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7/12

殺意:牙沃

 張り詰めた感情が琴線を弾き、切れたとき……。


 ……俺は俺でなくなる。


 教室に最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。皆それぞれ動き出す中、俺は席を立つと教科書をロッカーに戻す。小さな空間に教科書を閉じ込めたことを確認すると俺は足早にその場を後にする。

 ふと、教室に視線を送ると、既に恋華達の姿はなかった。          暑苦しく人が賑わう廊下を抜け、この箱庭から逃げだせる入口を足早にまた抜ける。そして、一段と暑苦しい通学路をいつも通り俺は家に帰るため歩いていく。季節はすっかり夏になり、既に日照時間は長く、まだ辺りは明るい。生温い風が俺の正面から吹き、生臭い臭いが鼻をつく。視界に映るのは見慣れた風景。……しかしどこか違う。

……そう、答えはわかっている。

俺は舞い上がった髪をどうする訳もなく、ただひたすら生臭くなった道を歩

き続けた。         

と、家まで後少しという所で足が止まった。俺の視界に映るのは見覚えのある髪……それは腰まで届く位の綺麗な灰色の髪。

俺はその髪を持つ女を今の所一人しか知らない。

―――…恋…華?

意識とは裏腹に足が前にに進み出す。明らかに異常な雰囲気……後姿しか見え

ない灰髪の女の周りを複数の女と男が取り囲んでいるのだ。

 そして俺の足が集団に届く前に、集団は脇道に消えていった。

……俺はまた足を止める。目の前には集団が消えて行った脇道。俺はこの先が行き止まりだと知っている。……そして人気が全くないことも。

 頭に過ぎるのは今日の出来事。昼に起きた一方的な感情の嵐。

―――……俺には関係…ない…

 そう、俺には関係ない。もう俺は恋華達から離れた身だ……理由だってあったじゃないか。

 震える手。噛み締めた唇。一筋の紅い線が口元を流れた。


「俺には……関係ない」


 俺は紅い線を拳で拭うと、足を一歩踏み出した。



……その、脇道へと。                           



小さな頃、俺はよくここで遊んでいた。それはまだ知徳と会う前の話。その頃から母親が家にいなかったのを思い出すと、もう俺の父親はいなかったと思う。

 その頃の俺は『殺意』にかられ、小さな生き物を手に掛けまくっていた。

 その脇道を見つけたのは俺が道端の蟻の足を一本一本引き抜いていた時。そしてなぜか……幼かった俺にこの脇道はかなり魅力的に感じたのだった。     

それをなぜと聞かれたら……理由を言うのは難しい。ただ、暗くて狭い、音の全てを飲み込んでしまうような高いコンクリートの壁に俺が興奮したのは事実。


そして俺は脇道に足を踏み入れた。


その道は外界から忘れられたような寂しさを醸し出しているようで、ひどく肌寒い。進に連れて広がりを増すコンクリートのシミは俺に恐怖より好奇心を与えてくれた。        少しするとそこにはコンクリートの壁、壁、壁。

 ……もっと複雑に入り組んでいると思っていたが、案外簡単に行き止まりになっていた。

 ……胸を踊らせていた俺はその簡単な終末に落胆したのを覚えている。

 だが、俺はその時見つけたのだ。……コンクリートに囲まれた中に新しい『殺意』を。

 俺はその悪臭が堪らなくいい匂いに思えた。近づくたびに俺に纏わり付いてくる蝿の群れ。そしておびただしい蛆や見たことない虫達に寄生された……生き物であり、猫であったモノの残骸をその視界に捕らえた。


―――ドクンッ



 ……俺は多分笑っていたと思う。

―――……ナンダコレ?

