第390話 リリン商会
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中央大陸の中央部には多くの中小国家が存在している。
これらの国々の殆どは、立地的にも国力の面からも大陸内の情勢の影響を受けやすく、その煽りを受けて昔から多くの国が滅びては建国されるを繰り返していた。
その中でも、小国のわりには歴史が長い国に〈シュラ王国〉という国家がある。
修羅などという名前から戦に長けていそうな国だが、特にそのようなことはなく、何の特徴もない平凡な国だ。
唯一の特産品と呼べる物が国内に自生している多種多様な薬草で、その効能も他国の物よりも高い。
効能が高いと言っても極東のファロン龍煌国にあるような霊地産ほどではないものの、霊地産の薬草は距離的な問題から非常に高額だ。
そのため、同じ大陸中央部に位置する国家の多くには、ファロン龍煌国産の薬草よりは安価なシュラ王国産の薬草の方が需要があった。
これまでに培ってきた薬草関連の各種ノウハウもあって、今日まで国際関係における発言力を維持し続けられていたのだが、近年それにも陰りが出てきていた。
その原因は、〈創造の勇者〉リオン・ギーア・ノワール・エクスヴェルによる魔王討伐だ。
かの勇者は、魔王との〈星戦〉より得た報酬を活用して、所属国家であるアークディア帝国の土地に星の魔力である〈星気〉が溢れる霊地を生み出していた。
霊地の専門家とも言えるファロン龍煌国からの協力も得て、僅かな間に霊地産業を軌道に載せており、その中には霊地産の薬草もあった。
戦争によるアークディア帝国の領土拡大によって地理的な距離が縮まり、大陸中央部にもアークディア帝国産の薬草が安価に流通するようになった。
その結果、シュラ王国の薬草収益は時間が経つにつれて低下しつつあった。
それに伴い、国家間の関係にも変化が生じようとしており、そこに目を付けた者がいた。
「はい、確かに。では、今後はこの契約内容に則り、私どもドラウプニル商会の方でリリン商会に帝国の霊地産薬草を卸させていただきます。それらの霊地産薬草を用いてリリン商会で生産された医薬品は、私どもで仕入れさせていただきますので、よろしくお願いします」
「分かりました。今後ともよろしくお願いします、オーズさん」
場所はシュラ王国の隣国にある小国〈メディカ医国〉。
メディカ医国は国号の通り医療関連技術に秀でており、古くから薬草国であるシュラ王国とは密接な関係にあった。
そのため、アークディア帝国の霊地産薬草の台頭による影響を強く受けていた。
アークディア帝国内で霊地産薬草を取り扱う様々な商会が、メディカ医国の大型医療系商会に目を付ける中、ドラウプニル商会は新興商会である〈リリン商会〉と商談を行なっていた。
霊地産の各種薬草を輸出し、他国の商会であるリリン商会で製作された医薬品を輸入する。
所謂、逆委託加工貿易と呼ばれる貿易形態を提案してから数ヶ月間に渡る交渉が漸く成立した。
この商談をはじめて間もない頃は、緊張感と警戒心を募らせていたリリン商会の商会長リリスも、交渉が無事に終わったとあって肩の力を抜いていた。
そんな彼女の心の隙を突くように、ドラウプニル商会の外商担当のオーズが本題に入った。
「リリス会長。商談が終わったばかりで申し訳ないのですが、別件でもう一つ交渉を行いたいのです。よろしいですか?」
「構いませんが、医薬品関連でしょうか?」
「いえ、医薬品でも薬草でもありません。ある意味では全く関係ないわけではないのですが、一つ、いえ、二つほど欲しいモノがあるのです。考えている対価についても、リリス会長ならば必ず欲すると確信しております」
リリン商会の若き商会長リリスは、目の前の天魔族の男性を訝しみながらも、この数ヶ月間の商談を通じて築いたオーズへの信用と今後も考えて、一先ず話を聞いてみることにした。
「そこまで自信を以て仰ると内容が気になりますね。分かりました。お聞かせくださいませ」
「ありがとうございます。念のため防諜用に結界を張っても構いませんか?」
「はい。どうぞ」
今日は契約内容の最終確認のための会合だったので使用していなかったが、これまでの商談でも防諜用の結界を張る魔導具を使っていた。
これまでの経緯から深く考えずリリスが承諾すると、魔導具ではなくオーズ自身から何らかの結界が展開された。
その異常にリリスの形の良い眉がピクリと反応する。
現在展開された結界が今まで使われた結界とは明らかに異なるモノだと気付いたリリスが、その双眸を細めながらオーズに問い掛ける。
