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殺意:色哀

 過去の記憶が全てを終わらせる鍵になる。


 全てが終わった後、俺は一体どうなるんだろうか?



 ハァハァ……


 俺は日も傾きかけた帰宅路を走る。今更になって思い出した過去にケリをつけるために。


 ハァ……ハァ……


「……」

 立ち止まり、手を膝つき一息入れる。少しして息が調ってきたのを確認すると、膝から手を離し、前を見据える。                     


……そこには俺の家がある。                      


「……ふぅ…」

 一歩、足を踏みだし、重い鉄門を開け、敷地内に入る。ふと、視線を左にズラすと、そこにはキリカブがコンクリートの壁でできた影の中、ひっそりと存在している。


記憶では俺が三歳の時点でまだこのキリカブは『桜の木』だった。                 


―――……俺はこの桜の木が消えた事すら忘れていって言うのか……


 俺はキリカブの年輪に手をあて、そっと撫でる。湿り気のある、陽の当たらない場所にあるせいか、年輪は湿っていて、触り心地は酷く悪い。

            

―――ゴメン…逃げてたんだ俺……。でも、もう終わらせるよ……全部


 俺は小さく声にならない声をキリカブにかけると、キリカブの様子を触りながらうかがう。      

「……あ」

 と、俺はキリカブの裏にあるモノを見つける。まだ小さいが、それは紛れも無く桜の生命の息吹。               

「……芽が生えてる……桜の花……また見れるかな?」

俺は自分の愚かさを笑うと同時に叶わないかもしれない願いを想う。そっとキリカブから手を離すと、顔を家に向ける。俺の視界に映る家は、夕陽のせいもあるのか酷く歪んでいて、今にも崩れてしまいそうだ。

「……じゃあ、いってくる」

 キリカブに手を上げ挨拶をすると、俺は玄関のドアに手をかけた。




「ただいま」

 珍しく明かりのついている玄関。母さんは一通りの仕事を終えて、今日は早く帰ってくると言っていた。

「あら、紫苑お帰り……って、ど、どうしたのその恰好は!?」

 玄関に俺を出迎えた母さんは、俺の恰好を見て驚いたようだ。……まぁ無理もない、制服のワイシャツは血ど泥でドロドロなのだから。

「何!? あなた喧嘩でもしたの!? ケガは―――」


「母さん」


 俺は母さんの言葉を遮ると、靴を脱ぎ、母さんの前に立つ。

「……どうしたのよ紫苑……?」

 俺は暫く心配そうな目をしている母さんの目を見据えていたが、決心し、……あの言葉を口にした。


「―――ねぇ、お父さんは何処に行ったの?」


「!?」


 俺の言葉に母さんは声にならない程動揺しているようだ。瞳は見開かれ、眼球は震え、視点が定まっていない。


「……し、あ……あなた……何を言って―――」


 俺は母さんの言葉を聞き流し、足を家の中へと進める。

「紫苑っ!」

 そんな俺に母さんは声を震わせながらついてくる。それを横目に確認しながら俺は静かに、あの部屋に入った。


「……そう、ここだよね」


俺は居間の窓を開けると、母さんを見据える。何かに怯えるように、俺を見つめている母さんは、いつも俺が見て、知っている母さんじゃなかった。


「……母さん、思い出したんだ、全部」


 俺は窓の縁に手を置き、身体を預けると、窓の外に視線を移す。……俺の瞳に映る一つのキリカブ。ひっそりと人目を忍ぶ様に存在するもの。

「……何を…思い出したって、いうのよ……」


 俺はキリカブから視線を母さんに戻すと、何故か笑いたくなってきた。今まで答えはこんなに近くにあったっていうのに。


「……父さんは失踪したんじゃない……。父さんは……父さんは―――」


「紫苑っ!!」



『―――殺されたんだ』




 いつかまた、あの温かい手で頭を撫でてくれると思っていた。

 

いつかまた、あの大きな背中に抱きつけると信じていた。                      


でも……もう、あの俺が望んだ愛情は二度と帰って来ないんだ。



 



 まだ俺が小さかった頃。家には母さんの他にもう一人、男の人が住んでいた。……そう、今はいない俺の父親、父さんだ。俺は小さな頃、父さんがいる父さんの部屋が大好きで、父さんが仕事で篭っていた時でさえ、構ってもらおうと部屋によく行った。だけど、そんな俺に父さんは嫌な顔一つせず、優しくその温かい大きな手で俺の頭を撫でてくれた。