 コンクリートの壁に囲まれながら嘲笑う女達。その女達が見下すのは男達に羽交い締めにされ、衣服を破られている女。そう、灰髪をもつ……恋華。


―――ドクンッ


「…ははは……」

 声が出た。まだ特に感情はなかったと思う。

「!? ンだぁ!? テメェ!!」

 声に気付き集団が俺に鋭い視線を送る。そしていかつい坊主頭の男が一人、俺に近づいてくる。だが、俺はたいして気にせず、あの女に視線を落とす。 視線を合わせた、あおい瞳をもつ女は何も言わず俺に静かに微笑んでいる。


―――ドクンッ


『ははははは……こんにちは、シオン君?』     


グルグル回る視界の中で誰かが笑っている。コンクリートの壁のシミがドンドン広がっている。その中に誰かいる。俺に敵意を向ける奴が。


―――アレハ…ボクノ……オモチャ?


「ははははは―――」


 可笑しい……可笑しすぎる。


―――ドクンッ


 ……俺はオモチャに向かって静かに歩き始めた。














 ……なんでだろう…酷く、目ガ回ル……。まるで頭に全身ノ血液が逆流しテいルみたいだ。気持ち悪クて、トても気持チいイ。……ねェ? ……こコは…ドコナノ―――?



「ぐあぁっ」

 ボクは伸びてきた足を首を傾げて避けると、異様に大きい『蟻』の頭をその手の中に収めた。

 感じたことのない生暖かく、気色悪い感触が掌に伝わる。それは今まで見たこともなく、掴んだことのない『蟻』の感触。ボクはとても嬉しい。だって、ボクの前には六個のオモチャ。全部ボクのために存在している。だからどうしようがボクの勝手。……そうでしょ?

「ひゅーんっ」

 ボクはその『蟻』を掴んだまま一歩二歩と駆け出すと、勢いよく大きな『蟻』をコンクリートの壁に頭から打ち付けた。

「ごあっ」

 人間のようなうめき声を上げて『蟻』はコンクリートの壁に吸い込まれ、動かなくなった。ボクは手の力を抜き、ピクリとも動かなくなったオモチャを地面に開放すると、他のオモチャに目を向けた。

