1-(6) 知行合一
「舐めるなよガキがッァ!」
「すまない。体が勝手に動いたんだ……。だが、次は大人しく殴られる。絶対だ!」
俺があまりに真摯にいったのが効いたのか、額にでかい傷痕のある男は苦い顔をしつつも、仕方ないと納得したようでブンっと強烈な一撃を振るってきた。俺は、次こそ殴られると決めていが――。
「おいッ!」
「違うんだ! これは条件反射なんだ。体が勝手に。そういう訓練を受けてしまっていて無意識に動くんだ。君らも特殊部隊なんだからわかるだろ」
額にでかい傷痕のある男はムッと黙り込んで、怒りのボルテージが一弾上がった感じだ。俺は、次こそ絶対に殴られようと覚悟したが、拳を振りあげた男が殴りかかったのは俺ではなく――。
「鬼美笑姉――!」
叫んだ俺は、跳躍した。寸前だった。鬼美笑姉の頬に男のでかい拳が突き刺さる寸前で、俺は体を割り込ませて、男の拳をうけるのに成功。だが、強烈だ。拳がヒットした部分だけでなく体に全体に強い衝撃と痛みを感じた。もちろんそんな強烈な一撃を食らった俺の体は、盛大に吹き飛んで床にドシャリと転がった。
「ほ~ら、当たった。お前はなかなか使い手らしいがバカだ。女の前でいい格好したいだけの正義バカ。俺達は、そういうのをひと目で見抜くんだよ。で、そんないい格好したい正義バカを射抜かんとすれば、まず近くの女からってな」
そして額にでかい傷痕のある男は、床に転がる俺の胸ぐらを乱暴に掴んで、力らづく立たせてきた。男の腕力は、まさにクレーン級。俺の体は、まるで重機で吊り上げられるようだった。
「新兵のガキが、黄金の二期生とかよばれて調子乗りやがって。卒業したら即士官だぁ? 人生舐めてんじゃないぞ。あと、女とイチャついてたのがムカつくぜ!」
俺の顔面につばを飛ばしながら怒鳴る男に俺は、不敵に笑って――。
「どれも清々しいぐらいの本音だが――」
「ああ?」
「最後のが本命だろ。その顔と性格じゃモテない」
「てめえ!」
額にでかい傷痕のある男がまた拳を振るった。俺は、あえて殴られた。……俺はバカだ。なんで挑発してしまったんだ。くそッ。あと二三発はお見舞いされるぞ。俺が覚悟を決めるなか、
「きゃー! 止めてください。触らないで!」
と悲鳴があがった。火水風だ。すぐにわかった。俺が、悲鳴のした方に目を向けると、火水風は乱暴に腕を捕まれ、痛みと恐怖で顔を歪めていた。俺達は、いつのまにか国家親衛隊の男共に取り囲まれていた。
「へへ、捕まえたぜ。お嬢ちゃんは、ヒヨコみたいに可愛いな。あんな青びょうたんじゃなく俺達といいコトしようぜ」
「嫌ですったら。軍警呼びますよ! ちょっと痛い痛い!」
「うおー。可愛いい! 軍警だってよ!」
どっと国家親衛隊から笑いが起こった。火水風の抵抗の言葉は、こいつらにとっては可愛いさえずりに聞こえるのだろう。
「あんた火水風を放しなさいったら!」
鬼美笑姉が、火水風を助けようと叫んだが意味がないどころかむしろ逆効果で、
「俺達は、こっちのお姉さんのほうが好みだぜー」
といって別の男二人がニヤつき顔で、鬼美笑姉に近づいて手を伸ばしていた。
「触んじゃないわよ!」
同時にパチーンという音。鬼美笑姉が伸びてきた手を力いっぱいはたいたのだが、やはり効果なし。
「ぐふふ。痛いぜえ。だが、こいつはイイ。むしろご褒美だ」
「オメーはつくづく変態だなぁ。お前からしたら罵声もビンタもむしろ必須のオプションだもんな」
「ああ、しかも今日は金払わずに無料ときたぜ。最高だぁ」
鬼美笑姉の渾身の平手打ちも屈強な男からすれば蚊が刺したほどでもない。むしろ手の痛みと、鬼美笑姉のツンツンした態度を楽しんでいる。そんなか鬼美笑姉が、静かにキレていた。
「そう。じゃあこれはどうかしら――」
「おーう。次は、どんなサービスしてくるれるのかなぁ!」
構えた鬼美笑姉が素早く動いた。鬼美笑姉は、情報部の諜報員。荒事ありの九課。格闘戦も得意だ。そんな鬼美笑姉が、繰り出したのはステップからの足技。つまりは金的だ。体格差のある男相手には有効な攻撃だが……。相手は当然そんなことは見越していて、ひょいと簡単に回避。
