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9/12

殺意:歓逝

 初めてパパとは違う男の子を愛しいと思えたから。 ……私の瞳を見てほしい。こんなにも貴方を求めているんだから。



『桜は今、分かれ道にいるんだと思う。もしかしたら桜はもう、どちらかの道を選んでいるかもしれないわ……きっとあたし達から離れて…いえ……きっと、自分の欲望を果たす道を』


 見慣れた道を小走りで進みながら、私は今日アヤカから聞いた話しを思い返していた。


『桜が選んだ道が間違っているかは、悔しいけどあたし達が言えた事じゃない……。でもまだ間に合うはずよ』


 涼しい風が夏服の終わりを告げている。その中で腰まで伸びた、私のお気に入りの灰色の髪が、風にながされて静かになびく。


 でも……いつもと違う。


その理由は分かっているつもり。 


いつも明るい、ムードメーカーのトモ。そのトモのドウシって言うヨッシー。大人で格好いいアヤカ。とっても可愛いアヤちゃん。そして―――


―――シオン


 私の隣には、いつも複雑な顔で私を見るシオンはいない。……別に私の眼を見てくれなくてもよかったのに。嫌々ながらでも隣に居て欲しかったのに……。


 ……今、シオンは私達から離れて行った。


『桜はずっと自分を殺しているように見えたわ……。あたしはずっと不安だった。次に、ふとした瞬間、桜から眼を少しでも逸らしたら居なくなってしまいそうだったから。まぁ……好きだったし』


 恥ずかしそうに俯き、頬を紅く染めるアヤカを見ていると何だか嬉しくなった。

 シオンはとても不思議で……とても魅力的な男の子。


 私はそんなシオンが大好き。


 初めてパパ以外の男の子を好きになれたから。初めて私に人種を気にせず接してくれた男の子だから。


 艶やかな黒い髪が好きだし、素っ気ない態度も好き。時々慌てたり、溜息をつくように笑う所も好き。


 ……そして、その瞳も。

 シオンの瞳はとっても正直。辛い時は辛いって言っていて、寂しいときは寂しいと言っている。……ただ、まだ嬉しいっていう感情を見れないのが残念。


 そして私がシオンの『何か』に気付いたのがシオンと初めて会った時。視線が交差した瞬間、私はシオンに思考を奪われた。奥が見えない綺麗でいて冷たい、くろい眼。私はシオンの虜になっていた。


『桜は恋華が転校して来てから少し変わったわ。……なんて言うか…柔らかくなったかな? 前までは『自分に近付くな』オーラ放ってたし。アヤが懐くくらいだから間違ってないと思うわ』


 アヤカは空を見上げると、溜息をついてまた私に眼を向ける。何か自分の中で整理を付けたみたい。


『その時からかな? あたしの負けを感じたのは。正直嫉妬したわ……馬鹿みたいに。でも、文武祭で恋華と話して分かったわ、恋華が何で桜を変えることが出来るのかを』


 アヤカは私が見取れてしまう位の笑顔で笑った。


『恋華は純粋で単純だから。好きなものは好き。嫌いなものは嫌いって言えるから。だからシオンにとって恋華は特別な存在なんだと思う。そして自分の本心が見られるのが怖くなって…………離れたんじゃないのかな?』                     ハァ、ハァ……


 小走りから気付けば駆け足に変わっていることに気がつき、私は歩みを止める。なぜここに自分で来たのかは分からない。でも、きっとここにシオンがいると思えた。


 ……脇道。


 私がもう一人のシオン見た場所。そして初めて唇を重ねた場所。


「……」

 そして脇道の奥から現れた人影。それは私が知る人物のハズ―――


 ―――だった。


「シ…オン」

「……」         

目の前には白いワイシャツの制服の所々に紅い染みを付けたシオンがこちらを睨み、黙って立っている。

 私を睨むその瞳は、黒々と光りもなく渦を巻いていて、もう私の知るシオンの面影はない。


『恋華ならシオンを違う道に進ませることが出来るわ……きっと恋華なら。まだ間に合う、シオンに教えてあげて……あなたは―――』


『―――あなたは孤独じゃないって』


「……全く…シオンはこんな時ばかり私の眼を見るんだから」

 私は小さく微笑むと、孤独な男の子に向かって一歩、足を踏み出した。



 まだ……そっちの道に進むのは早いよ、シオン。













 俺は別にどっちでもよかったんだぜ?

