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捨てられない楽園

作者: 斉藤さん

 空、いやそれは平面を貫く獣のようだ。

 乾いた荒野を駆ける獣、絡みつくように離れずに食い食われを行なう獣だ。


 最早駆けると言う言葉を失い、足と言う機能を失い、だがそれでも彼らは貫くように、過ぎ去っていく。

 様々な、壁が彼らの走りを止めようとするが、それでもその貫く軌跡に変わりは無かった。


 機体の挙動全てを不安定にさせる風が、壁のように彼らに立ちふさがる。

 その全ての風を流線型の機体がプロペラで、ドリルのように引きちぎりその間を縫うように、空間を貫いていった。


 人々の歓声が上がる。

 興奮が混じり、限界を超えた速度で貫いていった彼らに対する感動が篭められている。

 ここは使われなくなるはずだった鳥たちの楽園だ。


 人類最速を決める戦い、リノ・エアレース アンリミテッドクラス。時速八百キロを超える、まさに限界を超える為のクラス。無制限と言うルールを与えられ、速さの為に全てをついやす戦いだ。

 現在の技術を過去の機体に与え、戦う為の機体に、いや戦う事をやめる事の出来ない機体に、与えられた新たなステージ。彼らの為に与えられた、彼らのためだけの闘技場、無尽の荒野に存在する、捨てられた羽たちの新たな空。


 そこはまさしく楽園なのだ。


 捨てられない楽園


 最初吉野ヶ里正春が見た楽園は、激しく舞う戦闘機の戦いだった。

 といっても、どこかのゲームだ。自分がパイロットになって敵を撃墜していく、ただそれだけのゲームだ。

 そう言う意味で彼が始めて乗った飛行機と言うのならこれになるのだろう。


 確かそれはイーグルとか呼ばれた戦闘機だ。だが別にそれで空に憧れるほどの情熱を彼は持っていなかった。そもそもその程度で将来を決められるほど、真っ直ぐな少年でもなかったのだ。

 そんな彼が空に興味を持ったのは、どこかのテレビ番組のコンテストだ、必死になって湖を飛ぼうと考える人の姿を見て、興奮してその熱が冷めなかった。この時から彼は空にのめりこむようになっていたのだろう。


 陳腐な理由、だがそれが大きくなっていくのに時間は掛からなかった。

 十八の頃には、海外にまで飛び出してライセンスを取ってしまうほどののめり込み様で、その努力が一層彼を空に執着させる事になる。


 だが彼はこの頃、空を飛ぶ以外の目的を考えていなかった。適当な会社のパイロットとして働くようになった頃、自分がなにをしたいのか悩むようになるまでにそれほど時間が掛かる事は無かった。


「飛ぶのは好きなんだけどなぁ」

「おい、正春。最近は憂鬱なままだな、どうした、恋人にでも振られたか」

「そんなんじゃないさジャン、どうにもねぇ。ここまで全速力では知ってきた所為で目的がないのが寂しいだけさ」


 誰にでもあるような燃え尽き症候群だ。目的を果たした所為で途方にくれる、良くある話だ、大なり小なりそう言うことはよくある。

 だが必死になりすぎた人間はそれが耐えられないのだろう。


「なら見つければいいだろう。どうせお前みたいな奴は空以外に何も見出せないんだから、空に執着していりゃいいのさ、どうだ今度エアレースがあるようだし見に行ってみろよ。どうせ有給はたまってるんだろう」

「そりゃ分かってるけど、それも面白そうだな。そういえばパイロットになるのが夢で、そう言う事を考えた事なかったよ」

「馬鹿な奴だぜ、リノ・エアレースって言えばこの界隈で知らない奴はいないんじゃないか。なにより少しは耳にするってもんだぞ、流石に」


 最も歴史のあるエアレースであるリノ・エアレース。

 実は同じネバダ州にいるくせに知らなかったアホ、それが彼である。普通は聞いた事ぐらいあるものなのだが、真正面しか向けない悪癖のある彼だからこそ仕方のないことなのかもしれない。


