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26 ピンチ!


 ホールのざわめきも遠ざかった頃、私はもういいかと思い男の体を押しのけようとした。だが、逆に男は私を壁に押し付け絶対に逃がさないとばかりに笑みを浮かべる。


「聖女様がこんなに積極的だとは思いませんでしたよ」


 何のことを言っているのか分からず、私は一瞬呆気に取られて男の顔を見上げてしまった。

 するとほどなく、押し付けられた壁の向こうから人の声がしてくることに気付く。

 それも普通の声ではない。所謂嬌声というやつだ。

 私は顔が熱くなるのを感じた。

 壁の向こうではほぼ間違いなく、そういういかがわしい行為が行われているのだろう。

 何も言えなくなってしまい私は黙り込んだ。


「殿下の前ではつれない態度でしたのに、二人きりになりたいだなんて」


 どうやら、私が気分が悪いと言い訳したことが彼の中では「二人っきりになりたい」に誤変換されてしまったようである。

 わたしだって夜会休憩がこういう場所を意味するのだと知っていたら、間違ってもあんなことは言わなかった。というか人目がない場所で二人きりになるなんて愚行には及ばなかったはずだ。

 だが後悔しても遅い。

 ホールの喧騒は既に遠く、助けを呼んでも誰かが反応してくれるとは考え辛かった。

 どうしようか逡巡している間に、男は自らの体を押し付けて無理やり空き部屋の扉の中に私を押し込もうとする。

 必死に抵抗するが――というかこの時点で、嫌がっていると察してほしい――男の体はびくともしない。

 そもそも私が冒険者になれたのはひとえに聖なる力のおかげであって、私自身の身体能力は日本人女性の平均ほどしかないのだ。

 しかも足元はなれないヒールの靴である。

 うまく踏ん張ることもできず、そのまま部屋に押し込まれそうになってしまう。


「いやっ! 助け――……」


 叫ぼうとしたところで、私は呆然と男を見上げた。

 抵抗がなくなったことに安心したのか、男がにやりと笑みを浮かべる。

 しかしその直後、目の前の男は崩れ落ちてしまった。

 原因は簡単。彼の後ろから音もなく忍び寄ったライナスが、なにかやったらしいのだ。


「こ……殺してないよね!?」


 思わず口をついた言葉はこれだった。

 するとライナスは、憮然とした顔で私を見下ろす。


「なんだ。殺した方がよかったのか?」


 いつもと同じ無表情だが、どうもかなり機嫌が悪いようだ。

 その証拠に、口元にうっすら笑みが浮かんでいる。

 この男は笑っている時ほど機嫌が悪いのだと、気が付いたのはいつのことだったか。


「よかった……」


 なにせ今の私たちはグランシア国王の客である。

 その客がグランシア国民を殺してしまったら大変なことになるし、国王にもアレクにも迷惑がかかってしまう。


「なんだ? この男が無事で安心したか? アレクシスだけじゃなくこんな男にまで煽てられていい気になるとはな」

 ライナスの口から出たのは、あまりにも辛辣な言葉だった。

 その言葉は、危機が去って安堵した私の心に、鋭く突き刺さる。久しぶりの会話が、まさかこんなものになるなんて。


「は? 何言ってるの?」


「言葉通りだ。仲間のアレクシスだけならまだしも、のこのここんな場所までついてきたんだ。お前もそのつもりだったんだろう?」


 そのつもりがどんなつもりなのか理解するのに、少しかかった。

 そして先ほど壁越しに聞こえた声を思い出し、恥ずかしさと悔しさで頭が破裂しそうになる。

 あの見も知らない男とそういうこと(・・・・・・)をするつもりでここにきたのだろうと、ライナスはそう言っているのだ。


「ち……っ、違うよ! この場所がそんな場所だって、知らなかったんだもん!」


 必死に弁解したが、ライナスの眼差しは冷たいままだ。


「ならどうして大人しくここまで来たんだ? 腰に手を回されても嫌がってなかった」


「見てたの!?」


 驚きのあまり声が裏返る。

 どうやらライナスは、ホールで男に腰に手を回されたあたりから、私に何が起こっているのか把握していたらしい。

 私は鯉のように口をぱくぱくとさせ何を言うべきなのか悩んだ。

 批難されて悔しい気持ちがみるみる萎んで、深い悲しみに突き落とされる。

 私はライナスに、そんな女だと思われていたのだろうか。初対面の相手とでもすぐそんな関係になるような。

 どんな誤解よりも、その事実が一番胸に刺さる。


「……分かった」


「なに?」


 悲しみには底がなくて、涙腺が壊れたみたいに涙があふれ出した。

 念入りにしてもらった化粧もすべて台無しだ。せめてドレスは汚さないようにと、持たせてもらったハンカチで乱暴に顔を拭う。


「ライナスは私をそんな風に思ってたんだってこと」


 泣きながら見上げると、ライナスの口元から笑みは消えていた。

 彼は困惑したように私を見下ろしている。


「少しは……信用されてるなんて自惚れてた。馬鹿みたい」


 何度かしゃくりあげながらも、ライナスからは目を逸らさなかった。

 人間同士でも、口に出さなければ相手の気持ちなんて分からないのだ。だからライナスには特に、思ったことはすぐ言うようにしていた。

 つまらない誤解なんて――起きないようにと。


「確かに私が迂闊だったけど、どうしてライナスが怒るの!? ライナスから見て私はそんな風ってこと? この格好だって……本当は綺麗だってライナスに褒めて欲しかった。でも何も言ってくれないし、それどころかずっと無視するしっ! 何をそんなに怒ってるの? 私そんなに悪いことした?」


 そもそも、私にはライナスが怒っている理由が分からないのだ。

 国王と時間を作ってもらえることになって浮かれていたが、それを見たライナスがどうして怒ったのかが分からない。

 涙が止まらない。あとからあとから流れてくる。このままでは干からびてしまいそうだ。

 その時使用人が何事かと様子を見に来たので、先ほどの男を体調不良だと言って引き取ってもらった。

 私が泣いているので怪しまれるかもしれないと思ったが、流石王宮の使用人というべきか詮索することもなく男を運んでいった。

 もう出歩くことが嫌になってしまったので、私は部屋に入り用意されていた長椅子に座る。

 するとライナスは、立ち去ることもなくおずおずとついてきた。


「なに?」


 ぐすぐすと涙を拭いながら、狼狽えるライナスを睨みつける。

 もういい加減疲れてしまった。ここ数日ずっと気を張っていたのだ。その上ライナスには無視されるしで散々だった。

 完全にキャパオーバーだ。

 こうなったらもう遠慮なんてしていられないので、気が済むまでライナスに嫌味を言ってやることにした。



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