「……オーズさん。これはどういうことでしょうか?」
「誤解なさらないでください、リリス会長。これまでに使った結界とは異なりますが、防諜用だというのは嘘ではありません。私に貴女と敵対するつもりはありませんよ」
「……それで? このような結界を張った理由は何でしょうか?」
「一言で言うならばリリス会長、貴女のためです」
「私のため?」
「はい。これより行う取引内容が外部に流出した際に不利益を被るのは貴女だからです」
「……」
自らに生じる不利益と言われて、真っ先にあることに思い至ったリリスは、静かに意識を変化させていった。
「ふむ。先に貴女に渡す対価を告げた方が冷静になってくれそうですね。まず一つ目ですが、強力なステータス隠蔽、並びに偽装能力。この力があれば、ステータスに表示されている称号を隠すことができ、種族名に関しても別の名称に偽装が可能です。魔導具のように装備する必要がないのは利点だと考えております」
「……一つ目ということは他にもあるのですね?」
位置的にオーズからは見えない範囲の肉体を静かに変化させながら、リリスは続きを促す。
「はい。二つ目は、人ならざる力の封印。この封印は細かい調整が可能です。人外の力を完全に使えなくすることは勿論、人外の力を行使しつつも、その特有の魔力やオーラのみを封印し、神聖魔法でも感知出来ないようにすることができます」
「……絶対に感知できないのですか?」
「神聖魔法に関しては問題ありません。ただ、先程の隠蔽や偽装も含めてなのですが、超越者である〈天弓王〉ジークベルト殿が持つ能力ならば、面と向かって注視されたらバレる可能性があるかもしれませんね。まぁ、かの御仁に直接会わなければ問題ありません」
超越者であるジークベルトのことを知っているかのような口ぶりから、目の前のオーズの正体に気付いたリリスが恐る恐る問い掛けた。
「もしかして、貴方は……」
「そうですね。そろそろ改めて自己紹介をしておきましょう。私の名はリオン・ギーア・ノワール・エクスヴェル。初めまして、〈聖邪の魔王〉リリス殿」
「ッ!!」
座っていた椅子を蹴飛ばして飛び退いたリリスの姿は人族ではなくなっていた。
側頭部からは一対の捻れた角が生え、腰部からは先端がハート型に膨らんだ細長い尻尾が、背中から着ていたシャツを突き破って蝙蝠のような羽が生えていた。
身体的特徴だけならば人類種の中に艶魔族という似たような種族がいるが、リリスのように肉体変化を行うことは出来ない。
綺麗な金色の長髪は華やかな桃色に変わり、両眼の瞳孔も縦長に変化している。
リオンの前世の地球にあった創作物に出てくるサキュバスのような姿に変貌したリリスだったが、眼の下に特徴的な刺青が浮かび上がった美しい顔には、強い緊張感と怯えの色が見えていた。
「敵意を向けられて〈星戦〉が発動したらどうしようかと悩んでいましたが、時間をかけた甲斐がありましたね」
膨大な魔力を喚起させながらも自分からは動くことができない〈聖邪の魔王〉リリスを前にして、数多の魔王を討ってきたリオンは泰然とした態度でテーブルに置かれた紅茶を口にした。
天魔族から超人族の本来の姿に戻ったリオンは、リリスからの視線を浴びながらカップの中身を飲み干すと、彼女と視線を合わせた。
「その姿が人魔族としての姿ですか。私が集めた情報によれば、デモノイドには人間形態と悪魔形態、そしてこの二つが混ざった人魔形態があるらしいですね。人型のままに悪魔らしい特徴を持つということは、人魔形態なのですか?」
「……そうよ」
「やはりそうですか。確信はしていますが、一応確認させてもらいます。貴女の種族や肉体は幽世の住人である真秘悪魔が人間に受肉したデモノイドですが、貴女の精神や魂は悪魔ではなく人間のままですね?」
「ッ! 何で、それを」
「私は魂が見えますので。かなり巨大な魂ですが、真秘悪魔の魂とは全く違いますからね。中身が悪魔ならとっくに〈星戦〉が発動していますよ」
「……」
「とはいえ、私が知るのはそこまでです。外側からは中身が人間であることしか知らないのです。この交渉において私が求めるモノをお話しする前に、貴女の抱えている事情についてお聞きしても構いませんか?」
「信じていいのかしら」
「〈星戦〉が発動していないことからも、信じてもらえると思っていますよ」
「……分かりました。お話しします。別に大した内容じゃありませんけどね」
取り敢えずは落ち着いたリリスは、人魔形態から人間形態へと肉体を戻した。
変身の際に破れたシャツを隠すために室内にあったローブを羽織ると、蹴倒した椅子を元に戻してからリオンの対面へと座り直した。




