第407話 血神 前編
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扉の先に広がっていたのは、先ほどまでいたレヴェル湖に似た地形でありながらも、全てが血のように紅い世界だった。
レヴェル湖の湖面に映るのみだった紅い満月が実際に空に存在しており、放たれた紅い月光が異界全体を満たしている。
湖面に映っていた紅い満月の場所には小さな島が浮かんでいて、その上には神殿のような建造物が聳え立っていた。
浮島の周囲の湖を満たすのは水ではなく血だ。
旧神たる血神を封じる閉ざされた世界〈血獄の封神殿〉。
それがこの封神異界の名称だった。
レティーツィアに完全変身している状態でも使用可能な【魔賢戦神】の【主神ノ賢能】で解析して分かったのは異界の名称だけではない。
目の前に広がる景色は、封印されている血神の影響で後天的に変質した物であることも判明している。
血神を封印する場所でありながら血神の領域でもあるという矛盾した世界だが、根幹である封神の性質だけは破綻していない。
血神の庇護を一手に受けていた始祖の吸血鬼、初代スキュアクス国王の血を凝縮して作られた〈始祖の血石〉には、血神の血も含まれている。
地上の存在である始祖の血と、神性存在の血神の血で作られた血石は、封神異界と地上という二つの世界を繋げる触媒としては最適だ。
封印されて間もない頃は封神の力が強くて無理だが、異界内が血神の領域に染め上げられた後ならば、条件付きで道を開くことができる。
おそらくだが、当時の血神と始祖はそのように考え、後世に解放の望みを託したのだと思われる。
【主神ノ賢能】の解析で得た情報と【天空至上の雷霆神】の【偽・全知全能】の知識を合わせて導き出した推測だが、状況的にもそこまで外れてはいないだろう。
そんなことを血の湖の畔に立ったまま考えていると、封神異界の中心にある神殿から誰かが姿を現した。
真紅の長髪に真紅の瞳をした、何処と無くレティーツィアやベアトリクスに似た顔立ちをした美女は、神殿の階段の上で立ち止まると、その双眸を俺へと向けてきた。
美女の口元から紡がれた言葉は人間にも理解できる言語だった。
スキュアクス血国で使われている言語に似ている気もするが、実際のところは分からない。
少なくとも意思疎通ができるとだけ分かれば気にする必要はないだろう。
「その顔立ち、アヤツの子孫か。どうやら妾と結んだ契約を見事に果たしたようだな。神器を作ってやった甲斐があったというものだ」
声を張り上げたわけでもないのに美女の声が空間全体に響き渡り、その声は心身の奥底にまで届いてきた。
完璧に模倣された吸血鬼の因子が震え、目の前の存在に従いそうになる。
古の吸血鬼達が崇めていた神だからか、その従属意識が因子にまで刷り込まれているのかもしれない。
まぁ、どれだけ完璧に吸血鬼を模倣しても、俺は所詮偽物だ。
実際には吸血鬼ではない俺にとって、この声は妙に心に響く美声止まりでしかない。
とはいえ、ただの言葉が多少なりとも精神に干渉してくるあたりは、流石は神性存在と言うべきか。
「む? 妾の神器を宿しているようだが……ふむ。キサマ、本当に不死鬼族か?」
「どういう意味でしょうか、血神様?」
「妾の眼が愛し子のことを見抜けないわけがない。妾の血で創造した神器を宿しているならば尚更だ。だというのに、キサマのことは見通せぬ。これはあり得ぬことだ」
「長きに渡り封印され、御力を減じられた影響ではないでしょうか」
「妾の色に染め上げた此処でならば、失った力も幾分かは補える故、その前提はあり得ない。それに……キサマからは妾に対する信仰を感じられん。愛し子ならば本能的に妾に対して抱く種としての信仰心が微塵も感じられないのは、不快だな」
ふむ。思っていたよりも血神と吸血鬼の繋がりは深いようだ。
凡ゆる種に対して公正でなければならない神々と言えど、自我と意思を持つからには物事の好き嫌いはある。
その対象が種族にまで及び、特定の人類種にのみ肩入れし、他の人類種を支配させようとする。
そのようなルール違反を犯した一部の神々は〈旧神〉と呼ばれ、地上世界を混乱させた罰として他の神々から殆どの力を削がれ、誰もいない封神異界に封印される。
