第372話 レンブレン商業連邦
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レンブレン商業連邦は中央大陸の最西端を占めている巨大な国家だ。
稀に渡来する西方大陸からの商船や、中央大陸の海岸沿いにある港湾都市を通じて多くの国々と貿易が行われている。
勿論、船を使った海上輸送だけでなく陸上では馬車を用い、飛空艇が開発されて以降は空路でも貿易はされているため、昔はまだしも現在は海上輸送のみに固執しているわけでも依存しているわけでもない。
それでも、ほぼ唯一無二と言っても過言ではないほどに希少な西方大陸という異大陸との玄関口は海上であるため、レンブレン商業連邦における海運業の立ち位置は高い。
西方大陸との貿易に空が使えたならば違ったのだろうが、中央大陸と西方大陸の間の空には大昔にその空域を通った大魔王〈終焉の魔王〉が残していったモノがあるため不可能だ。
不幸中の幸いか、〈天竜空域〉と呼ばれる大魔王の落とし物が両大陸に興味を持つことは滅多にない。
滅多にはないものの、全くないわけではないため偶に大陸へ竜が飛来してくることがある。
アークディア帝国が中央大陸の西部に位置していることを考えると、俺がこの世界に来て間もない頃に遭遇した三体の竜達はこの天竜空域から来たのかもしれない。
まぁ、天竜空域とは関係なく元より中央大陸に生息していた竜達の可能性もあるが、天竜空域について詳しいことは知らないため判断はつかないのだが。
要するに、レンブレン商業連邦は他国と比べても竜の脅威に晒されやすい立地にあるというわけだ。
そのため、国防的観点だけでなく商業的観点からも、竜に対抗する手段や技術というものに強い関心を持っている。
その一例が飛空艇をはじめとした飛行技術だ。
「空飛ぶ馬車か。空を飛ぶのは俺の馬車だけかと思ったが、あるところにはあるんだな。いや、飛空艇技術の存在を考えれば不思議ではないか」
エクスヴェル公爵家専用艦〈スキーズブラズニル〉にある展望室から一望できるレンブレン商業連邦の首都レーンタールの空を走る馬車を眺めながら独り言ちる。
前世の現代地球の如き高層建造物が建ち並ぶレーンタールの街中を空飛ぶ馬車が行き来する光景には違和感を覚えるが、これはこれで新鮮な景色だな。
「まるで地球みたいね……」
隣を見ると、俺と同じ様にスキーズブラズニルの展望室からレーンタールを眺めていたセレナがノスタルジーに浸るように摩天楼の街並みを見つめていた。
ある日突然この世界に召喚されてしまったセレナからすれば、この都市景観から地球のことを思い出してしまうのは仕方がないだろう。
今日に至るまでのレンブレン商業連邦の発展には、地球からの〈転生者〉や〈転移者〉が齎した知識が少なからず関わっているそうなので、当然と言えば当然なのかもしれない。
「レンブレンの中でも首都レーンタールは他の都市よりも発展著しいらしいそうですから、地球の文明レベルの物があるかもしれませんよ」
「そうなの? それは楽しみね」
ここのところ少し余裕がなかったセレナが顔に喜色を浮かべる。
この数年、セレナはエリンと同様に長命である上位種へと進化するために時間を作ってはレベル上げに励んでいた。
セレナとエリンの現在のレベルに大きな開きはなく、既に進化の現象が発生するレベル帯に突入している。
だが、エリンが無事に長命種への進化を果たした一方で、セレナは未だ通常種のままだった。
実年齢も二十代後半に入ったのもあって、セレナの焦燥感は日々高まっていた。
そんな彼女の気晴らしも兼ねて、現代地球に近しい景観が広がっているレーンタールへの小旅行に誘っていた。
セレナの様子がおかしいことには他の者達も気付いていたらしく、同行させる婚約者は彼女だけだと告げても誰も反対はしなかった。
