最後の10連休
平成31年4月27日
今日からゴールデンウィーク。
俺は浮かれに浮かれていた。
何故なら今年のゴールデンウィークは10連休。
俺は完璧な予定を立てて、遊び倒すことに決めていたのだ。
そして今日は空港に来ている。
今から、早速ハワイに行く。楽しみだ。
「ねえねえ、早く行こうよ」
横に居る〇〇〇は、俺以上に、はしゃいだ様子だ。
ハワイ、楽しみだな。
泳ごう。
平成31年4月28日
ハワイだ。楽しい。
外人が沢山いる。当たり前だけど。
日本の観光客が多いからか、日本語は結構誰にでも通じた。
ハンドブックで予習してきた英会話は何の役にも立たなかった。
「はうわーゆー。ふぁいんせんきゅー」
〇〇〇は、例え日本語で話しかけられても、片言英語で返していた。可愛い奴め。
昼はビーチで沢山泳いで、ビーチバレーをして、ジェットスキーもやった。
夜は、皆でバーベキューをした。
何だか、ワイワイはしゃげて楽しかったな。
また来たいものだ。
平成31年4月29日
今日は北京だ。何でも右隣の田中さん夫婦の息子がここに住んでいるらしい。
折角だから北京ダックを食おうぜと探し回るが、北京ダックの店がなかなか見つからない。
吉岡さんが、中国人ガイドを雇ってくれた。
そのおかげで、何とか北京ダックにありつくことが出来た。
初めて食べたけど、とても美味しい。
「皮しか食べないなんて勿体ないよ。全部食べる」
〇〇〇はコックが下げようとしてる皿を全力で引き留めていた。
俺がみっともないから辞めなよって言うと、渋々といった様子で諦めた。
身の部分は最後にチャーハンの具になって出てきた。これが今までにないくらい美味しい。
〇〇〇も満足してくれたようだ。
田中さん夫婦は、息子と過ごすらしい。
ここでお別れだ。
皆で見送った。
平成31年4月30日
グアムに着いた。
大分疲れが溜まっていたけど、窓から見えるオーシャンビューに胸が高鳴る。
“海遊びはハワイで大分経験したので、今日は釣りでもどうですか”と斎藤さんが提案した。
釣り好きな俺はその提案にすぐに乗った。
〇〇〇は釣りが好みじゃないらしい。
海で遊んだ後、美咲ちゃん達とショッピングに行くと言って俺を置いていった。
結局海釣りのメンバーは20人くらいになってしまった。しかも、野郎ばかり。
まあ、釣りの奥深さは女子供には分かるまい。
朝早くから日が沈むまで、沖合いに出て釣りをしたが、俺は坊主だった。
斎藤さんの息子の武くんは、今日が釣り初めてらしいが、9匹も釣れて断トツ優勝だった。
俺が餌の付け方とかを偉そうに教えたのに、なんだか複雑な気分だ。
釣った魚は夜、皆で焼いて食べた。
「一匹も釣れてないんだ、ふーん」
〇〇〇は俺をからかってくる。
煩い、お前だって一匹も釣ってないだろうに。
俺は夢中で魚を食べてるからと、聞こえていない振りをした。
令和元年5月1日
今日はエジプトのカイロだ。
しかし、皆疲れが溜まっているようで、俺が起きると寝ている人も多かった。
ただ、ものすごく暑い。
「スフィンクス!スフィンクス見に行こうよ!」
〇〇〇が俺の腕を引っ張っている。
俺は仕方なく引っ張られて付いていくことになった。
美咲ちゃん達高校生組も、めちゃくちゃ元気で、若い子たちを中心に観光に出発した。
あと、昨日の釣りですっかりバテてしまった斎藤さんから、武くんの保護者役を任されてしまう。
スフィンクスは、想像の何倍も大きくて圧倒された。
街では女の子達が怪しげなネックレスやアクセサリを買いあさっていた。
(どうせ、そんなもの買ってもな……)
口には出さないがそんなことを思った。
夜は、バテてる人達の為にと、吉岡さんが現地のコックを5人も雇った。
出張料理という奴だ。なかなか贅沢。
ハマーム・マフシーという焼いた鳩の中にお米や麦や玉ねぎを詰め込んだ料理を食べた。
鳩を食べるのは抵抗があったが、食べてみるとめちゃくちゃ美味しかった。
流石は平和の象徴だ。
令和元年5月2日
アメリカ。自由の国アメリカのニューヨーク。
「自由の女神だ!自由の女神だよ!」
〇〇〇は今日も変わらずはしゃいでいる。
どうやら大きいものが好きだったみたいだ。知らなかった。
昼にピザを皆で食べた後、何をしようかということになった。
〇〇〇がセントラルパークに行きたいということだったので、俺は付いていくことにした。
斎藤さん親子は美術館巡り、美咲ちゃん達はショッピングに行くらしい。
セントラルパークに着くと、〇〇〇はフリスビーをしようと言い出した。
なんでニューヨークまで来てフリスビーを……と思ったが、仕方なく付き合った。
途中で、クマみたいにデカい犬が〇〇〇の投げたフリスビーを咥えると走り去っていった。
二人で犬を追い掛け回すと、飼い主と思われる2m近い黒人に首根っこを掴まれた。
ハンドブック仕込みの拙い英語と全力の身振り手振りで、何とか事情を説明する。
そして、何とか納得してもらった末、お詫びにとホットドックを奢ってもらった。
その夜、レストランでそのことを皆に話すと、大爆笑だった。
「冗談じゃないよ!死ぬかと思ったんだから」