 シオンが俺のことを友達だと思っていなくたって。 ……そりゃ寂しいよ。だって幼稚園の頃から一緒にいるのによぉ……。でも、いいってことよ、シオンがそれでいいならさ。                


だって―――


 ―――それでも俺等の傍に居てくれんだろ??



「……シオン」

 少し肌寒い風が、胸元の開いたワイシャツ中に入り込む。俺は今日、学校を休み、シオンを昔よく遊んだ脇道のコンクリートの袋小路に呼び出した。先に予定の場所に着いた俺は、コンクリートの壁に囲まれた空間から空を眺め、息を思い切り吸い込む。


―――あーあ、皆勤賞がパァだぜ……。シオンに責任取ってもらわねぇとな


 袋小路から見える空は薄暗く、もう夏の終わりが見え始めている。


「シオンの奴、ちゃんと来るんだろーな……」

 ……昔から考えが読めない奴だった。どこを見ているか分からない、笑ったところは、片手で数えられるくらいしか見たことない。


 いつも冷え切った眼で自分を眺め。

 いつも自分を責めている。


 幼稚園で初めて会った時からシオンはずっと変わらないままだ。勿論俺も変わらないけど。

 でも、シオンのイラ立ち……っていうのか、モヤモヤが日々増して来ていることには気付いていた。

 でも、俺にはどうしようも出来ないと分かっている。……シオンを本当に変えられるのは……『あの子』だ。

 その前に俺も俺なりにシオンとケリをつけなくちゃな。

 静かだった袋小路にふと、足音が聞こえ始める。段々近づいてくる足音に俺は瞳を閉じる。


 …ここまでシオンにこだわる理由? ……そんなもんないよ。



 ただ、一緒にいた時間が長すぎただけだ。




 俺はドコに行けばいい?

 何でこんなに苦しいんだ?


 もう歩き出してしまったからだろうか。


 後戻りは出来ない。俺は胸の中の『あいつ』に負けたくない。でも……もう無理だ。

 いくら他人を自分から遠ざけても、最終的に俺の周りには他人がいつまでも存在し続ける。

 

そう、俺が死ぬまで。


 ……じゃあ、死ねばいいのか? 


 ……いやだ。それはいやだ。俺はまだその結論を認めたくない。もがけばもがく程、『あいつ』の思惑通りにことが運んでしまう。でも、今の俺は……もがく事しかできない。


 ……もう、ほっといてくれ。俺は一人で歩いていくから。




「よぉーシオン、遅刻だぜ〜?」

 目の前には金髪のオールバック頭の知徳。いつもと変わりない口調だけど、雰囲気がどこか違う。特に挨拶もせずに黙り込む俺。早くこの場から離れたかった。

「おぉ、ちゃんと制服できたのか」

 一向に口を開かない俺に知徳が笑いながら口を開いた。

「シオンは何かの『形』を保ってないと不安がるからなぁ」

「…知徳……何が言いたいんだ?」

 拭っても……拭っても、取れることのない不安と恐怖。それが形になり始めたように俺の心音を早めていく。

「……シオン、俺はお前が俺のことを友達と思っていなくても構わない」

 知徳の顔から笑みが消え、涼んだ風が知徳のズボンから出たワイシャツを靡かせる。

「俺はずっとお前が何かに悩んでいることに気付いてた。でも、お前から言ってくれるまで黙っていようって思ってた。……それがシオンと友達でいることに必要だと思ったからだ」

「……」


 ―――ドクンッ


「……なんで……なんで、そんなんなるまで黙ってんだよ? 俺がそこまで信用できないのか? 俺がシオンと居た時間はただの時間にしか過ぎないのかよ!?」


 ―――ドクンッ


 知徳が怒った所なんて初めて見た。……気がつけば幼稚園の頃から一緒に居た俺の…………。


『……ただ、それだけだろ?』


 ―――ドクンッ


「……ぐっ…」

 心音の間隔が徐々に早まっていく。俺を焦らせるように、ゆっくり、確実に。

「……俺は決めたんだ。知徳達とはもう関わりを持たない。それに変わりはない」


『そうだ、シオン。お前には俺がいるじゃないか』


 ガッ


「……うっ」

 頬に衝撃を受け、俺はよろめく。口の中に酸っぱいモノが広がっていく。そして、顔を上げると、そこには涙を流しながら拳を前に突き出した知徳がいた。

「ふざけんなっ!! テメェはただ逃げてェだけだろ!! 俺ならまだしも他の皆まで勝手に引き離しやがって!!」

「!? ……別に俺は傍にいてくれなんて一言も言ってないだろ!!」

「まだ言うか!!」

 知徳が俺に抱き着く形でその場に倒れ込み、俺の上に馬乗りになる。

「シオン、お前マジでそう思ってんのか!! お前、楽しそうにしてたじゃないか!? 恋華チャンと……俺達と一緒に笑ってたじゃねぇかよ!?」


 ガッガッ


 話す毎に俺の顔面と横の地面を泣きながら殴り続ける知徳。でも、段々その勢いも弱り、そして止まった。

「……シオン……お前、恋華チャンの気持ち分かってんだろ? どうしてだよ……」


―――……どうし……て?