「……ねェ? 動かなくなっちゃったよ」

 それはすごく自然な笑顔だった。……そして恐怖を植えつけるのも。

「ひぃ!」

 大きな『蝿』が人間のような声を上げてその場に座り込む。

「ダメだよ? まだボク遊びたりないモン」

 ボクは遊んでもらおうとガタガタ震える『蝿』に近づく。

「今度は何して遊ぶ?」

「テメェ!! ふざけんじゃねぇ!」

 声のする方を向くと、こんどは大きな『団子虫』が沢山の足を波のように動かしボクに向かって走ってる。

「あ、君が遊んでくれるの? 嬉しいなぁ〜」

 『団子虫』の触覚がボクに向かって勢いよく伸びてくる。ボクはその触覚を掴むとグイっと自分に引き寄せた。

「こらぁ〜? そんなに慌てなくてもいいよ?」

 ボクはビクリと身を震わせた『団子虫』の顔をまた掴むと、手前に引く。そして前のめりに倒れてくる『団子虫』の顔下に右膝をねじ込んだ。

「!? ぼっ!?」

 『団子虫』は口から茶色の液体を吐き出すと同時に、波打っていた沢山の足が動きを止める。

「……ハァ〜……もう疲れちゃったの? つまらないよ…」

 動かなくなった『団子虫』を顔の前まで持ってくると、俺は手に力を込める。ミシミシと音を立てて、『団子虫』の顔が歪んでいく。

「やめろ! 死んじまうっ!」 

 横からきた強い衝撃に、身体が宙に舞う感じがした。…誰かがボクにぶつかってきたみたいだ。

「何なんだよっ! お前は!!」

 ボクを支えてくれたコンクリートに背をつけたまま、視線を上げる。どうやら『団子虫』をボクから取り上げたのは、あの『油虫』らしい。

「……なんで…」

 …悲しい。とっても寂しい。

「……なんでボクをイジメるの?」

 ふと、コンクリートの壁に広がるシミがボクを包む。

「イカレてやがっ!?」

 『油虫』は鳴くのを止めたらしい。だってボクが捕まえたから。

「ヒドイな……虫のくせに。ボクのオモチャのくせに」

 ボクは『油虫』の顔を掴んだまま、手に力を込める。

「!? ばっ! ……やべろっ!!」

 ごぶっという音と共に、ボクは『油虫』をコンクリートの地面に身体を開放した。ピクピクと小さな嗚咽らしい声を発しているが、もう遊んでくれないのは確かだった。

 少しの間、『油虫』を見ていたが、興味がなくなったので次のオモチャを探す。

「……次はだれ?」

「お願い! 許して!」

 鳴き声の主はメスの『蟷螂』。…それも三匹もいる。

「ん〜? 何を許せばいいのぉ? そんなことより遊ぼう?」

 ボクは『蟷螂』に向かって足を進める。

「知ってる? たまに蟷螂のお腹には自分の子供以外の寄生虫がいるんだよ? キミのお腹にもいるのかなぁ〜?」

 ……ボクの世界は歪んでいる。視界全てが歪みながら渦巻く。

「こないでェ!!」

 

 ……あァ。何かに引っ張られるように意識が擦れていく…。底のない沼にはまっていくように、確実にゆっくりと。


『シオン? やっぱりお前には俺しかいないんだって』

 

姿の見えない誰かがボクに話しかけてくる。心地よい声。ボクはその声に聞き覚えがある。


『さぁ、自分の思うがままに行動するんだ。…なぁーに、怖いことなんてないんだよ? 自分のタメにやる事なんかに恐怖を感じる方がおかしいんだから』

 

その声、一言一言がボクの身体を確実に何処かへと沈めていく。多分それはボクがいるべき場所なんだろう。


『行こう……シオン―――』


「―――シオンっ!!」

 

…と、割ってくるように聞こえたその声に、沈みいく身体がいきなり静止したと思うと、一気にそれは浮き上がって行くような感覚に変わる。ボクに…眠りから覚めろと言っているように。


『……ちぃ……』

 

悔しそうに…最後に聞こえた声に、何故かボクの口から笑みがこぼれた。



「シオン! ねぇ、シオン!!」

 パシっという頬に走る痛みと共に、俺は静かに瞳を開く。まだグルグル回る視界。襲ってくる吐き気。ズキズキと俺を苦しめる頭痛がそれに拍車をかける。

「…ここは…」

 ずれる焦点を無理やりなおし、俺は自分に張り付いているモノを視界に入れる。


『……!?』


 目の前には割れて、ドス黒い肉と液体を覗かせる頸。潰れた瞳から零れるものは濁った茶色の液体。あらゆる場所から湧き出る蛆と色とりどりの屍虫。それらを纏った、大きく裂けた口を持つ『猫』……いや、『だったモノ』はいつか俺が会ったモノ。

「…シオ…ン」

 俺に向け吼える肉塊。折れた爪が俺の肩に食い込み、そこから何かが俺の中に侵入していく。パリパリと、皮膚のすぐ下を蠢く何かに俺は、嫌悪感と共に身体を振るわせる。

「……うわぁ!」

 蠢いていた何かは、音も、痛みもなく俺の皮膚を突き破り出てきた。

現れたのは、数え切れないほどの『ムカデ』。そいつらは皮膚を破っては数え切れない足をまた俺の皮膚につき立てると身体の中に消えていく。

「あぁぁぁぁ!!」

 

 …俺はどうなっちまったんだ。もう元には戻れないのか?