〇〇〇がそう顔を真っ赤にするほどに、皆はお腹を抱えて笑っていた。
いい夜だ。
令和元年5月3日
ロンドンに到着。
俺はどうしても大英博物館に行きたかった。
〇〇〇に懇願すると、渋々OKしてくれた。
「ストーンヘンジも絶対行くんだからね!」
〇〇〇はやはり大きい建造物が好きらしい。
大英博物館の入場者列に皆で並んでいると、非常事態が発生した。
美咲ちゃんの同級生とばったり出会ってしまったのだ。
皆が聞き耳を立てる中、美咲ちゃんは何気ない会話を少しだけして、その子と別れた。
美咲ちゃんと〇〇〇が、じっと見つめ合う数秒間。
俺は心臓の鼓動が早まるのを感じた。
しかし、その後何事も無かったように〇〇〇は”列が長すぎだよ”などと文句を垂れた。
やれやれ、セーフか。
博物館の中に入ると、俺はお目当ての所に向かった。
それは”アメンホテプ3世の巨大頭部像”だ。
(小学校の頃、こいつに顔がそっくりだと死ぬほど馬鹿にされたんだ)
美術の教科書に載っていたこの顔。
このせいで、暗い幼少期を過ごしてきたと言っても過言じゃない。
「似てますねー。そっくりですねー」
〇〇〇は見比べて楽しそうにしている。
美咲ちゃんも”ホントだ、そっくり、そこに並んでください”などと言う。
俺とアメンホテプ3世の2ショット写真がついに撮られることとなった。
そう、俺はもう27歳。もうこいつに怒りなんて感じていない。
ただ、懐かしい思い出に浸り、因果の清算がしたかっただけだ。
博物館の後は約束通りストーンヘンジに向かった。
ホントに巨大で、どうやって岩の上に岩を乗せたんだろうと不思議になった。
夜はレストランで食事を済ませた後、大人たちはBarに行こうという計画になった。
吉岡さんのツテで高級Barに招待されると、テンションが上がって浴びる程に酒を飲んだ。
楽しい一日だった。
令和元年5月4日
二日酔いだ。完全な二日酔い。
今日はスイス、チューリッヒ。
〇〇〇が俺の腕を全力で引っ張って連れて行こうとするのを、斎藤さんの奥さんが宥めてくれた。
「いいもん!美咲ちゃん達と遊んでくるもん!」
そう言い残すと、〇〇〇は出ていった。
それからは気持ち悪さで眠れず、何度かトイレで嘔吐した。
機内にはそんな大人たちが6~7人いた。
(ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったな)
こんなことがなければ出会わなかった人達だ。
昨日は吉岡さんの過去の輝かしい恋愛遍歴の話で盛り上がった。
あと、斎藤さんが離婚寸前まで行った夫婦喧嘩の話とか。
皆それぞれ、波乱万丈な人生があって面白いものだ。
最後の方は現地のイギリス人も巻き込んで、日本vsイギリスの一発芸大会みたいなことまで始めた。
高級Barなのに、はしたない限りであったが、皆笑っていて良い夜だったと思う。
「良かったら、これどうぞ」
俺が気分悪そうなのを見かねてか、客室乗務員の舟橋さんがハチミツのドリンクを持ってきてくれた。
俺はお礼を言って受け取る。
”舟橋さんは遊びに行かなくていいんですか”と尋ねる。
「私はお客様をサポートするのが仕事ですから」
舟橋さんは真面目な人だ。俺なら、仕事なんかもうどうでもいいと思う。
実際この飛行機の操縦士の藤堂さんは、ハワイで降りてしまっていて、もういない。
操縦士が一番初めに、この航空機から降りたんだから、笑える話だ。
見渡してみれば、大分人数が減ってきたように思う。
皆思い思いに過ごしたいだろうから、当然だ。
舟橋さんはドリンクを希望者に配り終えると、一礼してフロアを去っていった。
その直後、放送が流れた。
「本日は当機をご利用いただき誠にありがとうございます。ただいま、ファーストクラスに2席、ビジネスクラスに8席空きがございます。移動をご希望のお客様がいらっしゃいましたら、私まで仰ってください」
アナウンスが終わり、暫くすると斎藤さんの奥さんが俺に声を掛けた。
「私たち家族は、ビジネスクラスに移ろうと思います。良かったら、ご一緒にどうですか」
武くんが俺の袖を引っ張って”一緒に行こうよ”と言う。
この数日で随分と懐かれたものだ。
だが俺は”〇〇〇に聞いてからにします。勝手に席替えたら、煩そうなんで”と丁重に断った。
そうして、隣の斎藤さん家族が居なくなると、妙に心寂しい気もした。
夜になると、大分体調も良くなって皆で湖近くのレストランに出向いた。
テラスの席で夜の湖を眺めながら食べるご飯は美味しい。
「だめ!もうビールなんて飲んだらまた二日酔いでしょ!」
そう言って〇〇〇は俺からスイスビールを取り上げたので、俺はスイスビールを飲み損ねた。
武くんもそれを真似して、斎藤さんからビールを取り上げた。
よっぽど今日飛行機内に缶詰めにされたことを怒っているらしい。
斎藤さんも申し訳なさそうに謝っていた。
令和元年5月5日
考えないようにしていたが、残り2日となった。
今日は韓国ソウル。
すっかり体調はよくなった。
〇〇〇に今日は何処に行きたいと尋ねてみる。
「どこでもいい」
なんだか元気が無さそうだ。昨日のスイスで何かあったかな?
