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神ナキ世界のカタリ神  作者: 不如意
一章 青春の神かく語りき
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 「アリガトウゴザイヤシター」という店員の気の抜けた声を背に近所のコンビニエンスストアから出てきた俺の手に下がっている袋に入っているのは昆布のお握りカップ麺、烏龍茶にそしてバウムクーヘン一切れの計四品である。

 今日の我が昼食として抜擢されたこの税込(ぜいこ)正味(しょうみ)六百八十(ろっぴゃくはちじゅう)三円(さんえん)の選抜メンバー達は日々繰り広げられしコンビニ市場戦争における競争と排他の中で磨き上げられた精鋭ばかりであり、特にその価格と味の成すコストパフォーマンスたるや他の追随を許さない。消費税法改正によるブレはあれどほぼ百円を崩さない昆布のお握り、価格と味だけでなく保存性と手軽さとさらにはボリュームまで併せ持つカップ麺、プライベートブランド製の烏龍茶は価格わずか百円にして某メーカーと遜色(そんしょく)なき味わい。入れ替え激しいコンビニ商品棚で明日は我が身の椅子取りゲームに興じ常人ならぬ常商品(じょうしょうひん)であれば気狂いを起こした後に泡を吹いて卒倒(そっとう)してもおかしくないなかで、これら三品は憮然(ぶぜん)としてそこにあり続け、あまつさえ微笑(びしょう)さえ浮かべて鎮座する様はまさに強者であり正義。その面構(つらがま)えからして異様なる威厳を感じざるを得ない。一消費者(いちしょうひしゃ)として俺はそんな歴戦の猛者達(もさたち)に感謝し敬服(けいふく)平服(へいふく)すらしながらお買い求めさせて頂くのである。ちなみに、今日選抜されているバウムクーヘンはイレギュラーである。その実力は認めるに値するが、日々(ひび)自制的節約(じせいてきせつやく)が求められる我が御財布事情(おさいふじじょう)を考慮すると、普段は甘味(かんみ)を除いた前出の三品による布陣で会計を五百円以内に収めるのが明君賢相(めいくんけんしょう)たる俺の判断なのである。さてこうして語っていると我が生活の要衝(ようしょう)たるコンビニについてはまだまだ談義は尽きないが、終わりの見えないのは火を見るより明らかなので続きはまた次回にするとしよう。次回があれば、だがな。


 所変わらずコンビニ前である。


 俺は我慢できずにさっそくコンビニ袋へと手を突っ込んで昆布のお握りを取りだし後生(ごしょう)どうこう構わず即座に包装を剥き取り口へと突っ込んだ。行儀悪(ぎょうぎあ)しくもお握りを頬張りながら俺は通りを歩きだす。

 春四月(はるしがつ)、ここのところ随分と暖かくなってきたからか、昼の通りは道行く人でそれなりに賑わっている。人口十万人を抱える地方都市のお隣にちょこんと腰を置くベッドタウンであるこの町には、ビジネス街や歓楽街などといった都会的風景などはなく、雑踏や喧騒とは程遠い長閑(のどか)な生活風景が日々流れ続けるばかりである。強いて言えばこの町におけるビジネス街とは商店街であり、歓楽街とは駅前界隈(えきまえかいわい)の限定された開発地区だと言える。西に行けば川、東に行けば田畑に野山、北に向かえば山々森林。作りたて新品の駅界隈とそれなりに新しく見える住宅の町並みという二重のまやかしによって(あざむき)きの中で都会人がごとく生活している我々住民一同ではあるが、その実この町の背景に常に雄々しく連なり(そび)えし山々は、「ここは田舎ですよ」という高らかなる宣言にも似た威容を常に町へと振りかざしてくれているため、視線を少しでも遠くへ向けた途端にそんな都会人の端くれ的虚妄(きょもう)は打ち砕かれる。


 昆布のお握りの最後の一欠けをごくりと飲み干しつつそんな山々を眺めつつ、俺はそのまま突き当りに走る大通りへと向けてとぼとぼ足を進めていく。


 (たわむ)れに道行く人々を観察してみれば、買い物袋を肩にかけた主婦は忙しく店店(みせみせ)を渡り歩いているし、ワイシャツネクタイのオッサンは額に汗を浮かべながら自動二輪を手押ししているし、荷物を重そうに持つ(ばあ)さんは腰を曲げながらも大通りに架かる歩道橋をえっちらおっちら上がろうとしている。迷うでもなく立ち止るでもなく途方に暮れるでもなく空を見上げるでもなく地を見つめるでもなく、通りを行く誰もがそれぞれの歩幅で日常行路(にちじょうこうろ)をひた歩いている。