 自然と身体が、心が暖まり、笑顔が溢れてくる。


 温かな春先の陽光が射す部屋。その陽光を背に浴びた父さんの笑顔は、逆光の中、とても綺麗に思えた。

 

ずっと、こんな暖かい気持ちでいられると思っていた。


 ずっと陽光を浴び、温かくなった背中に飛び付くことが出来ると思っていた。

             


そして……俺は失ったんだ―――




 ある日、外で遊んでいた俺が家に帰り、鉄門を開けると、ふと違和感を感じ取った。

 ……言いようのない不安。胸の中で蝿の大群がうごめくような……嫌悪感。俺は駆け足で玄関から家の中へ飛び込むと、その嫌悪感の根本へ足を運ぶ。

 いつもとは違った意味で静まり返った家の中。光りから茜色に染まっているだろう、居間のドアを開けた時、俺は―――



―――見た。



 開いた居間の窓からはちょうどオレンジに輝く太陽が見えて、窓から風にのって入りこんだ桜の花びらが、夕陽に染まりながら居間を舞う。

 その誰もが哀愁を覚えよう場の中に『彼等』はいた。



 膝をつき、逆光の中、苦悶の表情を俺に向ける父さん。


 その父さんの後ろに立つ男は、父さんの首に巻かれたロープを両手で締めあげている。


 俺は男と瞳を合わせる。ふと、無表情だった男は俺の顔を見ると、小さく口元を吊り上げ、両手を上げるように背をのけ反らせた。


 ……最後に聞いた父さんの声…いや、あれは声じゃなかった、生命が故意に立たれた時の……嘆き。それは俺に虚しさを植え付けた。


 男が手を開くと、父さんはモノの様に、床に倒れた。力無く、人形の様に俺を見つめている瞳。居間を舞う桜の花びらが横たわる父さんの上に重なり、落ちていく。

 俺は動かなくなった父さんに近付くと、膝を折り、父さんの背中に上半身乗せる。


 桜の淡い香りと夕陽の暖かい光りが、父さんの匂いで温もり。



―――俺は……失った。










「紫苑……あなた…なんで…」

「なんで思い出したかって? ……思い出させてくれた奴らがいただけだよ」

 俺は母さんと視線を合わせると、目を細めた。

「……なんで黙ってたの? 母さん…」

「そ、それはあなたがまだ小さかったから―――」


「違う!!」

「!?」


 遮る俺の言葉に、母さんは肩を震わせ、口に手をあてると視線を泳がす。

「母さん……言ったろ? もう全部思い出したって。……今なら鮮明に思い出せるんだよ」

「…紫苑……」

 小さく首を下に向け、俺はまた顔を上に上げる。そして俺は過去への言葉を口にした。


「母さん……父さん……父さんを殺したのは―――」


「ははははは―――」


「!?」

「!?」


 いきなり部屋に鳴り響いた、人を嘲笑うかのような声。

 声の方を見ると、そこには見覚えのある男がいた。

 不精ヒゲで、少し長い黒髪を後ろで束ね―――


 その前髪の隙間から覗かせるその瞳は懐かしく、そして憎らしさを掻き立てる―――


「……こんにちは」

 俺は小さく会釈すると、笑みを浮かべる。そう……今、全てのピースが出揃った。

「貴方ですね―――」


 俺は視線を真っすぐ向ける。


「―――父さんを殺したのは……『智』おじさん?」


 …終局へと……殺意は進む。



「智さん! どうしてここに!? 待って、これは……」


 母さんが智おじさんに詰め寄るが、途中で言葉に詰まり、ただ智おじさんの上着の袖をただ掴む。

「……何、ちょっと暇になったから顔を見せに来てみれば……はは、だから言ったろ美佐江? 紫苑も―――」


『―――あの時に殺しておくべきだったんだ』


 自分が何を言っているのかを全く感じさせない智おじさんの言葉に俺の心音が静かに早まる。俺は智おじさんをそっと見つめ、目を細めた。

「智さん! やめて!!」

 母さんが声をあらげ、智おじさんの胸倉を掴む。けれど、智おじさんはそれを意図もせず、己の細く、その中に存在する俺と同じ瞳を俺に向ける。

「……はは、本当に聡に似てきたな、特に怒りを覚えたときに目を細めるクセはお前も受け継いだのか」

 口元を吊り上げ、軽く笑いながら俺に話しかけてくる男。


『殺せ』


―――うるさい……


