7. 冬の初体験はウキウキと
「おっ、地稽古にも参加するのか?」
休憩時間に漣がウキウキしながら防具を取り出している。
「うん、稽古前に、今日から時間通りに参加しますって師範に報告したら、じゃあ地稽古にも参加しなさいって言ってくれたんだ。」
地稽古というのは防具を着用して実際に打ち合う稽古の総称だ。幾つかのパターンがあるが、試合に近い形で自由に打ち合う稽古もあるので、ある程度の期間稽古を続けないと参加させてもらえないのだが。
「漣がここに来てから2ヶ月くらいだよな?」
「そうだね。遅刻ばかりだったから、時間で考えたらもっと短いかも。」
つまり、異例の早さである。
俺の時は半年くらいかかっていたと思う。
もっとも、中学入ってから剣道を始める人は珍しく、行儀ができていない子供に比べて早いのは当然なのかもしれない。
「防具の着け方は分かるか?手伝いいるか?」
「大丈夫、家で動画説明を観ながら何度か着てみたから!」
フンスと鼻から息を吐いて自信たっぷりに答える漣。
あれだな。ランドセルを買ってもらった幼稚園児が、まだ入学してないのに何度も背負ってみる感じだろうか。
「ちょっと竹刀借りるぞ。」
「え、ああ、いいけど、どうするの?」
漣の竹刀の表面をじっと見る。
地稽古は稽古相手に打ち込むから、竹刀がささくれてると怪我をさせてしまうことがある。
漣の様子を見るに、自宅でも竹刀を振って練習しているかもしれないからな。俺も小さい頃は家の中で振り回して、壁や家具にぶつけたりして怒られたもんだ。剣道少年なら、誰もが通る道である。(多分)
俺は自分の鞄から紙やすりを取り出して少し怪しいところを磨いたが、他は概ね問題なかった。漣は俺と違って、ちゃんと竹刀を大切に扱っているようだ。
いや、俺も今は大切にしているよ?
「ほい、返す。地稽古が始まったら竹刀の消耗が早くなるからな。早めに二本目を用意しておいた方がいいぞ。」
「そうか···そういうことも気をつけないといけないんだね。ありがとう、涼太。」
子供達のヘルプもしなければならないので、漣のとこから離れる。まあ、あの様子なら、俺が気を使わなくても大丈夫だろう。
ふと気づくと、遠見詩音がこちらをじっと見ている。しかし、俺が視線に気づいたのが分かると、何でもなかったようにそっぽを向いた。
何だろ?気になるな。
稽古が再開すると、少年組はニ列に並び、お互いに向かい合って整列する。一方は掛かり手、もう一方は元立ちになる。
掛かり手はまず面を打つ。元立ちはそれを受けつつ少し後退し、竹刀を立てる。その竹刀を、掛かり手は左右交互に連続で打ち、最後にもう一度面を打つ。そのまま位置を入れ替わって攻守交代する。切り返しという稽古方法だ。
ここで特に気をつけなければならないのは足捌きだ。初心者がやりがちなのが、竹刀を振ることに意識が集中して、左右の足の位置がおかしくなることだ。剣道は正しい姿勢を維持してないと技として認められないから、動的な流れの中でも基本姿勢を保てるように、稽古でしっかり身に染み込ませなければならない。
と、よく言われたっけなぁ。
今なら分かるけど、まだ小さな子供だった俺に理解できるはずもなく。ただ、我武者羅に竹刀を振り回していた日々だったな。
漣は小学6年生の男子と組まされたようだ。年下だが、キャリアは向こうのほうが数年上だ。初心者同士で組むより、経験者と一緒に稽古した方が動きを見て覚えやすいだろう、という配慮だろうか。
初めての稽古に戸惑いながらも必死に動こうとしているが、案の定、手と足の動きがバラバラだ。まあ、最初から上手いやつなんていない。何度も稽古している内に身体に染み付くものだ。それがおかしな形で定着しないように注意するのが、監視する先生達の役目ってわけだ。
ちびっこ達の相手をしながら様子を見てると、自分が初心者だった頃を色々思い出す。あの頃は同期の悪ガキ達と一緒に騒いでは、よく大人達に怒られてたっけなあ。そして···
思い出は、ふわりと甘い香りを連想させた
目の前を揺れ動いた、長い黒髪と白装束の人の姿が
って、俺は何してんだ?
ぼーっとしてないで、今はガキどもに集中しないと!
はっと前を見ると、前屈みになってモジモジしてる子がいる。俺はその子の手を引き、急いで親元に連れて行った。
危うく、大事故が起きるとこだった。