美咲ちゃんにそれとなく昨日の〇〇〇の様子を聞いてみるが、いつも通り元気だったらしい。
元気のない〇〇〇の様子を見て、俺は行き先をロッテワールドという遊園地に決めた。
ロッテワールドに着くと、〇〇〇が目を輝かせて喜んでくれた。
「全部だ!全部乗ろう!」
〇〇〇の掛け声に武くんと美咲ちゃん達は”おー”と手を上げた。
日曜日なので、人が多い。
アトラクションの入場待ちの時、美咲ちゃん達が韓国人のイケメン達からナンパされていた。
そして、美咲ちゃんは韓国語を流暢に話して、イケメン達とワイワイ盛り上がっていた。
”すごいね、韓国語喋れるんだ”って言うと、”最近の女子高生は皆喋りますよ”と言われた。
そんなはずはない、と思った。
結局全てのアトラクションに乗るのは無理があったが、主要なものには全て乗れた。
日も暮れた頃、夜はパレードをしていると聞いて、ふと思い立ち一人、機内に戻った。
機内を回って、仕事中の舟橋さんを見つける。
”良かったら、パレードを一緒に見ませんか”
俺が思い切ってそう誘うと、一瞬断る素振りを見せた。
けれど、機内で休憩していた人達から”あんたも楽しんできな”という大合唱を受け、頷いてくれた。
俺は普段、女性に積極的なタイプでは決してない。
けれど、こんな日に遠慮してても仕方ないと、着替えてきた舟橋さんの手を握って走った。
ロッテワールドに再入場すると、パレードはもう始まっていた。
「遅いよー!こっちこっち!」
〇〇〇が手招きしてくれてる。
その日見たパレードは、今までの人生の中で一番綺麗だった。
パレードが終わって、遊園地に行かなかった組とも合流すると、焼き肉屋に向かった。
皆の注目は私服の舟橋さんだ。
お酒も進み、男性陣からの舟橋さんへの質問攻めで、舟橋さんに彼氏がいないことが判明した。
俺は密かにガッツポーズした。
珍しいことに〇〇〇は焼肉には来ず、機内でゆっくりするらしい。
わいわいと楽しい時間を過ごしていると、舟橋さんが立ち上がり外に出るのが見えた。
俺はトイレに行く振りをして後を追った。
”煙草吸うんですね”
俺がそう声を掛けると、舟橋さんは驚いた様だった。
”吸うわ、残念ながら”
舟橋さんは悪戯っぽく微笑んだ。
俺は、”あと、3日あったら舟橋さんに告白してたかも”と伝えた。
舟橋さんは”私も、君のことは全然嫌いじゃない”と言った。
喫煙スペースに偶々30代くらいの日本の会社員らしき男性がいた。
”君たち日本人かい?”