が、鬼美笑姉のほうが一枚上手だった。
金的をかわされた鬼美笑姉は、蹴り上げた足が着地すると同時にステップして、左ボディーを放った。ただのボディーへのパンチじゃない。膝を曲げ両足をガッチリ地面につけ、体の軸をつかい目一杯上半身を回転させたソーラープレキサスブロー。つまりは、人体の急所の一つみぞおちへの一撃。決まれば一時的に横隔膜の動きが止まる。つまり呼吸困難になるのだ。
変態だろうが人間だ。油断していたこともあり男は、鬼美笑姉の一撃をもろにもらって、呼吸困難に陥り悶絶。仲間の思わぬ負傷に、国家親衛隊どもが、顔色を変えていた。
だが、鬼美笑姉の攻撃は、それだけじゃ終わらない。
ソーラープレキサスブローの効き目は早いが、効果は一時的なものだ。横隔膜が正常に動きだし、呼吸がもとにもどればダメージはさほどない。つまり相手が呼吸困難で混乱しているあいだに、追い打ちして止めを刺す必要があるということだ。
――エグい。
と俺は思った。なにせ鬼美笑姉が、選んだ止めの一撃は目潰し。またも体力差を補える急所への一撃。だが、この一撃は不発と終わった。周りの男どもが助けに入ったからだ。鬼美笑姉は、あっという間に数人の男に組み伏せられていた。
直後こそ鬼美笑姉は、抵抗の悲鳴をあげていたが、男達の拘束は強烈で、悲鳴はすぐに苦悶のうめき声となった。鬼美笑姉の惨状を見た火水風は、恐怖で唇が真っ青になり泣き始めている。
――これが古参兵。しかもエリート部隊のやることかッ!
怒りを通り越した感情で、俺の心が大きく鳴った。
「義成さん!」
と火水風は恐怖の表情で俺に助けを求めてきて、
「ダメ! 義成逃げなさい。こいつらやっぱり強い! あんた一人なら逃げれる。逃げて軍警呼んできなさい」
と鬼美笑姉は、男達に組み伏せられる痛みに耐えながら俺に言葉を送ってきた。
絶体絶命となった俺達。だが、宇宙ゴリラどもからすれば状況は有利になったのだ。一部始終を見ていた傷痕ある男が舌打ちしていった。
「チッ。油断しやがってバカが……」
男の手は、まだ俺の胸ぐらを掴んだままだ。
「おい。そろそろこの手を放して欲しいのだが?」
「お、新兵の兄ちゃんやる気か。だがいいのか俺達はグランジェネラル。つまりは、今日着任した総司令官の覚えがめでたいエリート部隊だぜ。星系軍士官学校といえば、出世しか興味ないと相場が決まってるわけで、お前としては、俺達と事をかまえるとまずいんじゃないのか」
「つまり?」
「星系軍士官学校のわりに物分りが悪い野郎だな。だからな。俺達と喧嘩になると、グランジェネラルから睨まれて出世ができないってことだ」
脅しを口にするときの額にでかい傷痕のある男の顔は、ニヤついていった。お前も女も、俺達に好きにされるしかないという見透かした感情の篭もった下卑た笑いだ。
出世か……。ナカノに送られなければ、そんなことに俺もこだわったかもしれない。俺は、二期生なかでは唯一の落伍兵だった――。
ヌナニア星系軍士官学校を卒業した俺が送り込まれたのは、栄えある軍アカデミーではなく、特殊工作員の養成機関……。想像するにも吐き気がする訓練で身につけたスキルは、どれもヒーローの必殺技とは程遠く、日陰者がつかって相応しいものばかりだ。
「だいたい簡単な算数だ。お前達は三人で、俺達は六人。戦おうとする事自体が指揮官失格だぜ。しかも、いまは一対六。お利口な士官学校出身の兄ちゃんなら勝てない戦いだってわかるだろ」
火水風と鬼美笑姉からまたも悲鳴があがった。俺が、二人のほうを見ると、火水風と鬼美笑姉に男五人が群がって好き勝手始めていた。不条理に対する怒りとは、これほど冷静さを呼ぶものなのかと俺は静かに感じた。
「俺、おっぱい触っちゃおー。ウフフ」
「事故だ事故。濃厚な接触も仕方ないな」
「キャー! やめて! 痛い、痛い!」
「へへ、こっちのお姉さんもいい体してるなぁ」
「ちくしょう。殺すわよ! 触らないで!」
「いやいや、暴れるのを拘束してるんだから仕方ない。こうやって体が密着して、下半身が擦り付けてしまうのも仕方ない。なんたって暴れられないためだからな」
