第371話 世界の均衡
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勇聖祭を約半年後に控えたある日。
エリュシュ神教国のトップにして神塔星教のトップでもあるアルカ教皇に突然喚び出され、同国の神都デウディアスへと赴いていた。
神都デウディアスにやって来てすぐに彼女がいる中央神殿へと向かうと、教皇のみが使用できるらしい特別な談話室へと案内される。
室内を見渡した限りだと内装自体に特に変わったところはない──豪奢かつ神秘的なデザインセンスをしており、普通の内装ではないが──ものの、アークディア帝国の皇城を上回るレベルの防諜機能が備わっていた。
補佐役の神官どころか護衛の聖騎士達まで退室させると、アルカ教皇自ら給仕を行ない二人分のお茶を淹れてくれた。
「……美味しいです。こう言っては失礼かもしれませんが、流石です、教皇聖下」
「実はお茶をするのが趣味なのですよ。自分でできた方が自由に楽しめますから」
「なるほど」
これまでに飲んだ中で一番……とまでは言わないが、それでも屈指のレベルで美味い。
茶葉が良いだけでは説明できない美味さなので、茶を淹れる腕前が良いのは間違いないだろう。
一杯目を味と香りを楽しみながら飲み干し、おかわりで淹れてもらった二杯目に一度だけ口をつけたタイミングで、アルカ教皇が漸く本題に入った。
「まずは、エクスヴェル公をいきなり神都に召喚したことをお詫び致します」
「構いませんよ。半年後の勇聖祭を待たずに対談の場を設けるということは緊急の用件なのでしょうから」
「はい。御賢察の通りです。実は、この大陸内に新たな〈魔王〉が出現しました」
アルカ教皇からその情報を聞いた瞬間、【魔賢戦神】の【情報蒐集地図】を開き、中央大陸内にいる称号〈魔王〉を持つ存在を検索した。
表示された該当存在の情報に目を通していくと、確かに新規の〈魔王〉が出現していた。
ここ数年は新たな〈魔王〉が現れていないかチェックすることもなくなっていたから気付かなかった。
「いつ出現したか把握しているのですか?」
「おそらく三日前だと思われます。ちょうど、そのあたりのタイミングで新たな〈魔王〉がいる周辺で多くの人々が亡くなっていましたので」
「そうでしたか」
他に人目が無いからだろうか、沢山の人々が亡くなったことを話しているのにアルカ教皇に悲しむ様子は微塵も見受けられない。
まるで、どうでもいいことを告げているかのような態度だ。
一大宗教のトップとは思えない態度に違和感を覚えつつも、教皇とて人の子だからそういう顔もあるだろうと思い直した。
「では、緊急の用件とは新たに生まれた〈魔王〉の討伐依頼でしょうか?」
話の流れから急遽俺を喚んだのは魔王を討伐してもらうためかと考えたのだが、アルカ教皇は首を横に振った。
「いえ、その逆です。新たな魔王が出現することは予測できていたのですが、想定していた時期よりも早かったので、エクスヴェル公が新たな魔王の出現を知り、討伐してしまわないために急ぎ連絡させていただきました」
「……新たな魔王は討伐されないのですか?」
「討伐はします。ですが、生まれて間もない魔王は他の方々……具体的にはエクスヴェル公以外の〈勇者〉持ちの方々に討伐していただこうと思っています」
他の〈勇者〉持ちに?
ああ、そういうことか。
「他の勇者、または勇者候補達が成長できる機会を設けるのが目的ですか。そしてそれが、此度の勇聖祭が開催される本当の狙い……」
「流石はエクスヴェル公、話が早いですね」
「生まれたばかりの魔王ならば、封印状態の魔王含めて既存の魔王よりも弱いのは確実。未熟な勇者達が一皮剥けるには最適な相手でしょうね」
数年前に俺が倒した〈地刑の魔王〉や〈侵星の魔王〉は、俺が討伐する直前に挑んできた次期SSランク候補達を返り討ちにしている。
その時死んだ三人の中に〈勇者〉はいないものの、次期SSランク候補達は基礎レベル九十九に到達した人類最高峰と言えるほどの者達だ。
ちなみに、この次期SSランク候補は、当時は十人いたため〈十公聖〉と呼ばれていたが、二体の魔王に返り討ちにあって三人減り〈七公聖〉となり、そこに俺が加わって今は〈八公聖〉と呼称されている。
そんな者達でも魔王に敗れるというのに、魔王に対する特効を持つだけでは、いくら勇者とはいえ歴戦の魔王には勝てないのが普通だ。
まぁ、前の異世界から引き継いだ力と経験がある俺は例外だが。
八公聖の中にいる〈勇者〉持ちならば、相手の魔王との相性次第では勝てるだろう。
「もしかして、八公聖の中にいる他の〈勇者〉の超越者入りが目的ですか?」
「それもありますが、どちらかと言うと勇者全体の意識改革が目的です。エクスヴェル公のように魔王討伐や超越者入りに対して意欲的な方は殆どいません。まだ弱い新たな魔王なら、そのキッカケになるかもしれないと判断したのです」
「なるほど……」
まぁ、理に適ってはいるかな?
