表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神ナキ世界のカタリ神  作者: 不如意
一章 青春の神かく語りき
3/17

2





 気がつけば夕暮れである。


 あの後、歩道橋を使って国道(こくどう)運命線(うんめいせん)を迷わずパチスロ側へと渡った俺は、ヤニ(けむ)汚箱(おばこ)の中で『ビリオンゴッド‐神々の開戦‐』を打った。注釈しておくが時代は五号機、改正(かいせい)健康(けんこう)増進法(ぞうしんほう)施行前(しこうまえ)であるということにでもしておいてほしい。ゴッドがゴッドを打つという世紀(せいき)の天界ショーに気づいた者は当たり前だが誰一人としていなかったが、まさかの四時間そこらで万枚(まんまい)を超えた俺の台にはそれはそれでスロカス共の注目が集まった。

 合法賭博(ごうほうとばく)黙示録(もくしろく)を制し今日という日の遊戯場(ゆうぎじょう)の神となった俺は、景品カウンターで(いただ)いた謎のプラスチックプレートを手にあくまで偶然にも隣にあった古物商(こぶつしょう)へと立ち寄り、顔も見えない小窓(こまど)の中の男の前に試しにプレートを並べてみるとあら不思議小窓の中の男はそれを回収して代わりに俺の前に現金を寄越(よこ)してきた。どうやら買い取られてしまったらしいので、全く仕方なく俺は差しだされた二十枚ほどの札束を手に帰路へとついたのであった。日本の法制下における(たくま)しき三店方式(さんてんほうしき)様式美(ようしきび)に感心しつつ、福福(ふくふく)たる顔でご帰宅の俺である。これぞホントのゴッド凱旋(がいせん)。なんつって。


 (もう)けた金の使い道について頭を悩ませながら、俺は家路を行く。


 そうしてしばらく歩いていると、夕暮れに染まる背の低い町並みの向こうに、木の生い茂った低山(ていざん)が見えてきた。その低山には(ふもと)から上へと石段が続いている。暮れなずむ町の速度と歩幅を合わせ、そんな低山をしげしげと眺めながらとろとろと歩いていくと、ほどなくして俺は低山の足元へとたどり着いていた。


 真っ先に俺を迎えたのは、高さ五メートルを超える銅鳥居(かなどりい)である。視線を鳥居の内にくぐらせ、そこから一段二段三段そして百八段と続いていく山肌の石段を見上げていくと、その頂上にも同じ銅鳥居が見えた。再び視線を目の前の鳥居へと戻し、その右隣に佇む門柱(もんちゅう)へと目をやる。そこに刻まれたるは「春田比古神社(はるたひこじんじゃ)」の六文字。


 そうである。此処(ここ)こそが、我が住処である。


 俺は我が住処、春田比古神社の社殿へと続く石段に足を踏みだし始めた。

 さて、一歩二歩と登りながら少しだけ語らせてもらえば、我が(やしろ)たる春田比古神社の歴史は千年を優に超える。とは言え、(いにしえ)からのその成り立ちに関する一切について俺自身はほとんど全く知らないし、嘘か(まこと)境内(けいだい)にある案内板につらつらと(つづ)ってあるその内容も覚えようとは思わないのだが、一つ確かに言えることといえばこの神社は元々は縁結びの神社であったということである。元々とかであったとか過去形な言葉を用いてはいるが、これが別に縁結びの神社でなくなったというわけでもなかったりする。詳しく説明するとただでさえ長い話がさらに長くなるのでまた今度とするが、数年前のこと、ある目論見(もくろみ)から、我が社は縁結びの神社という大看板(おおかんばん)を別の看板へと掛け替えたのだ。


 ――『青春神社(せいしゅんじんじゃ)』。


 笑うなかれ。

 嘘でもなんでもなくこれがリアルの本当の(おお)マジに、我が社は由緒正(ゆいしょただ)しき縁結びの神社という能書きを、「青春」を御利益(ごりやく)だと(うた)う我ながらに胡散臭(うさんくさ)すぎる能書(ぼうが)きへと書き換えたのだ。だから笑うな、罰あてんぞ。それ以来つまりは俺自身も、縁結びの神であるという名目(めいもく)(ふところ)に忍ばせ、青春の神であると自称するようにしている。別に誰に言う機会もありはしないのだが……。


