1-(7) 軍人の――
「申し訳ございません!」
いま、俺は地に額をつけるような謝罪のスタイル。いわゆる土下座。男、参月義成一生の不覚。女子のあられもない着替えシーンに遭遇してしまっていた。もちろん俺としては、不可抗力を断固主張する。
「このバカ! 変態覗き魔! 痴漢!」
だが、俺へラッキースケベを提供してくれた女子からの罵声はとめどなく、言葉は辛辣で容赦がない。最早、物理的に足蹴にされている気分だ……。
「すみません! でも覗く気はなかった。わかってください」
「ふーん。痴漢の言い訳の常套句ね。でも、わかったわ」
「わかってくださいましたか……」
と俺がホっとしかけたのもつかのまだ。
「ええ、あなたの言い訳の手口がわかった。あなたは次にこういうの。事故だって、そしてお尻を丸出しにしていた私にも責任があるってね。盗っ人猛々しいとはこのことね。恥を知りなさい!」
「そんな!」
なんて難癖だ。ひどいにも程がある。どんな仕事に従事していたらこんなに性格がねじけるのか。
俺へ罵声を浴びせてくるこの女子の素性不明だが、総司令部所属なのは間違いない。なぜならここはブリッジの総司令部区画で給湯室だから。ここへ出入りできるのはブリッジ勤務のなかでも幹部かグレードの高い乗員だけだ。あ、給湯室へでは、ないぞ。総司令部区画という場所にだ。瑞鶴は、全ヌナニア軍の旗艦。そんな瑞鶴には艦中枢だけでなく、軍中枢機能が集まっている。ここにはパスを持つ特別なクルーしか入れない。
「私は、星守あかりっていうの。あんた私に目をつけられて、ヌナニア軍でやっていけると思わないことねよ」
そんなことを偉そうにいってくる女子を、あらためてみてみれば、整った容姿に黒髪のおかっぱ頭で前髪パッツンのアジア系。おそらく年下。瞳が大きく童顔だが、眉はキリッとしていて、ひと目で気の強い性格だと理解できた。
「それ土下座ね。それ知ってるわよ。サムライがやるやつでしょ。映画で見たわよ」
「申し訳ございません!」
「でもね。それ逆効果よ。ここまでしてるんだから許してくれっていう厚かましさが透けて見えてるんだから」
くそ……。見抜かれた。正直いうと土下座までしているんだから許してくれとちょっと思っていた。
そもそも、どうしてこんなことに。思えば、ことの発端は今朝の食堂。火水風と朝食を取っていた俺の携帯端末への着信だった。俺が着信音に携帯端末を取りだして画面を見てみれば、そこには未登録の番号が表示されていた。
覚えのない番号からの着信に俺がでると、相手は、
『義成か? いや、義成だな。お前ちょっと午後に総司令部にこい』
とだけいって通話はブツリ。これで終わり。俺は、
――誰だったんだこいつは……。
と味不明だ。そんな困惑する俺を見て、火水風が食事の手を止めて、
「誰からですか?」
と聞いてきた。
「わからない」
「わからない? また女の人だったら承知しませんよ」
「なぜ承知しないのかわからないが、それは杞憂だ。声は男だったからな」
「ふーん」
と疑いの目で見てくる火水風には俺は、
「知らない番号だ。総司令部へこいとだけいって切ったぞ」
といって携帯端末を渡してしまった。これで潔白のアピールになるだろうし、火水風は電子戦科だ。つまり、俺が携帯端末を彼女へ渡したのは、誰だか調べてくれと丸投げしたわけだ。俺だって特殊工作員。自分でも調べることはできるが、こと電子機器が絡めば電子戦科の火水風が早いんだ。
火水風は俺の意図を察していた。さすがは幼馴染。こういうところは楽だ。火水風は手早く約端末を操作するとすぐに結論をだした。
「嘘! この番号って天儀からですよ」
「本当か!?」
「はい。この番号は間違いなく天儀の番号ですよ。で、あいつが総司令部へこいって?」
「ああ、午後にこいといってきたが……」
呼びだしてきたのが天儀で、午後に総司令部にいけばいいのはわかったが、問題が二つあった。
第一に、軍用宇宙船なかでも大型艦のブリッジは広くいくつか区画わけされている。そのなかに総司令部区画があるわけだが、総司令部の正確な位置は機密だ。俺のような下っ端は、軽くビルのワンフロワー分はあるブリッジのなかで、総司令部区画がどこにあるかわからない。
