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歌姫な僕と、名探偵な貴女 ~花散る帝都~  作者: フミヅキ
第一章 歌姫と探偵は花やぐ帝都にて出会う
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ラフカの歌

 ラフカは自分でも相当にふてぶてしい性格をしていることを自覚している。脚の麻痺と諸々の事情から彼は幼い頃に家族から捨てられ、見世物小屋に放り込まれた。ラフカの首には今も「小屋の持ち物」であることがわかるように鉄製の首輪が付けられている。首輪には南京錠(パッドロック)が掛けられていて、解錠するための鍵は見世物小屋の親方の手の中だ。


 客観的に見ればとても不幸な少年時代なのだが、ラフカは自らの美貌と声の美しさを自分自身よく理解していたから、少女の服を着て歌うことを生業にして暮らしていた。並みの女では太刀打ちできないほどに整った顔立ちと、乙女のような自慢の歌声と、自分以外には再現不可能なショーで、見世物小屋にやってくる観客を魅了した。


 彼のさらさらと流れる長い銀色の髪、きらきらと輝く赤い瞳、折れそうなほど華奢で小柄な体型。ラフカの顔はまるで人形のように理想的な形状の各パーツが完璧なバランスで配置されていて、大きな街で少女を集めても、これだけ可憐な乙女はそういないだろうと自分でも思っていたし、事実、彼のファンの中には彼のことを「妖精」と呼び称賛する者もいた。ラフカは普段から婦人用のドレスを身に付けているから美少女にしか見えなかったが、彼が男性だとわかっても彼のことを求める男性ファンは多かった。もちろん贔屓の女性ファンもたくさんいる。


 衆目を集めれば、金も入ってくる。「ラフカと個人的に話がしてみたい」と声を掛けてくる客も少なからずいて、見世物小屋の親方仲介のもと、ラフカはショーのあとにそんな客と共に時間を過ごすことも多かった。ただのおしゃべりだけで満足する客が少ないことはラフカも心得ている。彼は客がどのようなことを望んでいるのかを嗅ぎ取るのが得意だったし、相手を喜ばせる対応をするのも上手だった。


 そういう客の払う「特別料金」の多くは親方の懐に入っていき、ラフカにはそれに不満を言う権利もなかった。それでも、彼はどんな形であれ人から賞賛されるのが嫌ではなかったし、他に行くあてもなかったから、ずっとそんな暮らしを続けていた。


 でも、今日ばかりはラフカも少し堪えていた。


 ラフカのいる見世物小屋は今、イグリア帝国の帝都グリアで月に一度開催される祭事に合わせて興業を始めていた。そこにやって来た裕福そうな老夫婦がラフカを気に入り、屋敷へ招待された。にこやかな笑顔の老夫婦はいかにも人が良さそうだったが、こういう手合いこそがなかなか怖いこともラフカは今までの経験から知っていた。知ってはいたが、昨晩の老夫婦は彼の想像よりもイカレていた。


「はあ……」


 ラフカは脚の麻痺のために使っているクラッチ杖をゆっくりと動かし、華やかな街のメインストリートから裏手に入る。入り組んだ路地に石造りの古い建物が並ぶ下町に、カツカツと杖が地面を叩く音が響いた。杖はグリップと上腕を支えるカフがついた形状で、ラフカはこれがあれば健常な人間と同じ速度で歩けるが、今はその足取りは重い。あまりに疲労していたので彼は一旦歩くのをやめ、近くのアパートメントの外壁に体を預けて休むことにした。空を見上げると、白々と明け始めた空には今にも雨が降りだしそうな濃い灰色の雲が広がっている。


「まあ、顔が無事なだけよしとするか……」


 老夫婦により痛め付けられた体を擦りながら、ラフカは溜め息をついた。老夫婦の屋敷に着いた途端、彼らはラフカから杖を取り上げ、逃げられないように金属製の枷と荒縄で縛り付けたうえ、性的な悪戯と恐怖を埋め込む暴力をラフカに同時に与えた。その間、夫妻ともに楽しそうにニコニコと笑っていた。


