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殺意:綾碑

 胸の内に秘めた想いは、意思とは裏腹に段々重さを増していく。

 ……今なら貴女に託せるわ、大切なあたしのこの想いを。



 ……あの頃、全てに色がなかったあたしの世界。自分の存在を他人に知らせたくて自分を無意味な程、色で染めた。

 そんな時に出会った貴方は、あたしの考えを静かに笑ってくれて、そしてそっと耳元で囁いた言葉は、あたしに本当の意味での『色』をくれると同時に、素直な自分の気持ちに気付かせてくれた。


『……人は見た目でその人の内側までを判断する。……どんなに自分に言い聞かせても、どんなに努力して頑張っても…最後に自分の価値を決めるのは他人なんだよな』


 あたしはあたしの『色』を見つけた。それは他でもない貴方のお陰。だから今度はあたしが貴方の色を見つけてあげる番。


 ……だってあたしはこんなにも貴方のことが好きだから。



「恋華」

……あたしはやらなくちゃいけない。大切な人が目の前で苦しんでいるのだから。

……いつもとほとんど変わらないクラス。昼休みなり皆、思い思いの場所に足を進める。その中であたしは恋華を呼び止め、屋上に行こうと促した。

「そんな真剣な顔してどうしたの、アヤカ?」

 

恋華は普段と変わらない笑みをあたしに送る。が、それがあたしにはとても辛い。

「……昨日のこと、知徳と田淵から聞いたわ」   「……そう…」

 あたしは悔しかった。昨日、恋華がどんな目に遇ったか知らなかったからだ。

「ごめんなさい……あたし、力になれなかったみたいね……」

 昨日の夜、知徳から着た電話で初めてことの詳細を聞いた。あたしは何で教えてくれなかったと、半ば怒り任せに問い質したが、答えは至って簡単なものだった。


『……だってよぉ〜アヤカ、お前黙って見てらんねぇ〜だろ? お前が出てったら解決しないんだよ、色々な。でも、黙ってて悪かったよ』


 ……言い返せなかった。多分知徳の言う通り、目の前で恋華が嫌な目に遭っていたら、あたしは迷いなく、この鎌をふるっただろう。

 でも、それだからと言って終わらせられない。実際、恋華の様子がおかしいことに気付いていた。それは桜とのこともあったんだろうけど、まさかこんな事になっていたなんて。   「……アヤカぁ? そんな顔しないでよぉ〜」    不意にあたしの鼻を恋華が摘みクイクイと上に引く。

「……!? ちょっ、恋華!?」

 子供みたいな笑みをあたしに送る恋華のあおい瞳は綺麗に透き通り、昨日あった出来事はまるでなかったかのような印象を受ける。

「……今日、桜…学校きてないね……知徳も、田淵も」

 静か過ぎる屋上に物足りなさを感じる。何故こうなってしまったんだろう?

 もっと初めからなにか出来たんじゃないか?

「……シオン、笑ってた」 恋華が笑みを止め、控え気味にそう、呟いた。

「? ……笑う??」

 桜が笑うなんて滅多にないことだ。でも、恋華の顔には影が見えている。

「シオンね、私に絡んできた人を笑いながら相手にしてた……シオンはきっと心の中で何かに捕まりかけてるんだよ……きっと。だから私はシオンを助けたい」

 その恋華の言葉にあたしはそっと空を見上げる。空はこんなにも晴れて心地いいはずなのに、この子が笑わないとそれは意味のないものに変わる。

「……恋華…桜のこと好き?」

 恋華はふと、あたしの目を見据える。さっきよりそのあおい瞳には力が込められているのか感じとれた。

「好きだよ、私はシオンのことが。もちろんそれはアヤカやアヤちゃん……トモやヨッシーとは別の意味で」


 ……どうやらあたしの負けのようだ。


 ここまでわたしは迷いなく、一途にはなれないだろう。

「……そう…。恋華……あたし貴女に話さなきゃいけないことがあるの……」

 無意味な意地を捨て、目の前にいる真っすぐなあおい瞳を持つ女の子に任せてみよう。



……いま、貴女にあたしの大切なこの想いを託すわ。













 貴方……まだ諦めるのは早いわ。…だって貴方はまだ―――


―――独りじゃないんだから。



 いつも、他人とはどこか違う所を見ている貴方。

 その目はまるで光りを宿してなく、死んだように漆黒に染まっている。

 ……彼は何か全てを諦めているようで、自分の行く先が解っているようにもあたしには見えた。     そんな彼、『桜 紫苑』を初めて見たのは、入学式の日。その日、あたしは中学校とほぼ変わらない容姿で新しい学校に足を踏み入れた。……まぁ、しいて変わった所を述べると言うなら、中学の頃とは違い、長かった緑色の髪を立たせられる位、短く切ったこと。

