『愛するつもりはない』と言った夫を、今度は私が選びません
『最後に一度だけ、会って話す時間をもらえないだろうか。』
その一文を読んだところで、ミナは手紙から顔を上げた。
開いた窓から秋の風が入り、薄い便箋の端を揺らしている。押さえた指の下に三年間見慣れていた文字があった。
元夫のドミニクから手紙を受け取るのは、離縁の手続きを終えて以来だった。
『会いたくなければ、返事はしなくていい。日時と場所は君に任せる。伝えておきたいことがあるが、手紙だけで済ませてよいことなのか、まだ分からない。』
そこまで読んで、ミナは便箋を裏返した。
裏には何も書かれていなかった。
離縁の書類に二人が署名してから二か月になる。話し合いはすべて済んだはずだった。持参した財産も戻り、ドミニクの屋敷にミナの荷物は残っていない。
それでも、会えば何かを言ってもらえるのではないかと思った。
欲しかった言葉が何なのか、今なら自分でも分かる気がした。
「君を愛するつもりはない」
新婚初夜、ドミニクは寝室の扉を閉めてそう言った。
「家同士の事情で決まった結婚なのだから、夫婦として必要な務めを果たせばよい。人前で君に恥をかかせるようなことはしないし、不自由もさせない」
言いにくいことを先に伝えるのが誠実なのだと、彼は信じているようだった。
二十二歳のミナは驚いたものの、嫌われているのではないならと思った。これから暮らすうちに、好きになってもらえるかもしれない。
ミナの方はもう彼を好きになりかけていた。
婚約中に屋敷を訪ねた日、迎えの馬車が雨で遅れたことがある。冷えた指をこすっていると、彼は飲み物を温かいものに替えるよう頼み、運ばれてきたカップを手渡してくれた。
「帰りを急がなくていい」とも言ってくれた。
気遣いはそれきりではなかった。咳が続けば医者を呼んでくれたし、落とした耳飾りを使用人が見つけたときには、自分で部屋まで届けに来てくれた。
ミナはそうしたことを一つずつ覚え、彼はそれほど冷たい人ではないと考えていた。
一緒に出かける約束を忘れられた日にも、食卓で話しかけて返事をもらえなかった夜にも、その親切を思い出した。
夫の夕食に合わせて身支度をする暮らしを三年続けた。
食堂に姿を見せない日には、今日は仕事が長引いているのだろうと思った。来た日には疲れているのだろうと話しかけるのを控えた。
いつしか彼の足音を聞くと、嬉しさより先に、今夜は機嫌を損ねずに済むだろうかと考えるようになっていた。
離縁を申し出たとき、彼は書類より長くミナの顔を見た。
「何か、不足があったのか」
「足りない物はありません」
ミナはそう答えた。実際、ドレスも宝石も、暮らすためのお金もあった。
「ただ、もうこちらでは暮らせません」
別れるために必要だった言葉はそれだけだった。それ以上の理由を聞かれなかったことに傷つきながら、詳しく話さずに済んだことには安堵もした。
窓の外で庭の落ち葉を集める音がした。
今は伯母の館に身を寄せている。三年前まで使っていた客室は、鏡の角に小さな傷があるところまで覚えていたとおりだった。
ミナは手紙を読み直し、筆記机の引き出しから便箋を出した。
『来週の木曜日、午後二時。町の菓子店の庭に面した席で。
会う時間は一時間にしてほしい。やり直すことに同意して会うわけではないので、その点は承知していてほしい。』
最後の一文を書き終えた後も、封をするまでには時間がかかった。
自分が何を期待しているのか、まだうまく言えなかった。
言ってもらいたかった言葉を聞いて、泣かずにいられる自信もなかった。
◇
「その上着で本棚の裏へ入るおつもりですか」
翌日の午後、ミナが尋ねると、エドは深い葡萄色の袖を見下ろした。
「そんなつもりはありませんでした。入ると分かっていたら、別の服で来ましたよ」
「昨日、奥の棚を片づけると申し上げたのに」
「棚の中だと思ったんです。裏側まであるとは」
彼は上着を脱ぎ、椅子に埃がないことを指で確かめてから掛けた。下に着た胴着のボタンは日に当たると淡く光った。
伯母の孫たちの家庭教師をしているエドは、子爵家の三男だった。二十七歳で、ミナより二つ年上になる。
初めて会ったときには、ずいぶん華やかな先生だと思った。授業のある朝も襟元をきちんと飾り、子どもにインクを飛ばされると、叱る前にまず袖を見た。