 なんて言っている間に百八段。頂上である。


 再び現れた銅鳥居(かなどりい)を前に後ろを振り返ってみれば、コンビニで昼飯を買い人間観察をしスロットを打った、そんな愛しき町並みが一望できた。茜色に染まる見慣れた町の俯瞰景(ふかんけい)に別れを告げ、俺は鳥居をくぐりその先へと続く石畳の参道へ足を踏み入れる。

 阿吽(あうん)の狛犬の間をぬけて石畳(いしだたみ)玉砂利(たまじゃり)境内(けいだい)に進むと、俺が言うのもなんだがいよいよ神社らしい景観に包まれていく。風にはためく青色ののぼり(ばた)の連なり、夕日を映す手水舎(ちょうずや)、微かにざわめく神籤(みくじ)の結び(どころ)絵馬掛所(えまかけどころ)、明りの灯った石燈籠(いしどうろう)。それらの全てを取り囲む社殿(しゃでん)の、その背も越えて天へと枝花(えだはな)を伸ばしているのは、我が社の神木(しんぼく)である枝垂桜(しだれざくら)である。樹齢不明の御霊木(ごれいぼく)は今まさに満開。夕映(ゆうば)えの枝垂桜は一層色濃く花弁が浮き立ち、その様はまるで()れた実がこぼれ落ちようとするかのようである。そして、そんな桜の花々が振りかかるように見える位置、正面奥で鎮座している社殿こそが、神社にとっては肝心要(かんじんかなめ)であるところの拝殿(はいでん)である。


 こうしていざ境内のただ中へと着いてみると、日暮れ前の今でも境内にはそれなりの数の参拝客が見て取れる。


 先ほど笑った奴は聞いて驚くがいい。いくら馬鹿にされようとも、青春神社と(めい)打ってからの我が社の経営状況は二重丸(にじゅうまる)なのである。それまでは知る人ぞ知る地方の縁結び神社の一角でしかなかった我が社が、今ではその存在を全国的にも知られた日本で唯一の青春の神社として、それは大いに繁盛している。もし疑うのであれば試しに見てみるがいい。

 青春神社として大々的に名を()せ始めている我が社の境内にいるのは、どいつもこいつも青春(せいしゅん)()(さか)りという年齢の少年少女である。今、カップルと(おぼ)しき制服姿の高校生男女が、連れ立って拝殿へと向かっていった。そして百円硬貨をそれぞれ一枚ずつ賽銭箱へと投げ込みそろって二礼二拍手(にれいにはくしゅ)一礼(いちれい)。恐らくは(おの)が青春の(さち)(オレ)へと祈った後、今度は仲睦(なかむつ)まじくも物販所(ぶっぱんじょ)もとい授与所(じゅよしょ)へと足を運び、うちが雇ったバイトの婆さんに御守(おまもり)やらなんやらで数千円の初穂料(はつほりょう)を渡している。


「はい、隣町からお越しの高校一年生、倉橋賢人くん石川麻衣さん、合わせて二百円のお賽銭と約二千円分の初穂料、あざーっす。マジ二人の幸せ願ってるって感じ~。」


 続けて、今度はうらぶれた雰囲気の二十を超えたであろう年齢の男が拝殿へと向かっていく。そして(ふところ)から取り出したるは(いち)(まん)(えん)(さつ)。それをなにやら必死に(がん)でも掛けるように握り締めてから賽銭箱へと差し込んだ。そして二礼二拍手一礼にたっぷり百と二十秒。その後、物販所もとい授与所へと駆け寄り御守やら御札やら人形やら饅頭(まんじゅう)やらと買い込んでまた一万近い初穂料を納めている。


