2. 冬の体育館の床は冷たくて
家がすぐ近いので、大抵俺が一番乗りだ。
その為、体育館を開けるのはいつの間にか俺の役目になっていた。
まずは受付に行って、鍵を借りるための台帳に名前を書く。
文字は読めて書ければそれでいいと思っていた時代が俺にもありました。
台帳に書かれている歴代の鍵開け担当者の名前は毎回同じじゃないが、軒並み達筆でしかも堂々としてる。俺が担当するようになってから、急に自信なさそうな線の細い名前が連なっている。全部俺だが。
剣道をやっていたら、書道もやるものなのか?
台帳に名前書くためだけに書道習うのもな・・・
でも、少しだけ自分の名前を上手に書く練習はした。
「はい、真中涼太君ね。いつもご苦労さん。」
宿直のおじさんから鍵を受け取り、体育館へ向かう。
すると、既に何人か人が来ていて扉の前で待っていた。
遅刻したわけじゃないから、単にこの人達が早く来たのだろう。
「こんばんは。すみません、お待たせしました。」
「こんばんは、涼太くん。雨だから車で来たら、思ったより早く着いちゃってねぇ。」
鍵を開けながら、母親にくっつく小さい子供たちにも挨拶する。
俺の名前は覚えられているけど、相手の名前は覚えてないので「こんばんは」としか言えないことに少し申し訳なさを感じつつ。
館内の照明の電源を入れたら、側面にある鉄扉を全開放して回る。
寒風が入って来るが、稽古が始まったらあの暑苦しい防具と面を着けて大声出しながら動き回るのだ。閉めっぱなしだと、真冬でも熱中症になりかねない。
ただ見学しているだけの保護者の人達もそのことをちゃんと理解しているから、防寒対策バッチリな格好で来ている。なので、遠慮なくズンズンと開けて回る。
次に床のモップ掛け。別にピカピカに磨くわけじゃない。
裸足での稽古だから、うっかり異物を踏んで怪我しないように見回りをしているのである。なので、1人でもすぐに終わるのだが、小さい子供たちもキャアキャアと騒ぎながら手伝ってくれる。役に立っているとは言い難いけど、まあ、稽古前の儀式みたいなものだしな。
それが終わったら、胴衣と袴に着替える。
狭い更衣室は数少ない女子たち専用なので、男子は体育館の端で着替えることになる。自分の着替えを手早く終わらせて、手間取っている子供たちの手伝いに回る。
女子でもまだ低学年の子たちは男子に交じって一緒に着替える。何せ剣道というものは道具の置き場にも、ものすごくスペースが要る。まだ着替えに補助が必要な小さい子とその保護者が複数一緒に入れるほど更衣室は広くないので、仕方がない。イマドキの風潮を考えるとよくないのは分かるのだが、ないものはないのである。
そのため、危機意識の強い親御さんはあらかじめ胴衣袴に着替えさせてからで車で送ってくる。でも、雨の日は駐車場から体育館の間で袴の裾がビショビショになるから、それはそれで大変だ。床が濡れると転んで怪我するからな。
着替え終わった子供たちから体育館の中央に集め、ゆっくり準備運動を始める。
甲高い声が館内こだまする。
体育館の中をぐるりと何周か走らせる。
その間もキャアキャアと楽しそうに騒ぎ立てる。
なんでコイツら、こんなに元気なんだろう。
見てる親御さんたちは寒くて歯をカチカチ鳴らしてるのにな。
身体が温まったら、竹刀を持って全員で素振り練習。
円になって、ぶつからないように各自距離を空けさせる。
号令に合わせて各種素振りをした後、最後に早素振りを数セット。
この頃には全員、結構汗をかいている。
開放した鉄扉から流れ込む寒風が気持ちいいくらいだ。
そして、その頃には指導員の人達の着替えも終わり、本稽古前の整列の時間になる。その前に、汗を拭いて水分を取らせる。そして、休憩が終わった子供たちから体育館中央に一列に並ばせて正座させる。
大体、ここまでが俺の役目だ。
いや、しんどいって。