30 新たな旅
グランシア王国の王都クリーディルから、グラン・テイル魔導国の首都エリピアまでは大人の足でひと月ほどの行程である。
私たちはこの行程を、普通に歩いて移動していた。
なんとなく、あんな会話をした後にライナスに抱き上げてもらって転移をするのは抵抗があったのだ。
今までは緊急事態だからと気にしないようにしていた距離が、今は妙に気になってしまうのである。
触られることなんて何でもなかったのに、今は少し触れられただけで顔が熱を持つ。
私の過剰な反応を、ライナスも訝しく思っている様子だ。
ある日、日が暮れるまで歩いて野営地を決めると、私たちは向かい合って火を囲んだ。
硬いパンをナイフで切り、チーズをのせる。それと干し肉。
何度も繰り返した味気ない食事を、革袋に入った水で流し込む。
クリーディルを出て半月。既にグランシア王国の国境を越え、私たちは二つの大国に挟まれた小国を横断している最中だった。
グランシア王国を出てから、隘路が増え治安も悪化している気がする。
やっぱりグランシアは特別だったのだと改めて実感した。魔王の攻勢により魔族が活発化してから、まだそう時は経っていない。いくら脅威が去ったとはいえ、荒れ果てた国土が治まるまでにはまだ時間がかかるのだろう。
途中、住民のいなくなった村を二つほど見た。
魔族に襲われたのか、あるいは盗賊にやられたのか。うち捨てられた家屋は荒れ果て、畑は自然に戻りつつあった。
私ができることは、魔素で汚染された場所を浄化する程度だ。
そして浄化したからといって、村人が戻ってくることはない。無事逃げ延びていればいいが、もしかしたら殺されてしまったのかもしれない。
「浮かない顔をしているな」
無人の村を思い出していたからか、ライナスに指摘されて私は考えていたことが顔に出ていたことを知った。
けれど、今までライナスが私の表情に言及するなんて滅多になかったことだ。
むしろそのことに驚いてしまい、私は深く考えもせず問い返した。
「分かるの?」
するとライナスが、少しだけむっとしたのが雰囲気で伝わってきた。
「勘違いで仲違いをするのは、馬鹿馬鹿しいと気がついた。だから今度は間違えないよう、お前の顔をよく見るようにしているんだ」
こんな恥ずかしいことを、面と向かって言ってくるのだ。
言われた私の方が、耐えられず視線を炎の中に投げた。
「そうなんだ……」
「少しは褒めろ」
「う……うん。すごい……」
もう目を開けていることすらできなくなり、私は両手で顔を覆う。
魔族には、恥ずかしいという概念がないのかも知れない。それか、ライナスが特に意味もなくこんなことを言っているとしたら相当だ。
彼は私と一緒にいたくて、できることなら日本にまでついてきたくて、アレクの王妃になると思い込んで怒って、今度はすれ違わないように苦手なくせに人の表情を読もうと頑張っている。
流石に鈍い私でも、彼の言動には思うところあるわけで。
彼の行動をまとめると――人はそれを『独占欲』と呼ぶのではないだろうか。
人じゃなくて魔族で、人を惑わすほどに美しくて恐ろしいライナス。
彼に特別に想われているということが、嬉しくもあり恐ろしくも感じられるのだ。
その魅力に取り込まれて、私はいつか日本を諦めてしまうんじゃないかと。
まっすぐに帰ることだけを目指してきたから、今まで迷わずに済んだ。どんな困難にでも耐えられた。
ライナスの気持ちを直視したら、もうそんな自分ではいられなくなってしまう気がして、私は今日もうやむやのままに話を終わらせる。
何も返せないのに彼を連れ回す自分の身勝手さから、目をそらしたままで。