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『ある日、世界から「言葉」が消えた。恩師の失踪を追う私は、自分が半世紀前の「被験体」だったと知る』  作者: 伝福 翠人


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ラピュータの正体

赤い非常灯が点滅する地下アーカイブに、カイトの冷静な声が響く。


「ボーッとするな、アキ。ハルの増援が来る前に、ここから離脱する」


「……え?」


「奴が『ゼロ地点』に向かった以上、ここはもう用済みだ。だが、念のためこのアーカイブの物理ロックを全て作動させる。二度と誰も入れないようにな」


カイトは私を立たせると、スタンロッドをホルスターに戻し、壁のコンソールを信じられない速さで操作し始めた。分厚い防爆扉が、次々と閉鎖されていく重低音が地下深くに響き渡る。


私は、まだハルに裏切られた衝撃から抜け出せずにいた。


「どうして……どうして私を助けたの。あなたも『調律局』なんでしょう」


「……」


カイトは手を止めずに答えた。


「俺は『調律局』の内部調査官だ。正式には『情報事象監査室』。ハルのような、行き過ぎた理想に狂った連中を監視し、処分するのが仕事だ」


「じゃあ、大学の研究室で私からチップを……」


「あれは、お前をハルより先に見つけ、保護するためだ。だが、お前は逃げた。……おかげで、ハルという『二重スパイ』が炙り出せたわけだが」


カイトの言葉は、パズルのピースをはめていくようだった。


「ハルは、元々ミナミ教授のスパイとして調律局に潜入した。だが、彼は『沈黙のコード』の力に魅入られ、逆に教授を裏切った。彼は、教授と調律局、その両方を手玉に取っていたんだ」


全ての扉が閉鎖され、アーカイブは完全な沈黙に包まれた。


「ミナミ教授から、君の保護を個人的に依頼されていた」


「……恩師が、あなたに?」


「ああ」とカイトは初めて、私を真っ直ぐに見た。「教授は、父親ミナミ・シニアが遺した『バベル・プロジェクト』の罪を償うため、ずっと調律局の内部からコードの危険性を調査していた。だが、ハルに感づかれ、身動きが取れなくなった」


カイトは私に背を向け、別の出口へと歩き出す。


「教授は、最後の賭けに出た。自分の失踪という『事件』を起こし、最も信頼でき、かつ最も『抗体』に近い君を、強制的にこのゲームに参加させたんだ」


「私を……利用したっていうの……?」


「守るためだ」とカイトは遮った。「そして、万が一の時、君ならコードの『真実』にたどり着けると信じた。……行くぞ。俺のセーフハウスで、最後の答え合わせだ」


カイトのセーフハウスは、ハルの地下アジトとは対照的な場所にあった。


超高層タワーの最上階。壁一面がスマートガラスで覆われた、冷たく、無機質で、完璧に整頓されたペントハウスだった。


「……すごい所ね」


「ハルのように地下に潜るのは趣味じゃない。最高のセキュリティは、最高の監視の目だ。ここからなら、都市の主要なネットワークは全て傍受できる」


カイトは私にコーヒーではなく、高濃度のブドウ糖液を手渡した。


「飲め。脳が疲れている」


私はそれを一口飲み、震える手で、自分のノートPCをテーブルに置いた。雑居ビルからハルと共に脱出した時、咄嗟に掴んできた、私の唯一の荷物だ。


「ハルに……オリジナル(データチップ)は奪われたわ。もう、私たちにできることは……」


「いや」とカイトは私のPCを指さした。「お前は、あの隠れ家で何をしていた?」


「……解析ソフトを……」


「そうだ。ソフトは、解析対象のデータを一時的にローカル(PC本体)にキャッシュ(保存)する。ハルはチップ本体しか見ていなかったが、お前のPCには、解析途中の『バックアップ』が残っているはずだ」


希望の光が差した。


私はPCを起動し、解析ソフトのキャッシュフォルダを開く。


そこには、破損してはいるが、確かに『Silent Code Ver 0.9』の断片が残っていた。


「……これだけじゃ、全体像は……」


「十分だ」


カイトは自分の端末を私のPCに接続し、彼の巨大なサーバを使って、破損したデータの復元と解析を始めた。


モニターに、膨大な文字列と、複雑な音響波形が流れ出す。


カイトは、それを見ながら淡々と告げた。


「……やはりな。ミナミ教授の仮説が、的中している」


「どういうこと?」


「『沈黙のコード』は、単なる音響兵器じゃない。あれは、人間の脳が言語を処理する、その根幹のOSオペレーティング・システムに直接干渉する『マスター言語』だ」


カイトは、人間の脳の模式図を呼び出した。


「普通の言葉――日本語や英語――は、脳の『アプリケーション』に過ぎない。だが、沈黙のコードは、それら全ての土台となっている『思考の文法』そのものを、強制的に書き換える」


「思考の……文法……」


「ハルが言っていた『思考の統一』は、比喩じゃない。文字通り、全人類の思考パターンを、コードが定義した『一つ』のものに統一する。個人の意思や感情、自我といった『バグ』を許さない、完璧なプログラムに」


ぞっとした。ハルが夢見ていたのは、平和ではなく、全人類の家畜化だった。


「じゃあ、ラピュータ(失語)は……」


「それこそが、人類に残された最後の『防衛本能』だ」とカイトは断言した。「コードによる『上書き』を検知した脳が、自我を守るために、言語野への全アクセスを遮断シャットダウンする。それが、ラピュータの正体だ」


ハルが「進化の過程」と呼んだものは、脳の「拒絶反応」だったのだ。


「だが、その拒絶も長くは続かない。コードに曝され続ければ、やがて防衛本能も麻痺し、脳は上書きを受け入れる」


私は、自分の過去を思い出した。


「……私には、それが起きなかった」


「ああ」カイトは解析データの、ある一点を指さした。「半世紀前の実験で、君の脳だけが、コードの『上書き』を受け付けず、逆にコードを『無力化』する特殊な脳波パターンを発生させた。……それが、教授が隠し続けた『抗体カウンターコード』の正体だ」


私は、ただの被験体(失敗作)ではなかった。


私は、この狂ったコードに対する、唯一の「ワクチン」だった。


その時だった。


カイトのセーフハウスの壁一面スマートガラスに、緊急警報が赤く点滅した。


「……クソっ、早すぎる!」


カイトが忌々しげに吐き捨てる。


壁には、衛星軌道図と、一つのカウントダウンが表示されていた。


「ハルが、動いた。『ゼロ地点』の最上階アンテナから、ブロードキャスト(全世界配信)を強行する気だ」


「そんな……コードは不完全なんでしょう? 今流したら、世界中の人がラピュータになるだけじゃ……」


「奴は、そう思っていない!」


カイトは、解析結果の最後の行を指さした。


「奴は、オリジナル(チップ)と、抗体(君)を、同時に手に入れた。奴は『ゼロ地点』で、君の脳(抗体)をスキャンし、あの『拒絶反応ラピュータ』そのものを無効化する『最終パッチ』を作ろうとしている」


「……私が、奴の計画を完成させるための……最後のピース……」


「そうだ。そして、その『最終パッチ』が完成した瞬間――」


カウントダウンが、無慈悲に時を刻んでいた。


『全世界言語野・強制アップデート開始マデ:02:59:47』


『02:59:46』


『02:59:45』


「――全人類の『自我』は、ハルの手によって『調律』される」

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