第320話 運命の血潮
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ゴベール大砂漠の地上を四体の黒い砂の巨人が闊歩している。
これらの砂の巨人達は、〈地刑の魔王〉が生み出した人型を模っただけの簡素な形状の砂の巨人とは異なり、鎧を身に纏った人間の兵士のような身体とジャッカルに似た頭部という造形だった。
砂色の岩とも言うべき素材で構築されたこの黒い砂の巨人達の正体は、俺がゴベール大砂漠の警邏と黄金都市アヴァロンの防衛のために製作した全長四十メートルほどの超大型ゴーレムだ。
適当に〈黒砂の狗頭巨像兵〉という名称を定めたが、他に同サイズのゴーレムがいないのもあってギガゴーレムの略称でしか呼んでいない。
部下やアヴァロンの住民達も俺に倣ってギガゴーレムとしか呼ばない、ちょっと可哀想なゴーレム君だ。
サイズ的には全然可哀想に見えない体躯を誇るギガゴーレム達の手には、全身と同様の素材で構成された斧槍が握られており、その威圧感を更に高めていた。
そんな黄金都市アヴァロンに向かってくるギガゴーレム達が携えるハルバードの先には、ギガゴーレム達に匹敵するサイズの〈巨大魔砂蟲〉の死骸が穂先で貫かれる形で掲げられていた。
「これはまた随分な大物を仕留めてきたな」
「りょ、領主様!」
アヴァロンの都市を囲む白亜の城壁の上に転移してからギガゴーレム達の戦果を眺めていると、突然現れた俺に驚いた兵士達が慌てて敬礼するのが視界の端に見えた。
「アレを回収しに来ただけだ。気にせず警備に戻ってくれ」
「ハッ! かしこまりました!」
簡潔に用件を告げてから、軽く払うような手振りも交えて兵士達を仕事に戻らせた。
ギガゴーレム達にはゴベール大砂漠の警邏中に遭遇した魔物の討伐も任せている。
ギガゴーレムのジャッカルの頭部の双眸や体内にあるゴーレムコアにこそ特殊な素材が使われているが、全身の殆どは砂漠の砂で構成されているため、ゴーレムコアさえ無事ならば周囲の砂漠の砂を使っていくらでも破損部位を復元することが可能だ。
ちなみに、全身の砂の色が黒いのはゴーレムコアによって強化された影響なので、砂漠の砂を使って復元してもすぐに黒く染まるようになっている。
ゴーレムらしいある種の不死性と見た目相応の質量を持つギガゴーレムの四体編成ならば、ゴベール大砂漠の食物連鎖の頂点にいるジャイアントサンドワームであってもただの獲物でしかなかった。
「領主様ー!」
「勇者様ー!」
「賢勇公様ー!」
兵士達に続き、アヴァロンの門の前で列をなしていた人々が城壁の上にいる俺に気付いて声を上げていた。
大半はアヴァロンの外から交易のために来た行商や隊商の一団だが、アヴァロンへ移住するために異国の地からやってきたらしき者達の姿も見えた。
どうやら声を上げているのは主に後者のようだ。
まだまだ人口の少ないアヴァロンの住民を増やすために、周辺諸国の平民や貧困層の者達の間にとある噂を流していた。
曰く、ゴベール大砂漠の中心には黄金に輝く都市がある。
曰く、ゴベール大砂漠を支配していた〈魔王〉は、黄金都市の領主である〈勇者〉によって討たれた。
曰く、黄金都市は大国に属する魔王殺しの〈勇者〉が治める領地であり、砂漠の周りの国々は容易に手が出せないため安全だ。
曰く、ゴベール大砂漠の過酷な環境であっても黄金都市を害することは出来ず、楽園のような環境が広がっている。
曰く、黄金都市へと続く砂漠の道中には〈勇者〉が作った聖なる塔が建ち並んでおり、砂漠の魔物は近寄ることが出来ない。