―――ドクンッ

 

その時、頭に一つの光景が過ぎる。それは見覚えのある部屋。大きな窓から差し込む、温かい日差しとピンク色の花びら。


 部屋の中には黒い、人型の大きな影と小さな影が立っていて、小刻みに揺れている。それを見た俺は酷く悲しい気分になった。


『―――紫苑、覚えてないわよね?』


 ―――ドクンッ


「……うぅ…頭が…胸が……」

 熱い、痛い、苦しい。

「……? シ……オン?」

 何だ、今の光景は? 俺の記憶なのか??


『シオン。思い出せ、お前の感情を。邪魔する奴は、のみ込め』


 ―――ドクンッ


 俺…は……俺は……。


 ―――ドックンッ


「おい、シオン!! 何とか言えよ!!」


 俺は知徳に酷く頭を揺らされている。何をそんなに慌てているんだ?

「……知徳…」

 俺の声に知徳が揺する手を止め、俺の顔を覗き込む。そして、その顔を酷く歪めた。

「…シオン…お前……一体……?」

「もう、手遅れだよ、知徳」


 ガッ―――


「ぐっ……」

 寝たままの姿勢からのパンチは知徳の首を捕らえた。不意打をくらった知徳は上体をのけ反り、真後ろに倒れ、首を押さえながら唸り声を上げる。

「だから…離れたかったんだ。俺はもう捕まっているんだから」

「……あぐか」

 声を出せない知徳が倒れ込みながらも俺の顔を見上げる。

「これが俺。逃げていた感情。……別に受容した訳じゃないよ、ただこうしないと分からないだろ?」

 俺は勢いよく知徳の腹部に蹴りをぶち込む。声にならない声を上げながら知徳が転がり、口から撒き散らした汚物と、それと交じった血が俺のワイシャツに模様を付ける。

「そうさ…俺は逃げてたさ。こんな感情、認めたくないからだ」

 知徳がふらふらと立ち上がるが、すかさず俺は金髪の頭を掴むと、地面に叩きつける。手に伝わる生暖かさと、振動。気持ち良くてたまらない。

「最低だろ? 嫌になっただろ? こんなことしても全然何も感じない俺が」

 知徳は小刻みに震えながらそれでも、起き上がろうと、仰向けになる。

「……じ…し……しぉン゛」

 割れた額から流れた血液が知徳の眼を紅く染める。掠れた声だったけど、知徳は俺の名前を読んだようだ。


『殺せ』


 あいつの声が聞こえた。


「……黙れ。俺はお前の言うことは聞かない」


『ははは……自分で捕まったとか言っておいて、綺麗ごと言ってくれるな』


 心音がけたたましく笑いながら全身にあいつの声を運ぶ。


「……誰も殺さないとは言ってないだろ?」


 俺は地面に仰向けに横たわる知徳を静かに見据える。


―――これがあれだけ怖がっていた感情か……


『……言うようになったじゃねぇか、シオン』


 知徳は口から血泡を泡立たせながら、相変わらず紅く、焦点の合わない眼で俺を見つめている。

「もう、終わりだよ」

 俺は静かに右足を上げ、知徳の首筋にもっていく。


『さぁ、早くこっちへ来い』


……あいつの声を無視して、俺はもう一度知徳と眼を合わせる。


 ……くろい目とあかい目。


「知徳。今の眼、とても綺麗だよ。……だから教えてあげるよ。俺の悩みは―――」


「―――この殺意だよ」


 確かに見えた知徳の表情。堪らなく歪んだ紅い眼がとてもいい。


「じゃあ、ばいばい、知徳」


 ……俺は、右足を落とした。













 桜の花びらが舞う季節に初めて会ってから、まだ半年も経ってない。なのに恋華は俺の何がわかるっていうんだ。そのあおい瞳は何でも小見通しだって言うのか?


