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「頼む、もう止めてくれ。土下座だって何でもしてやるけど、もう手遅れなのも分かってる。だからせめてそこまでにしてくれよ?俺の命を奪えたならもう充分だろうが」
「随分と人聞きの悪い事を言うのね。そんな申し出受ける意味も理由もないのだけれど、興味はあるわ。だから聞いてあげても良いけれど、代わりにあなたの命、あなたの全てが……欲しいの……」
うおっ、耳元で囁きやがって襲われたいのかよ?襲われたのは俺の方だし、怖いってのが正直な気持ちだ。
まあ悪い気はしないんだが、こんなにまでされてそう思える俺も相当な変人か。
「あぁ、こんな俺で良いならくれてやる。けど命ならとっくに奪ってるしほんと訳の分からない奴だな。そうだ、うせものって化け物が来たら俺を囮にして逃げろよ?こんな綺麗な女の子が喰われるとこなんて見たくはないからな」
「ふーん、あれだけで理解したのね。普通なら理解し難い失せ物をすんなり受け入れるなんて、やっぱりあなたは此方側の人間よ。いいえ、私が必ず抱き込んであげる、あなたはもう私の物なのだから」
こちら側とは、やはりこの女は何か知っているようだ。
けど俺には関係のない話か、もう終わっているんだからな。
囁くだけに留まらず腰に腕をまわして抱きつく彼女をぼんやりと眺めていると、また違和感に気付いた。
どうして彼女の握るナイフは赤くないんだよ。俺は確実に刺された、なのにこれは一体どう言う事だ。
よくよく考えると今は痛みが全くないのもおかしい、濡れた感覚もないし再び離れた彼女の衣服が真っ白なままって言うのも変だ。
あんな化け物に追われて、こんな女に襲われて、俺はどこかおかしくなったのか?
考えたところで答えが見つかる訳もなく、俺は鏡の中の虚像ではなく本当の彼女に聞こうと横を向いた。
そう、そこには綺麗なツインテールの後頭部と――――彼女の奥、トイレの入口からこっちを睨む二つの赤い目が、あの黒い化け物が居たのだった。