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殺意:夢乱

 ―――白い場所。そこに俺はいた。時間という鎖から切り離されたような、とても心地がいい場所。

 ドアも窓もなく、ただ視界の限り広がる場所。俺は自分でも感じた事のないくらい、穏やかな気持ちになっていた。

 視界全てが白い場所で、白い服を着た俺。なんでだろう、なんでこんな気持ちになるんだ。今なら空も飛べそうだ。この空間に空があればの話だけど。

 そんな気分の中、気付くと目の前に人が立っている。後ろを向いているが、がっしりした体格から男と分かる。そしてその男も俺と同じで白い服を身に着けている。

 じっと、見ていてもピクリとも動かない男。その背中からは何か懐かしい感じが漂っている。

 とても広く、寄りかかりたくなるような背中。

 俺はその男の顔をどうしても見たくて近づこうとする。でも、白い床を何度踏みしめても前に進む事はできなかった。声を―――。そう思っても声が出ない。近く、でも遠い距離。

 手を伸ばせば届くんじゃないか。俺は必死に手を伸ばす。何でこんなに俺は必死になっているんだ。訳も分からないまま後ろを向く男に向ける執着心。バカだな、と思いながらも、俺の手が白い空間の中、伸びていく。

 しかし、俺の行為は突然現われたモノによって阻止された。

 影。男の影がいきなり浮き上がり、実体化したのだ。

 いきなりの出来事に俺は目を見開いた。俺と男の間に現われた真っ黒な人間。気持ちが悪いくらいの黒さだ。見ているだけで吸い込まれそうになる。しかも男の自身の影だからだろうスッポリかぶさり、視界から遮られてしまった。