日本語で話している僕たちに興味を持ったらしい。
世間話をしていると、話題はとてもセンシティブになった。
”日本の旅客機が海に落ちたニュースは知ってるかい?生存者は絶望的だろうね。あと40人近くも遺体が見つかってないらしい”
令和元年5月6日
最終日を迎えた。
日本時間、深夜2時。
残った乗客たちを俺と舟橋さんでエコノミークラス集めた。
169人居た乗客は残り38人となっていた。
予定ではシンガポールに向かう予定だが、俺はそれを拒みたくなったのだ。
”明日は、日本に行きたい”
そう、俺が言うと皆複雑な表情を浮かべた。
〇〇〇は日本だけは行けないと最初に言っていた。
だから、これは実現するか分からない。
誰もが項垂れる中、美咲ちゃんが立ち上がった。
”私も、日本に帰りたい”
美咲ちゃんは、そう言うと涙を流した。
気付かぬ内に、美咲ちゃんの友達は居なくなっていて、美咲ちゃんは一人だった。
美咲ちゃんはゴールデンウィークに友達と4人でハワイ旅行に行こうとしていた。
”俺も” ”私も” ”僕も” ”私たちも”
ここに居る全員が日本に帰りたいと言っている。
”じゃあ、今からそれを〇〇〇に伝えに行きます”
俺はそう言うと、客室を出た。
後ろから、”頑張ってね”と舟橋さんの応援が聞こえた。
〇〇〇は韓国でパレードを見終わった後から、ファーストクラスに閉じこもっているらしかった。
俺がファーストクラスの客室に入ると声が聞こえた。
”あちゃー、また〇〇〇ちゃんの勝ちだね”
覗き込むと、〇〇〇と吉岡さんが二人でババ抜きをしていた。
「吉岡、全然強くないから、ツマンないよ。お兄ちゃんはめちゃくちゃ強いのに」
俺は”〇〇〇、あんまり吉岡さんを虐めるなよ”と優しく声を掛けた。
「あっ、お兄ちゃん」
「元気にしてたか、皐月」
皐月……俺の妹だ。
10年前、海難事故で、この世を去った、俺の妹。
----------――――――----------
うちの家では毎年5月、家族でハワイに行くことになっている。
普通の家族旅行とは少し違って、主な目的は花を捧げる為だ。
今年は渋滞に巻き込まれて、遅刻した俺が遅れて一人でハワイに行くことになっていた。
そして、俺の乗り込んだ旅客機は、残念なことに――墜落してしまう。
旅客機が海に落ちるその時、俺は叫んだ。
「ちくしょー、折角の10連休なのに!!もっと遊ばせろー!!」
そして、一瞬視界が真っ白になったかと思うと、また黒に戻った。
(あれ、何事もない……?)
恐る恐る目を開けたら、何事もなく世界が続いていた。
周りを見渡すと、皆も不思議そうにしている。
暫くすると、放送が流れた。
「あれ……これもう喋っていいの?」
客室乗務員の声ではなく、少女の声。
俺はどこか懐かしさを感じていた。
「皆さんは残念ながら、死んでしまいました」
突然の告白に客室がざわざわと喚き立つ。
「けど、安心してね。皆の"最後の10連休"は私が全力で楽しませてあげます」
そこで、放送は途切れた。
ざわざわが止まない客室に、やがて一人の少女が現れた。
”皐月!”
俺は思わず叫んだ。
皐月はこちらを見ると、手を振った。
「あっ、お兄ちゃん。こっち来て」
俺が腰を抜かしそうになりながら近寄ると、皐月はA4用紙の束を俺に手渡した。
俺が喜びと困惑で混乱し、立ち竦んでいると、皐月が俺のお尻を叩いた。
「お兄ちゃんは左から!私は右からこれを配っていくから!さっさとしてね!」
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言われるがままに用紙を配り終える。
用紙にはこう書かれている。
”死ぬ前に行きたい国は?”
俺は皐月に付いていくと、ビジネス、ファーストクラス、コクピットにも用紙を配った。
そして最後に客室乗務員の待機するスペースに向かうと、彼女達にも用紙を配った。
皐月がアナウンスのマイクを握る。
「はい、用紙は行きわたりましたか?無い人はお近くのスチュワーデスさんに言ってね。ではこれから現在の状況とこれからどうするのかをお伝えしようと思います」
皐月はワクワクした表情で続ける。
「まず、”私が誰なのか?”というのが気になりますよね。私は吉川 皐月。ここに居る吉川 拓郎の妹です。あ、ここに居るって言われても分からないか。実は、私も既に死んでいる人間でして、今ここに居るのは神様の悪戯的な奴なんですよ。ほんと奇跡ですよね」
皐月は尚も続ける。
「あらゆる奇跡が重なって、重なって、重なった結果!私はあなた達の魂を10日間好きにしていい権利を授かったのです。更に疑似的な肉体を用意して、そこに魂を収めておくことも許可されました。ですので、今あなた達は本物の体ではなくて、”偽物の体と衣服を丸っきりコピーしたもの”とお考えください」
皐月の言っていることは理解に苦しむ内容だった。
俺たちが……コピー……何を言っているんだ。
「折角の10連休なのに、皆さんだけ死んじゃって楽しめないのは可哀想ですよね?だから、これは今まで頑張って生きてきたあなた達へ、最後のご褒美ということになります」
そこで、”えーっと”と言葉に詰まった皐月はスカートのポケットからメモ用紙を取り出した。
「えー、ではこれから皆さまにお配りしたアンケートの結果を元に、休暇を過ごす国を選びたいと思います。沢山の国に行けた方がいいと思うので、多数決で9個の国を選んでいきます。あ、因みに今日はハワイに行きますから!これは絶対ね!」
皐月は語気を強めた。
「あと、日本って書くのも禁止です。この理由はちょっとだけ後で言います」
ここまで言うと、皐月は俺と客室乗務員に声を掛けた。
「そろそろアンケート書けた人がいるかもしれないから、その人達の回収してきて。あと、暴れたりする人がいたら言ってね」
色々と言いたいことはあったが、とりあえずは皐月に従うことにした。
「今から、お兄ちゃんとスチュワーデスの人が回るので、アンケート書けた人は渡してね」
皐月はそう放送で言った後、少し緊張した声に変わった。
「はい、ここまではあなた達の現状と、これからすることを話しました。次に、禁止事項とその対応について話します」
客室を見て回るが、アンケートに手を付けていない人がほとんどだった。
皆アナウンスに聞き耳を立てているようだ。
「禁止事項その1、あなた達が実は死者であることを、現世の人間に悟られること」
「禁止事項その2、私の言うことに従わないこと」
「禁止事項その3、現世の人間、またはここに居る人達に危害を与える行為」
「以上のことを犯した場合、一切の言い訳なく即、天国行きとします。気を付けてください」
アナウンスがそう告げると、”ふざけるな!”と初老の男性が立ち上がった。
男は真っすぐに俺の元まで、来ると俺の頬を殴った。
「ぐわっ」
俺が通路に倒れ込むと、悲鳴が上がった。
”こんなふざけた話信用できるか!さっさと俺を降ろせ!”