 ジャンはあきれた顔をして笑う。

 こういう友人の愚直なところが気に入っているのだろう、ここまで来ると愛嬌にさえ感じてしまう。


「なら一度見た方がいいぜ、あれは世界最速だ。まさに空の祭典だぜ、俺だって金があれば出てみたいぐらいさ」

「そうなのか、そりゃ見てみたい。ところでいつやるんだい」

「おや、食い着きがいいじゃないか。流石骨髄パイロット、二週間後だよ。クリスでも連れて一緒に行くといいさ」


 冷やかし混じりにジャンは告げる。

 意外と初心な彼はそれを聞いてあわてた様子を見せるが、久しぶりの熱があふれ出したのか、火照ったような顔をしながらもどこ獣のようなぎらつきを見せている。


「彼女とはそんなんじゃないさ、それに俺はチェリーだぜ」

「折角あんな美人に気に入られているんだ、抱いてやるぐらいしてやれよってんだ」

「お断りだね、残念ながら、俺にはそのエアレースの方が好みだよ。第一クリスは空以下の感情しか抱けないさ」


 多分だが彼は最低男としてランクされるような言葉を今は間違い無く口にした。

 ここに彼女がいないだけでこの男は命の心配をしないですむぐらいのレベルだ。二度三度彼はそんな発言をして殺されかけている。

 それが冗談で済んでいる辺り彼も、なかなかにおかしくなっていた。


「凄く楽しみだよ、エアレースね。過去の映像とかあるジャン」

「なに言ってるんだ、ここに五年も住んでて気付きもしなかったんだ。二週間ぐらい我慢して、実物を見た方が興奮も一層ってもんだよ」


 確かにそうだと頷くと、二週間ぐらい我慢できるだろうと思っていた。

 だが一度はまるの抜け出せなくなる男、それが吉野ヶ里正春である。なぜかここでは正春とかハルとかマイキーとか、無差別な愛称で呼ばれるが、よく呼ばれるのが偏執狂マッドである。

 それを反映するように、映像などでは見なかったものの資料と言う資料を集めて、必死になってエアレースを調べつくした。そのたびに彼は興奮していく、それは多分かつて自分が空に描いた興奮を思い出したのだろう。


 見るたびに興奮した、空の雄大さを思い出し、そして新たな空の段階を見た気がした。

 高さじゃない、別の段階速さだ。想像するだけで彼は興奮した、何度も何度も同じページをめくり、レアベアと言う名前に狂喜し、とジョン・ペニー言う言葉に奇声を上げる。


 はっきり言うとこれでもかと言うほどはまった。

 それこそ会社の人間全員に心配されるほどに、マッドの愛称はより一層深いものになってしまうが、仕方のないことだろう。

 そして彼がライセンスを取る時からの仲のジャンにいたっては、背中を押しすぎたと反省していた。


 クリスもジャンと同じくらいに知り合った仲だ。


 「ああもう、またあんなふうになって、格好いいんだけど。ああなるともう止まらないのよ、どうしてくれるの」といった具合にご立腹だ。

 金髪の髪をブンブンと振り回してジャンを激しく現在進行形で揺さぶっていた。


 後一歩でリバースしそうになるほど激しいものだったといえば、彼女の不機嫌さが分かるだろう。

 当の本人は、本読みながら周りの声も聞こえず、もくもくと本を読んでいたという状況だが、仕事さえ忘れていて社長に蹴り飛ばされた。


 そんな日々が二週間ほど続き、流石に彼も生傷が耐えなくなるが、あまりの集中力に最終的には誰も文句を言わなくなる。普段はかなり真面目な人間だし、結構古くからの知り合いばかりなので、マッドが発病したと大笑いする始末だ。

 数年ぶりの発病に彼のを知るものは笑い、知らないものは笑う。


 会社でも腕利きだが、この調子ならレースを見終わったときには、自分も出るといいはじめるんじゃないかと、いや知るものなら全員がこう思っているのだろう。

 あいつならやりかねないと、確信しているレベルで誰もが頷く。そもそも彼のマッドの由来を知らないものでさえ、出たがるんじゃないかと思うような凝りっぷりだ。


 実際彼には来年のビジョンが浮んでいるのだから始末が悪い。

 一度始めれば、やるまでやめない男、偏執狂こと吉野ヶ里正春。彼は子供のように笑いながら、そのレースを待ち望んでいる。


 そして当日、様々な部門が終わり。

 興奮の前兆を迎えた彼に、無制限の感動と興奮を与えるクラスのレースが始まる。二千キロ以上のレシプロ機であれば改造無制限の戦い。

 世界最速の草レース、リノ・エアレースの看板とも言えるクラス。


「ジェントルメン、スタート、ユア・エンジンズ」


 アンリミテッド、四千馬力と言うふざけた数字、時速八百キロを超える力を吐き出す轟音が荒野に響き渡る。その音は彼や、観客に興奮の色をそえ、エンジンを上塗りせんばかりの激しい歓声に変わる。

 そして始まりの時は来る。


 これより始まるのは、十四キロを踏破する世界最速の戦い。


「ジェントルメン、ユー、ハブ、レース」


 リノ・エアレース アンリミテッド。

 そして一人の男に新たな夢を与える、奇跡のレースである。いま大地を駆けるように低空を這う、誰もが最速と信じる機体たちが飛び出してゆく。



続かない。

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