31 最後の仲間
私たちがグラン・テイル魔導国の首都エリピアに到着したのは、クリーディルを出てひと月と少し経ったある日のことだった。
日程が少し遅れたのは、この世界の平均よりも私のリーチが短いからかもしれない。まあ、致命的な遅れではないので気にしないことにしよう、誤差だ誤差。
エリピアに入るためには、街の東西南北にそれぞれ一つずつ配置された門を通過しなければならない。街を取り囲む城壁はクリーディルのそれよりも低いが、目には見えないだけで魔術によるシールドが張られているのだそうだ。なので、この国は魔族だけでなく他国の侵略に対しても鉄壁の防御を誇っている。
私がこの話を聞いたのは、昨夜野営地で偶然一緒になった商人からである。
彼の話では、グラン・テイル魔導国は他国との関わりを断っており、国外から物を持ち込んだり逆に持ち出す場合には厳重な検査が行われるらしい。
ゆえに商人も気軽に行き来はできず、魔導国政府から特別な許可を受けて交易をおこなっているのだそうだ。
思ったよりも断然厳重な雰囲気に、私は少ししり込みしてしまった。
国境は隣国との境が曖昧なため簡単に入国できたのだが、流石に首都はそうはいかないらしい。
それにもう一つ問題があって、それはライナスのことだ。
ライナスはこうして人の姿をしているとはいえ、生粋の魔族である。ほぼ確実にそのシールドとやらに弾かれてしまうだろうし、無事に入れたとしても後でばれたら紹介状を書いてくれたグランシア国王にも迷惑が掛かってしまう。
関門に並ぶ行列を横目に、私は決断を迫られていた。
それはエリピアに入るか否かということである。
もし入るとするなら、ライナスとはここで別れなければならない。
待っていてほしいとはとても言えなかった。もしかしたら無事日本に帰ることができて、もう街の外には出てこないかもしれないのだ。
けれど、せっかくここまで一緒に来てもらったのに、じゃあここで別れようなんて虫のいいことは言えなかった。
なら日本に帰るのを諦めるのかというと、それも決断できないのだ。
私はさして高くない壁を見上げて、身動きが取れなくなった。
ライナスはライナスで、なぜかここへきて何も言わなくなってしまった。
ここに来るまで帰らないでほしいとか一緒に行きたいとかあれほど言っていたくせに、最後の決断は私の意志に任せるつもりのようだ。
この男は魔族のくせに、どうしてこんなに優しいのだろう。
彼が本気で望めば、私など抵抗する暇もなく連れ去ることだってできただろう。いくら私が聖なる力を使うとはいえ、例えば眠っている間なんて全くの無防備なのだから。
魔族なのに魔王討伐に協力してた変わり者のライナス。魔族だから自分は身勝手なんだと言いながら彼の行動は優しさで溢れている。
もしここで「行くな」と言ってくれたら、私は大人しく頷くことができたのだろうか?
それともそんなことを言われたら、はっきりと彼を振り切ってしまうのだろうか?
ありもしないもしもをこねくり回しても、結論が出るわけじゃない。
今はとにかく、日が暮れて門が閉まる前に覚悟を決めなければならないのだ。
だが、そんな私の苦悩に意外なところから救いの手が差し伸べられた。
「おやおや、いつまでそう棒立ちになっているつもりですか?」
壁に向かって立つ私たちの後ろから聞こえてきたのは、どこか面白がるような意地の悪い声だ。
そして私は――私たちはその声に聞き覚えがあった。
「クィン!」
振り向くと、そこには思った通りクィンことクェンティン・ケントルムが立っていた。魔王を倒すために共に旅した最後の一人である。
「やあ、ふた月ぶりですか。今生の別れのつもりでしたが、意外に早い再会でしたね」
薄紫色をしたぼさぼさのくせっ毛に、丸眼鏡の奥にはアメジストのような美しい目を持つ。一見すると野暮ったく見えるが、その顔は品よく整っている。手には魔導士らしく杖を持ち、見覚えのない銀の刺繍が入ったローブを纏っていた。髪こそぼさぼさだが、以前よりだいぶ身ぎれいになった気がする。
彼は興味があることにとことん熱中して、寝食を忘れてしまうタイプなのだ。
「どうしてここに?」
突然の仲間の登場に驚いて尋ねると、クィンは不敵に笑った。
「グランシアから使者を向かわせるという手紙が来たのに、肝心の使者がいつまで経ってもやってこないので迎えに来たのですよ」
どうやらグランシア王は、私たちに先行して使者を送る旨をグラン・テイル魔導国に知らせていたようだ。
だがそれでどうしてクィンがここに来ることになるのか。
不思議に思い首をかしげていると、クィンはそんな私の反応などかまわず手にしていた杖を天に掲げた。
「さて、それでは転移で急ぎ城へと参りましょうか」
「ま、待って! 私たちまだ検問を通ってないの。それにライナスが……」
性急なクィンを、私は慌てて止めた。
当然彼も、ライナスが魔族であることは知っているはずだ。ゆえに首都に入れないことも。
だというのに、クィンはちっとも困った様子がない。
「ご心配なく、あなた方は〝私の〟客として特別に許可を出しましたから。魔族だろうが聖女だろうが問題ありません。ただ、ライナスには力を制御する魔術を使わせてもらいますがね。構いませんか?」
クィンの問いに、ライナスは黙って頷いた。
「は? それってどういう――」
言葉の意味を説明する前に、クィンは掲げていた杖の先で地面を叩いていた。
すると、それに呼応するように地面に光る魔法陣が現れ、その眩しさに目がくらむ。
視界が失われてどれくらいたっただろうか。光が消えたと思ったら、そこはもうさっきまでの城壁の外側ではなかった。
「ようこそいらっしゃいました。グラン・テイル魔導国の首都エリピアへ」
見たこともない半透明の石でできた建築物。まるで西洋の大聖堂のように柱は緩やかなカーブを描き、天井で交錯する。一体どこまで続いているのか、無数の柱で支えられた屋根の下は、どこまでも似たような空間が続いていて遠近感がつかめない。
私は思わず、隣にいたライナスの裾を掴んだ。
こんな場所に一人で迷い込んだら、もう二度と出られないんじゃないかという恐怖を覚えたせいだ。
「ここは、一体……」
目の前に立つクィンは、相変わらず不敵にほほ笑んでいる。
そして彼が放った一言は、私を驚かせるのには十分すぎるものだった。
「ようこそ〝我が〟城へ。歓迎するよアズサ、ライナス。グラン・テイル魔導国で首相などをやっている、クェンティン・ケントルムだ」
そう言って、彼はまるでいたずらが成功した子供のように満面の笑みを浮かべた。
思ってもみなかった事実を前に、私は唖然としてその場に立ち尽くすことしかできなかった。