 ……案の定、髪の短い長いに関係なく、皆あたしに好奇心と軽蔑の入り交じった視線を送ってくる。


 ……こんなことにはもう慣れた。


 あたしは元々、小学校まではあまり目立たない子供だった。無口で無愛想…人見知りが激しかったあたし。当然の如く皆の輪には入れなかった。

 独り、クラスの窓から皆が校庭で遊ぶのを見ている毎日。その頃、独りでもいいと思う程の余裕がまだなかったあたしは、確かな焦りを感じ始めていた。


―――誰かあたしを見て。

             決して他人に聞こえることのないあたしの想い。独りの世界に取り残されそうになる。何かを喋ろうとしてもあたしの声はこの世界の中にしか響かず、いつしかその焦りはあたしを蝕み始めていった。

 そして、あたしは自分に『色』をつけ始めた。

 ……馬鹿な理由だったと思う。自分の存在を皆に知らせたくて…自分の価値を皆に解ってもらいたくて。……ただ、それだけの理由。            あたしはまず、オカッパだった髪をざっくばらんに切り、整え、緑色に染めた。次にカラーコンタクトを入れ、瞳をき色に変えた。後は装飾品を買い込み、身体に文字通り飾った。ちなみにその中で一番気に入っているのは、腰に付けたダークブルーの鎌。

 ……まぁ、あたしはついていたんだろう。親は全くあたしのすることには反対せず、逆に学校にあたしの愚行を許してもらうように頼み込んだのだ。

 こうしてあたしは『色』に染まり、安心を手に入れた。

 別に皆と遊びたかった訳じゃない、皆と楽しいおしゃべりがしたかった訳じゃない。あたしはあたしを他人に認識してほしかった。一度視界に入れたら、絶対あたしを忘れないように。

 それからこの風貌もあってか、イジメられることもなかったし、前よりか皆に話し掛けられるようになった。……馬鹿らしいあたしの行動は結果、成功したんだろう。…素直には喜べないけれど。

 そして時が流れ、あたしは中学生になり、先生達から髪の毛の事を執拗に責められたり、一部の生徒達から陰口を叩かれたりしたが、あたしはその冷たい視線を三年間あしらいながら普通に生活、高校を受験した。

 ……選んだ高校は勿論今の学校。あたしのき色の瞳を釘付けた『自由』の文字。『生徒の個性を尊重する』……あぁ、この時ばかりは飛んで喜んだ気がする。親も驚いていたから相当な喜びようだったんだろう。

 あたしは迷わずここを受験した。都立で家から近く、金銭的にも楽と思ったし、頭もそこそこいい所だったし……勉強はしておくものだ。



 ……数ヶ月後、あたしは中学校を卒業した。卒業式の日は何故か女子に囲まれ、写真ぜめ……まるで小さな写真撮影会が開かれているようだった。

 見たことも話したこともない女子にもみくちゃにされ、意気消沈したはあたしは足取り重く自宅に帰る。 そして自室に入ったあたしは自分のベッドに置かれた新しい『制服』に一つ笑みを零した。それは期待でも皮肉でもない笑み。あたしすら何故笑ったか分からなかった。



―――あたしも高校生か……

 そんなことを思いながら入学式と書かれた大きな看板を母さんと絢の三人でくぐる。

「わぁ〜! お姉ちゃんのガッコーっておっきいね!!」

 今年で小学二年生になった絢は興奮しながら周りを見渡している。

「絢、離れないように」

 あたしは絢の頭を一撫ですると、その手を取り、受付へと足を進める。

 すでに受付には入学生達が集まっていてかなり混雑していた。並んでいる間、他の入学生の色々な視線を感じたが、そんなのたいした事じゃない。だってここには『自由』がある。  

「あら、絢香は人気者ね〜」

 ……逆に母さんは喜んでいるようだ。ある意味この人があたしの親でよかったと思った。

「じゃあ、また後で」

 入学式が行われる体育館で、あたしは母さん達と別れると、一人自分の席を探す。あたしは少し遅く学校に来たせいか、殆どの席は埋まっていて、開いている場所を探すのに苦労した。