「ちょっと! こいつ何押し付けてんのよ。殺す! 離れなさい!」
「おい! やり過ぎるなよ!」
と額にでかい傷痕ある男が、俺の胸ぐらを掴んだまま仲間のほうを見て言葉を飛ばした。男の注意が俺から離れ、意識が仲間たちの方へいっていた。自分も加わって楽しみたいのだろう。俺は、この瞬間を見逃さずすかさず声をかけた。
「おい、お前。知行合一という言葉を知っているか?」
「はぁ? ちぎょうごうだぁ。なんだそれ。というか新兵のガキは目上の者に対する口の聞き方をしらんようだな。体に教えて――」
「――こういうことだ!」
俺は両手で、額にでかい傷痕ある男の腕を掴んでひねった。男の体が中を舞った。俺は、そのまま男を床に叩きつけた。
「グアァアア! やりやがったなこのガキッ!」
男が右肩を抱えてうずくまって悶絶していた。
俺は、額にでかい傷痕ある男の肩関節を決めつつ投げ。床に叩きつけると同時に、顔面に全体重を乗せた膝の鉄槌。それと同時に肩の決め関節を外してやったのだ。ボクッという弾むような鈍い音がした。関節が外れる音だ。こいつはしばらく戦闘不能だ。
日陰者がつかって相応しいスキルも使い方次第! 要人暗殺未遂やアンチスパイのために身に着けた格闘スキルも正しく発現させれば、それは正義の力だ。……そのはずだ。
俺は、迷いを振り払うように火水風と鬼美笑姉の方に跳躍した。
まずは鬼美笑姉に馬乗りのなっているやつ。そいつの延髄に蹴り。そして耳を指で摘んで力いっぱい引いた。男は脳しんとうを起こしたところに、耳を引きちぎれんばかりに引っ張られた激痛ですぐに気絶した。
次に火水風を襲っているやつだ。汚い男の手が、火水風の胸の上に乗っているのが見えた。
――秒で殺す!
と俺は男に飛びかかったが、俺と男の間には若干の距離があった。男は身構えたが応戦してきたが、背後に回り込み男の首を腕で目一杯絞め上げた。
絞め上げること8秒。男は口から泡を吹いて失神した。俺が男の首から腕を外すと、男の肉体は崩れ落ちるようにドシャリと床に転がった。3秒で意識を飛ばしてやったところに、余計に5秒絞めてやった。簡単に意識は回復しない。
「これで一対三だ。十秒前後で、お前らの戦力は半減したがどうする?」
と俺は、額にでかい傷痕のある男にいってやった。いま、こいつは脱臼した右肩の痛みをこらえるしかできない。なお、残っている三人は隊長格が一瞬で戦闘不能にされ、二人があっという間にのされたことで、完全に戦意喪失気味。及び腰だ。
「やりやがったな……。というかやりすぎだぞ。俺は少佐で、こいつらは大尉や中尉だぞッ」
「そうか」
「そうかじゃねえ! お前は、ヌナニア星系軍士官学校出とはいえ新米の少尉じゃねえか。確かに俺達よりすぐに偉くなるだろうが、いまは俺達のほうが階級は上でしかも軍歴が長い。これは明確な上に対する反抗だぞ!」
「だから知行合一といったろ」
「なんだよそれ。しるかよ!」
「心学(陽明学)だ」
「はあ? 宗教かなにかかよ……。知るわけねえだろ!」
「だろうな。だが心の思うところに正義あり。俺は、お前達の悪を知った。だから行動した。それだけだ」
心は即ち理に属す。正しい心を保っていれば、心が感じたところが正解だ。小難しい学問をして、理論整然としていてもその言葉の巧みさが、黒を白と言い換えているだけならまったくもって学問とはなんなのか。悪辣な行為が行われていると知って、それを正そうと行動しないのではれば、それは知らないことと同じである。
人は元来良心を持って生まれてくる。それを学問で粉飾して、曲げているのだ。だから不正や妥協を見ても見て見ぬ振りができる。心が正しいと感じるまま行動すればいいのに、なにかと理由をつけ、自分の都合のいいように、楽なように選択をする。
――心は、元から正しいことを知っている。
そして知ることと行動は合一する。つまり知行合一。悪を知った瞬間に、同時に正そうと行動する。女性に手を挙げている男を見れば、その瞬間に助けに入る。それだけだ。
