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蠢く蟲の姫  作者: こまこま ろにの
魔の森のダンジョン編
11/20

十話

 相手の爪を弾き、角を避け、尻尾のトゲを受け流し、時々攻撃を入れてーー。


 幾度となく繰り返される応酬。周りに響く鱗と爪のかち合う音。何度も竜の攻撃を受けて砕け始めた洞窟の床。


 戦闘はまだまだ終わらない。


 ■


 どれほどそうやって戦っていただろうか。とうに時間の感覚は消えて久しい。だから私にそれはわからない。

 でも長いこと戦っていたことだけはわかる。身体の疲労が教えてくれる。


 ーー限界。


 そんな言葉が頭にちらつく。何度も攻撃を受けた我々『集合体』の身体は、一見傷などないように見えるが、実は違う。内部の組織がボロボロになってしまっている。何度も強力な攻撃を防御し、筋断裂をしているような状態だ。それを『兵士』の変身能力で無理やりくっ付け、誤魔化しているにすぎない。

 今も、ほら。足として動いていた『兵士』がバランスを崩した。他の『兵士』を動かし、カバーしつつも次の動きに繋げて隙に見えないようにしているが、それもいつ途切れるかわからない。いつ竜にばれて殺されるかわからない。


 ーー限界。


 母は必死に身体を掌握し、なんとか『兵士』に休憩を与えて誤魔化しているが、疲労は確実に溜まっていく。

 攻撃を直接受けないように受け流しているが、直撃を免れないものも当然ある。それは当然防がねばならないが、そもそも格の違う相手の放つ攻撃だ。正面から攻撃を防いだところで、その部分にどうしても無視できない不可がかかってしまう。


 ーー限界。


 そんな言葉が離れない。思考がどんどん暗い方へいってしまう。

 この身体は切られても痛みを感じない。今日こいつに切られてわかった。それに切り傷ならば変身能力で治せることも。でもそのせいか、この世界が現実であることを忘れてしまいそうになる。母が笑ってくれて嬉しかったことも、あの温もりも、本当のことなのに。


 ーー限界。


 その言葉を無視するように、母は竜の攻撃を防ぐ。隙とも言えないような小さな隙に、見せかけだけの攻撃を放つ。そうして竜の意識を防御に向けさせる。

 そうしなければ、この『集合体』は維持できなくなっている。


 ーー限界。


 ひっくり返せないような差を見せられて、母はなぜ諦めないのだろう。

 私は、母がいなければとっくに諦めていただろう。無理ゲーだ、と言って全てを投げ捨てていただろう。

 現実感がないから。痛みを感じないから。『兵士』と母の温もりしか、感じられないから。それに身体を操られている間は眠いんだ。だから、もう諦めてしまいそうになる。


 なにが母を突き動かすのだろう?


 ーーああ、だめだ眠い。疲れ過ぎたのだろうか? 意識が保てない。起きていなければいけないのに。私は、私は……もう……


 ■


 ーーきろ……。おーーろ……! ……きーーろって!


「ーー起きろって言ってるだろ!」


 怒号が響く。と同時に私を包む温もりが消える。


 ……なんだか、懐かしい声がする。二度とは聞きたくないと思っていた声だけど。


「ここで寝るな! 邪魔なんだよ!」


 ゆっくりと目を開けると、そこには妹がいた。肉塊ではない、ちゃんとした人間の姿の。


 少し長くした黒髪をポニーテールにした、つり目がちな女の子。ほとんどの人は、彼女を美人と称するだろう容姿の持ち主。そんな顔を、今は怒りで歪めている。相当ご立腹な様子。


 そっと視線を下げると、そこにはソファーに投げ出された私の身体が。肉塊ではない、人間の身体が。


 ーーあれ? 私は……。


 少し混乱している。竜は? 母は? あの肉塊のような『兵士』は?


