34 別れ
その日もぼんやりと過ごしていたら、忙しいはずのクィンに呼び出された。
ライナスと一緒に行こうと思ったのだけれど、割り当てられた部屋に彼はいなかった。黙ってどこかに行くようなことはこれまでなかったので、不思議に思いつつクィンの部屋に向かう。
それにしても、このグラン・テイル魔導国の行政府はとんでもない。
クィンが〝城〟と呼ぶように、ここはもともとグラン・テイル魔導国の前身であるグラン王国の王族が住まう王宮として使われていたのだそうだ。
だが、その頃から魔力が重要視されていたこの国で、なぜか徐々に王族に魔力の強い者が生まれなくなっていったのだという。
そして最後の王は、自分の子供に魔力が強い者が生まれなかったことから、王族を廃し魔力の強いものこそが王となる制度を作り出した。
禅譲王と呼ばれるその王のおかげで、グラン・テイル魔導国の今日の発展があるそうである。
これはクィンがつけてくれた世話役が、魔導国の歴史について話してくれた際に知ったことだ。
私はその話に耳を傾けつつ、それでもやっぱり魔力よりも人格の方が為政者には大事なんじゃと思ったりした。
そんなことをつらつら考えていたら、いつの間にか教えられていたクィンの部屋に到着していた。
コンコンとドアをノックすると、了承を得て中に入る。
部屋の中は荷物が入った木箱によっていくつもの塔ができていた。まるで引っ越し当日のダンボールの山みたいだ。
そしてその塔の中心に、クィンことクェンティンが立っていた。
かれはなにやら設計図のようなものを手に、部屋の中にいる他の人たちに指示を出している。
見ると木箱の開封作業を行っているようで、木箱からは書類やがらくためいた研究道具が取り出され、次々に空になった木箱が外に運ばれていた。
「ごめん、忙しかった? 出直そうか?」
呼ばれたから来たのだが、今の彼はどう考えても私の相手をしている暇はなさそうに見える。
「いや、悪いが私的な時間が今しか取れなくてね。どうせ大した用事じゃないからそのまま聞いてもらえますか?」
「うん?」
近くに置かれた用途不明のガラクタをつついていると、クィンがさらりと聞き捨てならないことを口にした。
「昨晩ライナスがこの国を発ちました。同行者である君には知らせておこうと思いまして」
私の耳は、一瞬今入ってきた情報を受け取ることを拒否した。
「なに……それ……」
あまりにも、あまりにも突然すぎる。
ついこの間まで、できることなら日本にまでついていきたいと言っていたライナスなのに。
動揺のあまり、私はつついていたがらくたをうっかり床に落としてしまった。
「ご、ごめ」
咄嗟にそれを拾い上げた自分の手が、震えていることに気が付いた。
寒いわけでもないのに、震えが止まらない。まるで突然床が抜けてしまったような心もとない気持ちになった。
こちらの世界に来てからずっと一緒だったライナスが、もうここにはいないという。
「ああ、拾わなくて結構ですよ。怪我でもしたら大変だ。要件はそれだけ。もう戻って大丈夫です」
本当にそれを言うためだけに呼んだようで、クィンは私に対する興味を失ったようだった。言葉通り忙しそうに、彼は木箱を開ける部下たちに指示を出し続けている。
「ま、待って。理由は? どうしてそんな、突然っ」
「さあ? 魔族はそもそも気まぐれなものですし、私に聞かれても分かりかねますね。まあ、心当たりがないわけでもありませんが」
「心当たり!? 教えて!」
「ですが、あなたに言わずにこの国を去ったのならそれが答えではありませんか? ライナスはあなたにその理由を話したくなかったのでしょう」
クィンの言い分は最もだった。
ライナスが何も言わずに去ったのならそれが全てだ。私に言えない事情があったのか、それとも言う必要性を感じなかったのかは分からないが。
「そ、それはそうだけど!」
だが、私は素直に彼の言葉を飲み込むことができなかった。
このあまりにも突然の別れを、そこまでドライに処理することなんてできない。
なんとなく無意識に、ライナスとの別れがくるとしたらそれは日本に帰る日だろうと私はぼんやり考えていた。
つまりこの世界にいる間はずっと一緒だと、私は傲慢にも思い込んでいたのである。
守られるばかりで、迷惑をかけるばかりで、どうしてそんな風に思い込んでいられたのか。
一緒に来たいというライナスの言葉を頭からうのみにして、欠片も疑うことがなかった。
「ねえ! その心当たりを教えて。違っててもいいから!」
私はどうしても理由が欲しくて、例えば別れを言う暇もないほどの事情を聞いて納得したくて、クィンに駆け寄りそのローブを掴んだ。
彼は少し驚いたように目を丸くした後、ぽんと私の頭の上に手を置いて言った。
「今は立て込んでますから、また後で。もう少ししたらまとまった時間が取れそうなので、そしたら例の異世界の研究を進めましょう。ね?」
クィンは大きめの丸い眼鏡の下に優し気な笑みを浮かべて言った。
こうしていると、優し気な美男子に見えるから不思議だ。彼の性格からいえば、カテゴライズは確実に奇人変人の枠だというのに。
私は悄然と俯き、未だに消化しきれない衝撃と悲しみで胸がいっぱいになった。
ライナスが理由も話さず私の元を離れたこと。そしてそれを伝聞で知ったこと。何もかもが信じられなくて、その場に蹲りたくなった。
ライナスがいないという事実は、あまりにも空虚で心細い。
「……分かった」
これ以上邪魔をしてはいけないと思い、私はゆらゆらとよろけながら部屋を出た。
目の前が真っ暗で、今来たばかりの道なのにどうやって帰っていいか分からない。
それほどまでに私にとってのライナスの存在は大きかった。