「はい、東京からお越しの大学四年生二十二歳=彼女いない歴の童貞、吉田拓馬、合計二万円のお賽銭初穂料、サンキューーッ‼ はやく彼女できるといいよなホントに。」


 おや、次の人は三千円サンキュー。あらあら、さらに次の方は八百円サンキュー。あれあれ、続いてお若いお二人さん五千と六百円サンキューですと。


「クゥ~~~~ッ‼ たまんねぇなぁっ⁉」


 お分かりいただけただろうか。全ては御覧のとおりである。

 うら若き少年少女とそれからついでに行き遅れた二十代三十代の射幸心(しゃこうしん)を「青春」という二文字で(あお)り散らかし、ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ賽銭を投げさせ初穂料を納めさせる。それはもう大繁盛(だいはんじょう)大満足(だいまんぞく)経営状況(けいえいじょうきょう)二重丸(にじゅうまる)なわけである。

 先ほどからの発言はあくまでも心の中のでの声ではあるが、こうして青春を謳歌せしリア充陽キャから、青春を謳歌したらぬ非リア陰キャから、搾取(さくしゅ)した金によって俺の生活費(せいかつひ)遊興費(ゆうきょうひ)その他諸費(たしょひ)(まかな)われていると思うとさすがにニヤニヤまでは止められない。


 神、マジ最高。


 ちなみに、こうしたリア充非(じゅうひ)リア玉石混交(ぎょくせきこんこう)からの手厚い貢納(こうのう)のなかで、彼らが信じ(ほう)ずる青春の神たる俺が彼らに何をしてやっているのかと言うと、ぶっちゃけた話なんにもしていない。俺は青春の禍福(かふく)を運と努力という名の自然の分配法則に(ゆだ)ねきり、ただそこにあって青春という名の人間活動の番人として存在するのみである。以上。まぁ、気まぐれに「人々に青春の幸あらんことを」とか祈りながら天上で思いつきの舞を舞ってみたりすることもあるが、基本的には「どいつもこいつも青春しやがって」とか下界に(つば)吐きながら不貞腐(ふてくさ)れて漫画読んだり小説読んだりゲームしたりネットしたりなんかしている。クズと呼びたい奴がいれば呼ぶがいい。言っておくが吾輩(わがはい)は神であるぞ。なんか文句あったら天罰として一生青春できない体に変えてやるからかかってこいや人間ども。


「さて」


 目の前で次から次へと発生していく不労所得に浮かれつつ、俺は意気揚々と鼻歌を歌いながら境内左側の竹垣(たけがき)へと寄っていった。竹垣に(しつら)えられた木戸(きど)を開けてその奥へと進んでいくと、そこには木造二階建て瓦屋根(かわらやね)社務所(しゃむしょ)が建っている。自宅を()ねるそんな社務所の玄関へ俺は陽気なスキップで近づいていく。そして神であり主である俺のご機嫌なご帰宅を玄関先で待っていたのは、愛おしき四足歩行の(けもの)の「わんっ」という鳴声だった。

 紹介しよう。我が(やしろ)の飼い犬である黒柴(くろしば)(めす)の「御猪口(おちょこ)」である。ビターチョコのようなカラーリングとホワイトチョコのような甘々しい愛くるしさから当初は「チョコ」と名付けたのだが、「おチョコ」と呼んでいるうちに最終的には「御猪口」に落ち着いた。


「よしよし、御猪口。今日もみんながお前の餌代を投げてくれてるぞっ」


 しゃがんで撫でまわしてやると、御猪口は尻尾を振りながら俺に擦り寄ってくる。


「おぉおぉ、お前は可愛い奴だなぁっ」


「わんっ!」「ワンッ!」


「おぉよしよし、……ん?」


 おかしい。今、御猪口に続いてもう一匹犬の鳴き声が聞こえた気がした。しかし我が社に住まう犬は御猪口ただ一匹だけであり、他には猫が三匹しかいないはずなのだ。むむ。

 なにやら悪い予感をひしひしと感じながらも、俺は鳴声の聞こえてきた方向に目をやった。するとそこにいたのはもう一匹の犬。稲穂色(いなほいろ)の柴犬が、行儀よろしくお座りをしながらこちらを見つめてきているのだった。


「お前は大吟醸(だいぎんじょう)……。そしてお前がここにいるということは、つまり……」


 もはや名前すら憶えてしまった他所(よそ)の犬のつぶらな瞳と見つめ合いながら、不労所得に浮かれていたはずの俺の頭は、ただならぬ厄介事(やっかいごと)の気配にざわついていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