 ……徐々に蘇り始めた過去の記憶に押し潰されそうな自分がいる……。


 でも、誰の助けも要らない。これは俺の問題なんだ。だから、頼むから俺の前から消えてくれ。俺は―――


―――俺は……



―――お前を殺したいんだよ




 忘れたモノを探しに。


 無くしたモノを探しに。


大事なモノを探しに。


―――さぁ、行こうか……



「ヤッホー、シオン。見つけたよ」

 そう笑いながら言った恋華は、腰まで伸びた灰髪を手ですくい、耳元にかける。

「……そんなに汚れた制服を着てどうしたの? 今日はトモもヨッシーもお休みなんだよね」


―――知……徳…


 俺は最後に見た知徳の紅い眼を思い出す。生涯で二番目に感じただろう、その美。……でも…もうそれを見ることは出来ない。

「……何しに来たんだ? 言ったはずだ……もう俺にかまうなって」

 頼むからこの道を塞がないでくれ。俺の邪魔をしないでくれ。

「……私も言ったはずよ? シオンを一人にはしないって。私はシオンの居ない日常を思い浮かべることなんて出来ないもん」

 血液と飛び散った泥にまみれた制服を着た俺に向かって、普通に言ってのける恋華。


 抜けていて強情。あらゆるモノを抱擁してまいそうなあおい瞳と心。

 ……恋華は今の『俺』を『俺』として見てくれている。そして抱擁しようとしている。


 ……だから尚更俺は恋華を離さなきゃならない。


 俺の感情を抱擁するなんて無理な話しだ。一方的な殺意で傷付き、倒れてしまうのが目に見えている。

「……お前は俺の為と言いたいみたいだけど、それが迷惑なんだよ。心配してくれるのは有り難いけどな。だからもう、一人にしておいてくれ」

 背後の脇道から生暖かい風が吹いてくる。とても血生臭い風。……お前はこの臭いに耐えられるのか?

「でも……」

 恋華は静かに瞳を閉じた後、また瞳を開ける。

 そこから覗くあおい瞳は、俺を狂わせる力を持っている。


「でも、シオンは見てほしいんでしょ? 自分を。認めてほしい、知ってほしいんでしょ?」


「……」         


言葉が出なかった。何を言っているのか理解できなかった。俺が……他人を欲しているって?

「助けてほしいから、目を合わせる。でも、怖くなってすぐ目を反らす。……ずるいよ、シオンは。だったたらはっきり言えば言いのよ……助けてほしいって」


―――助けてほしい……?

            

『忘れるな、お前を邪魔する人間を』


「……馬鹿なこと言うな…。俺は助けなんて求めてない! 俺は助けなんて……」

 声が、身体が震えている。俺の心とは裏腹に。そんなことがあってたまるか。

「お前に俺の何がわかるっていうんだ!? 勝手に人の心にずかずかと入ってくるな!!」

 声が次第に大きくなる。認めたくなんてない。認めてたまるか。こんな所で立ち止まるわけには行かないんだ。

「……分かる訳ないよ……人の心何て……分かる訳ないじゃない!!」    恋華は大きく一歩を踏み出すと、俺の前に詰め寄る。けれど、俺はあおい眼に縛られたように動けない。

「でも、違うなんて言わせない! 違ってるはずなんてないもん!! シオン、苦しそうだもん!!」

 鼓膜が激しく震えるほど、目の前で大声を張り上げる恋華。その瞳はうっすらと潤いをもち始めている。

「……俺に近づくな…頼むから……。俺にはお前等の気持ちは重過ぎるんだよ……」

 さっきから身体の震えが止まらない。視界がぼやけていく……。


『やっちまえよ』


―――あぁ、そうか……


 ……そうすればいいんだよな。


 俺はその視界を覆う 霞を取り除くように瞳を開くと、恋華の首筋に両手をもっていく。


「……消えろ」


「……ぐっ…シオ……ン?」

 恋華の白く、柔らかい首。その首に俺の指が沈んでいく。

「……恋華、お前に分かるか? 自分でも認めたくない感情を持ちながら生きていくってことが? それがどんなに苦しいか……分かるのか?」

「……あ…ぅ」

 指から伝わる恋華の鼓動。一つ脈打つ度に俺は、追い詰められていくのを感じる。


「俺は殺したい、殺したいんだよ!! 例えそれが同じ人間だとしてもだ!! 止まらねぇんだよ! この殺意だけは、この感情だけは!!」

 一気に恋華の首を締める手に力を込める。恋華の鳴咽が一瞬聞こえたが、もう終わるんだ。


『それでいいんだよ、何も考えるな』


「これでいいんだ……これで……」



―――!? …………何で……?



