣を意のままに操ることなんて出来るかなあ?」
「何をおいても悲願を達成する――それが彼らの行動原理だと聞いている。それに『皇族と誼ある人間は人間に非ず』という思考であるようだ」
「そんなぁ……!」
ショックと驚きに顔を歪めるラフカの隣で、ベリアーダはタブロイド紙をグシャリと握り潰した。
「至極不愉快だ」
ベールの上からも、ベリアーダの真っ赤な唇が不機嫌な形に歪んでいるのがわかった。
「我等に直接挑んでくるのであればいくらでも相手をしよう。わたくしも夫も十分な『食事』を摂れているとは言えぬ。他国の国主どもよりも暗殺の成功率は高かろうし」
「奥方様……そのようなお言葉は……」
「ふ……冗談だ」
レンから心配と非難の混じった目を向けられ、ベリアーダは少しだけ口角を上げて笑ったが、すぐにその笑みを消す。
「ただし、我等が民に手を出すことは、如何な理由があろうとも到底許容出来ぬ。かような輩は徹底的に打ち倒し、磨り潰し、殲滅する必要があろう」
怒気を孕んだベリアーダの声は、自分に対して言われたわけでもないのにラフカを震え上がらせるほどだった。
「レン、そやつらの潜伏先についてアタリは付いているのか」
「はい。そのタブロイド紙の発行元が置かれているのが、我が国南部の海岸都市エレーニア。そして、その街はイヴ女史の出身地でもあります」
「ふん。色々繋がりがありそうだな」
ベリアーダは不敵に笑うと、抱えていたクラッチバッグから何枚かの金貨を取り出し、机の上に置く。
「着手金だ、レン。奴らの拠点を探り出せ」
「承知しました、奥方様」
「それから、この件をお前に頼むことは我が夫には話していない。こういった調査には兵士を派遣するよりも、お前のような民間人の方が情報収集について容易であろうが、夫はなかなか融通の利かないところがあるからな」
「私は皇帝陛下には信頼されていませんからね」
レンは自虐的に笑った。その顔が、針でも飲み込んでいるような苦しげな顔に見えて、ラフカは思わずレンの腕に抱き着く。
「ラフカ? どうしたんだ、突然……?」
「なんでもない! ただレンのそばに行きたくなっただけぇ!」
「変なラフカ」
レンが半分困ったように半分照れを隠すようにクスクス笑いだしたから、ラフカはホッと胸を撫でおろす。その様子に、ベリアーダも笑みを浮かべた。
「レン、夫は特にお前を疎んでいるわけではないのだぞ」
「お気遣いをさせてしまい申し訳ございません、奥方様」
頭を下げるレンの姿に、ベリアーダは困ったように溜息をついた。
「とにかく頼んだぞ、レン」
ソファを立って出口に向かおうとしたベリアーダの背中にレンが声を掛ける。
「出発前に奥方様に一つ伺いたいことがあります」
「なんだ?」
「イヴ女史とみられる魔獣の、あの『刻印』は何だったのですか?」
立ち止まったベリアーダはレンを振り返り、少し間をおいてから口を開く。
「詳しいところはわからぬ。わたくしも先代から話に聞いただけであるからな。人間を魔獣に変える術があることは」
「魔術の一種なのですか?」
「いいや、それは我等魔人の使う魔術に類するものではない。とある系統の失われた技術……のはずであったのだ」
「イヴ女史のご家族には……?」
「知らせておらぬ。あれがイヴであるという確証もまだないからな。ゆえに失踪のこともまだ伝えられぬのだ」
ベリアーダは悩ましげに溜め息をついた。
「あの日城を襲撃してきた他の魔獣達にもあの刻印はあった。あれらもすべて、元人間なのであろう」
「なるほど。魔獣化したのは襲撃直前でしょうか。そうであればこそ、城近くの街中に潜伏できた。人間の姿は失っても、人間の知能は残っていたからこそ、おそらくはイヴ女史の手引きに応じて城内を移動しホールに辿り着けた」
「ふむ。今回の調査対象は一筋縄ではいかぬやもしれぬな」
そう言ったベリアーダは、帽子のベールを持ち上げ、大きな金色の瞳とこめかみの角を露わにした。
「レン、調査は充分に気を付けて行え」
「承知致しました」
ベリアーダの金色の視線を真っすぐに受け止め、レンは頭を下げた。満足げに頷いたベリアーダは再びベールを被り、夕暮れの橙色に染まる街に向かって歩き出す。
しかし、ベリアーダが扉を出るのと同時に、通りの石畳を雨粒が濡らし始めるのが見えた。
「あ、僕がお渡ししてくるよ!」
傘立てはレンよりラフカの近くにあった。
ベリアーダは事務所のすぐそばに馬車を待たせていたようだが、それでも少しでも雨に濡れさせるわけにはいかない。傘を抱えたラフカは杖をついてベリアーダを追いかけた。
「奥方様ぁ、こちらをお持ちください!」
「ああ」
ベリアーダは受け取った傘を差しながら、ラフカにチラリと視線を向ける。
「お前、ラフカといったな?」
「はい」
「お前がレンを見守れ。あれが無理をせぬようにな」
さらりと言われた言葉にラフカは一瞬目を丸くしたが、すぐに力強く頷く。
「わかってます! 僕に任せて下さい!」
気合を入れて握りこぶしを作るラフカを見て、ベリアーダはくすりと笑う。
「まあ、チンチクリンのお前にそこまで期待はしておらぬがな」
「奥方様、ひっど~い!」
頬を膨らませるラフカに、にこやかに微笑みながら手を振り、ベリアーダは馬車に乗り込む。「奥方様」を乗せた馬車は城の方角へと進路を取り、街の喧騒の中へと消えていった。
お読みくださって、ありがとうございました。
ちょっと今回はお話の区切りが難しくて字数多めになっております。読み辛かったら申し訳ないです。
そして、このお話から「第二章 探偵と歌い手は海辺の街を奔走する」の開始となります。晩餐会への魔獣襲撃事件がキナ臭い陰謀へとつながっていきそうな予感です。
引き続き、お楽しみいただければ幸いです。よろしくお願いします。




