第373話 マルガ商会
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「──噂に聞いていた通り、大きな港ね」
感嘆の声を漏らすセレナが見つめる先には、レンブレン商業連邦が誇る巨大な港があった。
中央大陸西部最大規模の港であり、飛行場が出来るまでは港湾都市でもある首都レーンタールへ直行するにはこの港が使われていた。
飛空艇が開発されたことによって、かつてほどの勢いは無くなっただろうが、それでも今も尚西部最大規模の港湾都市と称されるのは伊達ではなく、港湾エリアを行き交う人の数は非常に多い。
港に停泊している貨客船や貨物船といった多数の船舶の数を考えれば、当然と言えば当然の光景だと言える。
「それにしても残念ね。あんなに綺麗な海なのに海水浴場が無いなんて」
「海には魔物がいますから仕方ないですよ。海の魔物に対する備えとして軍艦専用の港が併設されているほどには危険ですから、海水浴なんていう考えは浮かばないんでしょう」
「商船や漁船はあるのに?」
「軍艦にあるのよりは劣りますけど、それらの民間船にも大なり小なり対魔物用の装備が搭載されていますからね。それに、そうやって海上で海の魔物と戦っている内に船員のレベルも自然と上がっていきます。だから強力な魔物が出る沖合にでも行かない限りは、貿易業も漁業も成り立つわけです」
「……三日前に初めてレンブレンに来たにしてはよく知ってるわね?」
「事前に色々調べてましたから。あと、レーンタールの安全性を示すためなのか、この観光ガイドブックにも似たようなことが書いてありましたよ」
「ホントだ。こんなにビッシリと書いてあるのにちゃんと読んだのね」
「これでも領主ですから。活字を読むのは慣れてます。まぁ、このガイドブックが読み難いのは間違いないですけど……それじゃあ、申し訳ないですが、そろそろ行ってきます」
少し離れたところに建っている時計台から現在の時刻を確認する。
先方との約束の時間までまだ余裕があるが、同じ区画内にあるとはいえ初めての場所だし早めに向かっておいた方がいいだろう。
「気にしないで。元々の予定に、後から私との旅行を入れてくれたんだから。長くは掛からないんでしょう?」
「ええ。用事が終わったら合流します……では、引き続き彼女達の案内を頼む」
「お任せください」
最後の方は、ここまで首都レーンタールにある各地の名所の案内をしてくれていたガイドの女性に向けての言葉だ。
彼女は五大会主の一人が営んでいる観光業の人間で、先日飛行場でレンブレン商業連邦の重鎮達が俺達を出迎えた際に、その五大会主に滞在中のガイドの派遣を頼んでおいた。
トップに直接頼んだからか、優秀なガイドを送ってくれたようで、この二日間の観光案内には満足している。
後のことは彼女に任せておけば大丈夫だろう。
セレナ達と別行動すると、その足を目的地である大商会へと向ける。
ガイドの女性が追加の馬車を用意してくれようとしていたが、ついでに道中の街並みを見たかったため遠慮しておいた。
大国の公爵であり大商会のトップであることを考えれば、安全性の面でも馬車に乗って移動したほうがいいのかもしれない。
だが、俺は同時に〈勇者〉かつ〈賢者〉であるため、単独行動に限って言えば無用な心配なので気にせず徒歩を選んだ。
「ふむ。小さな商会が取り扱うような商品にとりわけ目新しい物はないな。あるとしたら五大会主の商会と直接関わりがあるところぐらいか……」
レンブレン商業連邦における五大会主と、彼らが商会長を務める大商会が持つ力の強大さを感じながら大通りを歩いていく。
やがてレンガ調の巨大な建物に辿り着くと、店頭にいた店員に用件を告げた。
ちゃんと話は通っていたようで、然程待つことなく談話室へと通された。
案内された先の室内では、明るい栗毛色の長い髪に銀灰色の瞳を持つ賢人族の美女が立ったまま俺を待っていた。
つり目の美貌からクールな印象があるが、以前正体を隠して会った時の様子から外見のような冷たい女性ではないことを知っている。
気品のある佇まいや所作から彼女が貴族出身であることがよく分かる。
噂に聞く彼女の経歴を脳内で振り返っていると、彼女の方から声を掛けてきた。
「ようこそお越し下さいました。改めてご挨拶をさせていただきます。レンブレン商業連邦の会主の一席に就かせていただいております、マルガ商会商会長のマーガレット・クリエイスと申します」
「アークディア帝国公爵、リオン・ギーア・ノワール・エクスヴェルです。本日はお時間をいただき感謝します」
「いえ、こちらこそ。以前よりお会いしたいと思っておりましたので面談のお誘いを嬉しく思います。どうぞお掛けになってください」
「ありがとうございます」
マーガレットの対面の席に座り、続いて彼女も席に座ると、俺をここまで案内した女性店員がお茶を淹れていく。
給仕を終えた女性店員が退室すると、マーガレットがテーブルの上に置かれていた防諜用魔導具を起動させた。
魔導具によって不可視の遮音結界が展開され、部屋の外の音が聞こえなくなった。
「我が商会で販売している魔導具です。外部に話が漏れるのを防ぐのに便利なので、多くのお客様にご好評いただいております」
「なるほど。確かに良い性能の魔導具ですね」
「ありがとうございます。他にもこういった類いの魔導具は取り扱っているのですけど……公爵様には通じないようですね?」
