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『ある日、世界から「言葉」が消えた。恩師の失踪を追う私は、自分が半世紀前の「被験体」だったと知る』  作者: 伝福 翠人


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8/10

塔の対峙

「ゼロ地点」タワーの地下メンテナンスシャフトは、人の侵入を想定していない、金属と暗闇の垂直な洞窟だった。


旧時代の地熱発電の名残である生暖かい風が、錆びた金属の匂いを乗せて下から吹き上げてくる。私とカイトは、命綱一本を頼りに、この垂直の闇を登攀とうはんしていた。


『01:10:21』


『01:10:20』


ヘルメットのバイザーに表示されるカウントダウンが、容赦なく現実を突きつけてくる。


「……カイト、まだ?」


「喋るな。酸素が薄くなる」


カイトは私の数メートル上を、まるで重力を感じさせないかのように淡々と登っていく。


「……もうすぐだ。シャフトの頂上が、制御室のフロア直下にあたる」


どれほどの時間が経ったか。


やがて、カイトが動きを止め、頭上の分厚いコンクリートの底を照らした。


「着いた。ここが天井だ」


彼は壁の点検口マンホールに手をかけ、特殊なツールで電子ロックを解除する。


「いいか、アキ」


カイトが、バイザー越しに私を見た。


「このハッチを開ければ、そこは制御室のサーバールームだ。ハルが待ち構えている可能性が極めて高い」


「……ええ」


「俺が先に入り、陽動をかける。お前は、その隙に制御室の『中枢コア』へ向かえ」


「陽動……?」


「ハルの目的は、君(抗体)の『確保』と、システムの『防衛』だ。奴の意識を、どちらか一つに集中させるわけにはいかない」


彼は、あのスタンロッドとは違う、実弾兵器の安全装置を外す音をさせた。


「俺は、タワーの主電源とネットワークを物理的に叩く。奴がシステムの維持にリソースを割いている間に、君が『カウンターコード』を入力するんだ」


それが、ミナミ教授が私に託し、カイトが補助する、唯一の作戦だった。


「……わかったわ。必ず」


「死ぬなよ、アキ」


カイトはそれだけ言うと、ハッチを押し開き、瞬時に天井裏の闇へと消えた。


数秒の沈黙。


そして、タワー全体が振動するほどの、激しい爆発音と銃撃音が、フロアの向こう側から響き渡った。


『侵入者ヲ検知! セクター7!』


『緊急! ネットワーク・ハブガ攻撃サレテイマス!』


タワーの自動音声が、けたたましく警報を鳴らし始める。


カイトが、陽動を始めた。


私はハッチを抜け、目まぐるしく点滅する赤い非常灯の中を走った。サーバールームを抜けた先、重い防爆扉が開いている。


――制御室だ。


息をのんだ。


そこは、タワーの最上階、三百六十度をガラスに囲まれた、神の視点を持つかのような空間だった。


眼下には、雨に濡れる都市の光が銀河のように広がり、壁一面には、カウントダウンの数字と、赤く点滅する世界地図が映し出されている。


そして、その中央。


巨大な球形のコンソールに、ハルが一人で立っていた。


彼は、カイトが引き起こした爆発音にも、警報にも、一切動じていなかった。


静かに、私の方へ振り返る。


「……思ったより、早かったじゃないですか、アキさん」


その声は、地下アーカイブで聞いた時よりも、さらに冷たく、研ぎ澄まされていた。


「カイトの陽動も、派手で結構だ。……ですが、無意味ですよ」


「……ハル」


「この『ゼロ地点』は、僕のものです。カイトがどこで何をしようと、このコンソール(中枢)は、僕の生体認証がなければ誰にも触れられない」


彼は、コンソールの傍らにある、医療用スキャナのような椅子を指さした。


「そこへ。あなたのために用意した、最後の玉座です」


「……」


「大人しく座ってくれれば、世界は『痛み』を知らずに、次のステージへ移行できる」


私は、一歩、踏み出した。


「あなたこそ、狂っているわ。ラピュータがどれだけの人を苦しめているか、分かっているの!?」


「苦しみ?」


ハルは、心底不思議そうに首を傾げた。


「あれは『産みの苦しみ』だ。古い、不完全な殻を脱ぎ捨てるための。あなたは、まだそんな感傷に浸っているんですか?」


彼は、壁一面のスクリーンに、世界中の紛争やデモの映像を映し出した。憎悪に満ちた顔、顔、顔。


「これ(争い)が、あなたの言う『人間性』ですか?」


ハルの声が、制御室に響き渡る。


「誤解、差別、憎悪、戦争……! なぜ、これが起きるか分かるでしょう? 『言葉』が不完全だからだ! 価値観が、違うからだ!」


彼の目が、狂信的な光に燃えていた。


「だから、僕は『調律』する! 『沈黙のコード』は、その全てのノイズを取り払い、人類を一つの、完璧に調和した意識へと導く、唯一の回答だ! それこそが、真の平和だ!」


「それは平和じゃない!」


私は叫んだ。「それは、沈黙よ! 思考の死だ!」


私は、コンソールに向かって、さらに一歩踏み出した。


「私たちは違う。違うからこそ、言葉を尽くすんでしょう! 誤解し、傷つけあっても、それでも、不完全な言葉で、必死に理解しようと手を伸ばす! その『過程』こそが、人間性なのよ!」


「……感傷だ」


ハルは、冷たく吐き捨てた。


「ミナミ教授の、古臭いヒューマニズムの亡霊だ。だが、もういい。時間は来た」


『00:20:00』


カウントダウンが、残り20分を切っていた。


「あなたは、座らない。カイトは、暴れている。……だが、どちらも、もう関係ない」


ハルは、コンソールに手を置いた。


「僕の目的は、あなたの『抗体』データで、ラピュータ(拒絶反応)を無効化するパッチを作ることだった。だが、時間がない。……プランBに変更します」


「……何をする気?」


「あなたの『抗体』は、コードの『毒性』を中和する。……ならば、ブロードキャストするコードの『毒性』そのものを、許容量まで下げればいい」


ハルは、コンソールを操作し始めた。


「全世界の人類に、一気に『ラピュータ』を発症させる。自我を保つか、失うか、ギリギリのラインで。……そして、この『ゼロ地点』から、時間をかけて、ゆっくりと、彼らの思考を『調律』していく」


彼は、人類全員に、致死量ギリギリの毒を飲ませようとしている。


「やめなさい!」


私は、最後の力を振り絞って、コンソールに向かって走った!


「無駄だ!」


ハルは私を制止しようと手を伸ばす。


だが、私の目的は、彼ではない。


コンソールだ。


カイトが言っていた。


『奴がシステムの維持にリソースを割いている間に、君が「カウンターコード」を入力するんだ』


私は、ハルの腕をすり抜け、コンソールの中枢――ミナミ教授が設計したであろう、古い音声入力マイクポートに、手をかけた。


「システムは、僕の生体認証がなければ動かないと、言ったはずだ!」


ハルが、私を掴もうとする。


「いいえ!」


私は叫んだ。「このシステムを起動させたのは、あなたの父親たち(バベル・プロジェクト)かもしれない! でも、このコードの『鍵』を握っているのは――」


私は、マイクポートを起動した。


「――私よ!」

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