全ての魔王を俺が倒すのは、栄誉や戦利品といった面で少しやり過ぎかなと思ってはいた。
おかげで最速でレベル九十九に達したものの、あと一レベルを上げるのに必要な予測経験値を満たすには、〈大魔王〉を除き、今回新たに生まれた魔王も含めた全ての〈魔王〉を討伐する必要があった。
とはいえ、これは急いでレベルを上げる場合の話であり、時間をかけても構わないならば魔王討伐以外から得た経験値でも十分に百レベルを目指すことはできる。
少なくとも既存の魔王の内、〈太母の魔王〉に関しては偽りの身分で倒すことが確定しているので、魔王討伐以外の方法での必要経験値はグンと減少するため、新規の魔王討伐メンバーから外されるのはそこまで惜しくはない。
惜しくはないが、生まれて間もない魔王に挑む機会を失うのを唯々諾々と受け入れるかどうかは別の話だ。
「以前、自由に魔王を討伐する許可をいただきましたが、無効ですか?」
「あの許可は、許可を出した時点で存在していた魔王に対してならば今なお有効ですよ。エクスヴェル公に御遠慮願いたいのは新規の魔王のみです」
「大魔王を除いた全ての魔王を討伐すれば、超越者への道が見えてくるのですが?」
「あら、それは素晴らしいことですね」
「……」
何を考えているか分からない微笑を浮かべるアルカ教皇と真っ直ぐ目を合わせる。
暫くの間お互いに無言のまま見つめ合っていると、やがてアルカ教皇が淑やかに笑い声を上げた。
「フフフ。大丈夫ですよ、エクスヴェル公。予定外に損をさせてしまう貴方のために、とっておきの提案があります。ですが、この提案は神塔星教の中でも教皇をはじめとした極一部の者しか知らされていない秘密に関わっています。ですので、このことは他の誰にも明かさないことをエクスヴェル公の契約スキルにて誓っていただきます」
「それは、非常に気になりますね。その提案は受けても受けなくても構わないのですか?」
「勿論です。受けてくださった方が利はありますが、そうでなくても短期的には困ったことにはなりませんので」
「そうですか……分かりました。誓いましょう」
ユニークスキル【正義と審判の天罰神】の【神星契約】にて守秘義務を自らに課すと、それを確認したアルカ教皇が神塔星教でも限られた者しか知らない秘密を明かした。
「……世界の均衡、ですか?」
アルカ教皇曰く、俺達がいるこの世界には〈人類〉と〈魔物〉の勢力バランスが、天秤が釣り合うように平衡に保たれる理が働いているらしい。
この世界の理によって、人類勢力が衰退すると強力な〈勇者〉や〈英雄〉が生まれやすくなり、〈天上〉に住まう真聖天使──悪魔で言うところの真秘悪魔に該当する存在──達が現世を救うべく何かしらの干渉をしてくる可能性が上昇する。
同様に、魔物勢力が衰退すると〈魔王〉や強力な魔物が生まれやすくなり、〈幽世〉の住人である真秘悪魔達の現世への進出成功率が上がり、また受肉できる人間の身体が発見しやすくなるとのこと。
このバランスは世界全体で均衡が保たれるようになっているため、各大陸ごとに人類と魔物の勢力図は異なっていても、世界全体で見ればバランスが取れるような変化が起こっているらしい。
信じられないような話だが、【正義と審判の天罰神】の内包スキル【審判権限】の派生スキル【神罰の瞳】は対象の真偽を看破するため、アルカ教皇が真実を述べているのは間違いないようだ。
「各大陸と言いますと、私達がいる中央大陸、私が攻略中の南方大陸。あとは人類の楽園と噂される西方大陸に、かつて〈終焉の魔王〉に手を出した結果ほぼ壊滅状態になったと言われている東方大陸ですか」
「その通りです。南方大陸は大魔王の力の影響でこれまでほぼ全く情報が分かりませんでしたが、エクスヴェル公が提供してくださった情報のおかげで大陸内の勢力バランスについて明らかになりました。こちらは世界の均衡の仕組みについて識る者達によって纏められた、各大陸の勢力バランスの現状です」
そう言ってアルカ教皇から差し出された資料を手に取り、内容に目を通していく。
各大陸の人類と魔物の勢力バランスについて纏められた資料であるため、書かれている内容自体は少ない。
だが、中央大陸と南方大陸以外の大陸については大したことは知らなかったので、大変興味深い資料だった。
中央大陸。