「あの……ここ、座ってもいいですか?」

 あたしは目の前にいる黒髪の男の子に声をかける。 だが、男の子は顔を前に向けたまま動かない。初め、聞こえなかったのか、無視されたか分からず、もう一度聞こうとすると、男の子はゆっくりこちらを向き、口を開いた。

「……すいません…。友人が来るので……」

 それっきり男の子はまた前を向いてしまった。

「……ごめんなさい………」

 ……あたしは軽く会釈すると、その場を離れる。……なぜかその足取りはかなり重い。


―――あの人……


 あたしは胸の早まりをどうしようか悩んでいた。


 ……交差した瞳。

 あの人は本当の孤独を知っている。


 漆黒の瞳にあたしが映った瞬間、それを理解した。

             

……知りたい。                 


あたしは何とか自分の席を見つけ、そこに腰掛ける。少しすると、あの男の子の横に金髪のツンツンした男の子が現れて、艶やかな黒髪の男の子に絡んでいるのが見えた。


 ……見てほしい。聞いてほしい。……あたしの声を。


 あたしは入学式中、ずっとその男の子だけを見ていた。                    












―――あたしの色を見て下さい



 お昼の教室で、窓から少し離れた自分の席から見える外の風景は、桜の花びらがいたずらな春風に誘われて舞い上がっているよう。

「……あぁ…暇……」

 言葉を思わず声に出てしまったことに気付き、あたしは口をてで押さえる。静かに辺りを見回すが、どうやらあたしの声は聞こえてはいなかったらしく、安堵する。

 ……あたしがこの学校に入ってから早くも一週間が過ぎた。気が付けば他のクラスメートの子達はすでにグループを作り、自分の居場所を確保している。

―――出遅れたみたいね……

 あたしは一つ溜息をつくと、肩から力をそっと抜いた。

―――これじゃあ……前と同じじゃない……

 あたしは『自由』の文字に引かれてこの学校に入った。だけど、内容的には小、中となんら変わりない。友達すらまだ作れていない状況なのだから。あぁ、自由過ぎるのも少し問題があるかも知れない。多少の束縛も日常には必要なのかもね……。        ―――……けど…

 あたしはまた静かに顔を窓に向け、視線を少し後ろにずらす。

 窓から差し込む陽光に照らされる机。その中でじっと窓の外を見つめる少年を視界にうつした。

―――桜……紫苑

 そう自己紹介で名乗った男の子がそこにいた。

 そう、あたしは桜と同じクラスになった。嬉しくて……何か悲しい。桜はただじっと外を眺めている。入学式に見たその孤独を知る瞳で。一見普通の男の子となんら変わらない桜は、一体どのようなモノを見てきたんだろう。あたしは自分で驚く位に桜に興味を抱いていた。        「ちゅーっす!! シオ〜ン! 飯食いに行こ〜ぜっ!」

 急にクラスの引き戸が勢いよく開け放たれ、そこから金髪のツンツン頭が入ってくる。そのまま金髪は他の生徒の視線など気にせず、桜の机の前に立った。が、桜は身じろぎせずにまだ窓の外を眺めている。

「だぁ〜! 春の日差しも中々アチぃな!! 早くメシメシっ!!」

 金髪はそんな桜に一方な言葉を投げ続ける。意思の疎通がはたして出来ているんだろうか?

 すると、桜が静かに視線を金髪にうつす。そしてまた静かに席から立った。

「……うるさいな…。分かったから行こう」

「お〜う、おうおう! 早く行くぞ! タラコスパゲッティーが俺を待っているぜ〜」          桜は少し呆れているようだったが、金髪は全然気にしていないようだ。

「……また麺かよ。たまには他の物食えば?」

「いぃんだよ! 俺の胃がタラコを望んでんの!!」

 そんな会話を交わしながら桜と金髪は唖然としているクラスから消えて行った。

―――……あの人…本当に友達なのかな……     余りにギャップを感じさせる二人にあたしは首を傾げる。そしてふと気付く。―――…あたし……笑ってる……


 あたしはその時思った。これは……この学校に入ってから初めての笑みだった。

 そしてあたしは二人がいなくなった教室を見渡してから窓から外を眺める。もう、桜の花びらはそこにはなかった。

「……あぁ…退屈」



キーン、コーン、カーン、コーン 


 最後の授業も終わり今日という日も後半残り僅かだ。皆が騒がしく下校する中、掃除当番のあたしは箒を片手にゴミを掃いていく。溜息をつきつつ、ふと、視線を日当たりのいい机に向けるが、既に桜はいない。机に鞄がかかっていない所をみるともう帰ったみたいだ。