曰く、完成して間もない黄金都市〈アヴァロン〉の人口は非常に少なく、今ならば他国の者であっても身分を問わず住民として受け入れてくれるらしい。
噂の内容に多少の違いはあるが、どの噂も総じてアヴァロンへの移住を唆かす内容であり、過酷な自然環境と階級社会の色が強い土地柄故に貧しい生活を強いられている平民達の間に急速に噂が広がっていった。
噂を流しはじめて三ヶ月以上経つが、未だに移住を望む者達の来訪が絶えない。
「全く、想定以上の効果だな」
眼下にいる彼らに手を振ると、移住希望者だけでなく交易に来た商人達やその護衛の冒険者や商人の私兵達までもが歓声を上げてきた。
警備に戻った兵士達も一緒に歓声を上げているのに内心で苦笑しつつ、城壁の上から空中へ飛び上がり、ギガゴーレム達の眼前へと移動する。
俺の前で片膝を突いて跪いたギガゴーレム達が、ハルバードで串刺しにしていたジャイアントサンドワームを献上するように持ち上げてきた。
全部で二体あるジャイアントサンドワームに手を翳して【無限宝庫】に収納すると、続けて地面に突いた方の膝の中から様々な魔物の死骸が次々と吐き出されていった。
「そっちの魔物の市内への搬入はいつも通り任せるぞ」
「ハッ! お任せください!」
ギガゴーレムの接近に気付いて事前に待機していた回収部隊の兵士達が、ジャイアントサンドワーム以外の魔物の死骸を荷車に載せ、アヴァロン内にある公営解体場へと運び入れる作業を開始する。
最初の頃と比べると兵士達も随分と搬入作業に慣れたようだ。
ギガゴーレム達が警邏ついでに狩ってきた大砂漠の魔物達の素材は、解体後にアヴァロンやアルヴァアインの市場で販売される。
魔王の支配領域で育っていた魔物の素材というのもあり、どちらの領地でもかなりの値段で売れるため、地味に良い小遣い稼ぎになっていた。
「まぁ、小遣い稼ぎというには桁が多いけどな」
回収部隊の兵士達では搬入できないジャイアントサンドワームの回収を終えたため、最後にもう一度観衆に手を振ってから、アヴァロン内にある公営解体場に転移する。
雇っている解体職人達に解体を任せるために、ジャイアントサンドワームの死骸を一体だけ取り出した。
もう一体のジャイアントサンドワームは私的な研究に使う予定なので市場に放出する予定はない。
「おお……まさかゴベールの悪夢を解体できる日が来ようとは。長生きするもんじゃな……」
「体内にある結晶だけは後で取りにくるから別に分けて保管しておいてくれ。それ以外の素材は他の魔物の素材と同様に処理してくれ」
「ハハッ! かしこまりました!」
ジャイアントサンドワームのことをゴベールの悪夢という大層な名前で呼んでいた老齢の解体長に後のことを任せると、元々いたアークディア帝国の帝都へと転移した。
「待たせたな」
「おかえりなさい。アヴァロンでの用事は終わったの?」
転移先である紅玉宮で俺を出迎えたのは、紅玉宮の主であり、俺の婚約者の一人であるレティーツィアだ。
俺と彼女の婚約が正式に発表されて以降、彼女の皇宮での住まいである紅玉宮にならば直接転移してもいいという許可が国から出ていた。
とは言っても、紅玉宮に直接転移する許可が出ているのは、婚約者であるレティーツィアが皇宮に住んでいる間だけだ。
俺と結婚して皇宮を出たら転移できなくなるわけだが、それならそれで皇城の方に設けられた俺用の執務室に直接転移すればいいので特に問題はない。
勇者兼賢者である俺用の執務室ではあるが、皇城で任された事務などがあるわけではない。
そのため、実質的には俺個人で直接転移するための私室でしかなかったりする。
「……ねぇ、リオン」
「どうした?」
「兄上達のところに行く前に、イイわよね?」