勢力バランスは人類寄りの平衡。
俺の度重なる〈魔王〉討伐によって〈人類〉側に若干偏っている。
その結果、真秘悪魔の現世進出成功率が上がり、〈魔王〉の発生率が上がっている状況。
南方大陸。
勢力バランスは魔物側に大きく傾いている。
大魔王〈創世の魔王〉による長年に渡る大陸同化と竜神教の影響によって魔物勢力の独壇場だった。
俺による介入と対竜神教のために俺が作った魔神星教の存在によって、徐々に人類勢力が拡大している。
西方大陸。
勢力バランスは人類側に非常に大きく傾いている。
長年に渡る人類の躍進によって大陸内の魔物が殆ど駆逐されている。
新たな資源を求めて他の大陸を侵略しようとしていると噂されており、西方大陸との玄関口であるレンブレン商業連邦では緊張が高まっている。
西方大陸と中央大陸間の大規模な往来を隔てていた〈天竜空域〉の問題を解決したという噂もある。
東方大陸。
勢力バランスは魔物寄りの平衡。
世界中の空を周回する天空大陸と化している大魔王〈終焉の魔王〉に手を出した所為で、大陸全体がほぼ壊滅状態。
人類よりも魔物の数が多いが、強力な魔物もまた少ないため、勢力図としては魔物側が若干優位な程度で済んでいるらしい。
これらの情報から分かるように、現在のところ世界の均衡は人類側に傾いているとのこと。
「中央大陸での地盤を固めるのを優先していたので西と東の大陸については詳しく知りませんでしたが、中々興味深い情報ですね。これらの情報が教皇聖下からの提案に関わっているということですか……」
「何を提案したいか、お分かりになられましたか?」
これまでの話から予想はつくが、まさかな、という思いが強くて口に出し難い。
「……予想はつきますが、正直信じ難い提案です」
「フフ。やはり、エクスヴェル公も神塔星教を人類守護を第一に掲げる宗教だと思われているようですね」
「違うのですか?」
こんなことを言ってくるからには違うんだろうが、念のため確認しておく。
「神を崇め、塔で鍛え、星を管理する教え。故に神塔星教です。決して人類を護ることを主軸に置いた宗教ではないのですよ。この神髄の次ぐらいには置いていますけど。聖典にも記載されているのですが、意外と知られていないようです」
「……極一部の者達以外には秘匿するのも納得の内容ですね」
こんな裏事情が世間に知られたら神塔星教、並びにエリュシュ神教国の影響力は格段に落ちるだろうな。
神塔星教の聖典の内容を振り返りつつ、先ほどは口に出さなかったことを言葉にする。
「つまり、この中央大陸に出現する新たな魔王の討伐を自重する代わりに、西方大陸の人類を相手にすることを提案するわけですね。世界全体で人類側に傾いている天秤を平衡にすべく、人類側に大きく傾いている西方大陸の勢力バランスを崩すことを……」
「西方大陸の魔物が減りすぎていますので、そちらの方向性で西方大陸の秩序を取り戻していただければ幸いです」
西方大陸に新たな迷宮を創り出せという意味だろうか。
迷宮を創造できることから俺が能力製魔物を生み出せるのは予想できているはずだし、直接的に魔物を放てということかもしれない。
まぁ、そのあたりは俺の裁量次第か。
西方大陸の人類勢力を減らせば、他の大陸への野心どころではなくなるだろう。
また、世界全体で人類勢力が減れば、世界の理によって魔物側へ働いていた補正が無くなり、代わりに人類側へと補正が働くようになる。
この人類側への補正は、神塔星教が画策している他の勇者達による新たな魔王討伐においても有利に働きそうだ。
俺が生み出した魔物が西方大陸の人類を倒せば、僅かではあるが創造主である俺にも経験値が入ってくる。
「……本当に、そう。本当に、合理的な提案ですね」
含みを持たせた俺の発言に対して、アルカ教皇は微笑みを返すだけだった。
目の前の人物に薄ら寒いものを感じつつ、この提案を呑むことに対する守秘義務の契約を新たに結ぶため、再び【神星契約】を発動させた。
取り敢えず、西方大陸へ魔王の如き侵略をするためにも、あちらの大陸の情報を集める必要があるな。
ちょうど良い機会だし、一先ず情報収集がてら西方大陸との玄関口であるレンブレン商業連邦にでも行ってみるか。
ずっと後回しにしていた約束もあるし、予定に組み込んでおこう。