「瀬戸さーん、チリトリ取ってもらってもいいですか?」

「!? …あ、うん」

 クラスメイトの言葉で我に返ると、あたしはチリトリを取りに用具入れに足を向ける。

―――……瀬戸…さん……か……

 建て付けの悪い用具入れは開けると、ジメっと湿った臭いがした。……あぁ、これじゃあ何をしたいのかわからないわ。      がたん、とまた閉めた用具入れから漂う臭いにあたしは憂鬱になった。



「……全く、なんでゴミ捨て場ってムダに遠いのかしら…」

 一人ポリバケツを持ちながらあたしはゴミ捨て場への最短の道を歩く。一歩、歩みを進める度に、ポリバケツの中のゴミが動いて身体に不快な振動を起こす。早くこのゴミを捨てて帰りたいと、あたしは早い歩きで廊下を通る。他のクラスにも殆ど人は残ってはおらず、学校全体が静寂に包まれつつある。

 やっとの事で外へ出る為のドアに着き、あたしは半ば脱力気味にドアを開ける。

「……いい風…」

 ドアを開けるともう日が落ちるためか、少し肌寒い風があたしの身体を通り越していく。少し元気になったあたしは気合いを入れてポリバケツを持ち直す。

「よいしょ…………あ…」

 あたしがポリバケツを持ったまま視線を前に戻すと、あたしが目指すゴミ捨て場のすぐ横、その場にあまりそぐわない花壇の前に見覚えのある男の子がしゃがんでいる。

「…桜……」

 後ろを向いていても分かる。あの艶のある黒髪は、

            

『桜 紫苑』のものだ。


―――……なんでこんなところに?

