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洋楽を語ろう

Sonny Boy Williamson II (サニー・ボーイ・ウィリアムソンII)

作者: Tanaka-KOZO

今回は、キング・オブ・ハーモニカ「サニー・ボーイ・ウィリアムソン」の2世をクローズアップ。


サニー・ボーイは、ブルースハープ奏者として50年代から60年代にかけて活躍。

シカゴブルースでの歴史に大きな足跡を残したと云われている。


サニー・ボーイのハープは基本ノンエフェクト。

彼のしゃがれたハスキーボーカルの合間に盛り込む、生ハーププレイの音は非常に深い味をかもし出している。

(当時の映像を観ると、ワウ、トリル、ビヴラート奏法を中心に、アドリヴで歌の合間にバンバン入れてるね)

歴代ハーピストの中でも、彼のプレイは1位か2位ではないだろうか?


サニー・ボーイは、元々1940年代に南部のラジオ局KFFAで始まったブルース番組「キング・ビスケット・タイム」に出演するようになった。


この番組のレギュラー出演により、レコードこそまだ出していなかったが、南部一帯でサニー・ボーイの人気は高まっていく。


彼がサニー・ボーイ2世を名乗り出したのはこの頃であり、その名は戦前のシカゴブルースでの中心人物であったハープ奏者「サニー・ボーイ・ウィリアムスン」にあやかって付けた二番煎じの名前で、血縁関係などがまったくないのに2世と名乗り出した。


しかし、サクマドロップとサクマ式ドロップの関係と同様、皮肉にもオリジナルよりも2世の方が現在では名を残した結果となった。

(まぁ初代の方は、路上強盗に襲われ、アイスピックで刺されて早くして死亡してしまったので、生きていれば間違いなく戦後のブルースシーンに大きな影響を与えられたことであろう)


「キング・ビスケット・タイム」で人気を博したサニー・ボーイ2世は、その後シカゴへ渡り、55年チェスレーベル傘下のチェッカーと契約、マディ・ウォーターズらを従えて録音した「Don't Start Me To Talkin」がR&Bチャートの3位の大ヒットとなる。


その後も「Keep It To Yourself」16位、「Help Me」24位とスマッシュヒットを連発。

揺るぎない地位を確立した。


ロック系アーティストとの交流もあって、60年代に入るとアニマルズ、ヤードバーズ、ジミー・ペイジらとレコーディングをしている。


彼のブルース界での活躍は素晴らしいものだが、反面その胡散臭さからか、大ウソつき呼ばわりも周りのブルースマンたちから云われていた。(ロバート・ジョンスンの死の現場に立ち会ったとかが有名な話※嘘くせ~!)


とにかくサニー・ボーイは胡散臭い。(笑)

59年にチェスよりリリースされた彼の1stとなる「Down And Out Blues 」のジャケ写真なんて見ました?


まるでホーム○スのような様相で寝そべっており、とても音楽雑誌の表紙などに載せられないものです。

ところがこのアルバムの内容たるや素晴らしい! ^^;


プレイは本当に尊敬します。

歌も味があります。


歌って吹くなんて、まるでブルース界のルイ・アームストロングのようです。(サッチモはジャズトランペットだけどね)


彼のライブ映像でのシニカルなたたずまい。

胡散臭いけど、カッコイイよ~。 ^^;


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