 そして俺は次の瞬間、何が起きたか理解できなかった。

 鮮血―――飛び散る何か。ソレを凝視した俺は驚愕した。

 手を振り上げた黒い影が男の身体を見事なまでにバラバラにしていたのだ。

 切断された男から飛び散る鮮やかな紅い液体。意味が分からない。ナゼ? ナゼ男は細切れになって宙を舞っているんだ。

 バタバタと気持ちの悪い音と共に、今は肉塊と化した男が白い床に崩れ落ちる。勢いよく肉塊から溢れ出す液体。それは見る見るうちに白い床を紅く染めていった。

 その侵食の中心で影は広がっていく紅い床を見ているように見えた。

 ナンデダヨ―――。

 俺の胸に何かが芽生え、渦巻き始めた。なんでこんな光景になるんだよ。あの心地よい場所は、あの気持ちはどこにいったんだよ。

 宙で拡散した紅い花火の残骸が俺の服を斑模様にする。俺の身体に染込んでいく紅い斑。胸に渦巻くモノが全身に広がりはじめた。俺は、俺は―――。

 影は目の前にいる。俺の居場所を汚し、犯した影がいる。

 殺してやる。

 バラバラになった男の頭が紅い水溜りに沈んでいく。

 グシャグシャにしてやる。俺の身体に渦巻くもの全てを殴りつけてやる。

 絶対殺してやる。絶対に後悔させてやる。ゼッタイ―――。

「おい? シオン、平気か?」

「……あ……う」

 何かに呼ばれて俺の重い瞳はゆっくり開く。

「……あ……う……じゃねぇよ! 起きるなら起きろ!!」

 霞がかった視界が捉えたのは白いモノそして―――。

「!?」

 視界一杯に現われた顔。それは紛れもなく知徳だった。とっさに俺は上半身を勢いよく起こす。それに知徳は驚いたのだろう、上半身を仰け反らせて隣の空ベッドに倒れた。

「……何だ?」

 少し動揺したが、すぐに今自分の置かれた状況を返答と共に確認する。

 だるい身体を精一杯動かし、見渡す白い部屋。開いた窓から入り込む風になびく、少し黄ばんだカーテン。上半身を起こした俺が長座をしている白いベッドは保健室の持ち物だ。

「保健室……どうしてだ……」

 答えを求めた俺は隣のベッドで起き上がろうと、挙動不審な行動を取っている知徳に視線を向けた。

「このっ、いきなり起きんなよ! ったく、焦ったぁ……。」

 ベッドメイキングを終えた知徳はそのまま腰掛けると言葉を続けた。

「どうしてだって? お前な、一時間目の途中で倒れたんだよ。バタっとな。マジ焦ったんだからな」

 どうやら俺は重度の発作に意識を失っていたようだ。

「まったく、ここまで運ぶの苦労したしよぉ! お前何気に重いし」

 こいつに少しでも病み上がりの人間に対しての労いの言葉はないのか。不満たらたらの知徳の言葉に俺は身体の感覚を取り戻した。

「悪かったな、知徳」

 頭から下半身へと下がっていく血液を感じながら視線を窓にうつす。窓から風と共に入り込む日差しが少し赤らめている。そのせいか、黄ばんだカーテンがますます黄ばんで見える。その日差しは起きたての目に沁みた。

「今は何時間目だ?」

 視線を窓から知徳に戻す。

「もぅ放課後だよ。 ずっとグーグー寝てたと思えば、いきなり唸りだして……ったく、お前は学校に眠りに来てんのかよ。 あ〜、うらやましいねっ!」

 余韻を残してまたベッドに倒れこむ知徳。その言葉にさっきまで見ていた夢が再び脳裏に浮ぶ。

 白い場所。男。バラバラ。紅い床。影―――。

「……ぐぅ」

 また胸に痛みが走る。目が熱い。頭の血が目に集まってくるようだ。

「……おいっ! シオン!? どうした!?」

 ベッドから起き上がった知徳が近づいてくる。

「……」

 喉が渇いた。頭がグラグラする。脳がシェイクされてるみたいだ。

―――くそ…またか……知…徳……

 校則を無視した明るい髪。金色のトゲトゲ頭が潤んだ瞳に映る。

―――……紅……合いそうだ。この…金髪には

「おい! シオン? 何とか言え!」

 相変わらず知徳が眉を歪めながら俺の肩を揺すっている。あぁ、吐いてしまいそうだ。力が抜けていく。

―――アカく……全部

 染めてしまいたい。俺は歪む世界の中で見えた、一人の人間に両手を伸ばす。俺の両手はその人間の顔をとらえようとした。

「シ…オン?」

―――声が聞こえる。誰だろう。……いいや、もう

 あと少しで手が届く。そう、そしたら握るんだ、ギュッて。面白いんだよ。

―――おもしろ……

 紅く染まっていくカーテンが視界の隅に映った。ヒラヒラとまだ風で揺れている。ヒラヒラ……ヒラヒラ―――

 

オカアサン。オトウサンハドコニイッタノ?


「桜君っ! 身体は平気!?」

―――!?

 その声に身体が反応し、意識が急速に醒めていくと同時に、俺の身体を何かが引っ張っていく。

―――この声は……

勢いよく開かれた紅いカーテンに視線を向けると、立っているのは紛れもなく恋華だった。

「お前……」

 そこで俺は言葉を止めた。両手に違和感を覚えたからだ。両手の先がプニプにしている。目を泳がすと俺の両手の中で知徳がブスっとした顔で俺を睨んでいた。

「……悪い」

 とりあえず謝り、両手を知徳の顔から掛け布団の上に戻す。でも知徳の顔の歪みは取れず、俺をまだ睨んでいる。さすがに言い訳は無理だろうか。

だが、少しすると知徳は何も言わずに顔の歪みを取り、一つ溜め息をつくと恋華に視線を向けた。

「やぁ、恋華チャン! シオンはもう平気だよ。危ない道に走るくらいにね!」

「!?」

 知徳の予想もしない発言に俺は反論をしようとしたが、恋華がいる手前余計な事は言わない方がいいと思い、口をつぐんだ。それが良かったのか、無言のまま、ほぼ放心状態だった恋華の顔に笑顔が戻った。

「もぅ、知徳君たら!」

 そんなにおかしいのか、お腹を抱えて笑う恋華。一応、助かったみたいだ。一方知徳は未だ顔に少し影を浮かべていたが、保健室の時計を見るといつもの慌て顔に戻り、頭に手を置いた。