 小さく、けれど次の瞬間には弾け飛びそうになるような感情が俺の胸を圧迫する。

「俺が憎いか? 殺したいか、紫苑?」

 男は俺に問い掛ける。

「でも、お前は全て思いだしたんだろ? じゃあ、分かるハズだ……なぜ自分の父親が殺されたかを…」


―――ドクンッ


 男の問い掛けは男の記憶を呼び覚ます。


「……分かっています」



―――分かってる……




 愛されたかった。どんな酷いことをされても良かったんだ。


 いつかまたあの温かい掌が自分の頭に置かれることを願い続けた……。


 でも、消えてしまった。……願いも全て。残ったのはただ一つの殺意のみ。



 いつからか父さんは、俺や母さんに微笑まなくなった。事あるごとに声をあらげて怒鳴り、俺の頭や頬に、その温かい掌ではなく、固く握った拳を叩き付けるようになった。小さいながらに、俺の身体は宙に浮き、畳みにバウンドをしながら着地する。       口の中には酸っぱいものが広がり、とてつもない痛みを覚える。母さんも母さんで綺麗に整えられた黒髪を父さんに引っ張られて毟られ、華奢な身体に父さんのケンカ蹴りを貰い、壁に身体を打ち付け、倒れた。

 だからだろうか、父さんが去った後はとても静かに思え、俺はただ母さんに抱かれて、肩越しに小さな鳴咽と、

「どうして……」

という言葉だけが聞いていた。 そして数日後のあの日、俺の父さんは殺された。



 でも……好きだった。


 どんなに酷い仕打ちを受けても俺は父さんに近づき続けた。


 ただ信じて、愛情のままに近づいたんだ。


 きっとまた微笑んで優しく俺を抱き上げてくれる、暖かさを教えてくれるって……。




「紫苑……何をしている?」


 心音の聞こえない父親の、まだ暖かい背中と桜の花びらに包まれる俺に殺人者は問い掛けた。


「!? 紫苑!!」

 いつの間にか……いや、もとから俺の隣にいたのであろう母さんが俺のことを父さんから引き離し、肩を揺らす。

「紫苑! いつからそこにいたの!? あなた、何を見たの!?」

 母さんは目に涙を浮かべ、俺の顔を覗き込む。


「……美佐江…紫苑もヤるか?」

「!? 智さん、何を言うの!?」

 首を勢いよく殺人者に向ける女は俺の知る人物じゃなかった。

「一人ヤるのも二人ヤるのも同じだ……。お前が聡を殺してほしいと言ったんだろう? それは了承したが、自分の保身が大事なら紫苑を殺すべきだ。今はどうだか分からないが、いずれこの意味を理解するかもしれないんだぞ? 保険金を貰っても捕まったんじゃ意味がない」

 顔色を少しも変えず、ただ言葉を紡ぐ殺人者。女は静かに俺に顔を向ける。


「……よね」


―――?


「…み…て……よね」


―――……


『何も……見てないわよね、紫苑?』


 女は俺に抱き着いてくると、力いっぱい俺を拘束する。

「何も見てないわよね!? あなたは何も!!」

 長さがバラバラだった髪を短く切り揃えられた女の肩に顎を置き、髪の隙間から見えた殺人者の顔を俺は何故か美しいと感じた。



 胸に何かがつかえ始め……そして…俺は意識を失った。




 愛情と殺意。追い詰められたまだ小さな俺には、この二つの感情を持つことは出来そうになかった。


 持てる感情はどちらか一つ。


 そして片方は押し潰される。


 出来れば愛情を持ち続け、父さんと一緒に行きたかった。今度は父さんがほほ笑んでくれると思った。


 ……けれど…けれど……

『何も……見てないわよね、紫苑?』


「アハハハハッ……」




「カアサン、トウサンハドコニイッタノ?」


 目を醒ました俺の第一声に笑みを浮かべる母さんと、相変わらず表情を崩さない智おじさん。ただ父さんは出掛けていると告げられた。


「そっか……じゃあ、ボクちょっと外で遊んでくるね〜」


 そう言い残し俺は、夕闇に侵され始めた外へと飛び出し、走りだす。


 途中、巣に帰るのだろう蟻を見つけ、それを踏み潰し、俺は優越感に浸る……。


 ……その小さな身体には『殺意の種が植え付けられた』







手が離れていく。

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