表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神ナキ世界のカタリ神  作者: 不如意
序章 神は存在するし、いつでもお前らのことを空の上から見守っている。
1/17

1




 神という存在について何かを論じようとするとき、何をおいてもまず初めに持ち出されるべき論題(ろんだい)は、神は果たして存在するのか否かという命題的問いかけではないかと思う。

 人知を越えし世界の超越者たる神は果たして実在するのか、はたまた我らが空想の産物に過ぎないのか、物理学者アインシュタインが肯定し哲学者ニーチェが否定したその存在について人類は古今東西(ここんとうざい)井戸端学会(いどばたがっかい)、多様な場で有神無神(ゆうしんむしん)の論者に分かれて舌戦を繰り広げてきたことであろう。この永遠普遍(えいえんふへん)永久不滅(えいきゅうふめつ)と言っても過言ではない人類共通の疑問に、出し抜けではあるが今ここで、俺が、悩める憐れなそんな誰も彼もへと答えを授けてやろうと思う。


 断言しよう。神は存在する。


 さて、かくして俺のおかげで目出度(めでた)く神の存在が疑いようもなく証明され得たところで、続きましてとばかりに神への問いの歩を進めてみよう。神の実在を前提として次に議論されるべき題目は決まっている。

 神が存在するのならば、いったい神はどこに御座(おわ)すのか。

 人知を超えし世界の超越者たる神は果たしてどこに存在するというのか、時に人は「神様はいつでも私たちのことを空の上から見守ってくれているのよ」と祖父母の霊魂ばりの説明を試みたり、「神様はどんな時も私たちの心の中にいるのよ」とそれはもはや妄想と言っていいのではとツッコミを入れたくなるような説明をしてみたり、天国地獄(てんごくじごく)ヴァルハラエデン高天原云々(たかまがはらうんぬん)、また神は世界の内側にいるとか外側にいるとか世界は神の内側にあるとか世界そのものが神であるとか()ね繰り回した可知不可知(かちふかち)()り取り見取りの論説を妄想隆々(もうそうりゅうりゅう)展開してきた。老若男女(ろうにゃくなんにょ)凡人賢人(ぼんじんけんじん)、諸種の人々によって侃々諤々(かんかんがくがく)と口角泡を飛ばしまくられたであろうこれまた永遠普遍(えいえんふへん)永久不滅(えいきゅうふめつ)のこの疑問に、またまた俺が今ここで、悩める憐れな誰しも彼しもへと答えを授けてやろう。


 明言しよう。神さまはいつでもお前たちのことを空の上から見守っている。


 はたして、幾千年(いくせんねん)と続く人類共通の疑問に、今、鮮やかに決着がつけられたのであった。

 ……とまぁ、そんなこんなとくどくど語ってみたわけなんだが……。


「……まぁ実際、どーでもいいよなぁ、神なんて」


 何人(なんぴと)も真理にたどり着けなかった神の存在証明に決着をつけた叡智たる頭脳を持つ俺は今、(しな)びた六畳一間の畳の上に仰向けの五体投地で寝転がって、見上げる天上板の複雑怪奇(ふくざつかいき)な年輪模様にバウムクーヘンを見ていた。いや腹減ってんだわ、今マジで。

 我が生活水準は今月もなかなかに低空飛行を続けていて、この部屋での俺の一人暮らしは蝶のように華やかに飛翔するそぶりも見せず依然変わらずゴキブリ低滑空(ていかっくう)の様相である。


「神がいたところで別になにかしてくれるってわけでもないしなぁ~」


 そう言い終わるや否や、腹の虫がぐぅと賛意を示してきた。神がいようが誰の腹も減るし、神が見守っていようが腹が満たされる何かを寄越してくれるわけでもない。俺一人の腹も満たせない神の実在になんの意味があろうか。ああ神無能だわ、神マジで。