「おっつ、ヤバッ! もうこんな時間かよ。俺、委員会あるからここらで失礼するぜ」

「委員会?」

「そっ! 企画委員だからな俺! コレでも委員長なんだぜ? 今年のイベントは任せときな!」

 知徳は悪戯に舌をペロリとだし、恋華の笑顔を誘うと、満足したように今度は俺に顔を近づけた。

「シオン、お前が倒れたとき、一番心配してくれたのは恋華チャンなんだぞ」

 耳元で囁く知徳の言葉は俺の鼓動を速くする。

「保健室に運ぶ時だって、恋華チャン一緒に手伝ってくれたんだぞ」

 俺は終始無言のまま、知徳の言葉を聞く。そんな素っ気ない俺に知徳は言った。

「お前が恋華チャンを嫌うのは勝手だけど、お礼の一言ぐらい言ってもバチは当たらねぇと思うぞ」

 そう言い残すと知徳は俺から顔を離す。

「じゃ、そーゆーことで! 恋華チャン、後はお隣同士ということで、親睦を深めてくださいな」

 知徳は絡むカーテンから逃れると、保健室を足早に去って行った。

 静けさを取り戻した保健室。紅く染まる保健室の中で俺と恋華は無言の時間を過ごした。

 はぁ、静かだ。心地がいい。この女が近くにいるのに。いつからだろう、この静けさを忘れてしまったのは。

 どれくらい時間が経ったのか、保健室がうっすらと暗闇に犯され始める中、俺は静かに恋華に視線を向けた。

 交差する視線。そっと微笑んだ恋華はずっと俺を見ていたのだろうか。

「やっと、見てくれた」

 恋華はそういうと首を傾げた。

「横、座ってもいい?」

 恋華の問いかけに俺は静かに頷いた。発作もこないようだ。

 少し冷えてきた風がこっちに足を進める恋華を包む。風自体もう勢いをなくしていたが、恋華の灰色の髪をなびかせるには十分だった。

「よいしょ」

 恋華が隣のベッドに腰をかける。ギシっという音と共にベッドのスプリングが縮む音が聞こえた。

「もう、寝てなくて平気なの?」

 恋華の声が俺の身体に浸透していく。薄暗い保健室の中、視界の隅であおく輝く二つの光が見えた。

何か少し恥ずかしくなってきた。俺は恋華に背中を向けると横になった。

「平気だ、心配ない」

 顔が少し熱くなってきたが、発作ではないようだ。

「そう……何かやっと話ができたね」

 少し元気がないような声だったが、恋華は言葉を続けた。

「びっくりしたんだよ? いきなり椅子から倒れ落ちちゃうんだから。転校初日でハラハラしましたぁ」

 恋華は静かに笑っているようだ。その笑顔を少し見たいと思ったが、振り返る気にはならなかった。

「悪かったな。転校初日で面倒なことにして」

「ううん。いいの、だってこうして話せてるし。だって桜君、私に素っ気ないんだもん」

 俺は何も言えなかった。しょうがない、俺はこの女を一目見ただけで重度の発作を起こしてしまったのだ。一緒にいないほうが俺の―――恋華のタメでもある。

 また沈黙が訪れた。このまま先生が戻って来るまで寝てしまおうか。そうすれば恋華も帰るだろう。

俺は目蓋を閉じる。その時、ギシっという音が背後でした。

 俺は背後を確認しようとしたが、きっと恋華が帰るのだろうと思い、そのまま動こうとはしなかった。

だが、少しすると今度は俺の背後が静かに沈んだ。

俺の身体は硬直した。背中に感じる確かな温もり。優しい匂いと共に、柔らかい糸のようなものが俺の頬を撫でる。

―――まさか……

 でも、目を開けることはできなかった。

「寝ちゃったの?」

 すぐ横で声がする。やはり恋華だった。

「……ずるいよ…シオンは」

 今度は頭を何かが滑っていく。恋華に名前で呼ばれた。だがそれよりも俺は頬に何かを感じ取った。

