第二十四話・リタイア不可能
人を撃っても平常時と変わらぬ三ノ瀬の様子に、さとるとゆきえは顔を引きつらせた。
しかし、これだけでは終わらなかった。
一人を縛り上げている間に、何者かが何処からか発砲してきたのだ。甲高い銃声が聞こえた直後、ゆきえの身体がぐらりと傾いた。
「うっ、……!」
三ノ瀬が撃った人間を見つけて即座に撃ち返す。物陰の向こうで何かが倒れた音がした後は何も起こらなかった。この辺りの見張りはこれで片付いたようだ。
ゆきえはアスファルトに膝をつき、撃たれた箇所を服の上から手で押さえていた。苦痛に顔を歪める姿を前にして、さとるは立ち尽くすしか出来なかった。
三ノ瀬が車の後部座席から手荷物を取り出して駆け寄り、ゆきえの側にしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 撃たれたのどっち?」
「あ、あの、左足、です」
銃弾は左足の脹脛を僅かに掠っていた。ズボンが裂け、布の隙間から傷口が覗いている。周辺の皮膚が裂け、まるで火で炙られたかのように赤黒い。痛々しい傷口を覆い隠すように手拭いで軽く縛る。
応急処置をしながら三ノ瀬は笑った。
「右足が無事ならまだ運転できるね」
それはつまり、この程度の怪我ではリタイア出来ないということ。
さとるが肩を貸して車の運転席に座らせてやると、ゆきえは笑顔で礼を言った。額には脂汗が滲み、呼吸はまだ整っていない。時折苦痛に顔を歪ませながらも心配をかけまいとする彼女の姿に、さとるは何も言えなくなった。
先ほど撃たれた時、周辺への警戒を怠っていた。
三ノ瀬が易々と一人制圧したのを見て、これは簡単なミッションかもしれないと思ってしまった。
撃たれる直前、ゆきえはさりげなく立ち位置を変えていた。いち早く物音に気付き、側にいたさとるを庇うために動いていたのだ。
本当なら血を流していたのはさとるのほうだった。
「俺が油断したせいで……!」
弟を助けるためにと意気込んでおきながら、この体たらく。最悪何も出来ずに死ぬ可能性もあるのだということにようやく思い至った。
ぼんやりしていたことを責めもせず、庇ったことを恩に着せもしない。ゆきえの優しい態度が逆に辛くて、さとるは拳を握り締めた。
各自車に乗り込み、障害物の無くなった場所から山道を登り始める。
先頭を走るのはゆきえだ。支給されたこの車はAT車で、負傷した左足は運転には使わない。しかし、身体を動かしたり力を入れる度にズキズキと痺れるような痛みが走る。止血してはいるが、ずっと傷がある部分を下ろしているので血が滲み出てくる。
「……ここが山道で良かった。ずっとアクセルを踏んでいれば済むもの……」
軽自動車は馬力がない。常にアクセルペダルをベタ踏みしてエンジンを噴かせ続けていないと傾斜に負けてしまう。特にこのルートは広い山道ではない狭い裏道。ややキツい坂が続いている。
ひとりひとり車が別だから、窓さえ締めていれば声は誰にも届かない。それが今ほど有り難いと思えたことはない。
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……ッ」
うわごとのように口から溢れるのは、やはり先ほど負った怪我の痛みに耐えるための言葉。最年少であるさとるの前では吐けなかった弱音がボロボロとこぼれ落ちた。撃たれた直後より時間が経った現在のほうが痛みを感じている。
かすり傷ひとつでこれだ。
命を懸ける覚悟でここまて来たはずなのに、実際に怪我を負えばその苦痛に決意が揺らぐ。
ゆきえは下唇を噛んで堪えながらアクセルペダルを踏み込み、意識を前方へと集中した。




