15 ターニャの悩み
不満そうにしているターニャの意識を逸らすべく、私は話題を変えることにした。
「それでターニャは、これからどうするの? もしかして冒険者を引退してついにお店をやるとか?」
私たちに支払われた成功報酬は、当然彼女も受け取っているはずである。まとまった額なので冒険者を引退してお店を持ったりもできるだろう。
冒険者は危険な職業なので、長く続けたいという人間はあまりいない。魔族の脅威は弱まったとはいえ、盗賊の討伐など依頼には何かと危険がつきまとう。
確かターニャは、いつかお金を貯めて引退したら飲食店をやりたいと言っていたはずだ。
実際、野営の際に彼女が作る料理はなかなかのもので、旅のさなかには幾度も助けられた。これがもしまずい保存食のみだったら、私は旅の途中でめげていたかもしれない。
だが私の予想に反して、ターニャは頬杖をついて思案顔になった。
「うーん、まだ悩んでる。冒険者の仕事も嫌いじゃないしさ。ただちょっと問題があってね」
その〝問題〟を思い出したのか、ターニャが顔を顰めた。
「どうしたの? 何か問題でもあった?」
「いや、問題っていうかさー。今田舎から母親が出てきてるんだけど、いつまでふらふらしてるつもりだって怒っちゃって。さっさと田舎に帰って結婚しろなんて言うんだよ? 白金ランクの冒険者に何言ってんだか」
白金ランクというのは、冒険者ギルド内で定められている冒険者の順位付けの最高位を示す位である。確か魔王討伐前のターニャはその二段下の銀ランクだったはずだから、魔王討伐が評価されてランクが変わったのだろう。
かくいう私たちも、先ほど報奨金の受け取りと同時にランク変動の通達を受けた。私もライナスも揃って白金ランクだ。
とはいっても、ライナスは人間のする順位付けなんて興味ないだろうし、私も魔族相手の依頼以外はほぼ無力といっていいので、実力を示すというよりはほぼ名誉職みたいなものだろう。その証拠に、白金ランクが認定されたのは二十数年ぶりの快挙だという。実際に活動している冒険者の中では、金ランクが最上位なのだ。
それにしても、ターニャの悩みはバイト先の先輩がぼやいていた悩みとほぼ同じだ。やはり世界は違っても、母親というものはそういうものなのだろうかとちょっとおかしかった。
「じゃあ、どうするの? 実家に帰るの?」
「まさか!」
私の問いに、ターニャはダンッっと音を立てジョッキをテーブルに叩きつけた。ジョッキは鉄製なので壊れたりはしないだろうが、あんまり乱暴にしない方がいいんじゃないかと思ったりする。
「そーゆー田舎臭い考え方が嫌だから王都に出てきて冒険者になったのに、なんで戻んなきゃなんないのよ! 絶対クリーディルに残る。何をするかは決まってないけど!」
ターニャの熱い宣言に、私は苦笑するしかなかった。
彼女も冒険者なら、今日まで命がけで依頼をこなしてきたはずである。そして実際に、お店が開けるだけのお金を彼女は手に入れたのだ。
いくら冒険者が割のいい仕事とはいえ、その内容には常に危険がつきまとう。ターニャと同じように夢を抱いて田舎から出てくる者は多いが、実際には怪我を追って引退したりあるいは死んでしまうことがほとんどなのだそうだ。
そんな中で、彼女は生き残り目標を果たした。それはとても立派なことだと思うし、できれば彼女のお母さんにも分かってほしいと思ってしまう。
でも、私は複雑な気持ちになった。私はもう、そうやってお母さんに口うるさくしてもらうこともできないかもしれないのだ。
私の勝手かもしれないが、ターニャにはこのことが原因で母親と決別してほしくないなと思った。
とはいえ、彼女の母親が納得してくれる方法なんてあるのだろうか。
眠たいのか船をこぎ始めたターニャを見ながら、私は彼女たちが仲直りする方法を考えた。
「何を考えている?」
ずっと黙っていたライナスが、不意に口を開く。
「なにって?」
「何かを考えている顔だ。そういうときのお前は碌なことをしない」
その言葉に驚かされる。ライナスは人間の感情なんてどうでもいいはずなのに、まさか私の考えを気にするなんて思わなかった。
「まだ自分でも、はっきりは分からないんだ。はっきりしたら言うよ」
「分かった」
ライナスは大人しく引き下がると、再びどうでもよさそうな顔でジョッキを傾けた。
彼は人間の食べ物を飲んだり食べたりする必要はないけれど、お酒は嫌いではないらしい。
ターニャがつぶれてしまったので、私たちは部屋に戻って休むことにした。ライナスに頼んでターニャを部屋に運んでもらい、私とターニャが同じ部屋。ライナスはその隣だ。
ライナスに横抱きで運ばれたターニャは、なんだか機嫌よさそうにふにゃふにゃと笑っていた。
旅の間に、何度も繰り返された光景だ。
でもなんだか、少しだけずきりと胸が痛んだ。