その後で、なぜペンを振り回したのかを問いただす声が廊下まで聞こえてきた。
伯母から蔵書の整理を任されて以来、ミナは彼と話す機会が増えていた。大陸の古い地図や外国語で書かれた本については、エドに聞いた方が早かった。
彼も授業に使える本を探していて、空いた時間には手を貸してくれる。
「これで最後の一冊です」
ミナが渡したのは背の傷んだ旅行記だった。箱から持ち上げると、綴じ糸が緩んで頁が開いてしまう。
「ずいぶん旅をした本ですね」
「ここから動かしていないと思いますけれど」
エドは黙り、開いた頁をそっと閉じた。
少し遅れて意味が分かり、ミナは口元を押さえた。彼はその顔を見て、いくらか救われたように笑った。
「今のは忘れてください。僕の授業は、いつもああではありません」
「子どもたちは笑ってくれるのですか」
「笑わなかった話は、翌週もう一度試します」
「懲りないんですね」と言いかけて、ミナは今度こそ声を立てて笑った。
エドは得意そうに胸を張ったが、本の埃でくしゃみをしてしまい、威厳は長く続かなかった。
傷んだ本は町の製本屋に直してもらうことになっていた。
残す物と修理に出す物を分け終えると、ミナは指先についた埃を払った。棚を一つ片づけるのに二人で午後いっぱい使ったが、まだ窓の外は明るい。
「明日、本を運ぶのにご一緒いただけますか。製本屋のご主人とお知り合いだと伺ったので」
「明日は無理です。午前の授業を午後へ移しましたから」
ミナは慌ててうなずいた。
「そうでしたか。では、私だけで」
「本を急いで直す必要がありますか?」
「いいえ、急ぎません」
「それなら明後日の四時はいかがです。店が閉まる前には着けます。ご都合が悪ければ、月曜日の午前でも」
断られた後も日取りの話が続くので、ミナは彼を見た。
エドは手帳を開き、頁の間に挟んでいた紙をよけている。ミナが返事をするまで、何も書き込まずに待っていた。
「明後日で、大丈夫です」
「では四時に。帰りに寄り道をしてもいいですか。手袋を受け取りたくて」
「またお買いになったの?」
「また、とは。前のは親指に穴が開いたんですよ」
ミナが彼の胴着を見ると、エドはすぐに気づいた。
「ええ、そちらは必要だから買ったわけではありません」
楽しげに白状する声につられて、ミナも笑った。
自分の手帳にも日曜の午後四時と書き込んだ。隣の頁には木曜日の約束がある。
ペン先を止めていると、エドが机の反対側から声をかけた。
「疲れましたか。残りは来週にしましょう」
「そうですね。今日はもう終わりにします」
手帳を閉じると、背表紙の革がまだ指に温かかった。
以前、春の市へ連れていってほしいと夫に頼んだことがあった。珍しい染織の品が並ぶと聞き、半日だけでも一緒に歩けたらと思ったのだ。
忙しいと言われ、また別の日を尋ねると、「そういう頼み事はまとめてくれ」と返された。
それからは何かを頼む前に、他にも用事がないか考えるようになった。一緒に出かけたかった日が過ぎ、結局何も言わずに終わることもあった。
エドの手帳にはミナと同じ日付に約束が書かれている。
そのことを嬉しく思うのは、大げさだろうか。
棚から降ろした本を箱へ戻しながら、ミナは帰りの寄り道で彼がどんな手袋を選んだのか見てみたいと思った。
◇
ドミニクから返事が来たのは土曜日だった。
『指定の日時と場所へ行く。会ってくれることに感謝する。』
書かれていたのはそれだけだった。
封筒には便箋のほかに何も入っていなかった。贈り物も別便の荷も届かなかった。
ミナは返事を読んでから、伯母に木曜の予定を話した。
伯母は一緒に行こうかと聞いてくれたが、ミナは首を横に振った。
「お店までは侍女に付き添ってもらいます。話すのは二人にしたいの」
「そう。帰ったら、お茶をいれるわ」
何を言われたのかを必ず話してほしいとも、よく考え直した方がよいとも言われなかった。
ミナはほっとし、それから伯母の手を短く握った。
日曜日にはエドと製本屋へ行った。
修理に使う革を選び、帰りに手袋屋へ寄った。エドは新しい手袋の指を何度も曲げ、縫い目が当たるところがないか確かめていた。
ミナが「似合う」と言うと、エドは着け心地の感想を話す途中で口を止め、改めて礼を言った。