 右頬に触れる柔らかく、温かいモノ。小さな吐息が頬に当たる。ほんの一瞬が小一時間のように思えた。

「ばいばい。また明日ね」

 その声を最後に俺の背後から温もりがスッと消えた。少しするとドアの開閉音と共に廊下を歩く音が響き渡る。

 俺は発作がおきなかった事に安堵すると、火照る身体をベッドから起こし窓辺に顔を向けた。

 保健室がある旧館と新館を結ぶ渡り廊下。点灯と消灯をくり返す蛍光灯の下で、銀色の髪をなびかせながら歩く少女がいる。

「恋華……」

 意識とは別に出た言葉。その声が聞こえたのか、恋華がこちらを向いた。

 絡む視線。一瞬だったが恋華は確かに微笑んだ。あおい瞳を暗闇に輝かせて。そして恋華は 俺からの反応は望めないと分かっているのか、すぐに前を向いた。

―――気付いてたのか…。転校初日からよく分からない女だ

 俺は静かに手を上げた。右手がとらえた虚空を歩く女。凛と前をただ見つめている。

―――一体何がしたいんだよ……

 だが、知徳の言葉も一理ある。あの馴れ馴れしさは癇に障るけど、俺を心配してくれたことは確からしい。しかも知徳を、もしかしたらこの手にかけていたかもしれない。それを偶然だが恋華は止めてくれた。そう思うと何も言わないのは確かに悪いか。

「……ありがとう」

 暗闇に吸い込まれる言葉。夜風が言葉を広げていく。

 あぁ、明日からどうなるんだろう。俺はこの発作を抑えられるんだろうか。

 左手で右頬を押さえる。まださっきの温もりが残っているみたいだ。

 複雑な胸の内に苦笑いしながら俺は、新館に消え行く虚空の女をそっとその手で握り潰した。











―――恋華 クリスティ。

 昨日俺のクラスに転校してきた、馴れ馴れしい女。

 生まれも育ちもロシアのモスクワで、ロシア人と日本人のハーフだそうだ。

 そしてこの女は一瞬にして俺の精神を凌駕した。

「……」

 俺は眠い目をこすりながら机の上に顔を沈めている。んん、目頭が熱い。

 きっとこれは俗に言う寝不足だ。あぁ、初めて体験するけどこれはキツイ。

昨日の夜はろくに眠れなかった。何故眠れなかったか? その答えは簡単だ。

 顔を少し右に傾ける。視界の端でとらえるのは食い入るように黒板を見つめる女。

―――……恋華

 こいつは気楽でいいな。昨日、少しでも発作のタイミングがずれていたら間違いなく俺の手にかかっていただろうに。

 夢にまで出てきた女。夢の中で殺そうとするとすぐに目が覚める。だから想像の中で手にかけるのだが、そうすると興奮して眠れない。少しすると眠気はくるのだが、またあの女が頭に浮び……これの繰り返し。

 今日だってそうだ。ことごとく、毎時間暇さえあれば灰色の髪の隙間からチラチラとあおい瞳でこちらを見てくる。何なんだ、本当に。

「意見はないかー!!」

 聞き覚えのある大きな声に重い頭を上げる。教壇では金髪のオールバック男が吠えている。

「二日間……こいつは一年のうちで一、二を争うイベントと言っていい! 去年、青春を堪能した者、その裏、ゴミ拾いで二日間を棒に振った者!! 今年はいくぞ!! 俺たちの「文武祭」!!」

 金髪のオールバック男は唾を吐き出さんばかりに力説すると、乱れた髪を整えた。

「知徳。で、今回は「文武祭」で何をやるつもりなのだ?」

 一人の男子生徒が息を切らすオールバック男に聞いた。

 ―――文武祭。簡単に説明すると、体育祭と文化祭を合体させた行事だ。

 体育祭をしながら文化祭をし、文化祭をしながら体育祭をするのだ。ちなみにこの「文武祭」には得点制がちゃんと有り、体育祭は一位からもちろん、文化祭は売上げ、盛り上がりなど、お客のアンケートによってきまる。そしてそれに応じて賞品がもらえるのだ。