男性が叫ぶ。
すると、アナウンスからため息が漏れた。
「はぁ、やっぱりこういう人が出てくるんだね。折角楽しんでもらおうと思ったのに。じゃあね野村さん。私たちは後でのんびり行きますので、お先にどうぞ」
”何をふざけ……”と男が言ったところで、男が消えた。
客室はしーんと静まり返った。
「ただいまエコノミークラスの野村様が一足先に天国に旅立ってしまいました。私のお兄ちゃんを殴ってしまったので。まあ、こんな感じで10連休を楽しめなくなるので気を付けてね」
皐月はこほんと咳払いをすると続けた。
「さっきアンケートに日本って書いちゃ駄目って言ったのは、日本だともうニュースで旅客機が落ちたの皆知っちゃってるから、禁止事項1の”あなた達が死者であることを、現世の人間に悟られること”がすぐに破られちゃうからね」
「まあ、生きてるって思い込んでる人間にはバレても大丈夫だけど……まあ、これは別に言わなくてもいいか」
「あと、”もういいや”って思った人はいつでも心に強くそう念じてください。そしたら、すぐに天国に行くことが出来ます」
皐月は”最後に”と続けた。
「私は、ホントに皆に死ぬ前に10連休を楽しんで欲しいだけだから。私も含めてね。だから、ルールだけ守って、楽しくこのゴールデンウィークを遊びつくしましょう!」
そこでアナウンスは終わった。
----------――――――----------
そして、俺もババ抜きに混ざることになった。
俺と皐月と吉岡さんしか、ファーストクラスにはいなかった。
「ハワイの時、皐月は父さんや母さんに会わなくてよかったのか」
「会いたいけど、駄目。それは禁止されてるから」
「そっか」
皐月からカードを引く。
ペアが揃ったので、それを捨てた。
「皐月、俺日本に帰りたいんだ」
「えっ」
皐月が驚いた表情でこちらを見た。
”拓郎くん、それは禁止事項のはずだよ”と言って、吉岡さんが険しい顔をした。
「知ってます。でも、他の皆も同じ気持ちみたいです。吉岡さんは、違いますか?」
俺がそう言うと、”それは……”と吉岡さんは言葉を濁した。
「それに禁止されているのは”死んだことを悟られること”で、日本に帰ること自体は気付かれなければ大丈夫だと思うんだけど」
「そんなの無理に決まってるでしょ!大ニュースになってるんだから皆知ってるよ!」
皐月は烈火のごとく怒りだした。
しかし、俺はここで折れるわけにはいかない。
皆の思いを背中に受けているから。
「今日は最終日だ。別に今あの世に行こうが、20時間後にあの世に行こうが、そう変わらない。それなら、誰かに見つかって終わってしまうとしても、最後に日本の景色を見て死ねる方が俺は嬉しい」
「駄目!絶対に駄目!」
そう言って、皐月は吉岡さんからカードを引いた。
一組揃った様で、それを勢いよく捨てた。
皐月のこの嫌がり様には、もしかしたら別の理由があるのかもしれない。
「皐月、もしかしてまだ俺たちに言っていないルールがあるんじゃないか?」
「ない!ないよ!全部言った!」
「じゃあ、どうして……」
「私が帰りたくなるから駄目ぇ!!」
そう叫ぶと、皐月は堪えてたものを吐き出すように泣き始めた。
「わたし、昨日韓国に着いて、すごいホームシックだった。もう日本は目と鼻の先だって考えたら、帰りたくて、帰りたくて……」
「皐月……」
「だから、駄目。私、もう死んでるから。帰ったって悲しくなるだけだもん」
皐月は10年前ハワイの海で溺れて亡くなった。
だから10年もの間、日本に帰ることが出来ていないのだ。
皐月は俺だけにこんなことを話してくれた。
”私あの日溺れて死んじゃって、ずっと海に魂を取られてたんだ。偶にあるんだって、海の神様が魂を見初めて、空に返さないことが。だから私はこの10年ずっと孤独だった”
(皐月はずっと寂しかったんだ。だからこそ、日本に帰してあげるべきなんだ)
そう、俺は俺が日本に帰りたい訳じゃない。
皐月に日本を見せてやりたいんだ。
”さあ、私は上がりだよ”と吉岡さんが言った。
俺から引いたカードで、最後のペアが揃ったらしい。
残るは俺の手札が2枚と、皐月の手札が1枚。
JOKERは勿論俺の手の中だ。
「じゃあ、皐月勝負をしよう」
「勝負?」
「ああ」
俺は手札を持った手を、真っすぐ皐月に差し出した。
「今は皐月が俺の手札を引く番だ。もし、皐月がこれで上がったら俺の要求を呑んでもらう」
「えっ」
「ただし、皐月がJOKERを引いてしまったなら、俺の負けだ。俺は既に”日本には行かない”と皐月が言ったのに、それに逆らってる。これは禁止事項を破っている。だから、俺をあの世に送って、シンガポールに向かってくれ」