「シオン!!」

 はっきり聞こえた声に、風船が割れるみたいに俺の思考が元に戻った。目の前には見覚えのある行き止まりの場所。俺がよく遊んだ思い出の……

「何か言ってよ! お願いだからっ!」

 ……思い出は消え、代わりに現れた二つのあおい水晶玉。少々水に濡れているのか、輝きが鈍く思えたが、それはそれで魅力的だった。

「…恋華……」

 その単語は割と簡単に俺の口から零れた。

「シオン…シオン、シオン! ……バカぁ…」

 黒とも白とも言えない髪を掻き乱しながら、俺の首元に顔を沈める恋華。絶え間なく聞こえてくる恋華の嗚咽に俺は驚きを隠せない。あんなに凛とした態度の恋華が子供のように俺に泣きすがっているのだから。

 …そして次の瞬間、俺は自分がした取り返しのつかないことに気が付いた。

「……これは…」

 コンクリートの壁にもたれかかるは坊主頭の男。少し離れた場所で、口から紅い液体を流しながら首を押さえる男。そのすぐ隣では、頭を押さえながらまた、男が呻いている。


―――…なんだ……結局逃げられなかったか……もう、ダメなのか…


 俺は自分の意志の弱さを呪うと共に、そのまま鋭く瞳を残る女達に向ける。

「…おい…」

「やめて! お願いだか―――」

「黙って聞け!!」

「!?」

 俺は口を押さえる女たちに短く伝えた。

「もう、恋華に近づくな。…もし、またこんなことがあるようならその時は……容赦しない」

 俺は顎で『消えろ』と女達に促すと、一目散に、コケながらも女達は消えていった。

「……ついでにこいつらも連れてけよ……まぁ…いいか」

 俺は視線を自分の首元に戻す。まだ、恋華は泣き止まない。

「恋華…」

 俺は自分に抱きつき、一向に離れようとしない恋華に声をかける。


 …なんだ、発作でもない、この感情は…?


「……離れろ…」

「ヤダ!」

 即答されてしまった俺は次に何を言っていいのか分からず、適当に言葉をつなげる。早くここから消えたいというのもあるのだろう。

「……くすぐったいんだよ」

「知らない」

 ……どうやら今日の恋華は一筋縄ではいかないようだ。

「恋―――」

「じゃあ!!」

 俺の声を掻き消すように、恋華が顔をいきなり上げる。目蓋は既に赤くなり、あおいめも心なしか、あかい気がする。

「何で……私を助けたの?」

「……」

 恋華に言われ、口を閉ざす。…実際、俺は恋華を助けたというよりは、暴れた……というのが正しいんだろう。

でも、俺はあの時、何故、脇道の前で悩んだんだろう。……何でここにきたんだろう。

「…何を一人で悩んでるの? 私達じゃ力になれないの?」

 一向に口を開かない俺に恋華が呟く。責めても、問いただしてもいない、恋華の優しい言葉。……でもそれが俺を狂わせていく。いずれ周りの皆までも。

 だから俺は離れなくちゃいけないんだ。もう、俺はこの『殺意』からは逃げられない。…だから……。

「俺は…」

 瞳を閉じながら紡いだ言葉は震えていた。

「俺は一人でいい……お前らなら俺がいなくても―――」


『―――!?』


 言葉が出なかった。…いや、止められたと言った方がいい。開いた目蓋から見た景色は薄暗い。そして、俺の唇は柔らかい何かによって塞がれている。

「……!? お前っ」

 瞬きをした瞳が見開かれると同時に、俺は後ろに飛び退く。俺と同じく瞳を開いた恋華は微笑むと指を立てて、それを左右に振った。

「それ以上は言わせない。私は本当のことを言ってくれるまでシオンからは離れないよ……それは皆も同じだから…」

「……っ」

 俺は恋華に背を向けると走り出す。ここはもう、俺のいる場所ではない。コンクリートの壁のシミも気づけばもう跡形もなく消え、壁の向こうからは明るい家族の笑い声が聞こえてくる。

「……俺は……俺は……」


 ……今まで感じたことのない感情が胸の中に根を張り始める。

 殺意でも、憎悪でも、畏怖でもない何か。

「……」

そっと触れた唇にはあの女の温もりと、強い意志が残っている。

「ちくしょう…上手くいかねぇ……」


 

 ……俺の道は行き先が分からない。…何故なら君がいとも簡単に俺の行き先を変えてしまうから。














汚してやる。

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