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33 その男の本性


 その男の執務室は、持ち主の性格を反映してかひどく散らかっていた。

 書類や実験器具などが散乱し、とても効率的な環境とは思えない。だが部屋の主はそれこそがいいのだと言わんばかりに、埋もれかけた椅子に腰かけゆったりとお茶を飲んでいる。


「ようこそいらっしゃいました。ライナス」


 名を呼ばれ、ライナスは男に歩み寄った。

 男は――クェンティンはただ午後のお茶に誘っただけだと言わんばかりに、ゆったりとした笑みを浮かべている。

 ライナスはクェンティンの向かい側に埋もれている椅子から無造作にのせられた書類をどかし、腰を下ろした。

 アズサといる時とは違って、まるで警戒した獣のような隙のない動きだ。

 ――クェンティン・ケントルム。ライナスにとってその男は、なかなかに食えない男だった。

 旅の仲間に加わったのは最後だが、彼は終始異世界からやってきた聖女への興味を隠さなかった。その熱心さは、むしろそのために仲間に加わったのではないかと思えるほどである。

 ちなみに魔族であるライナスにも興味があったらしく、時々その視線を感じてはなんとも嫌な気持ちになったものだ。

 アズサは気づいていないが、クェンティンの奇妙な言動は全てそのためのものである。彼の興味は聖なる力のみならず、異世界出身のアズサの性格や常識にまで及んでいた。

 この男もそしてアレクシスも、ライナスはあまり好きではない。

 ただ行きがかり上、共に旅をすることになった人間というだけである。

 しかしアズサのすごさは、世間的に難しい性格と思われる彼や王子であるアレクシスと打ち解け、その愛称を呼ぶことを許されるまでになったことだろう。

 本人は自覚していないが、彼女の善良さ、裏表のなさはある種の才能だとライナスは思う。それが異世界に住む人々に共通するものなのか、それとも彼女特有のものなのかは分からないが。


「あなたをお呼びしたのは、お聞きしたいことがあったからです」


 ライナスに飲食の必要がないと知っているからか、クェンティンはすぐに本題に入った。


「聞きたいこと?」


「はい。ずばり、いつまでアズサを束縛するおつもりですか?」


 質問は予想外のものだった。


「束縛? 俺はそんなことしていない」


「あなたはそのつもりかもしれませんが、あなたがアズサの判断に影響を及ぼしていることは否定できないはずです。先日の私からの申し入れの時も、誘導するように彼女の手を握っていたようにお見受けしましたが」


「誘導などしていない。俺はアズサの選択を尊重するだけだ」


「そうですか? とてもそうとは思えませんが」


「貴様……っ」


 ライナスの瞳孔が縦に割れ、肌がひりつくような殺気が部屋の中に溢れた。普通の人間ならただでは済まないであろう状況だが、あらかじめ対策をしていたのかクェンティンは涼しい顔でお茶を飲んでいる。


「何が言いたい?」


「……私はね、アズサの話に疑問をおぼえたのですよ」


 質問には答えず、クェンティンは話を続けた。


「どうして未だに、クレファンディウスが無事に存在しているんだろうとね」


 おっとりと、まるで天気の話をするようにその口調は何気ない。だがすぐに、ライナスはクェンティンの言葉の意味を察した。


「あなたがその場にいたのに、アズサを侮辱する者からただ逃げただけ――そんなことがあり得るでしょうか?」


 ライナスは、目の前の男の顔を鋭く睨みつけた。


「本当なら、あなたはその場にいた者すべてを皆殺しにすることができた。いや、普段のあなたならそうしていたはずだ。旅の間、あなたはアズサを侮辱するものを決して許さなかった。それが人であれ魔族であれ。最も、彼女はそんなこと気づいていませんがね」


 当たり前だ。

 アズサには気づかれないよう細心の注意を払ったのだから。

 年端もいかぬ少女の旅路は沢山の危険が潜んでいた。魔族はもちろん、問題は聖なる力の通用しない人間の方である。

 彼らは親切な人の顔で近づいてきて、隙あらばアズサを利用してやろうと目論む者ばかりだった。アズサを奴隷商に売り飛ばそうとする者や、聖女として祀り上げ富を得ようとする者。魔族のライナスですら、人間のあまりの悪辣さにほとほと呆れかえったものだ。

 そんな人間達を、ライナスは潰して潰して潰しまくった。

 そしてアズサの目の光が失われることを恐れて、ライナスは彼女に一切その話をしなかった。


「まるで過保護な飼い主のようでしたね。アズサは鳥かごの中で囀る鳥ですか」


 クェンティンが皮肉げにいう。

 この男のこういうところが嫌いだと、ライナスは思う。


「違う! 俺はアズサとただ一緒にいたいだけだ!」


「一緒に? 違うでしょう。あなたはアズサの希望を故意に歪めたんだ。異世界に帰れないのなら好都合とばかりに急いでクレファンディウスを出た。あなたの力があれば、王を人質にとって脅すことも、別の方法を探すために召喚の資料を持ってこさせることも、安易だったのではありませんか? けれどもあなたはそれをしなかった。全ては彼女をこの世界に――いえ、自分の傍に縛り付けるための周到な罠だ。その証拠に、あなたは未だにアズサの傍にいるではありませんか。魔王を倒すために聖女に加勢したのでしょ? それだったらあなたが今ここにいるのは変だ。どうして魔王城に帰って即位を宣言しないのですか。魔王は時に同族によって殺され代替わりすると、我が国の資料には書かれているのですがね?」


「関係ない。初めからそんなつもりは――」


「じゃあ、私がこの話をアズサにしたらどうなりますかね? 優しい彼女のことだ。きっとこう言うでしょう。『今まで一緒に旅をしてくれてありがとう。もう大丈夫だから、ライナスは自分の望むことをして……』とね」