 この世の統治者施政者(とうちしゃしせいしゃ)最高指導者(さいこうしどうしゃ)閣下様(かっかさま)たる神の無能に消化器系(しょうかきけい)共々(ともども)絶望しつつ、俺は膝を立て「どっこいしょ」と立ち上がった。日々の過酷な生産的生活(せいさんてきせいかつ)によって俺の身体は疲労困憊(ひろうこんぱい)である。断っておくが、決して非生産的怠惰(ひせいさんてきたいだ)がたたって肉体が貧弱になっているとかそういうわけではない。決してない。

 自他ともに賛じて止まない勤労な一歩を踏みだした俺は、そうして六畳一間南向きの窓へと近づいた。重怠い腕を伸ばし()りガラスの窓をからからと開けてみる。すると、ぴゅうっと温かな春の風が俺の寝癖を揶揄(からか)いつつ部屋の中へと吹き込んできた。見上げたる空は雲一つなき快晴なり。まぁ、それも当然のことではある。なぜなら我が住処(すみか)にとって雲とは見下げるものであるからだ。視線を下へ落としてみると、薄雲がちらりほらりと浮かんでいる。そして遥か真下に見下ろすは、ありふれた地方都市の町並みである。


「さてさて、今日はどんなもんですかねぇ」


 俺は両の手指(てゆび)を筒状に丸め、丁度(ちょうど)双眼鏡(そうがんきょう)のように(かたど)って自分の目元へとあてがう。すると見る見るうちに我が両手(りょうて)双眼鏡(そうがんきょう)の実在しないレンズは倍率を上げていき、(へだ)たる幾重(いくえ)の物理的障害物すら透視して地上の日常的(にちじょうてき)様相(ようそう)間近(まぢか)に俺に垣間見(かいまみ)させる。


「どれどれ?」


 俺は手始めに視野を南方へと滑らせて駅の界隈(かいわい)を覗いてみた。映るはプラットホーム。新社会人らしいスーツ姿の青年が、前髪についていた桜の花びらを先輩女性社員らしき人物から揶揄(からか)われて顔を赤くしている。あれあれ。次いで俺は視野を西方に流れる河へと滑らせた。映るは河川敷。平日の昼間であるはずの今、赤と黒のランドセルを背負った男児と女児は桜の木の下に隣り合って腰を下ろして、どうやら二人秘密の逃避行というわけであるらしい。あらあら。続けて俺は視野を東方の野山へと滑らせた。映るは山道中腹(さんどうちゅうふく)展望所(てんぼうじょ)。ハイキングか軽装の登山服に身を包んだ幾人もの爺さん婆さんが、先短(さきみじか)余生(よせい)もなんのその開花した山桜(やまざくら)の花弁を愛でつつ和気藹々(わきあいあい)である。はいはい。俺は最後にこの町の中心部にある高等学校へと視野を滑らせてみた。映し出されるは桜咲き誇りし学び()。昼休み直中(ただなか)らしく中庭で男女集まって昼食を食べる者もいれば、教室で友人らとはしゃぐ者、仲間と部活に励む者、少年少女(しょうねんしょうじょ)三々五々(さんさんごご)大賑(おおにぎ)わいである。これはこれは。


「あぁあっ、今日も今日とてどいつもこいつもっ、青春してらぁっ!」


 青春日和(せいしゅんびより)の空の下、桜に彩られし春うらら、かくも素晴らしき塩梅(あんばい)の地上で人々が人生を謳歌(おうか)している。一方雲も見上げる空の上、(しな)びた六畳一間には、腹をすかせた俺がいる。


「まったく良い御身分(ごみぶん)だぜっ、どいつもこいつもよっ!」


 ほんと、こちとら溜息(ためいき)しかでねぇわこんちくしょうめ。


 ……さて、それはそうと全く突然ではあるがこの辺りで、豆にも及ばぬ知識をほんの一粒だけ披露させてもらおう。神の名前のことを、そのまま神の名と漢字で書いて「神名(じんみょう)」とかいうらしい。ちなみに俺の神名は春田比古命(ハルタヒコノミコト)





 俺はこの町の、青春の神である――。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