お土産を求められたり次は自分も連れて行くように言われたりはしたが、そのぐらいの要求は普通のことだろう。
「飛行技術が発展してるからかしら。首都の飛行場なだけあってかなり広いわね」
「そうですね。大体アヴァロンの飛行場ぐらいはありそうです」
「一領地と一国の飛行場が同列なのよね……」
呆れているようなセレナの物言いに苦笑を洩らすと、展望室のソファから立ち上がってセレナに手を差し出し、彼女にも席を立たせる。
「セレナ先輩。じきにその飛行場に着陸するようですから、今のうちに準備をしておきましょうか」
「準備?」
指を鳴らすと部屋の端で待機していたメイド達が集まってきて、戸惑うセレナを展望室から連れ出していった。
連れて行かれるセレナを見送ると、【無限宝庫】に収納してある無数の衣装の中から選んだ一着を瞬間装着する。
神器〈星坐す虚空の神衣〉の【虚空象る神の鎧】を使えば自由自在に形状を変えることはできるが、日常生活でまで戦闘用装備を纏うつもりはない。
今回のレンブレン商業連邦への訪問には西方大陸の情報収集という目的があるとはいえ、セレナの慰安も兼ねた小旅行の休暇というのも事実なので、そこまで気を張る必要はないだろう。
「動かないでくださいね」
「完璧に整えますからねー」
セレナ達と一緒に退室しなかった二人のメイドが俺の身嗜みを整えていくのを大人しく受け入れる。
レーンタールではセレナ達婚約者の分だけでなく、この二人のように婚約してはいないが俺の女である者達の分も買わないといけない。
何を買えば良いかは分からないので、セレナと一緒に買い物をする時にこの二人も連れて行って意見を求めるとするか。
身嗜みを整え終えると、二人のメイドを連れてセレナと合流する。
スキーズブラズニルの艦内にあるドレッシングルームから出てきたセレナは、いつも以上に美しくなっていた。
着ている空色のドレスに派手さはないが、品のある美しさと豪奢さが両立したデザインをしており、黒髪美人なセレナの清廉さと上手く噛み合っている。
ドレスに使われている素材も一級品であり、言外に彼女の立ち位置を示すのに一役買ってくれることだろう。
「ねぇ、リオンくん。何で着替えさせられたの?」
「必要だからですよ。さぁ、飛行場に着陸したようですから降りましょうか」
「え、ええ」
状況が飲み込めていないセレナの手を取って艦内を移動する。
スキーズブラズニルの舷梯が開かれると、飛行場では多くの人々が待っていた。
「えっ……」
「レンブレンのお偉いさん方ですよ。帝国の公爵が来訪するとあって無視するわけにはいかないのでしょうね」
此度の小旅行に際して、旅先であるレンブレン商業連邦には先触れを出している。
アークディア帝国とレンブレン商業連邦の関係は良好とはいえ、他国の最上位貴族である公爵が来訪するならば前もって来訪目的を告げておくのが礼儀だからだ。
ただの公爵ならまだしも、俺は〈勇者〉であり〈賢者〉なので戦闘力を持たない一般人ではないため、そういう意味でも事前の通達は必須だと言える。
転移などを使って黙って入国することも考えたが、西方大陸の情報収集を考えると身分を明かしておいた方が、世間には出回っていない国が秘匿しているような情報を集めることができると判断した。
市井の情報や裏の情報などを集める手段は幾らでもあるが、国の重職から情報を得る手段は限られているため悩むことはなかった。
「さて、俺の婚約者をレンブレンの重職達に御披露目するとしましょうか。あ、自己紹介以外は微笑んでいるだけでいいですよ。彼らとの会話は俺がしますので」
「そ、そう。それなら私でも何とか出来そう……」
「お堅い場は今だけですから頑張ってくださいね」
レンブレン商業連邦を支配する〈五大会主〉をはじめとした国の重鎮達からの視線を浴びて緊張しているセレナを気遣いながら、一緒にタラップを降りていった。