「……吸い過ぎじゃないか?」
「だって、リオンの血が美味しいんだもの」
そう言い訳をしたレティーツィアが俺の返事を聞く前に俺の襟元を緩めてきた。
自分の唇を舌で軽く舐めたレティーツィアの紅玉色の眼が妖しく輝いている。
その瞳を見つめ返すと、彼女が俺の首筋に牙を立ててきた。
婚約者として正式に発表されてからというもの、これまで胸に秘めていた欲求を全て解消するかのように頻繁に吸血されているので血を吸われることにも慣れたものだ。
最初に吸血される時に教えてもらったのだが、この激しい吸血衝動の根幹には、レティーツィアの種族である不死鬼族の秘血特性が関わっている。
下位種である吸血鬼族も含めたこの種族の秘血特性は、一人一人に適合する運命的な血の持ち主が存在し、その血を吸うと素のステータスが格段に強くなるというものだ。
この運命的な血の持ち主のことは〈運命の血潮〉と呼ばれている。
一度でも他者を吸血したらその特性が失われるほどに条件がシビアな特性だが、代わりに吸血するまでは一目見るだけで相手が自分の〈運命の血潮〉かどうかが本能的に理解できるらしい。
つまり、俺がレティーツィアの〈運命の血潮〉であり、俺と初めて会った瞬間に彼女は俺がそうだと分かっていたわけだ。
俺の血を初めて吸った時に、基礎能力値の増大と種族専用のジョブスキル【真祖】の取得とその補正により、Sランク冒険者でもある彼女は上級Sランク冒険者の領域にまで強くなっている。
それだけでなく、俺の血の影響を受けたことによって彼女のユニークスキル【美しき星と夜の女王】が【戦鴉と夜魔の大女王】へと変質するといった変化も起きていた。
それらの激しい変化は肉体だけでなく精神にも影響を及ぼしているようで、レティーツィアは以前よりも欲望に正直になっているように見える。
事前に〈運命の血潮〉は早死にしやすいと教えてもらったが、その原因は吸血だけではないことを身を以て知ることになった。
俺並みの肉体がなかったら早死にするのも納得の激しさだからな……。
「はぁ……やっぱり何度味わっても素敵ね」
俺の首筋から顔を離したレティーツィアが、情欲の宿る眼差しで期待するように見つめてくるが、今は駄目だ。
求められて悪い気はしないが、それでも時と場所と場合は弁えなくてはな。
「レティ、陛下達を待たせてるから、そろそろ行くぞ」
「一時間ぐらい大丈夫よ」
「周りの彼女達にも迷惑になるだろ」
「問題ないわよ。なんなら彼女達も一緒でも構わないわ。それぐらいの度量はあるつもりよ」
室内の壁際に立つ紅玉宮の侍女達はレティーツィアの言葉に反応しないようにしているが、しっかりと聞き耳を立てているのを気配から察している。
血に酔った主の思考に引っ張られて侍女達も頭の中がピンク一色だな、と思いつつ自分の襟元を締めた。
「ユーリも黙ってみてないでレティを止めるのを手伝ってくれよ」
一連のやり取りをすぐ横で黙って見ていたレティーツィアの専属侍女のユリアーネに一言文句を告げる。
「仕方ありませんね。レティ、次は私ですからね」
「おい」
「冗談です。ほら、今日はリオン様の屋敷に泊まればいいじゃないですか。夜まで我慢してください」
「でも……」
「エリューが見てますよ」
「リュー」
「うっ……分かったわ」
ユリアーネが胸に抱く使い魔のエリュテイアからつぶらな瞳で見つめられたことで、漸くレティーツィアの欲求が落ち着きをみせた。
これがアニマルセラピー……いや、違うか。
吸血衝動からの情欲暴走問題が取り敢えず解決したので、レティーツィアの身なりを整えてから一緒に皇城へと移動した。




