序章『皇帝崩御』
荘厳な天蓋付きベッドで、語り部の老人は周囲を子供や孫、そして女官達に囲まれていた。
どう見ても老人は今正に臨終の時を迎えようとしている。
老人は白髪に覆われ、皺に艱難辛苦を刻みつけているがどこか幸福そうな面持ちである。
「朕はある日、高校からの帰り道で信号無視をした。高校? 信号?まぁ最後まで話を聞きなさい。そしたら軽トラックが突っ込んできてな、朕は死んでしまったんじゃ。軽トラが何かも聞くな、そう死んでしまったんじゃ」
「だが未だ生きておる、冗談じゃ無いぞ、まだ生きておる。異世界転生というやつだったんじゃなぁ。無論、初めは悲しみにくれたよ、だがなそう悲しみにだけ暮れては人は生きていけないじゃろう。そう、別の世界があるのだ。チェルシーは賢いのう、お前の仮説の通りなのだ」
老人の言葉に紅いバレル型眼鏡をかけた金髪をパーマにした若い女性が涙ながらに頷く。
おそらく孫であろう、知的だがどこか活動的な印象を与える佇まいである。
「朕のおった世界では、ヒトは知性を持ち、万物の長たる霊長類であった。この世界と同じよのう。だが、一つだけ違った点がある。何だと思う」
「畏れながら皇帝陛下」
今度はオーバルグラスをかけた黒髪ロングの女の子が挙手をする。
皇帝と呼ばれた老人はそちらを向いてゆっくりと頷いて見せた。
「魔導力、でしょうか」
皇帝と呼ばれた老人が少し思考にふけた後、否定する。
「確かに、確かにそれはそうなのだが、その点では機械がもっと、もっと発展し補っていた。異世界では手のひらに収まる機械で通信や写真が撮れたのだよ」
女の子はしゅんとして、萎縮した。
「おいおい綾よ、朕は言い忘れたがこの世界の魔導は確かに異世界には無かったものだ。案外的外れではないぞ」
「だがより根本的、肉体的な面からたどるなら最大の違いはな、異世界人は総じて目がよかったのだよ。そう、この世界とは違いすべてのヒトが眼鏡をかける必要はなかった」
皇帝の言葉に周囲がどよめく、まるで信じられないかのように。
そう言われると確かに周囲に居る者全てが眼鏡をかけている。
「確かに父上は眼鏡の普及を持って、古龍の討伐を皮切りに魔王軍の打倒をなしえました。つまり、この世界は眼鏡によって救われたと言っても過言ではありません」
老人の息子だろうか、ウェリントン型の眼鏡をかけた金髪の男が皇帝に問いかける。
「それまでの人類はそれら魔族に怯え生活していた、皇帝陛下は人類の総眼鏡化こそがこの世界を救世するアイテムとお考えになられた、と」
「さようだ、ジェームス。この世界の人間はあまりにも目が悪かったのだ。どんなに優れた芸術も、戦闘技術も、魔導も、文化もそれを認識出来なければ意味が無かろう。朕はその状況を変えた。魔族との戦いだけが眼鏡のもたらした繁栄ではない」
老人は息子をしかとみすえ、語る。
「あの、それでは・・・・・・皇帝陛下のいらっしゃった世界ではヒトはら、裸眼だったのですか」
綾と呼ばれた娘がもじもじしながら問うと、室内には一斉にどよめきが走る。
「ら、裸眼! 破廉恥で忌まわしい言葉、お子様達は聞いてはいけません」
「綾様、皇位継承権をお持ちであるならば、お言葉はお慎みください! 」
女官達が一斉に子供達の耳を塞ぐ、がそれも遅きに失した。
「まぁ良い。その通りだ、眼鏡をかけているものは少なかった。さらに言えば・・・・・・」
皇帝はすこしためらった後
「コンタクトレンズを付けている者の方が多かった」
「おお、コンタクトレンズ。呪われし邪教! 皇帝陛下はそんな世界から私たちをお救いに」
「結果的には、な」
皇帝と呼ばれた男は満足げに頷く。
ふと気が付くと女神の吐息がごとし優しい光が皇帝を包み込む
「そろそろ、時間のようじゃ。朕の命もここで仕舞いじゃ。それでは皆の者、良き旅路を」
皇帝呼ばれた男はゆっくりと目を閉じる。
「皇帝陛下! 亀吉陛下! 」
皇帝と呼ばれた眞道亀吉初代神聖眼鏡っ娘帝国皇帝は臨終の時を迎えた。
だが、それもこの世での話である、この男の、この国の物語はこの男の前世に遡る。