迷い街の運び屋 8
地下通路の配達を終えて会社に戻ると、先輩はいつもの席に座っていた。
椅子に深く座って、机に肘をついている。
俺を見ると、少しだけ目を上げた。
「……戻ったか。」
「はい。」
少し沈黙があった。
先輩は机の上にあった紙を一枚取る。
それを俺の方へ滑らせた。
「次の依頼。」
俺は紙を見る。
住所が書いてある。
普通の住宅街の住所だった。
だが、下に注意書きがあった。
一日一回。十日間。
さらにその下。
ドアが開いたら目を閉じること。
部屋の中を見てはいけない。
俺は紙をもう一度読む。
「……目を閉じるんですか。」
先輩は椅子の背にもたれたまま言った。
「そう書いてあるだろ。」
「中を見ちゃダメってことですか。」
「まあな。」
少し間。
「見なきゃいい。」
それだけだった。
先輩はそれ以上説明しなかった。
こういう依頼は、たぶん珍しくないんだろう。
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一日目
家は静かな住宅街にあった。
古い二階建ての家だった。
玄関の前に立つ。
インターホンを押す。
少しして、ドアの向こうで足音がする。
ドアが開く音。
俺は目を閉じた。
「配達です。」
荷物を差し出す。
手が伸びてくる。
普通の手だった。
男の手だった。
「ありがとう。」
声も普通だった。
部屋の匂いも普通だった。
生活の匂い。
それだけだった。
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二日目
同じ家。
同じ玄関。
インターホンを押す。
ドアが開く。
俺は目を閉じる。
「配達です。」
荷物を差し出す。
触れた手は、昨日とは違った。
しわの多い手だった。
年寄りの手だった。
「……ありがとう。」
声も年寄りの声だった。
部屋の中から、紙の匂いがした。
本の匂い。
古い本がたくさんあるような匂いだった。
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三日目
ドアが開く。
目を閉じる。
今日は匂いが違った。
湿った土の匂い。
草の匂い。
森の中のような匂いだった。
遠くで鳥の声が聞こえる。
小さく鳴いている。
荷物を差し出す。
触れた手は大きかった。
人の手より大きい。
指も太い。
皮膚も硬い感じだった。
荷物はそのまま受け取られた。
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四日目
ドアが開く。
目を閉じる。
潮の匂いがした。
海の匂いだった。
遠くで波の音が聞こえる。
ゆっくりとした波の音。
部屋の中に海があるみたいだった。
伸びてきた手は、少し濡れている感じがした。
冷たい。
荷物を渡す。
それだけだった。
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五日目
ドアが開く。
目を閉じる。
今日は少し空気が重かった。
最初に感じたのは、煙の匂いだった。
焚き火みたいな匂い。
焦げた木の匂い。
どこかで火が燃えているような匂いだった。
遠くで、パチパチと音がする。
火がはぜる音。
部屋の中に火があるみたいだった。
俺は何も言わない。
荷物を差し出す。
手が伸びてくる。
少しざらざらした手だった。
指が太い。
男の手だった。
でも、声は聞こえなかった。
荷物だけが静かに持っていかれた。
ドアが閉まる。
そのあとも、少しの間だけ煙の匂いが残っていた。




