海の妖精神は弱っている
天井に魚が泳いでいて、部屋の至る所にサンゴや真珠が散りばめられている。まるで海の中に居るような気分になる部屋。
いつもであれば、綺麗だと言って騒ぐところだが、その余裕は今なかった。
『は、は…………』
『マリン、帰ってきたよ、………ひっく、そんなに苦しそうな顔をして…………』
目の前には____大きなベッドに横たわり、浅く息を吐く藍色の髪、セーラー服の少女。ベッドの横で泣いている男の子と同じ見た目は双子を彷彿させた。
なんて、悠長なことを言っている場合ではない。目の前で小さな女の子が苦しそうにしているのだから。
そう思ったセオドアは、自分の格好も忘れて男の子の向かいに座り、少女に話しかける。
「大丈夫ですか………?どう、なさったのですか?」
『アンタ……は……アミィールの夫じゃない……なんでこんな所にいるの、よ……』
少女はたどたどしく言葉を紡ぐ。言葉に棘はあるけれど、そんなことよりも苦しそうな姿に心を痛める。
マリンを相手にしているセオドアを他所に、アミィールはアクアに声をかけた。
「……………何があったのです?」
『マリンは……まだ6000年しか仕事をしていないんだけど……この6000年間で海が人間によって汚染されていて、それを綺麗にしていたら、沢山海の妖精神としての魔力を使ってしまったんだ……それで、力が弱ってしまって……
僕、どうすればいいかわかんなくて……代替わりなんてやだよぉ、僕、マリンとまだまだ一緒に居たいよォ……』
アクアは泣きながらそう言う。
…………要は、力の使いすぎで海の妖精神としての魔力が減ってしまったのだ。海の妖精神の魔力が減ると、海の統制が取れなくなる。だから、妖精神も精霊もこうなる前に代替わりをしなくてはならない。けれど、………この水の精霊・アクアはそれが嫌なのだ。
とんだ我儘だ、とアミィールは思った。
役割を果たせなくなったら世界の為に退くのは力を有するものとして当然なのだから。それで世界の均衡を崩すなどよろしくない。
……アミィールという女は、根本的に冷徹である。温情は一切なく、役割や責務を重視する故そのような些事には滅法厳しい。
どう説得し、代替わりを促すか……
そう考えた時だった。
『!?アンタなにやってんの!?』
「?…………セオ様!」
突然のマリンの叫び声にも似た声に、ベッドを見ると___セオドアが、手首を自ら切っていた。
* * *
アクアという男の子が、泣いている。
『マリンと離れたくない』と泣いている。
難しいことはわからない。けれど、泣いている子供を放置することなどできない。話ではこの少女は人間のせいで汚れた海を綺麗にするために尽力していたと言う。
ならば、それは俺達人間のせいで。
この場で唯一人間である俺が助けるべきだと思ったんだ。
自分になにができる?謝って終わり?
そんなこと考えることも、そんな薄情なことも出来ない。俺が出来ること、それは____ひとつしかない。
セオドアはラフェエルに普段から手放すなと言う言葉と共に貰い、透明魔法・スケルトを使って隠しながらも腰からぶら下げている短刀を取り出す。
……………怖いさ、とても。こんなことを自分がするのが怖い。
けれど。
_____俺は、誇り高きサクリファイス大帝国の皇配だ。優しく厳しくユートピアを率先して守る皇族の一員なのだ。
セオドアは大きく息を吸って____短刀で自分の手首を浅く切った。
血が滴る。……………俺が持つ、唯一の力。
『アンタッ、血が____!?』
少女の顔に、自分の血を落とす。
すると緑の光が溢れて_____少女を包んでいく。
最初は険しい顔をしていた少女が、柔らかい表情に変わっていくのを見ながら____セオドアは微笑んだ。