「余計なことをするな!」


 ライナスが吼えた。

 その姿はさっきまでの美しい青年から、猛々しい獣のように牙が伸び頭からはヤギのような角が生えている。しかしその顔は醜くなるどころか、冴え冴えと美しいままである。背中からは白銀の六枚羽。窓も空けていないのに、散らかった部屋の中を強風が吹き荒れる。

 これこそがライナスの本性。

 かつて神が愛でた美しさを持つ、地に落ちた天使である。


「遂に本性を出しましたか」


 クェンティンがさも楽しげに笑う。

 おそらくはライナスの正体にもあたりを付けていたのだろう。まるでクイズに正解した少年のように彼ははしゃいで見えた。


「叙事詩に語られる古き蛇。それはかつて神から袂を分かつた天使を意味する。まさか生きている間に目にすることになろうとは」


 あらかじめ部屋に内向きで魔術防壁を形成しておいたのだろう。もはや吹き荒れる嵐の中のような有様なのに、誰も様子を見に来る気配がない。

 ライナスは歯噛みした。折角我慢していたのに、男がアズサとの別離を仄めかすからつい本性をさらしてしまった。

 なにより、クェンティンの考えは正鵠を射ていた。

 ライナスはあえて何もせずにアズサを連れて逃げたのである。異世界へ送る方法が本当にないのかと確かめることも、そして召喚の資料を請求することもしないままに。

 例えば優秀な魔術師であるクェンティンなら、召喚の詳細さえ分かれば送り返す方法も編み出してしまうかもしれない。

 そんなことをされては困るのだ。ライナスはずっと、この世界で彼女と共にいたいのだから。

 初めは倦んでいた永すぎる生に終止符を打つ存在だと歓迎していた。

 だが、ライナスは旅の中で彼女と共に生きたいと願うようになった。クレファンディウスへついていったのも、本当は異世界への帰還を邪魔するためだ。ライナスは最初から、アズサの手を離す気なんてなかった。

 それを知れば、彼女は悲しむだろう。


「やれやれ、彼女も不運ですね。こんなにも強力な異形に執着されるとは」


「違う! 俺はアズサを守っただけだ。どこへ行けと指図一つしなかった。ただ一緒にいられた

らそれでよかったんだ。それとも、傍にいることすら罪だというのか?」


「彼女が異世界への帰還を望む限り、その願いは悪であり障害になりえる。それはあなたも、分かっているのでしょう?」


 そう指摘されれば、答えることはできなかった。

 アズサの望みは、どうしてもライナスのそれとは相容れないのである。


「説教などして、宗教家にでも鞍替えか?」


「それもいいですね。退任したら考えましょう」


 軽口を交わしていても、二人の間には緊張感がみなぎっている。互いに引く気がないようで、部屋の中で荒れ狂う嵐は激しさを増すばかりだ。


「何が目的だ? こんなことをしてお前に何の得がある」


 ライナスの低い問いに、クェンティンはひっそりとほほ笑んだ。


「私はね、異世界に興味があるんですよ。異世界出身の彼女がいれば、そしてクレファンディウスの資料があれば、こちらの人間があちらに行くことも可能かもしれない。アズサの話を覚えていますか? 魔術のない、機械によって利便性を追求した世界。私はそれが見てみたいのですよ」


「なるほど。それには俺が邪魔なわけか」


「ええ。あなたがいるとアズサはいつかほだされてしまうかもしれない。彼女は貴重な異世界転移の成功例です。彼女の協力なしには、私の計画も机上の空論になってしまいます」


 ライナスは舌打ちした。

 クェンティンは人間の中でも変わり者だ。無理だろうと止めたところで、諦めるとは思えない。

 そもそも、そんな軽い覚悟であったなら、こうしてライナスを挑発するような真似は間違ってもしないだろう。

 確かにクェンティンの魔力は人間の中で群を抜いているが、それでもかつて天の御使いであったライナスに勝てるほどではない。

 部屋に施された周到な魔術防壁がなければ、彼は今頃荒れ狂う強風によって窓の外に放り出されていたことだろう。

 だが、今だけはクェンティンに分があった。

 仕掛けはもう、ライナスを王都に招き入れる時から始まっていたのである。

 クェンティンは魔族であるライナスを魔術防壁の中に入れる際、ライナスの能力を限定する特殊な魔術を施していた。

 それは防壁の自動排斥機能を無効化するためのものだが、それはその術を解くと同時にライナスに排斥機能が働きかけることを意味していた。

 つまりクェンティンは、いつでもライナスを王都の外に転移させることができるのである。


「友の情けです。アズサにはあなたが自ら旅立ったと言っておきますよ」


「は! 自分を正当化するんじゃない。その方が好都合だからだろっ」


 間髪入れずクェンティンが呪文を唱えると、床に魔法陣が浮かび上がり淡い光を放つ。

 ライナスは己にかけられていた制御の魔術が解かれたのを知った。

 するとたちまち、強力なエリピアの魔術防壁が彼を街の外へと弾き出そうとする。街一つを守るこの防壁は、数多の魔術師の力によって支えられる、超強力な兵器だ。

 これにはさすがのライナスも抵抗しきれず、たちまち彼の姿はその場から掻き消えた。

 嵐のような風がやみ、クェンティンの執務室は再びただの散らかった部屋に戻る。

 残された魔導国の(おびと)は、すっかり乱れてしまったローブを軽く直すとうっすらと笑みを浮かべた。

 それは勝ち誇るのとは違う、ただ夢の実現に一歩近づいたという無邪気なまでの笑みだった。



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