「今回は何をするか? ……俺はソレを皆に聞いてんだっ!!」

―――あ、そう言えば知徳は企画委員長だったな

 窓の外をふと眺め、木から鳥が飛び立つのをちょうど発見すると、もう一度壇上を見る。

なぜか知徳とさっき質問をした男子生徒がプロレスらしきことをしている。

「ふざけるなっ!! 誰がコスプレ喫茶なんてやるか!!」

 知徳が男子生徒……たしか彼は美化委員の田淵たぶちだな。彼の首を見事なまでに絞めている。

「こ、これは……遊びで…はない!」

 田淵が完全にきまっていたハズの技を解き放ち、スルリと、知徳と間隔をとった。

「知徳……お前は忘れたのか? うちのクラスに舞い降りたエンジェルの存在を?」

 田淵はクロブチ眼鏡を日差しに輝かせると、前髪を手ですくった。

「な……まさか…田淵お前!!」

 知徳の身体が震え始める。というか何だ、このヘタな漫才みたいなのは。

「恋華チャンか!! 恋華チャンにコスプレを!?」

 知徳が叫んだ。教室中…いや、学校全体に響き渡るほどの声だった。

「そうだ相棒!! 俺たちに敗北は無いのだ!!」

 田淵が叫んだ。もう、クラスの意見を聞く気もないらしい。

 そして……うちの担任はいまだ寝ている。このHRが始まってからずっと。程好い陽射しの中、よだれを垂らしながらスヤスヤと眠る顔を見ているとむしょうに鼻の穴に豆をつめたくなった。

―――起きて止めろよ……

 誰かこのバカどもを止めてくれ。段々クラスの連中が冷めてきている。

 そんな中、あの女の一言がクラスの雰囲気を一気に変えた。

「ねぇ、いいんじゃないソレ。やろうよ」

 俺は危うく椅子から転げ落ちそうになる。

―――なんだって!?

 恋華はクラス中の視線を浴びながら立ち上がる。立ち上がる瞬間、恋華の髪が鼻を擦り、俺はクシャミをしそうになった。

「喫茶店でしょ!? 私そうゆーの好きなんだぁ。皆は?」

 恋華はクラス中を見渡す。気のせいか、恋華は俺と目が合ったときだけ覗き込んできた。

「いいんじゃない?」「いいとおもうよ」

 ちらほら声が上がり始めた。

「衣装作るんでしょ? 早めに行動しようよ」「恋華チャンのコス……ふふふ……」

 皆、興味が一杯含まれた恋華のあおい瞳に引かれたようだ。

「田淵…いや、相棒……」

「俺達はやったのだ、相棒。「文武祭」はもらった!!」

 抱きしめあう二人。

―――こいつら…何で泣いてるんだ?

「桜君?」

 喧噪の中、聞こえた声に隣を見ると恋華がこちらに笑顔を送っている。

「何だ」

 まだ、こいつと目を合わせるのはやめよう。少しピントをずらして話すが、恋華はそれに気付いているようだ。

「も〜目ぐらい合わせてよぉ」

 子供みたいに頬を膨らませる恋華に、俺はますます目を合わせづらくなる。

「…で、なんだよ」

 せかす様に恋華に言う。話すのは苦手だ。

「うん。ちょっと聞きたいんだけど、コスプレ喫茶の「喫茶」って言葉は分かるんだけど、「コスプレ」って…なに?」

 その言葉に俺はバカみたいに口を開けて暫く固まってしまった。

「……内容が分からないのに…賛成したのか?」

「うん! 楽しみだね、桜君っ!」

 俺はクラスを見渡す。壇上で抱き合いながら泣いている二人を除くと、皆衣装やら予算がいくら必要か、などを話し合っている。もう、止められないだろう。

 恋華がまた何か言っているが、俺は無視して窓の外を見る。鳥がクルクル空で回っていた。

「もぅ桜君っ、無視しないでよ!」

 恋華が顔を近づけてくる。俺は慌てて椅子から立ち上がると言った。

「あの二人に聞けっ」

 担任は未だ起きない。よだれと一緒に鼻水を垂らしている。花粉症なのか?

 いいのか? あんたのクラスの出し物は「コスプレ喫茶」だぞ。

 まだ壇上で性懲りもなくあの二人は泣いている。泣きたいのは俺の方だ。

 この日、俺は初めて「コスプレ喫茶」というものをやることになった。

 