「そ、そんな……」
皐月は怯えている。
皐月にとってはどちらも嫌なことに違いない。
けれど、俺はどうしても皐月を日本に連れていきたいのだ。
「皐月、俺は本気だ。本気でお前に今の日本を見せてやりたい。だから頼む。俺の真剣に、お前も応えろ!」
「で、でも……」
「お兄ちゃんを信じろ!そして、お前は絶対JOKERを引かないはずだ!」
「う、うぅ……」
皐月は手を右往左往させて、決めかねている。
俺は目を瞑った。
(皐月、頑張れ)
「え、えーい!」
10分ほど時がたって、遂に皐月がカードを引いた。
俺はゆっくりと目を開けて、自分の手元に残ったカードを見た。
----------――――――----------
俺はエコノミーの客室に戻ると、開口一番に告げた。
「これから当機は日本に向かいます!」
”わー”と歓声が起こった。
舟橋さんが俺に勢いよく抱き着いてきたので、俺は頬を赤く染めざるを得ない。
「いつも通り午前7時着ですので、皆それまで体力温存!寝ましょう!」
俺がそう声を掛けると、皆”はーい”と声を上げた。
(最後の、日本だな)
俺は、心の帯を結び直した。
----------――――――----------
「はぁ、負けちゃった」
私はお兄ちゃんにいつも勝てない。
”皐月ちゃんは勝ったじゃないか”と吉岡が言う。
「負けだよ、日本なんか帰りたくないのに」
何気なくお兄ちゃんの伏せた最後のカードを捲ってみた。
「あれ?うそ、なんで?」
そこにはJOKERがあるはずなのに、そこにあるのはハートの6だった。
私が引いたのはスペードの6、私が持ってたのはクローバーの6。
JOKERはどこに?
私が茫然としていると、吉岡が笑いだした。
「何が可笑しいの、吉岡」
”いや、君のお兄さんは卑怯だよ。JOKERは君が泣いてる隙に捨て山に捨てたんだよ”
捨て山を探すと、JOKERがあった。
そうか、兄はずるっこをしたのだ。
そりゃ、勝てない訳だ。
「吉岡も気づいてて、なんで言わないのさ」
すると吉岡は”だって、私も日本に帰りたかったからね”とサラリと言ってのけた。
(大人って卑怯だな)
死んでからも、学ぶことは多い。
----------――――――----------
「じゃあ、いつも通りこの扉を通る時に行く場所を想像したらいいんだな?」
「うん、そうだよ。東京に設定しといた。流石に日本小さいとは言え、全部は無理だから」
この旅客機は実体はこの世に存在してないらしく、扉の外は真っ黒だった。
扉を抜ける時に行きたいところを想像すると、その近くに出るようになってた。
因みに何も考えてなかったり、行けないエリアを想像すると、強制的に空港に出てしまう。
午前7時前。
今日に限っては皆起きていて、そわそわとその時を待っていた。
”私、お母さんとお父さんを驚かせてやるんだ。そんで、消える”
美咲ちゃんがそんな計画を笑って話していると、皐月が美咲に抱き着いた。
「ごめん、ごめんね美咲ちゃん」
「どうしたのよ、皐月」
美咲が皐月の頭を撫でる。
この二人はこの10日間姉妹のように仲が良かった。
「ごめん、ごめん」
そう皐月が呟くうちに、美咲は唐突に消えた。
抱き着いていた皐月が体勢を崩して、その場に倒れ込んだ。
「な、ど、どうして!」
俺が困惑していると、皐月が泣き声のまま答えた。
「イギリスで会った美咲の同級生が、旅客機の事故のこと知っちゃったから……それで……美咲ちゃんのこと死んだはずなのに生きてるって認識しちゃったの」
そんなのでも、駄目なのか……。
死んだはずの人間が生きていると悟られたら、終わり。
美咲ちゃん、もうすぐで家族と会えたのに……。
「皐月、大丈夫だ。皐月のせいじゃないから。大丈夫」
俺は皐月の頭を優しく撫でた。
大丈夫、これ以上辛いことはもう起きない。
”7時ですね”と斎藤さんが言った。
「では、私たち家族から行こうと思います。多分もう会うことはないと思うのですが……皆さまにはお世話になりました」
斎藤さんと奥さんは深くお辞儀をした。
その様子を真似て、武君もぺこりとお辞儀をした。
三人は扉の黒い空間へ足を進めた。
武君が最後に俺に手を振ったので、俺も手を振り返した。
(武君には、まだ色んな可能性があったはずなのに)
そう思うと、やるせない。
せめて、最後の時まで笑って逝ってほしい。
そうして、順番に機内から人が去り、残るは舟橋さん含む客室乗務員2人と吉岡さん。
そして僕らだけとなった。
舟橋さんは同僚と泣きながら抱き合い、そして同僚を見送った。
「では、私も行きますね」
舟橋さんはお辞儀をした。
俺は、何て言っていいか分からなくて、下を向いてしまった。
