五話
ギリギリ間に合った……!
蠢く肉塊が洞窟を徘徊している。
普通であれば恐怖を抱くような光景だが、今は別だ。
なぜならそれは私たちのことだから。ホラーゲームの敵役になったかのような、少しの背徳的な快感が背中をさする。背中はないけど。
だた、今はそんなことを考えている場合ではない。ここは紛うことなきファンタジーの世界の、それも魔物溢れる魔境なのだから。
少し油断しただけで、背後から一突きされて命を落とすかもしれない。とは母の談。
だから、索敵能力では母に負けるかもしれないが、全身を目や耳や鼻などの感覚器官に変えて、少しでも情報を集める。
しばらく代わり映えのしない洞窟の中を母にくっついて移動していると、鼻がなにかの匂いを拾った。土や石のじめっとした匂いではなく、なにかの生き物が暮らしているような。
[……む]
しかしそれを伝えようとしたところで、母の方も気がついたようだ。
……そりゃ、全身を感覚器官に変えて、そして情報を集めるために集中していると言っても、生まれたばかりの私にできることは少ないか。改めて自分の無力感を感じながら母の指示を待つ。身体の操作がまだぎこちない現状、自分ができることは母の言うことを聞くことしかできない。
[身体、借りるよ?]
じっと指示を待っていたら、母はそう言った。そしてなにかが体内に侵入してくる感覚。
[……え?]
なにか動作をする暇もなく、それは身体の芯まで潜っていった。感覚としては、初めて母が私に触手をぶっ刺した時と似ている。
そして次の瞬間、私の身体が勝手に動いた。……いや、勝手にではないな。誰か私以外の意思によって、なにか明確な目的を持って動いた。今、こんなことができて、さらにはする意味がある人はひとりしか思いつかない。
[母さん?]
そう、母さんだ。なにこれ? と思って疑問を投げかけようとしたけど、その瞬間にあることに気がついた。
母さんの思考が直接私に伝わってくるのだ。今まで伝わってきていた曖昧なものではなく、もっとちゃんとした思考が。そして母に繋がっている他の『兵士』たちの存在も。
そして理解した。これが『集合体』の戦い方だと。これが『主要器官』の持つ能力だと。
『主要器官』。これは『兵士』のような特殊で強力な変形能力は持っていない。『医師』の持つ味方を回復させるような特殊な力も持っていない。他の、なにか動物とは違った特殊な物もなにひとつ持っていない。
ただ、代わりに大きな脳を持っている。むしろ、身体のほとんどが脳と言ってもいい。脳が、その身体の実に九割ほどを占めている。残る一割は産卵のための器官と、それらを覆う薄い皮膚のような物のみ。
単体だけでは生きていられない、ということだけは他の『兵士』や『医師』と似ているかもしれない。
ただ、それらとは役割が全くの別だ。『兵士』と『医師』を楽器と吹奏者とするのなら、『主要器官』は楽譜と指揮者だ。『主要器官』の本質は単体の戦闘能力ではなく、他の有耶無耶の『兵士』たちをまとめることにある。
頭では理解していたが、体験するのは初めてだ。
私と母と『兵士』たちと『医師』たちと。『集合体』としてまとまっている全員の意識が混ざり合い、各々の見ているものや感じているものが一瞬で共有される感覚。魂を共有しつつ、自分が複数人に別れたような、そんな感覚。
この前、身体の一部を脳に変えた感じが一番近いかもしれない。ただ、なぜだか少し意識が朦朧とする。眠気を耐えている感じが近い。
母は慎重に歩き出した。母の意思の下、私の身体が変形する。『集合体』の身体が変形する。
元は蠢く肉塊のような見た目だったのに、今では手足や鱗が生えている。
もちろん変わったのは見た目だけではない。内部も相当変わっている。内臓がほとんど全て消えているのだ。戦闘に邪魔な器官を消す。これは内臓まで『兵士』を変化させて作っている『集合体』の強みと言えるだろう。