 堕ちていく。二度と上がってこられない、何かが渦巻く暗闇の中に。

 もう何も考えたくない。俺は俺の思うままに進むだけ。


 ―――喧噪。うるさく、とても目障りなハーモニー。

 気持ち悪いくらい晴れた空が教室に眩い紫外線を惜しみなく送る。そんな教室で繰り広げられるくだらない会話。その合間から聞こえるハサミで布を裁断する音。そして―――

「はりきってこーぜっ! お前ら!」

「今年は私達、「淡い桃色組」が勝利するのだ!」 

 ……バカが二人。

 あの話し合いの後、トントン拍子にことは進み、桜の木に青葉が芽吹く頃には「文武祭」準備期間に入った。皆思い思いの服、装飾品などを作っている。もちろん俺もだ。慣れない裁縫道具を片手に、綺麗に指に張られたバンソーコーを眺めながら猫の耳らしきモノを帽子に縫いこんでいる。

 考えてみればクラスの出し物に参加するなんて何年ぶりだろう。いつもかやの外からクラスの皆が楽しそうにしているのを眺めるだけだった。今は普通にこの空間に馴染んでしまっている俺がいる。

 まぁいいか。これも少しすれば「あぁ、そんなこともあったな」くらいの思い出にできるだろう。それより何でネコなんだ?

「シオ〜ン!」

 背後から気の抜けた声がする。今現在こんな呼び方をするのはアイツだけだ。振り返ると知徳がウェーブのかかった金髪を乱れないように手で押さえながらこっちに走ってくる。

「作業は順調か?」

 にっこりと笑う知徳。朝からあちこち走り回っているのにこの元気はどこから出てくるんだ? さすが企画委員長、このやる気は小さい頃から健在か。

「……見て分かるだろ?」

 俺は左手を知徳の顔の前にかざす。一ミリ単位で綺麗に指に張り巡らされたバンソーコーを見て知徳は口を歪ませると、俺の肩に手を置いた。

「なんだ? 言われた仕事はちゃんとやるぞ?」

「いや、俺が悪かった、お前なら何でも出来ると思ってたからさ。こんなにも出来ないなんて俺も予想外だ」

「……真面目な顔して言うな」

「ははは、な〜んてな。とりあえずここは他の皆に任せてシオンは道具準備の方に回ってくれ。俺もお前の指を見ていると切なくなる」

 含み笑いをしながら俺の手を眺める知徳。俺は渋々了解すると教室から離れ、新館から荷物置き場ともなっている旧館に足を進めた。

 教室から一歩廊下に出ると夏の熱気が一気に俺の周りを包む。ずっと涼しい教室にいたせいか、身体のだるさが押し寄せてくる。こんなかんかんに照らす太陽の下で作業している屋外班を少しは尊敬しようか。

 通り過ぎていく廊下でもあちこちで笑い声や釘を打つ音が飛び交っている。何がそんなに楽しいのだろう。ただ二日間のためにこんなにもやる必要があるんだろうか。

 俺みたいなやつは授業がないからいいか。そんなくらいにしか思わない。知徳がいなければ今までだって家で大人しくしていただろうな。

 少しすると新館と旧館を繋ぐ渡り廊下が見えてくる。そこから旧館に入ると新館とは違う、少しカビ臭い匂いが鼻を突く。また旧館は滅多に人が来ないせいか、埃もうっすらと溜まっているのが分かる。俺はあまり埃をたたせないように進むと、目的の部屋のドアノブに手をかけた。

 軋むドアから中に入ると一層カビ臭い匂いと共に、部屋自体が白く霞んでいるのが分かる。黄色がかった窓から差し込む日がむんむんとした暑さを演出している。

 一瞬あまりの不環境に口を手で覆ったが、一年に一回ぐらいしか開く事がないだろう部屋に少し同情し、手っ取り早く椅子などを持っていこうと中に入る。

 天井に届くくらい積み重なった椅子やテーブルに手をかけ下ろしていく。その度に舞う埃はあまりにもうざい。

―――なんで俺一人だけなんだよ……

 この不環境の中、埃まみれで俺は何をしているんだ。これなら裁縫で猫の耳を縫いつけている方がまだましだ。

―――とりあえずこの埃を何とかしないとな……

 俺は積み重なる椅子と机の間をぬって、錆びて茶色がかった窓枠に近づき、手をかける。気持ちの悪い、生ぬるい温かさが手を伝う。我慢して力を入れるが窓枠は少しも動かない。