 そうしているあいだに、なぜだか身体が勝手に動いた。すっと立ち上がり、ごめんと言い残して自分の部屋に引き返していく。


 そして気がついた。


(ああ、これ夢だ)


 これは、いつかの日の記憶。まだ日本で生きていた頃のものだろう。なんでこの場面なのかはわからない。きっと、ふと昔のことを思い出した感じなのだろう。


 夢だと気がついたとき、魂のようなものが身体から抜け出た。幽体離脱のような状態で、自分のことを見下ろしている。身体は私の言うことを聞いてくれない。

 たぶん、昔の記憶をただ思い出しているようなものだから、今私がどう思っても夢の中の未来は変わらないのだろう。


 私は廊下を淡々と歩いていく。そして部屋に籠った。


 嫌な記憶だ。思い出したくもなかった生活だ。もうあの頃には戻りたくない。だってーー。


 夢の中の私は部屋に籠ると、おもむろにカッターを取り出した。手首にあてがう。そしてスッと軽く引く。瞬間、滲み出てくる赤いモノ。それは少しの間ふるふると揺れると、ゆっくりと肘まで赤い筋を残して床に落ちた。ぽちゃん、とやけに大きな音が聞こえた。


 鋭いような、鈍いような痛みが走る。その痛みが、私を正気に戻してくれる。そんな気がしていた。


 思えば、始まりは誰かに見つけて欲しかっただけなのかもしれない。知人でも良かった。クラスメイトでも良かった。親でも良かった。……いやむしろ、親に見つけて欲しかった。


 私を見て欲しかったんだ。


 誰もが私を成績だけで測る。運動能力だけで測る。どれだけ努力、つまり勉強したかで測る。


 本当の私のことは見てくれない。


 私は、成績だけではできていない。運動能力だけでもできていない。努力だけでもできていない。

 私は道具なんかじゃない。こいつは優れていて、こいつはダメだって比べられるために生きているわけでもない。


 そもそも、私は生まれてきたくはなかった。こんな辛くて寂しい世界になんて、生まれてきたくはなかった。なのに勝手に産み落とされて、勝手に生き方を決められて、そして道具のように育てられた。


 誰も私を見てくれない。


 だから辛いんだって教えたかった。手首に傷がついてるぞって気づいて欲しかった。

 でも母は無関心だった。私の成績と、学校での生活態度にしか興味はないようだった。

 父は仕事にしか目がいっていなかった。私のことなど、そもそも見てくれない。




 下らない過去だ。下らない夢だ。思い出したくはない。だって今の私にはこの世界の母がーー。


 ……母が、いたけど……。


 脳裏に竜の姿がちらついた。強靭な身体、強力な膂力、二対の複眼。

 そしてそれと戦うボロボロの母の姿。


 なにより、諦めようとしていた私。否、諦めていた私。


 心になにかが灯る。


 本当に、良いのか? このまま諦めて良いのか? 眠っていて良いのか?

 私を見てくれていた母だぞ? このまま見殺しにして良いのか?


 ダメだ。


 私がこのまま起きなければ、きっと全てが終わっているだろう。母が竜から逃げきれているか、それともーー。

 でも、それじゃあダメなんだ。もし母が生きていても、今後私はこの瞬間に眠っていたことを後悔するに決まっている。

 母が万が一負けていた場合、私は二度と起きずに、苦痛を感じることもないだろうけれど、だからってあの優しい母が死んでもいいなんて思えない。


 だから、ここで夢なんて見ている暇はない。私が起きていたって何ができるってことはないけれど、昔誰かが言っていた。1足す1は1より大きい。

 こんな私にも、きっとなにかできるはずなんだ。コンマの下にゼロがいくつ並んでいたとしても、それだけの数が増えることになる。1よりかはほんの少しだけでも大きくなる。なにか、母だけではできないなにかが、できるようになるかもしれないんだ。


 だから眠ってちゃいけない。母を助けなくちゃいけない。たとえそれがちっぽけなことでも、きっと戦況をちょっとは良くすることができるはずだから。


 ゆえに念じる。全力で叫ぶ。どこかで眠っている、のろまな誰かの身体に。


 起きろ、起きてくれと。


 ■

次回は日曜日(8/23)に投稿します。

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