その少し不器用な間を翌日にも思い出した。
月曜も火曜も、ドミニクから追加の手紙は来なかった。
ミナはこのまま一度会えば終わるのだと考え、寂しくなった。その寂しさに気づくたび、会ってはいけないのではないかとも思った。
彼が約束を破り、昔のようにこちらの都合を聞かずに訪ねてきたら、もう会わないと断れたかもしれない。
今の彼に断りを告げる場面を思い浮かべると、ミナの方がひどいことをするような気がした。
水曜日の夕方、窓に映る自分を見ながら、翌日の服を選んだ。
ドミニクが以前一度だけ褒めた淡い緑のドレスへ手が伸びた。裾を広げてみると、自分の好きな色でもある。
着れば期待させてしまうだろうか。別の服を選ぶのは、まだ彼を意識しているからだろうか。
考えるほど分からなくなり、ミナはドレスを寝台の上に置いたまま腰を下ろした。
謝ってもらえれば気が済むのか。それとも、彼が変わったと分かれば、もう一度同じ家へ戻りたくなるのか。
窓の外が暗くなるまで座っていたが、どちらとも決められなかった。
◇
同じ夕方、ドミニクは町の宿で書きかけの紙を見ていた。
明日の話を順序立てようとして、かえって何から話せばいいのか分からなくなっていた。
「君がいなくなってから」と書いた後に続く言葉がなかった。
屋敷の暮らしは変わっていない。
朝食は時間どおりに出るし、衣類は手入れされ、仕事に必要な書類も揃っている。ミナがいなくて困ることを並べようとすれば、それまで彼女を世話係のように扱っていたのと同じになる。
困っているから帰ってきてほしいわけではなかった。
この前、雨の夕方に部屋へ戻り、窓に寄ったことがある。
庭の葉が濡れて光っていた。「こんな色の布があればいいのに」とミナが言っていたのを思い出し、今も同じことを言うのかと思った。
聞く相手はいなかった。
それまでは同じ屋敷にいたのだから、いつでも聞けた。彼女が話しかけてきた日に顔を上げれば、その続きも聞けたはずだった。
ミナの申し出を一時の不満だと思っていた。
離縁の書類へ署名すれば考え直すだろうと、どこかで高をくくっていた。彼女は泣かずに署名し、荷物をまとめ、決めた日に出ていった。
その後もドミニクは、足りない物はなかったと言った彼女の返事を思い返していた。
十分に暮らせていたのに、なぜ。
そう考えてしまう自分が彼女の話を聞いていなかったのだ。
宿の者が夕食の時刻を知らせに来た。
ドミニクは紙を伏せ、予定どおり食堂へ行くと答えた。まだ何もまとまっていなかったが、今夜ミナを訪ねるつもりはなかった。
会うのは明日の二時だ。
彼女の書いた時刻を確かめ、返事を出したときと同じように手紙を畳んだ。
◇
木曜日、ミナが菓子店に入ると、ドミニクは庭に面した卓にいた。
彼の前に花束はなく、椅子の横にも荷物はなかった。ミナを見つけて立ち上がり、「来てくれてありがとう」と言った。
時計の針は二時を少し過ぎたところだった。
ミナは淡い緑のドレスを着ていた。彼が気づいたかどうかは分からなかった。
「ここでよかっただろうか」
「ええ。庭が見える席が好きなんです」
口にしてから、自分の好きな席を夫に伝えたのは初めてかもしれないと思った。
結婚していた頃は、彼が座りやすいように場所を空け、その隣か向かいへ座っていた。
給仕が来ると、ドミニクは注文する前にミナを見た。
「何を飲む?」
「お茶を。ミルクもお願いします」
菓子はどうかと尋ねられ、少し迷って杏の焼き菓子を頼んだ。朝から落ち着かず、昼食をほとんど食べられなかった。
ドミニクは同じお茶だけを注文した。
以前なら彼がお茶も菓子も選んでいた。ミナは嫌いな物が少ないので、それを不満に思ったことはなかった。ただ、今日は自分で選ぶことに少し緊張した。
「先に、謝らせてほしい」
給仕が去ると、ドミニクはそう切り出した。
「三年間、君に寂しい思いをさせた」
ミナは膝の上で指を組んだ。
その一言を聞いた途端に目が熱くなり、まだ話は始まったばかりなのにと思った。
「君が夕食で何を話していたか、思い出そうとした。覚えていることがほとんどなかった」
ドミニクはそこで一度言葉を切った。
「覚えるほど聞いていなかったんだ。退屈な話だったからじゃない。毎日そこにいる君には、後でいくらでも向き合えると思っていた」