第二に、総司令部区画へ入るには特別なパスがいる。
そう。つまり天儀は、簡単にこいといってくれたが、パスもなし、呼び出し場所もわからないとういわけだ。しかも正確な時間も不明。そもそも、あの人は、名乗りもせずに要件だけいっていきなり切ったしな。恐ろしくせっかちな正確だというがよくわかっただけだ。だが、逆にこうなってくると、答えはおのずと絞られる。
「……これは俺へ試練かもしれない」
「試練ですか?」
「試験ともいっていいな。いまの状況で、俺が総司令部に入るのは不可能だ。だが、そんな俺が、昼食か帰ってきた天儀のデスクの前に立ってみろ。どうなると思う?」
「え、立ってたらどうなるんですか……」
火水風の視線に若干のトゲを感じる。義成さんが、また意味不明なことをいいだしたという不信の視線。まあ、俺は昔から得意になって火水風に謎かけしていたからな。だが、俺はめげない。慣れてるからな。
「……合格だ」
「合格?」
「ああ、本来入れないはずのエリアに、あっさりと侵入できたとなれば工作員としてのスキルはピカイチだとわかるだろ。国軍旗艦でセキュリティレベルの高い場所はいくつかあるが、総司令官室より艦中枢が集まる総司令部のほうがセキュリティは高いからな」
「あ、なるほど!」
「ああ、天儀のやつは俺を使えるかどうかテストする気なのだろう――」
「おおー……。で、合格ならどうなるんですか?」
「俺達のやらかしたことは不問。それどころか総司令官の側近として採用される。こんなところだな」
「へー……」
「って、火水風なにしてる!?」
俺の話を聞いていた火水風が、手にしていた俺の携帯端末を操作し、天儀とおぼしき男へダイヤルし始めていた。俺は大慌てだ。
「え、なにって。義成さんがいったことが本当か確かめるんですよ」
「よすんだ。やめろ!」
「えーだって、間違ってたらどうするですか。呼び出してもいないのに、パスもない義成さんがデスクの前に立ってたんじゃ天儀は怒りますよ? 私だったら引きます。だって若干ストーカー入ってるじゃないですか。折り返して電話して誰かハッキリさせるべきですよ。私が調べたのは、あくまでデーターベースと照会しただけ。もうすでに掛かってきた番号は、別の人のものって事だってありうるんですから」
もっともなことをいっている気がするが、だが、これが俺の考えたとおり試練なら、折り返した時点でアウトだ。ナカノ・スクールの試験では、こういった唐突な訓練はよくあった。目覚めたら砂漠、原生林、無人の海岸。そして自力で帰ってこい。ヌナニア星系軍士官学校でも偶然を装ったトラブルで、俺達生徒がどう行動するか試験していた。
「教官に問題の内容を聞き返す実習生がいるか。その時点で落第だぞ!」
「あ、切られた……」
不幸中の幸い。ダイヤルは、今忙しい! とばかりにすぐに拒否された。そんなことがあって俺は、大急ぎでパスを偽造。午後一時には、ブリッジの総司令部区画に入っていたのだが、たまたま通りかかった給湯室を覗き込んだら、着替え中の星守あかりとかいう女子に遭遇。彼女のショーツに包まれた形の良い可愛いヒップを目撃してしまったという顛末だ。
そして星守あかりは、
「すぐに軍警に突き出してやるんだから。ていうかあんた知らないでしょうけど、私って元軍警なの。それも一等捜査官。不慮な事故でなんて処理させないわよ。あんたは、痴漢で軍歴も人生も終わりよ!!」
と息巻いている。
くそ、ここで軍警。正確には、瑞鶴警務部に通報されたら試験は不合格だ。いや、不合格だけじゃすまない。こういった場合どうなるかというと、試験官(天儀)は助けてはくれない。俺は、放置されブリッジへの不法侵入と覗きの痴漢行為で逮捕だろう。無能な生徒には、相応しいペナルティだ。しかも悪いことに、この程度の試験に合格できない無能などヌナニア軍には必要ないとばかりに、総司令官暗殺未遂も蒸し返されて俺達三人は、やっぱり要人暗殺未遂の容疑で逮捕となってしまう可能性もある。……そうなれば最悪だ。
――どうする俺!