(くそ、情けない)
最後なのに、何もできない。それが歯がゆかった。
そんな俺を見かねてか、舟橋さんは俺に近づいた。
そして、唇にキスをした。
時が止まる。
唇が離れると、舟橋さんはニコリと笑った。
「お客様を特別扱いしたのは、貴方が最初で最後です」
そう言うと、扉を抜けて去った。
俺が放心していると、皐月が”えっ!いつから!いつからなの!お兄ちゃん!”と騒ぎ立てた。
そんな様子を見て吉岡さんが楽しそうに笑った。
「いやぁ、若いっていいね。死んでしまうのは残念だけど、君達と会えたのは実にいいことだった」
「こちらこそ、何度となく吉岡さんには助けられて……」
「なぁに、僕はただの金持ちだから」
そう言うと、吉岡さんは扉の前に立った。
「出来れば君たちのお話をもう少し見ていたかったけど、死ぬ前に事業の相続とか色々根回ししときたいんでね。この辺で幕引きとしようか」
「それじゃあね、拓郎君、皐月ちゃん。最後までしっかりね」
吉岡さんはそう告げて、この場を去った。
頼りがいのあるお兄さんのような人だった。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「えー、やっぱり行くの辞めようよ……」
「何言ってるんだよ。ここまで来て」
「だって、すぐばれたら、一瞬で終わりだよ。はい、終了だよ」
「大丈夫だって、変装すれば。それに、お兄ちゃんは昨日寝ずに、皐月とのデートプランを立てたんだぞ」
「えっ、ほんと……でも、その年でシスコンは引いちゃうな。昔はもっと痩せてカッコよかったし、今だと女子高生を連れまわすデブのおっさん変態だよ」
「大丈夫だよ、一日くらいデブのおっさん変態と一緒に居たって」
「駄目だよ。変態は。最悪だよ」
俺たちは手を繋いだ。同じ場所に行きたい時は手を繋いで扉をくぐる必要があるからだ。
「皐月」
「ん」
「また会えて嬉しかった。俺、それだけでも神様に感謝しても、し足りないよ」
「私も、お兄ちゃんに会えてよかった」
そして、俺たちは一歩を踏み出した。
最後の素晴らしい一日を共に過ごす為に。
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エピローグ
平成31年4月28日
“拓郎、やっと来たのか”
息子が渋滞に巻き込まれたとのことで、私たちより少し遅れてやって来た。
毎年、娘が無くなった浜辺に家族揃ってやって来る。
海へ献花をするためだ。
これは、娘と共に生きることを誓った我々の儀式だ。
待ち合わせのホテルの前にやってきた拓郎は全身汗だくだった。
どうやら走ってきたらしい。
”どうしたの、そんなに汗だくで”と陽子が拓郎を心配した。
大方遅れてきたのを気に病んで、少しでも早く着こうとしたのだろう。
「あー良かった。その様子だとニュースとか見てないよね」
息子が何故そんなことを尋ねるのか、よく分からなかった。
「じゃあ、二人とも急いでタクシーに乗って」
拓郎は私たちの背中を押すと、停めてあったタクシーに押し込んだ。
拓郎は運転手にメモを渡すと、そこに向かうように指示した。
”そんなに慌てて一体どうしたんだ”と拓郎に尋ねる。
「いいから、いいから。サプライズがあるんだ」
私たちが向かうはずの浜辺とは逆方向だ。
道すがら、拓郎は私たちに言った。
「なぁ、皐月って死んだって思う?」
私は、息子が冗談を言っているのかと思い、”何を馬鹿なことを”と返そうとした。
だが、バックミラーに映る息子の表情は真剣そのものだった。
だから、私はその真剣に向き合うことにした。
「皐月は死んだよ」
私は言った。
「そうだよな」
そう言うと、拓郎は酷くがっかりした様子だ。
だが、と私は続けた。
「親という生き物ほど馬鹿なものはない。私は10年前のあの日を今でも鮮明に思い出すことが出来る。ぐったりしたあの子を抱き上げたことも、何度人口呼吸を繰り返しても帰ってこなかったことも。でもな、どこかであの子は生きてるんじゃないか、いや、生きていなければおかしいと。思わない日はない」
私は、震える膝を両手でしっかりと抑えた。
「皐月は生きている。それは私や陽子、そしてお前の中でだ。私たちがあの子を忘れない限り、皐月は私たちの中で必ず生きる。だから、私は幾ら年老いたとしても、ここに花を捧げにくることを誓ったんだ」
私がそう言い切ると、拓郎は笑った。
「それを聞いて、心底安心したよ。母さんも父さんと同じ気持ちってことでいいんだよな?」
陽子は涙を浮かべながら、コクリと力強く頷いた。
数十分して、タクシーは海水浴場の前で停まった。
”こんなところに連れてきてどうするつもりなんだ?”