 こんな時間に人間観察しながらほっつき歩いている放蕩人間(ほうとうにんげん)など俺ぐらいである。


 寝癖頭に半開きの目、意志のない顔つきはニートのそれ。個人的にはかなり気に入っているスカジャン風のセットアップの黒ジャージ。その背に()うは筆書きの「神」の文字と桜吹雪。素足に履くはくたびれたビーチサンダル。十七そこらにしか見えない若輩者(じゃくはいもの)が平日昼間にこの見てくれである。一般論的(いっぱんろんてき)観点(かんてん)では高校生かあるいは中卒労働者かの二択しかないように思われる俺がこんな時間にコンビニで昼飯を買って家路に付こうとしているのがなぜかと言われれば、勘違いしてほしくないがサボリストであるからでもニートであるからでもない。そんなアホやクズと一緒にされては困る。


 なにを隠そう、それは俺が神だからである。


 神には学校への登校義務もなければ会社への就労義務もない。そもそも入学も就職もしていない。するわけがない。神だから。

 さりとて、一件落着(いっけんらくちゃく)こうして俺が神であることが了解されたところで、しかし裏腹に、まるで我が上げ足を取るかの(ごと)くに噴出する問題があることを俺は承知千万(しょうちせんばん)であるし同時に笑止千万(しょうしせんばん)でもある。その問題とは(すなわ)ち「じゃぁ神であるところのお前はどうしてこんな時間に市中(しちゅう)を出歩き人々を救うでも罰するでもなくコンビニで昼飯なんぞ買っていやがるのか」であろう。ごほんっ。これにつきましては、人類(じんるい)皆々様方(みなみなさまがた)がお抱きになっていらっしゃいます神という存在に対するイメージからしますと極めて不自然なことであるかのように思われるかもしれせんが、しかし誠に僭越(せんえつ)ではありますが、そのご批判は(いささ)か時代錯誤なものであると言わざるを得ません。ごほんっ。口調改め正直に。


 鼻で笑わせてもらおう、そんな考え方はとうに古き時代のものとなった。


 イマドキのナウなゴッドの在り方は、ずばり「冷眼傍観(れいがんぼうかん)」なのである。

 もう幾世紀(いくせいき)も前に人類は神から自立した。言葉を知り知恵をつけ道具を扱い科学を発展させ、人類は人類共同体それのみの力によって生存していくことを可能にしたのだ。そして時代の変遷とともに、神という存在を信じると信じざるとに関わらず神頼みという行為は(むな)しきものと認識されるようになり、有神論者はその辻褄(つじつま)を「神は試練を与える」という言葉によって合わせた。加えて人類が人類自らに自律的生活を促す甘ったれ排他主義の現代、我々神は神としてそこにある以上の意味を持ちはしないのだ。禍福(かふく)を意のままに操りそして振りまく能動的(のうどうてき)神性(しんせい)は時代遅れのものとなり、ここ数世紀の神界(しんかい)のトレンドは座して待つ静的(せいてき)GODスタイル。禍福(かふく)は大かた運や努力という名の自然の分配法則に(ゆだ)ねきり、人々の幸不幸(こうふこう)は全くアトランダムに決定されていく。神々はただそこにあって自然のシステムの番人として存在するのみである。以上。


 つまり、こうして遊惰(ゆうだ)に時を過ごすのが現代の神の在り方、今日日(きょうび)の神のライフスタイルというものなのだ。そらニーチェも「神は死んだ」って言いますわ。


「あぁ~あ、とくにやることもねぇし、ちゃっちゃと帰っかっ」


 無駄な脳内劇場を繰り広げているうちに気がつけば大通りへと差し掛かっていた俺は、そのまま家路へ付こうと通り沿いの歩道を右へ曲がろうとし、たのだが。


 どうにも、歩道橋が気になる。


 そういえば、今日は通り向こうのパチスロ屋が確か所謂旧(いわゆるきゅう)イベント日である特定日(とくていび)。ホールには高設定のスロットがさぞや沢山並んでいることだろう。このまま通りを渡らず右へ真っ直ぐ進めば我が住処(すみか)へと向かうことができるし、歩道橋を使って通りを渡ればその先には(くだん)のパチスロ屋が待っている。さしずめこの四車線の大通りは今日という日の俺の運命の分かれ道とも言えるかもしれない。


「やれやれだぜ……」


 俺は迷いなく次の一歩を踏みだした。






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