窓辺の席に庭の木の影がかかっていた。ミナはその揺れを見つめながら話を聞いた。
「春の市へ行きたいと言ってくれたことを覚えている。忙しいからと断って、別の日を聞いた君に、『頼み事はまとめろ』と言った」
「ええ」
「一緒に行きたかったんだね」
ミナはうなずいた。
「買いたい物が、決まっていたわけではありませんでした」
二人で見て歩き、何かを選び、疲れたらお茶を飲む。それだけのことを想像して、何日も楽しみにしていた。
夫の仕事を邪魔するほど大きな願いではないと思ったから、頼んでみたのだった。
「忙しかったことは嘘ではない。だが、別の日を探そうともしなかった」
ドミニクは卓の端に置いていた手を引いた。
「初めに『愛するつもりはない』と言ったから、それでいいと思っていた。君が僕を好きでいてくれることは受け取っておいて、僕が君を傷つけたことには、その言葉を言い訳にしていた」
ミナは顔を上げた。
彼は視線をそらさなかった。
「すまなかった」
涙が落ちる前に手巾を出したかったが、間に合わなかった。
ドミニクが椅子から動きかけ、やめた。代わりに卓上の清潔な布をミナの手元へそっと寄せた。
受け取って目元を押さえても、涙はすぐには止まらない。
「私、ずっと……」
その後が言えず、ミナは小さく息を吸った。
彼が何も言わずに待っているので、余計に涙が出た。あの頃、こんなふうに待ってくれたなら、話せたことがいくつもあった。
「寂しかったんです」
ミナはようやく言った。
「何かしていただきたいと頼むのが、だんだん怖くなりました。お忙しいのは分かっているのに、また困らせてしまうと思って」
「うん」
「離縁のときも、理由を聞かれたら何と答えればいいのか考えていました。けれど、『足りない物はない』と言ったら、それ以上聞かれなくて。私がいなくなることは、そのくらいのことなのだと思いました」
ドミニクが唇を結んだ。
しばらくして、そう思わせたのは自分だと言った。
お茶が運ばれてきたので、ミナは姿勢を直した。
給仕が彼の側へ置いたカップを、ドミニクがミナへ渡してくれた。受け取るとき、ミナの指に熱が伝わった。
婚約中の雨の日にも、同じように両手で受け取った。そのまま少し温まるのを待ち、彼に笑いかけたのだった。
「あの日のことを、よく思い出しました」
ミナが話すと、ドミニクは眉を動かした。
雨で帰れなかった日のことだと説明すると、「ああ」と低く返事をした。
「そんなことを、覚えていたのか」
「嬉しかったので」
彼にとっては、忘れてしまうくらい小さな親切だったのだろう。
でも、それが嬉しかったことまで間違いだったとは思わなかった。温かいカップを渡してくれたこの人を、ミナは確かに好きだった。
「やり直したい」
ドミニクの声は先ほどよりかすれていた。
「今日すぐに返事をしてほしいとは言わない。これから会って、話をして、君の望むことを聞きたい。時間がかかってもいい」
ミナはカップを皿へ戻した。
彼の言葉を嘘だとは思わなかった。館へ押しかけず、約束の日まで待ってくれた。今も、時計を気にして話を急がせることなく、ミナが泣きやむのを待っている。
もしまた暮らせば、以前とは違う日々になるのかもしれない。
その暮らしを思い浮かべようとした。
大きな食堂で向かいに座る自分は見えた。今度こそ彼が顔を上げ、ミナの話を聞くところも。
けれどそこへ戻りたいとは思えなかった。話を聞いてもらえるかどうか、もう一度確かめるために朝を迎え、夕食の時刻を待つ。その日々を、自分から始めたいとは思わなかった。
「謝っていただけて、嬉しかったです」
ミナはそう伝えた。
ドミニクの目が少し和らいだ。その顔を見たらまた言えなくなりそうで、ミナは膝の上の手を握った。
「寂しかったのは私のわがままだと、ずっと思っていました。そうではなかったと、あなたに言ってほしかった」
声が震えたが、今度は続きを言えた。
「でも、あなたの妻には戻りません」
ドミニクは動かなかった。
庭から小鳥の声が聞こえた。別の卓で皿を置く音がして、ミナはここが静まり返ったわけではないのだと気づいた。
「もう、僕を好きではない?」
ミナはうつむかずに答えた。
「好きだったと、今は思います」
口にすると悲しかった。