私がそう尋ねると、拓郎は私たちに双眼鏡を差し出した。
「これから皐月に合わせてあげるよ」
私と陽子は目を見開いた。
皐月に会わせる……だと?
「ただし、注意してくれ。ここから覗くだけだ。皐月は今、複雑でさ。父さんと母さんに会ってしまうと、この世界に居られなくなるんだ。だから、約束してくれ。今日は覗くだけだ」
息子の真剣な表情に気圧され、私は弱々しく頷いた。
「あそこだ。あそこに皐月がいる」
拓郎は頭がおかしくなったのではないか、そんなことも頭をよぎった。
(ただ、似ているだけの女の子を皐月だと言って私達を騙そうとしているんじゃないか)
双眼鏡を覗いた先、同世代の女の子達が砂浜でビーチボールをしている。
そして、その中の1人。私は見つけた。
皐月だ。間違いなく皐月だった。
あの頃のまま変わらない皐月が、笑っていた。
私は、目から自然と涙がこぼれていた。
”皐月ぃぃ!!”陽子が堪えきれず、名前を呼ぶのを拓郎が抑えた。
「馬鹿、母さん。約束しただろ」
(間違いない、間違いなく皐月だ)
私は今すぐ駆け寄りたかった。
今すぐ抱きしめてやりたかった。
だが、息子との約束の手前、それを堪えるしかなかった。
「皐月は、あそこで元気にビーチバレーしてる。でも、家族には会えない。でも、生きてるだろ。だから、今日はそこまでだ。それだけ信じて欲しかったんだ」
拓郎は土下座をして謝っている。
「ごめん、こっから見てるだけなんて残酷だよな。でも、きっといつか二人で父さんと母さんに会いに行くから。だからそれまでは、待っててください。お願いします」
拓郎はそう言って、頭を下げ続けた。
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暫くの間、私と陽子は皐月の様子をそこから眺めていた。
途中から拓郎もその群れに加わって、皐月と一緒にビーチバレーをし始めた。
私と陽子は会いに行きたい気持ちを必死で堪えて、息子と娘の様子を見守っていた。
“お、お父さん。こ、これ”
陽子はそう言うと、スマートフォンの画面を私に見せてきた。
そこには日本の旅客機が墜落したニュースが書いてある。
(これは、拓郎が乗るはずだった便)
(拓郎、乗ってなかったのか)
しかし、その便に乗っていないならここに到着するのはもっと後になってるはずだ。
(まさか、拓郎……お前)
そう私が思い始めた頃、奇妙な現象が目の前で起きた。
拓郎の姿が薄く半透明になっていったのだ。
私は、咄嗟に心の中で念じた。
(拓郎が乗っているはずがない。たとえ乗っていたとしても、息子が死ぬはずない!)
そうすると、拓郎の姿はまたはっきりと鮮明になった。
”お父さん、あそこにいる拓郎は本当に拓郎ですか”
陽子がそう不安がるので、私は精一杯の虚勢を張って笑った。
「いや、心配するな。さっき私には言っておった。あいつ実は間に合っていて、私たちと同じ便で来ていたみたいだ。だから、その便には乗っていないよ」
”なんだ。心臓が止まるかと思いました。皐月を見たばっかりだから、動揺してて”
陽子は、安心したように息を吐いた。
私は皐月と拓郎を見ながら、決意した。
(たとえ、世界中の誰もがお前らを死んだと思おうと、私と陽子だけは生きていると言ってやる。だから、安心しろ)
私は子供達の遊ぶ姿をじっと見つめた。
ー終ー