「あーあ……」


 ラフカは彼を戒める鉄の首輪をつついてから、薔薇の蕾のような唇を開いて溜め息を漏らした。それは次第に声となり、歌詞を伴い、メロディーを描き始める。


『荊の道ゆく御子よ、紅き涙流す御子よ

 聖母のやすらぎ、いずこや』


 ラフカにとって歌は商売の種だ。普段だったら観客も金の入りもないのに歌うことなどしない。でも、今はどうしても歌わずにはいられなかった。


(一人ぼっちは怖くない。他人からぞんざいな扱いを受けることにだって、僕は慣れてるからどうってことない)


 負け惜しみではなく、ラフカはそう思っている。見世物小屋が潰れたとしても、自分の美貌と歌があれば己の一人身くらいはどうとでもできるはずだと思っている。今だって彼のことを人間扱いせずに痛めつける人間がいる一方で、彼のことを崇め称賛するファンもたくさんいる。人並みの稼業ではなくとも、生きることはできるということだ。


 そう思うのに、心の中に割り切れない気持ち――寂しさや不安のようなものがどんどん降り積もっていくのがなぜなのか、ラフカにはわからなかった。それらは見たくもないのに、一度対面してしまうと止めようもなく心の中で繰り返し反芻され、ラフカの中に重く深く沈殿していく。


 苦しみが滲み出るラフカの歌声は次第に熱を帯びていった。少女のように清らかに、毒婦のように艶やかに、歌詞を吐き出しメロディーを紡ぎ出す。


 その時――。


――クスクスクス……


 まだ早朝で誰もいないはずの狭い通りで、ラフカの耳に誰かの囁くような笑い声が聞こえた。


――唄エ。モット歌エ、夜ノ子供ヨ!


 まるで酒に酔った女のような声だった。その声と同時に、ボウっと真っ赤な炎が何もない空間に突然浮かび上がる。炎自体は普通の人間にも見えるものだが、ラフカの赤い瞳はその傍らに蝶の羽を持つ小さな人のシルエットを捉えていた。


 火の精霊だ。


 けれども、ラフカは精霊など気にも止めずに、激しく繊細に歌を歌い続ける。


――アア! オマエノ歌ハ最高ダ! アアア、オカシクナッテシマウ!


 半透明に紅く輝く精霊は、炎を纏ったまま狂ったように空中をでたらめな軌道で飛び回る。蝶の羽が震えるたびに、火花が散って閃光が煌めいた。


 幼い頃、精霊達とのやり取りのコツを把握できていなかった頃のラフカは、火の精霊たちを暴走させてしまい、火傷を負うことも度々あった。今はやり方を心得ており、精霊達に歌を捧げる代わりに、見世物小屋のショーで歌に伴った火のアトラクションをさせている。しかし、今日のラフカはそんな気力もなかった。


(今日はいい。好きに聴いて、好きに踊るがいいよ)


 ラフカの歌が情熱的でテンポの速い悲恋の歌に変わると、さらに精霊の動きは狂乱と化す。精霊が彼の耳元にキスをすると、そのすぐそばで火炎が爆ぜた。かなりの熱気にラフカは顔をしかめたが、それでも歌をやめなかった。ラフカの心は焦燥に埋まっていた。


(僕のファンだって言ってる人達も、実際のところはただ僕を物珍しがっているだけ……そんなのわかってる。それでも儲けがあれば――ひと時でも他人から褒められれば、気分はよくなる。でも……)


 ラフカは人間ではない。人間の男女の間に生まれながらも、不気味な能力を持って生まれた「夜の子供達」だ。


(家族でさえ敬遠した半分化け物の僕の身元を引き受けてくれるような――そこまでいかなくても、友達になってくれるような人なんかいなかった。精霊達だって、僕が歌わなければ近寄って来もしない)


 一人ぼっちは怖くないと思いながらも、ラフカは心に降り積もっていく感情を処理しきれていなかった。歌に託して吐き出すことしかできなかった。

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