状況は、限りなくゲームオーバに近い。この星守とかいう前髪ぱっつんのおかっぱ女は、相当厳しい。簡単には言い逃れできない。
だが、完全に打つ手なしと思われた状況は、
「おい。星守副官房いつまで着替えてやがる。こっちは待ってんだぞ」
という声とともに入ってきた一人の男のおかげで急転した。
「天儀、いえ、天儀総司令――!」
俺は、思わず懇願するように叫んでいた。そう。俺が土下座する給湯室に入ってきたのは天儀だった。
なお、天儀といえば土下座スタイルの俺を見て困惑顔だ。天儀の心中は、
――なんで土下座。てか、なんで義成お前がここにいるの?
そんな表情だ。いや、あなたが雑に呼び出したから俺はここにいいて、もとをたどればこの土下座スタイルもあなたが原因! といいたいが、とにかく、いまはそんなことより突然登場した救世主に助けてもらうしかない。試験の合否以前に、このままだと軍警に突き出されてしまう。それにこの天儀は、俺を呼び出したことをすっかり忘れている感じだ。そこにかけてゴリ押すしかない。
「聞いてください。俺は、天儀総司令に呼び出されてここにいるんです!」
天儀は驚き、
――え? そうなの?!
という顔になったが、俺は、すかさず天儀へ向けて、
「そうなんです!」
と、力強くゴリ押した。事実そうだしな。天儀が、俺の携帯端末に着信あった番号は、もう一度調べてみたが間違いなく天儀のものだった。
「へー……。天儀総司令からの呼び出しねぇ。天儀総司令、本当なんですかぁー?」
と星守あかりが、天儀を見た。天儀といえば頼りにならない。星守あかりの強い不信感の篭もった問に、
「え、あ、そだっけか!?」
と動揺気味だ。
――頼む!
と俺は懇願するように天儀を、いや、天儀総司令を見た。俺は、この人を調べているときに何人かの軍人が、こう口にしたのを覚えていた。
『天儀は、軍人の願いならなんでも叶えてくれる人だったよ。いわば――』
『――神。軍人にかぎってのな』
つまり軍人の神様。これが、天儀がどんな男だったか形容するのに最もふさわしいということらしいが……。いま、俺はその神様頼みだ。その軍人の神様が、いま、口を開いた。
「あ、ああそうだ。そうだった。義成は、俺が呼び出した」
天儀総司令から俺の望む言葉が吐かれていた……。やった。助かった。軍総司令官がいうんだ。これで前髪ぱっつんのおかっぱ頭の星守あかりも納得するだろう。が、この女は元軍警というだけあってしつこい。天儀総司令と俺を交互に疑わしい目じろりと見てから。
「本当ですかぁ? なんか怪しいですねぇ」
「いや、そういえば俺は、彼を側近に任命したんだ。そうだよな義成!」
さらなる展開に、俺はあっけにとられたが、これだって俺が望む言葉だ。
「え、はい! 側近です!」
とすぐさま返事をした。
これで俺の立場はより強固となり、痴漢の冤罪から開放されるし、それに総司令官付きの側近なら出世間違いなし。ナカノ送りにされたことで世を儚んでいた俺だが、出世に興味がないわけじゃない。
――だって出世すれば、正しいことができる。
俺の理想とする正義の軍隊を実現できる可能性が高くなる。軍を内から正しく導く。これが俺の目標の一つだ。繰り返してしまうが、総司令官の側近なら申し分ない。
「フーン。側近ねぇ……」
「なかなか使えるやつだぞ。俺の着任式当日に熱烈な自薦があってな」
天儀総司令が、ニヤついていった。物は言いようだ。暗殺を仕掛けたことを自薦とはな……。
だが、前髪ぱっつんのおかっぱ女の星守あかりは、やはりしつこかった。
「そうですか。でも残念ですね。その側近くんは、今日で解任です。他に新しい子を探してください。あ、よかったら適当な子を軍官房部で推薦しますよ。真面目でスケベじゃない仕事のできる子をね」
「星守副官房なにをいっている。意味がわからん。それより六川軍官房長が待っているんだ。早くブリーフィングルームへこい」
「はいはい。急ぎますよ。ただ、痴漢の現行犯を軍警に突き出してからですけどね。悪いんですけど、もう少し待っていただけますか」
総司令官に対して、この言い草。暗殺しようとした俺がいうのもなんだが、天儀総司令は、全ヌナニア軍のトップだ。対して星守あかりは、副官房。正式には軍副官房長。一言でいえば、天儀総司令の部下だ。なのに星守副官房の態度ときたらこれだ。地球時代の軍隊からすればあまりに規律がゆるいだろう。だが、これにはわけがある。