 少し頭にきていたせいか、俺は珍しく何度も同じことをくり返す。だが、逆に埃が舞うだけで窓が開くことはなかった。

 俺は窓枠から手を離すと、脱力感にかられその場に座り込んだ。座った瞬間また埃が舞ったが、もう気にする気力もわかなかった。

「このまま帰ろうか……」

 俺は積み重なった机に背中を預け、目を瞑ると天井に顔を向けた。

日差しが目蓋を照らしているのが分かる。見えてなければあながちこの部屋もそんな

に悪くないかもしれない。そんな事を思いながら俺は目蓋をあげる。

その時だった、目の前に異様なモノを見たのは。

 そう、あおい玉が目の前にある。何かが渦巻くあおい玉が二つ。初めそれが何か分から

なかったが、次の瞬間ソレが何か俺は理解した。

「れ、恋華!」

 俺は飛び起きると机から距離をとった。何で今まで気付かなかったんだ、恋華は積み重なった机にぽつんと座って俺を見下ろしている。

「あ、ヤッホー。やっと気付いたんだね」

 あおい瞳をくりくりとさせ、恋華は微笑んでいる。

「お前いつから……何でここにいるんだ?」

 いきなり目の前に現われた女に俺は動揺を隠しきれない。一度ならず二度までも瞳を閉じた顔を見られるなんて。心脈が聞こえてきそうなくらい波うっている。俺は気を紛らわすために恋華に背を向けると、残った椅子を下ろしていく。

「そうそう、私、作業班から外されちゃったんだ……」

「…何でだ?」

 背後から聞こえる恋華の声はやはり透き通っている。

「うん。主役は本番で力を発揮してだって。田淵君が目を充血させて訴えてくるから……」

 ちらりと後ろを振り返る。恋華は少し寂しそうに首を下に下ろしていた。

「そうしたらトモが、桜君が道具を取りに行ったって言うから、手伝いにきたんだよ!」

 さっきとはうって変わって笑顔が戻った恋華。俺はとっさに顔を戻す。

―――トモ? …知徳のやつ……

 俺は黙々と作業に集中する。恋華はそんな俺の周りをまじまじと眺めながら回り、椅子やテーブルを部屋の外に出す作業をしていたが、少しすると退屈になったのか声をかけてきた。

「ねぇ、桜君?」

 埃まみれの部屋を清浄するような声。俺は相変わらず背を向けたまま応答する。

「…何だ?」

「桜君は…私のこと嫌いなの?」

「!?……いっ!」

 いきなりの言葉に俺は脚に椅子を落としてしまった。

 今度は脚か。痛みに耐えながら俺は恋華に顔を向ける。恋華は口を手で覆っている。

「ご、ごめんね、桜君平気!?」

 恋華は俺に駆け寄ってくると手を差し伸べる。とっさに俺はその手から逃れると立ち上がった。

「平気だ」

 俺は脚をさするとまた作業に戻る。恋華はぽつんと少しの間その場に屈んでいたが、す

っと立ち上がるとまた作業に戻った。

 沈黙が部屋を支配する。さっきまでの居づらいくらい穏やかな空気が一気に重くなる。

俺はどっちでもいいんだけど、恋華の分かりやすい落ち込みようを見ていると何故か胸がまた重かった。

「桜君…全部出し終わったよ」

 恋華の声が沈んでいる。あの椅子と机だらけの部屋にはもう光を遮るものもない。オレンジがかった光が部屋全体を夕暮れに導く。オレンジに支配されながらも恋華の瞳は相変わらずあおかった。

「……シオン…」

「…え?」

「シオンでいい。桜っていう苗字、あまり好きじゃないんだ」

 恋華に目を向けると影を落としていた顔が一気に灯りがともる。これでいいのか?

「うん! シオン!!」

 なんて分かりやすい女だ。

「俺、台車とって来る。荷物見ててくれ」

 俺はオレンジの部屋から逃げるように出て行く。一瞬恋華に視線を送ると、恋華の長い髪は灰色から淡いオレンジに染まっている。部屋に同調する女。

―――この埃まみれの部屋もここまで変るのか…この部屋も満足だろうな……

 オレンジの光のせいか、廊下に溜まる埃が輝いて見えた。

―――俺も何がしたいんだか…

 走りながら押さえた胸元。

 心臓が脈打つたびに全身に痛みが走った。




痛い。

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