義成からすれば目の前で不正や横暴が、まかり通るなど絶対に看過できない。階級がどうだとか、軍歴が長いとか、出世ができないなどは、すべてが雑念だ。これらは、正しい感じたことを行うことの阻害にはならない。だから、兄を殺した天儀に天罰をくだす計画にも躊躇はなかった。
俺が、額にでかい傷痕のある男と対峙するなか、火水風は火水風で、最善と思う行動をしていたようで、
「義成さん。私、いま、軍警呼んじゃいましたから!」
と叫ぶように俺にしらせてきた。火水風の手には、携帯端末が握られている。まさにたったいま通報したという感じだ。これに国家親衛隊の男達が色めき立った。
「チッ――!」
と額にでかい傷痕がある男が舌打ちし、残る男達が次々と発言した。
「どうする。軍警はヤバいぞ」
「ずらかるしかない。今回は、ちっとやり過ぎてる」
「どうしよう俺おっぱいさわっちゃった……」
「お前死ぬぞ。軍警は、絶対にグランジェネラルにチクるからな」
「……グランジェネラルは、軍規に厳しいからな。とくに性ハラスメント系は必罰だ」
「くそ。じゃあグランジェネラルへの挨拶は、また今度だな」
国家親衛隊は、俺達そっちのけで気を失っている仲間を叩き起こし、起きないやつは担いで、そそくさと逃げていった。
なんのことはない。国家親衛隊は、軍警など怖くないという態度だったが、やはり彼らでも実際は軍警と対峙することは好まないのだ。
「うふふ、通報は嘘ですよ。なのにあんなに慌てていい気味です」
と火水風が、ホッとした顔でいった。
「あら、やるじゃない火水風。サイバー空間でもないのに見直したわ」
「いえいえ、鬼美笑さん。情報戦は、電子戦科の得意とするところですから」
「ああ、そうね。あんた達は、情報のなかで戦ってるようなものだわね」
「えへへ、それに本当に通報しちゃうと私達もなんでここにいたのかって軍警に問いただされますからねぇ」
一安心といった二人に俺は、
「火水風、鬼美笑姉。二人ともすまない……」
と声をかけた。俺がもっとしっかりしていれば、二人に怖い思いをさせることなんてなかったんだ。そう思うと自分が情けなくて仕方ない。
「いいんですよ義成さん。義成さんは私のヒーロー。きっと助けてくれるって信じてましたから」
「やるわね義成。ここまで強いって驚くわよ。ヌナニア星系軍士官学校じゃあプロを目指して格闘技の訓練でもやってるわけ……」
俺は、まさかナカノ・スクールで叩き込まれたとはいえず。
「正しいほうが強い。宇宙ゴリラどもは、明確な不正義をおこなっていた。正しい心は大きな力になる。宇宙ゴリラどもが正しく力をつかっていたなら、本来どおりもっと強かったはずだ」
と心苦しさを抱えながらいった。
……悪の力は、とにかく強い。思い出すのも胸糞悪いナカノ・スクールだが、俺のここでの成績は、ヌナニア星系軍士官学校時代と違い一番。それも抜き出た一番。今後百年は抜かれないだろうという成績で卒業してしまっていた。腹立たしいが、俺には特殊工作員としての適性があった。いや、あったどころかその才能は抜群。死んだ兄さん義潔は、俺のヒーロー。そのヒーローに憧れて星系軍に志願したのに、身につけたのは暗殺などの悪のスキル……。
なお、スクールでの俺は、格闘戦や近接戦闘はとくに得意だったが、ヌナニア星系軍士官学校では、俺より強いやつがたくさんいた……。軍用近接闘術(CQC)の訓練では、ボコボコだったな。しかも多種多様な学科があったが、どれも一番からは程遠かった。
「ふーん。正しい力ねぇ……。ま、そういうことにしといてあげるわ。それより早く私達もここを離れないとだわ」
「そうですよ。幸いまだ宇宙ゴリラにしか見られてません。警務部門の人に見つかると怪しまれて私達の行動のログを調べられちゃいますよ。そうなると厄介ですよ」
俺は頷くと、火水風と鬼美笑姉とともに、この場を急いで去った。なにせ総司令官の暗殺未遂をやらかしている。誰かが騒ぎを聞きつけてあらわれるかもしれない。とにかく俺達は、誰とも出会いたくない。ここは幹部エリアで、本来俺達は入れないような場所だ。俺達は、ここに居るだけで怪しいのだ。