 ……有り得ないものを俺は見た。



―――……笑って…る



 恋華が笑っている。あおい瞳から一筋の涙を流しながら。


「……なんでだよ……」

 俺は両手の力を緩めると、両腕を恋華の首から解放した。

「……げほっ」      恋華は首を手で押さえながら摩る。けれどあおい瞳はまだ俺を見続けている。

「……何で笑えんだよ!? 何でそんな眼で俺を見れるんだよ!? ……何で……くそっ!!」

 視界がぼやけて見えなくなり、頬を何かが流れていく。

「俺なんか見捨てればいいんだ……こんなことしていいはずないじゃないか…。それを平気でやる俺なんて―――」


 ……また、俺は恋華に言葉を止められた。無言の口止め。そう、二度目の……。


 くちづけ。



 ……熱い。何なんだこの感情は? 俺のものなのか??


―――!?


 口の中に恋華の舌が入り込んでくる。初めて感じる感覚と温かさに、俺の思考は一瞬停止する。


 温かいくて気持ちいい。


 柔らかくて存在をとても強く感じる。



 恋華……お前は何者なんだ?


「今度は逃げなかったね……ってかすごく苦しかったんですけどー」


 俺の口元から離れた恋華が笑みを含ませながら文句を言う。

「……お前は救いようのない馬鹿だな…」

「……そ〜お?」

 命を落しかけておいて、差して気にしていないかのように俺に返答する恋華。

「やっぱり……シオンはシオンだよ。…例えシオンが他人には理解できない感情を持っていたとしても……私はシオンが好きだよ」

 恋華のまっすぐな言葉……あおい瞳が俺の胸を貫く。それは今、進んでいる道を狂わせるほどの衝撃。

「……恋華…」

 俺は……この気持ちは……一体何なんだ?


『いいのか、シオン? お前の感情はその程度なのか……?』


 ―――ドクンッ


「くっ、」

 鼓動が一つ、大きく胸を打ち鳴らす。あまりの衝撃に俺は胸を押さえてその場に膝を折る。

「!? ……シオン!? どうしたのっ!?」

 いきなり地面に膝をついた俺に恋華が驚いた表情で駆け寄る。


『いいのか、本当に? お前は満足なのか??』


 直接脳内に語りかけてくるように、あいつの声が聞こえる。


「……なに…が…なに……を……俺、は……」



―――……忘れているんだ?



『殺せ、とり込んで意のままにしろ』


「!? ……がぁぁぁ!!」

「シオン!!」



 …意識が遠退いて……何か見える。


 見覚えのある部屋……あぁ、居間だここは。外を見ると、桜の花びらが陽光を浴びながら窓の開いた居間に、温かい風と共に入り込む。


 そして目の前には大きい影と小さい影。桜の花びらを浴びながら、二つの影は重なるり震え出す―――


―――…重な……る?


 ……そして小さい影は倒れ、桜の花びらの中に消えていき、大きな影は小さい影を見た後に俺の方に視線を向けているように思えた。


 ……何だ…この気持ちは……憎くて、悲しくて、泣きたくて……。


『紫苑、何も覚えてないわよね?』



「…あぐ……っ」

 この記憶は間違いなく俺のものだ……何で今更…俺を悩ませる?


『こっちに来るか? ……それとも……』


 ……その時、俺の頭に一つの疑問が浮かんだ。…大きな影と小さい…影?


『紫苑、何も覚えてないわよ……ね?』




「あぁっ!!」

 俺は我に返ると立ち上がる。いきなり立ち上がった俺に恋華は身を竦めたが、すぐにまた俺に心配そうな視線を向けた。

「シオン……平気なの?」

「……思い出した…」

「えっ?」

「恋華……」

 俺は真っ直ぐに恋華のあおい瞳を覗き込む。もう、反らしてはいられない。

「この脇道を進んで……そこにある光景を見て、もし……」

 俺は言葉を止める。


―――許してほしいとは言わない……


「!? シオン!!」

 俺は恋華に背を向けると走りだす。でも、今回は逃げる訳じゃない。



 俺は思い出したから。それが断片でも、思い出してしまったから。



「……ごめん―――」


―――ミンナ


 俺は真実に向かってただ走る。


『いいんだな、それで』


 あいつの声が聞こえたけど、もう恐くはない。


 口の中に広がる酸っぱいモノ。


 そして、まだ残る恋華の温もりと柔らかさと優しさ。



 俺は、すべてが終わりに近づいていくのを確かに感じた。














終りなんだね。

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