現在私は複数本ある足の中にいた。母からの歩けという指示。言葉のようにはっきりとはせず、かと言って曖昧なわけでもなく、人が手足を動かすように自然な指示。私の身体が滑らかに動く。私が動けと念じた時はぎこちなかったのに。
もはやこれは私の身体とは言えないかもしれない。みんなの意識が別れている時は別として、少なくとも合体中は。半分寝ているような、ぼんやりした意識の中でそんなことを考える。
■
匂いの元が近い。鼻として機能している『兵士』が感じた匂いが、母を通して全員に伝わる。目として機能している『兵士』が見た景色が、一瞬で全員に共有される。
そこには生活の跡が見て取れた。晒されてしばらく経っているであろう骨、悪臭を放っている糞と思われるもの、鋭い爪かなんかで引っ掻いてできたであろう壁の傷。
そしてその奥で呑気に眠る奇妙な生物。そいつは我々の気配を感じていないとでも言うように、無防備に寝ている。
それは魚のような胴体に硬そうな鱗、ワニの頭、ヤギのような四対八本の脚、そしてさそりの尻尾のようなものが生えているという不思議な形をしていた。キメラ擬き、という単語が出てきたので、今度からはそう呼ぶことにした。
母が、少し嬉しそうにしている。どうやら、強くなくて大きい獲物を見つけられたかららしい。
キメラ擬きは、少し小ぶりな象ほどの大きさをしていた。我々『集合体』とあまり大差はない。たしかに、自分と同じくらいの大きさの食物があれば、しばらくは狩りに出なくてもすむだろう。
母はさらに身体を変化させた。
虫のような脚を複数本生やす。タコのような吸盤付きの触手も数本生やす。代わりに今まで出していた脚を引っ込め、なんと壁を上り始めた。音は出ない。驚くほど静かだ。もちろんキメラ擬きは気づかない。
やがてキメラ擬きの頭上にくると、まるで巨大な槍かなんかの矛先のような牙を作り出し、キメラ擬きの胴体へと向ける。
そして落下した。
『集合体』の巨体が重力に引かれて加速する。
私たちが空中にいたのはほんの僅かな時間だけで、次の瞬間には牙がキメラ擬きの胴体に突き刺さっていた。キメラ擬きの鱗など、まるで無いかのように牙が沈んでいく。
胴体を一突きされたキメラ擬きが、咆哮と共に暴れだす。が、そのころには母はまたしても身体を変化させていた。全身を巨大な触手に変化させ、キメラ擬きが暴れないように身体を締め付ける。キメラ擬きの骨がミシミシと悲鳴をあげる。
キメラ擬きは更に激しく抵抗するが、お構いなしだ。先ほど突き刺した牙を引き抜く。傷口から大量に血が噴き出す。
しばらくそうしていると、キメラ擬きの抵抗が弱まってきた。傷口から出てくる血液も少なくなってきた。どうやら血を失いすぎたようだ。それでも母は拘束をやめない。
キメラ擬きはそれでもまだもがいていたが、やがて完全に動かなくなった。母はスルスルと拘束を解く。と同時に、ふわふわしていた意識が覚醒した。他の仲間の意識が感じられない。母の意思も伝わってこない。
そっと自分の身体を見てみると、母の伸ばした触手が私の身体から抜け出ているところだった。分離したらしい。
母は、キメラ擬きの血に濡れながら、穏やかに笑っていた。
……生物を、この手で殺した。母が動かしていたとはいえ、自分の手で。
でもなぜだろう。罪悪感など全く感じない。フィクション作品で見る罪悪感など、全く。
これは、私が人間ではなくなったからだろうか? それとも、もともとなにかが壊れていたのだろうか? わからない。わからないけれど、なにか一線を越えてしまった気がした。
母が他の『兵士』を動かして、まだ血が少しずつ流れ出ているキメラ擬きにかぶりつく。
この日、私は本当の意味で『集合体』を構成する一人となった。
六話は水曜日(8/12)に投稿します。