三年も好きでいた相手だから、簡単にそう言えるようになったわけではなかった。それでも今、彼の手に触れたいとは思わない。一緒に家へ帰りたいとも思わなかった。
「変わろうとしていらっしゃることは、分かります。それを見ても同じ答えなのが、申し訳なくて」
「そこは、謝らないでくれ」
ドミニクは目を伏せた。しばらく二人とも何も言わなかった。
ミナは手元の布を畳み直した。濡れたところが指先に冷たかった。
時計は三時まであと十分ほどになっていた。ドミニクも見たらしく、給仕へ勘定を頼んだ。
「これで最後にする。手紙も、贈り物も送らない。会いに来ることもしない」
ミナはうなずいた。
約束を聞いてほっとしたことに気づき、また少しだけ泣きたくなった。
店を出るとき、ドミニクは道まで送ろうとはしなかった。
入口で待っていた侍女に会釈し、ミナへ向き直った。
「会ってくれて、ありがとう」
「お話しできて、よかったです」
どちらも嘘ではなかった。
ミナは別れの挨拶をして、伯母の館へ帰る道を歩きだした。
◇
翌日は目が少し腫れていた。
冷たい布を当ててから食堂へ行くと、伯母はいつもどおり席を空けてくれた。昨夜は何も話せなかったが、朝食の後なら少しずつ話せそうだった。
エドを見かけたのは午後だった。
授業を終えて廊下へ出てきた彼は、ミナの顔を見て挨拶の途中で言葉を止めた。
「どうかされましたか」
「昨日、元夫に会いました」
言ってから、彼に再会の話をするのは初めてだと気づいた。エドはミナが離縁して伯母の家へ来た事情を知っていたが、ミナは会う約束までは話していなかった。
エドは驚いたように口を開き、それからミナの返事を待った。
「泣いてしまったけれど、話は済みました。もう会いません」
「そうでしたか」
何か言おうとしている顔だった。ミナが待つと、彼は少し困ったように笑った。
「気の利いたことを言いたかったんですが、思いつきませんでした」
「言っていただかなくても、大丈夫です」
それでもそばにいてくれるのが嬉しくて、ミナは廊下の窓へ目を移した。
庭へ続く扉が開いている。今から少し歩こうと誘えば、彼は来てくれるだろうか。今日が忙しければ、別の日を教えてくれるだろうか。
「エドさん」
呼びかけると、彼はまっすぐミナを見た。
「また、ご一緒に出かけたいです」
「製本屋ですか。修理はまだしばらくかかると思いますが」
「本を運ぶ用事がなくても」
エドが黙った。
ミナは頬が熱くなるのを感じたが、ここで曖昧にしては、彼に意味を考えさせてしまうと思った。
「お友達としてだけではなく、お会いしたいのです」
言い終えると、手をどこに置いてよいか分からなくなった。自分の袖をつまみかけ、やめる。
エドは一度息を吸った。
「喜んで」
普段のようにすぐ冗談は続かなかった。
「僕はあなたが好きです。だから今、とても喜んでいます。軽口を挟んで、その気持ちを曖昧にするところでした」
ミナは顔を上げた。彼はもう笑っていたが、ミナが黙っている間は何も付け加えなかった。
「いつから?」
「書庫で、読めない本を捨てるわけにはいかないとおっしゃった頃から。誰かに読んでもらうために取っておきたい、と」
あの頃はまだ、自分に務まる仕事が欲しくて必死だった。伯母に甘えるだけで日を過ごすのが落ち着かず、書庫を開けては埃を払っていた。
「それで手伝ってくださったの?」
「それもあります。いいところを見せたかったんです。服の心配ばかりしているところは、あまり見せたくなかった」
ミナは笑った。
それでは上着を脱いだ日に困っただろうと言うと、彼は大いに困ったと認めた。
「次の日曜はいかがです。午後なら、今度は用事がありません」
ミナも日曜の午後は空いていた。
町の外れの庭園へ行くことにして、二人で時刻を決めた。エドは手帳に書き込み、今度は上着を選ぶところから楽しめそうだと言った。
ミナも同じだったが、それはまだ口にできなかった。
約束の日、ミナは淡い緑のドレスを選んだ。
鏡の前で襟を整え、今日はこれを着たいのだと思った。手袋をはめるとき、面会の日から触っていなかったドミニクの手紙が机の端に見えた。
引き出しにしまってから、部屋を出た。
階段を下りると、開いた玄関から庭の光が差し込んでいた。
門のそばに葡萄色の上着を見つけ、ミナは少しだけ足を速めた。




