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その他企画ものシリーズ

春告草

作者: 九藤 朋

 一筆申し上げます。

 余寒の候、お変わりなくお過ごしでしょうか。


 梅の花が散りました。

 

 春告(はるつげ)(ぐさ)とも呼ばれる花が散り、待つのは桜のほころびです。

 梅は風待ち草とも申します。

 貴方からの風の便りを、期待する私を愚かとお思いでしょうか。


 いいえ。きっと貴方は笑わないでしょう。とても生真面目な方ですから。

 少し耳を澄ませば、家の傍を流れる清水の音が聴こえます。

 雪解け水が下流へと下り、やがて水も温むのでしょう。


 私を取り巻く境遇の全てが、春の息吹を孕み、先へ進もうとしています。

 変わらないのは私の、貴方への想い。

 そして貴方が貫く無言。


 この手紙にも、きっと返信は来ないのでしょうね。

 優しい貴方がそうするには、それなりの訳があるのです。

 私は散った梅の花弁を拾い、辞書に挟みました。その内、押し花が出来上がり、いつか貴方に見てもらえる日も来るでしょうか。

 貴方がささやかな花弁を見て、目を細める様が思い浮かぶようです。


 梅は花弁さえも仄かな芳香を届け、私の胸を締め付けるようです。


 逢いたい。

 貴方に逢いたい。


 何て陳腐な言葉でしょうか。それでも今の私には、この言葉が始終、浮かぶものであるのです。


 浮かぶと言えば、清流に、梅の花弁が小さな(はな)(いかだ)を作っていました。可憐なわだかまりが流れの中で、浮きつ沈みつしておりました。まるで私の心のようです。そうして私は、私の心の在り様から、貴方の心までを手繰り寄せようとして、宙に手を彷徨わせるのです。


 心を手繰り寄せようとすれば、貴方と出逢ったあの日まで、時間をも手繰り寄せようとしてしまいます。

 貴方が私の家に書生として寄宿していたのは、もう何年も前のことになるのですね。

 父から紹介された貴方は、緊張していたのか固い口調で、私に丁寧な挨拶をしました。彼は今に、国の頭脳になるよと、そう父が朗らかに、上機嫌に言ったことを憶えています。

 そうすると貴方は恥ずかしそうに。

 含羞(がんしゅう)の色を頬のあたりに宿していました。


 貴方は生真面目な上に照れ屋で、お仲間の人たちと国勢について話し合っている最中でも、私が通りかかるとぴたりと口を閉ざして畏まっていました。

 私は少し、寂しく思ったものです。

 寄宿先の娘と書生。

 その領分を厳格に線引きしようとする貴方の態度は、立派とも言えたかもしれませんが。


 私のような物を知らない小娘にも、国の中で何かざわめき、一触即発の事態となっている雰囲気は感じ取っていました。貴方のように学のある方なら、尚のことであったでしょう。熱に浮かされたように、国は激戦の、その泥沼へと突き進んでいきました。

 物資が乏しくなり、配給制が始まり。


 戦地に赴いた父が生きて帰ったのは僥倖でした。


 けれど貴方は戻らなかった。


 梅の花咲く頃でした。

 春告草が告げたのは、貴方の戻らぬという報でした。

 貴方は真っ白な、四角い箱となりました。中には骨さえありません。その箱を抱き、泣き崩れた私を、貴方はご覧になっていたでしょうか。


 生きて戻れば、と言って貴方が差し出した梅の花。

 おかしなものです。

 貴方が行ってしまったのも、そして逝ってしまったと知ったのも、梅のほころぶ時期でした。春告草は、私の恋の節目に、確かに大切なことを告げたのです。

 

 はるか遠くに出すこの手紙に、返信はまたないことでしょう。

 貴方はそちらにいる。

 私はこちらにいる。

 両者の間を隔てる川は深く、流れは速い。そして私にはその水に、身を浸す勇気がありません。

 臆病者です。


 それでもいつか、と信じて良いですか。

 いつか貴方に逢える日が来ると。

 春告草を見る年数え、私はその日を待つでしょう。


 そちらに行けば貴方はきっと、あの含羞を宿す頬で、私を迎えてくれるでしょう。

 今日の空は突き抜けるような青い空。

 本当の春を待ち侘びながら、この手紙に封をします。

 この心に封をします。





                              かしこ

 




挿絵(By みてみん)








 


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― 新着の感想 ―
[一言] とにかく美しいとしか言いようの無い文章だったと思います。 切なく、どこか甘美で、読んでいて心が解される気がしました。素晴らしい文章、ありがとうございました。
[良い点] 美しい文章ですね……。 すごく練り上げられているのが読んでいて分かるので、心地よいです。 しとやかな和服の女性が、散りゆく梅を眺めつつ、亡くなった人を偲んでいる……、そんな絵面が鮮やかに…
[一言] セピア色の熱い思いに、胸にこみ上げるものがありました。 本当はレビューを書こうと思ったのですが、拙作の内容からして、この言葉に何を投げかけようともおこがましい気がして諦めたのです。 出直しま…
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