封印後は、地上に残った旧神の影響力を消し去る目的で歴史からも存在が消されていくのだが、どうしても何処かには影響力が残ってしまう。
俺はエリュシュ神教国の神都デウディアスの大神殿にある禁書庫に所蔵された本で旧神の存在を知ったが、スキュアクス血国の一部の者達は血神の解放を目指して、密かに後世へ伝えていったのだろう。
封神異界へ通じる血石をくれたベアトリクスは封じられた血神のことは知っていたが、この空間に入ることが何を意味するかまでは知らされていないようだった。
俺ならば血神を封じる場所から何かを得られるかもしれないと考えたらしいが、未来を予知できたと言われる祖父の頼みを叶える目的もあったと思われる。
ベアトリクスの祖父が未来予知で何を視たのかは知らないが、俺は俺の望むがままに動くとしよう。
「それは失礼しました。でしたら、これ以上ご気分を害される前に失礼させていただきます」
そう告げて、背後に出現したままの扉へと振り返ると、血の湖から溢れ出た血が扉を覆い隠した。
「妾を不快にさせたのに詫びも無しに何処へ行くつもりだ? 素性の知れぬ怪しいヤツだが、キサマの見た目は悪くない。その容姿は妾が封印の外に出るための器に相応しい」
「器、ですか。はじめから此処に来た始祖の子孫を利用するつもりだったのですね」
「自分の所有物なのだから、どう扱おうが勝手であろう。神である妾にその身を捧げられることを喜ぶがいい」
血神が手を翳すと、血の湖から更に血が溢れ出て、俺の身体を取り囲んでくる。
外部への出入り口を封じられた上に、取り逃がさないように血神の血が迫ってくる。
予想通りの展開に苦笑しつつ、酷薄な笑みを浮かべる血神へと振り返る。
見た目は好みなんだが、前の異世界で最後に戦った敵である腐れ女神を彷彿とさせる態度が苛立たせる。
というか、あの腐れ女神も旧神だったんじゃないか?
封神異界を抜け出した腐れ女神は、失った力を取り戻す目的で前の異世界に降り立ったのかもしれない。
何柱かいる旧神の中に腐れ女神と同じ呼称である〈創造神〉がいるし、凄くそれっぽいんだよなぁ……。
「後悔しますよ?」
「ほざけ」
血神の言葉の直後、血の濁流が俺を呑み込む。
体内に入ってきた血が、肉体だけでなく精神と魂まで侵そうとしてくるのを感じる。
生半可な力では通じないことを全身で理解すると、【強欲神皇】の【発掘自在】を発動させた。
「何だと?」
困惑する血神の目の前で、俺の中に入ってきた大量の血神の血を【発掘自在】で全て掘り起こし、目の前に強制的に掻き集める。
それと同時に、レティーツィアへの完全変身を解いて元の姿に戻ると、【強奪権限】の超過稼働能力を発動した。
「奪い解け──【強奪権限】」
超過稼働能力の一つ【貪欲なる解奪手】により、手の上に集まった血神の血が分解され、漆黒の金属質な手に変化した右手へと吸収されていった。
[解奪した力が蓄積されています]
[スキル化、又はアイテム化が可能です]
[どちらかを選択しますか?]
[スキル化が選択されました]
[蓄積された力が結晶化します]
[スキル【血神の因子】を獲得しました]
ふむ。やはり【強奪権限】の力は神が相手でも通じるな。
前の異世界で証明されていたが、転生を経ているので念のため確認しておいた。
その心配は杞憂だったわけだが、これで心置きなく挑むことができる。
「満たせ──【強奪権限】」
封神異界の全域に領域系超過稼働能力【災界顕現】が展開される。
この能力は敵味方問わず領域内にいる者から無差別に体力や魔力だけでなく、凡ゆる能力までも奪う。
この世界に来た当初は、スキルなどの能力だけは死後奪う仕様だったが、基礎レベルをはじめとしたステータスが大幅に向上したことで、死後でなくとも能力が奪えるようになっていた。
そのため、味方がいる状況や対象が所持しているだけで不利になるスキルを持っている場合は使うのを控えていた。
だが、この封神異界には俺と血神しかいない。
神性存在である血神が相手ならば、無駄な力を奪ってしまうこともないはずだ。
その上、固く閉ざされた異界にいるので第三者が途中から侵入してくる心配もなかった。
周りの被害や不利系スキルを気にせず力を振るえるならば、【災界顕現】を使わないのは勿体ないだろう。
大きく弱体化しているとはいえ、神は神。
今生では初めての神殺しなので、全力でいかせてもらうとしよう。