 突然の遭遇にあたしは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。

 …あの桜があたしの目の前にいる。いつも一緒にいる金髪もいない。


 本当の孤独を知る人……。            


何かを必死に堪えている人……。


 何が彼をそこまでさせるんだろう。


―――…あっ……


 花壇の前にしゃがんでいた桜が静かに膝を伸ばす。そして静にあたしの方に振り返った。


「……」

「……」


 全てがスローモーションの様にゆっくりと流れるなか、あたしの瞳を自分の瞳に写した桜。

 その瞳は黒くて艶があって、とても綺麗でとても哀しい。                     


―――あたしは…ただ、知りたいだけ













 あなたの瞳の中で生きられたなら、あたしは救われるのだろうか。



「……瀬戸…さんだっけ?」

 長い沈黙の後、桜があたしに話し掛ける。

「…あ、うんっ……あぁ!」

 いきなり桜に話し掛けられてあたしは思わずポリバケツを地面に落とし、中のゴミを撒き散らしてしまう。

「だ…大丈夫?」

 桜が少し瞳を開き、あたしの方へ歩み寄ると、地面に散らばったゴミを集め始める。         「……ごめんなさい…ちょっとびっくりして……」

 …あたしらしくもない。こんなに動揺するなんて。

「…びっくり? どうして??」

 しゃがんだまま、あたしにゴミを拾いながら話し掛ける桜。……顔を見られないでよかった……。きっと今あたしはヒドク変な顔をしているだろう。

「…ほら、あんまりあたしと桜って話さないじゃない? 名前、覚えてたからさ」

 また、桜の顔を見ずにゴミを拾いながらのあたしの言葉に、桜が気の抜けたような顔を上げる。

「? な、なに?」

 本当らしくない。もう、平常心を保つので一杯一杯だ。

 すると桜が少し……本当に少しだけ微笑んだような顔で言った。

「……瀬戸の格好は一度見たら忘れられないよ?」

「!? あっ……そうね」

 よく言われる、あたり前の言葉に、あたしははにかむ。だが、同時に嬉しさがわいてきた。


 桜の記憶にあたしがいること。それがどうしようもなく嬉しかった。


「瀬戸の格好は知徳よりも明るいからすぐ覚えたよ。入学式の日も……少しだけ話したよね?」


 桜はあたしをきちんと見てくれていた。……この恰好のおかげで。

「知徳? あの金髪の人?」

「そう……あのうるさいの」

 そう言った桜の顔はあの暗い影を落とした桜じゃなかった。

「仲……いいのね、彼と」

「あぁ、幼稚園から一緒だから……いつもああなんだよ」

 笑っているのか本当にわからない表情で桜が言う。でも、声が少し笑っている……気がする。

「瀬戸さんは……」

「瀬戸でいいよ、さん付けは気持ち悪いから。あたし、『さん』って質じゃないし」

「……たしかにね」

 そう言い、今度は目を細める桜。いまいちまだ桜の表情を読み切れない。

「で……なに…桜?」

 すでにポリバケツにゴミを集め終え、蓋を締めながら立ち上がったあたしと桜。いつの間にかオレンジがかった陽光が桜の黒髪の艶を際立たせる。

「あぁ、瀬戸っていつからその恰好でいるの?」

「……これね。……小学生の頃からよ。あたしあまり目立たない方で友達が一人もいなかったの……」

「……そうなんだ」

「うん。でもね、この恰好をしてからあたし、皆に話し掛けられるようになって、あたし自身も皆と話せるようになって……自分に自信が持てるようになったの。……本当、バカみたいな話だけど……」

 ……あたし何言ってるんだろう。

「瀬戸……。…本当は無理してたんじゃないのか?」

「……!?」

 その言葉にあたしは顔を桜の方に向ける。気付くと目頭がとても熱くなっている。

「……うん……うん。あたし……不安で恐くてたまらなくて…。自分が……自分が無地の色に思えてきて…それで自分に色をつけるために……」

 目頭がとても熱い。視界が霞んでくる……。桜は見てくれている。分かってくれている。

 無言であたしを見つめている桜。あたしは目頭を軽く押さえると、言葉を続ける。

「でも、今はそう思わない。あたしは……あたしらしく生きるために『これ』が必要だったのよ。だから今は後悔してないわ。『あたし』はこれで『あたし』なの」

「……瀬戸は強いな」

「…そんな事ないわよ。あたしからすれば、桜の方がよっぽど魅力的だと思うわよ」

「……おれが?」

 桜が首を傾げてあたしを見つめる。

―――……?

 そう言った桜からは言いようのない威圧感があった。あたしの言った言葉を否定するかのように。

「おれに魅力なんかないよ。……逆におれは瀬戸がうらやましいよ。哀しいけど、人間の価値を決めるのは、最終的には他人なんだから。……瀬戸は認めてもらえたんだよ」

 その時、桜が確かに微笑んだ。それはあたしが初めてみる笑顔だった。でも、その笑顔にあたしは凍り付いた。オレンジの陽光に照らされた桜の調った顔。


 細く開かれた瞼と、その中で黒々と光を全く感じさせない眼球。


 綺麗な程に頬で釣り上がった唇。


 陽光を後ろから浴びているせいか、顔にできた影。

 

……全てが綺麗な程に、あたしに『恐怖』を植え付けた。……どうやらあたしの思っている程以上の『何か』を桜は持っている。そう、この『恐怖』の答えを。                        そして、それは誰にも認められない『モノ』。

「桜……あんた―――」

「!? ……あ」

 あたしの言葉と程同時に桜が言葉を発した。今の桜にはもうさっきの威圧感は感じない。

「瀬戸、ごめん。知徳が委員会終わってうちの教室にそろそろ来る頃なんだ」「……あ、そうなんだ」

「あぁ、そういえば、知徳の奴、委員長になるとか言ってたから今年の文武祭はかなり目茶苦茶になるかもな……じゃ、またな」

 そう言って桜はオレンジ色に染まる学校の中へ消えていった。

―――あれは……桜なの? 一瞬垣間見た桜の表情。とても入り込めそうにない所にいるようだった。近づくと、それだけで身を切り裂かれてしまうような……。


 誰も近づけないように……。


 誰にも知られないように……。


 あたしはポリバケツを置いたまま、桜がいた花壇に足を進める。……まだそこに桜が居るような感覚がする。           そして桜がいた所で膝を折る。色とりどりの花が咲いている中、桜がいた場所だけにはまだ、ツボミさえ付けていない花らしきものが生えているだけだ。

「……なんの花なのかしら……!?」


 ……そして、あたしは見てしまった。


「な…に……これ」


 花壇に生えるツボミさえまだない花らしきもの。その根本に無数に散らばる―――


―――バラバラになった蟻であった『モノ』の存在を。


「……桜…これ……あんたがやったの……?」


 背中を冷たい、静電気のようなものが流れていく。


……桜を疑いたくはない。


……でも、もうあたしは桜のあの表情を見てしまったから。


……欲望を必死に押さえるかのようなあの顔を。 


ツボミを付けない花らしき草は散らばった蟻であった『モノ』の墓標の様にオレンジ色の光の中、その存在を主張していた。





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