そう言いながらマーガレットが一枚のカードをテーブルの上に置き、こちらに差し出してくる。
飛行場で出迎えられた際、今日の面談のアポイントを取るために彼女に渡したマルガ商会の会員証だ。
この会員証は普通の会員証ではなく、商会長であるマーガレットでなければ発行できない特別な会員証らしい。
「……飛行場でコレをお渡しになられた時は本当に驚きました。おかげで公爵様が飛行場から去られた後、他の会主達から質問攻めにあってしまったんですよ?」
「それは申し訳ないことをしましたね。今回の滞在中にお会いするために急いだ結果なので、ご理解いただければ幸いです」
「構いませんよ。私も早くお会いしたかったので。そういえば、公爵様の妹のフリッカ・フェンサリル様はお元気ですか?」
「元気ですよ。相変わらず好きに生きているようです」
テーブルに置いて返却された特別な会員証を受け取りながら、俺自身の近況について答える。
目の前のマーガレットと初めて会ったのは、中央大陸東部にあるファロン龍煌国の旧都だった。
そこの地下にある非合法魔導具店〈月華の燈〉にて、互いに正体を隠して店員と客の立場で会ったのが最初になる。
勿論、このことをマーガレットは知らなかったのだが、後に彼女と同じ〈冠位魔女〉である俺の〈黄金の魔女〉用の偽装身分である女性体フリッカ・フェンサリルとして対面した際に、マーガレットと〈月華の燈〉の繋がりを知っていることを匂わせておいた。
この特別な会員証は、そのことを知ったマーガレットから兄という設定のリオンに渡してもらうようにフリッカが頼まれたものだ。
フリッカの兄の正体については明かしていなかったため、飛行場で会員証を渡された時はさぞかし驚いただろうな。
「お元気そうで安心しました。フェンサリル様の存在によって冠位十大魔女が全員揃ったことが確認されたので、魔女達の集まりでまたお会いできると思っていたのですが、纏め役である幻主様が最近お忙しいようでして、魔女達の集まりの開催は未定なんですよね」
「そうなのですね。確か、開催日の案内は幻主様が作られた魔女の指環が知らせるのでしたか?」
「ええ。一度でも参加した魔女達に渡される指環です。一度も参加していなければ、最初は知り合いの参加済みの魔女に同行する形で参加することになります。フェンサリル様は初めてですから、公爵様と親交のある魔女の方々に同行する形になるでしょうね。公爵様の周りだと、〈死毒〉のウィーペラ様、〈炎環〉のイングラム様、〈禍空〉と〈震禍〉のフローラリア姉妹になるでしょうか。〈氷刻〉のユグドラシア様に同行されるのが一番よろしいのでしょうけど、彼女は参加したことがなかったはずですので……」
「妹が参加する際はリーゼロッテも参加すると言ってましたね。魔女の集まりがある時は、妹達はたった今仰った魔女の誰かと共に参加するかと思います」
「ユグドラシア様も参加されるのですね。では、そのように幻主様にも伝えておきます」
ふむ。どうやら〈創化の魔女〉のマーガレットは、幻主こと〈幻想の魔女〉のアイリーンと親交が深いようだな。
アイリーンはエドラーン幻遊国の実質的な国家元首で、マーガレットもレンブレン商業連邦のトップの一人であるのを踏まえると、同じ冠位魔女だし親交が深くなってもおかしくはない。
「失礼しました。話が横道に逸れてしまいましたが、本日の御用件について伺ってもよろしいでしょうか? どうやら私に聞きたいことがある御様子ですが」
「それに答える前に聞きたいのですが、私に用があるからこの会員証をくださったのでは?」
「確かに私がお会いしたいとお願いしたことがきっかけではありますが、それは正体を隠していた私の偽装を看破した者を知りたかったからです。ですが、その相手が〈勇者〉であり〈賢者〉である魔王殺しの公爵様だったのならば納得です。龍煌国の旧都で私の正体がバレてしまっても仕方がないことだったのだと諦めがつきました」
「そうでしたか。元より正体を明かすつもりはありませんよ。私も一人の利用者として応援しております」
「ありがとうございます。そう言っていただき安心しました」
マーガレットのマルガ商会では多種多様な魔導具を取り扱っている。
非合法魔導具店〈月華の燈〉で扱っているのは、表の本店の店頭には並べられないような魔導具なんだろうな。
アークディア帝国の帝都にも似たような魔導具店である〈斜陽の月〉があるが、たぶんアチラの経営者もマーガレットだろう。
もしかすると大国ごとにそういった店があるのかもしれないな。
「さて、用件でしたか。実は、ここから西にある西方大陸について興味がありまして、あちらの大陸について知っていることを教えていただきたく参りました」
「西方大陸の情報ですか……」
「はい。その中でも一般には出回っていないような特別な情報を求めています。教えていただければ、その情報の価値に応じて私が持つ魔導具をお礼としてお渡しします」
表でも裏でも魔導具店を営むマーガレットにはこの取引が最適だろう。
魔導具は無数に持っているので情報の対価に支払っても一切惜しくはない。
だが、マーガレットの方は国で秘匿、或いは大商会で秘匿しているような情報だからか悩んでいるようだった。
俺のレンブレン商業連邦の伝手の中で最も情報を得やすいのはマーガレットなので、この取引は成功させたい。
そうだな……彼女の口を軽くするために幾つかの魔導具を一例としてテーブルに置いていくとするか。