十九世紀まで人類は社会構造を縦割り。つまりタワー型の構造でしか社会を理解していなかった。歴史の教科書でよくある三角形の頂点が王様で、底辺が農民という構図だな。
だが、二十世紀にインターネットが登場し、人類の社会構造への認識は急速に変わった。縦ではなく横の広がり。つまり、ネットワーク構造の登場である。
ネットワークという横構造の登場と台頭。どれが核というわけでなく、分散された社会。インターネットの登場で社会は、縦型のタワー構造と横型のネットワーク構造の二重構造と再定義され、時代が進むにつれてネットワーク構造が重視されるようになっていった。
一千万規模の軍隊。いや、ヌナニア連合は、十二星系十九惑星。この規模の国家とそこに内包される大規模な組織を、十九世紀までのタワー構造という社会定義だけで統治するのは不可能だった。おのずと人類はネットワーク構造の社会にシフトした。
つまり人間関係において、横のつながりを重視する俺達スペースノイドは、地球時代ほど上に対して、厳格な態度を求められないのだ。というか社会的に見れば、軍隊はまだタワー構造を引きずっているほうだな。これが星守副官房が、いや、彼女だけでなく俺をふくめたヌナニア軍全体の上の階級へ対する態度が、過去の軍隊からは考えられないほどのラフさを持っている理由だ。
付け加えておくと副官房の立場もきわめて偉い。軍官房部は、総司令官直下の組織で、総司令官の意向を軍内に強く反映するため組織だ。社会をまずネットワーク型として認識するに俺達スペースノイドに、縦構造を強いる存在ともいえるかな。
長々とわかり難い説明をしたが百聞は一見にしかず。
図示するとこうだ。ちなみに鬼美笑姉は、二部(情報部)の所属だ。
話がだいぶ脱線してしまったが、星守副官房の主張に対して天儀総司令が口を開いた。
「義成が痴漢だと?」
「はい。そうですよ。この子。義成っていうんですかね。そのスケベ義成くんは、私の着替えを覗いた。天儀総司令がなんといおうと、ちゃっちゃと軍警に突き出しますからね」
「痴漢をしたのか?」
と天儀総司令が口にしながら俺を見てきたので、
「違います! 事故です!」
俺は、顔で渾身にして必死の訴願。無実! 無実! 無実! 心の中では大連呼! いや、表情で連呼!
天儀総司令は、やはり困惑気味で星守軍副官房を見て確認した。
「だそうだが星守副官房?」
「いえ、覗きでアウトです。天儀総司令はご存知でしょ私が元軍警って」
「ああ、知っているが」
ちょっと天儀総司令なんで弱気なんですか! ここは給湯室ですよ。総司令だってここが女子更衣室なら、
――まだ着替え終わらんのか?
なんて気軽に入ってこないですよね! お願いですから、そこに気づいてください!
これを俺だって自分で口にしたいが、総司令官と副官房を前に萎縮してしまっていた。繰り返しになるが俺達は、まず社会をネットワーク構造で認識する。だが、現実世界の組織は、いまでも縦割りだ。とくに軍隊はそうだといったが、軍隊に所属した人間はまずタワー構造を叩き込まれる。上には絶対服従。頭だけでなく体にもだ。俺は、とくにナカノ・スクールで徹底的にしごかれまくったので、その反動で相手の身分を強く認識してしまうと無駄に萎縮してしまうことがあるんだ。
「いいですか天儀総司令。元軍警の一等捜査官の私が、アウトといったらアウトですからね。綱紀粛正だって軍の重大案件。練度が高くとも規律を欠いては、軍隊は機能しません」
「ま、もっともだ」
ちょっーっと、ちょーっと、待ってください天儀総司令。なんであっさり星守副官房のいいぶんに押されているんですか。あなたは総司令官ですよ! もう少し頑張ってくださいよ。ここは俺の顔に免じてとか。俺は、そういった発言を期待してるんですが!
そもそもなんで星守副官房は、こんなに天儀総司令に挑戦的というか、対立的なんだ?軍官房部の軍官房長官と軍副官房長官は、総司令官の女房役と表現されるぐらいの綿密さで総司令官を助けていく存在のはずだろ。それが星守副官房の天儀総司令に対する態度は、いまの価値観からみても少しおかしい。
「だが、星守副官房。俺は、彼がいないと困る。どうにかならんのか?」
「ダメですね。突き出します」
天儀総司令がなんといっても星守副官房はかたくなで、天儀総司令も説得されてしまいそうだ。このまま俺は、逮捕か……。しかも痴漢。正義のヒーローに憧れる俺が痴漢。最悪すぎる。火水風や鬼美笑姉にはどう説明したらいいんだ。