2-(20) 武名の顕門4
突如始まった謎の式典。
緊張感ある部屋の空気は、透き通っている。
李飛龍艦隊は、二倍の廉武忠を退けたのに敗北判定。しかも軍としての公式な報奨も与えられない。この式典は、天儀総司令の苦肉の策だった。
そもそも発端は、早くも天儀総司令とマキシマ准将の対立が表面化したからだ。
飛龍将軍達を招く前の総司令部では、問題が発生していた。天儀総司令は、李飛龍以下、その艦隊の幹部達をすぐに報奨を与えようとしたが、戦闘結果の良否を判定するのは統合参謀本部の仕事だった……。
「なんだと、もう一度いってみろアバノア」
「また呼び捨て……。二度も同じことを口にしたくはないのですけれど、ヌナニア統合参謀本部は、今回の李飛龍の戦いを敗北と判定しました。そう先ほど連絡がありましたので、こうして、わたくしが態々ご報告に参上したのですが」
「バカを言うなアバノア。二倍の敵を退けたんだぞ。敗北のはずがない」
「はぁー。どの口がそれを、といってさしあげますの。損耗率45%。四捨五入すると?」
にくき恋敵といったところかアバノアは、天儀総司令にどこまでも無礼だ。
――はい、どうぞですの。
なんていって総司令官に答えを催促した。天儀総司令といえば注意するどころか、
「50%だ」
とあっさり答えた。
「ご名答ですの。簡単な計算ぐらいはできますのね。李飛龍艦隊で、まともに稼働可能な艦は全体の三分の二。二足機にいたっては、約七割を失いました。これは勝利とは程遠い状況といえますの」
「だが、戦場から去ったのは廉武忠で、最後まで残ったのは李飛龍艦隊だ。勝ったのは李飛龍艦隊だッ」
「はいはい。お気持はわかりますが、ここは冷静に」
天儀総司令が、ダーン! と机をぶっ叩いた。
露骨なパワハラであり、脅しだがアバノアはまったく動じない。白けた視線を天儀総司令に向けている。
この状況を見かねた星守副官房が、二人へ近づき天儀総司令を睨んで……。
「いわないこっちゃない。早くも統合参謀本部からの仕返しじゃないですか。だから六川さんのいうことを聞いていればよかったんですよ」
「なんだと?」
と天儀総司令が不満をあらわに問い返すなか、アバノアがうんうんと頷いている。
「だから統合参謀本部の承諾なしに、勝手にアクセル・スレッドバーンを昇進させた仕返しですよ」
「バカな。あいつらガキか」
「どっちが……。さきにふっかけたのは天儀総司令じゃないですか」
「あんなのは、ちょっとした挨拶だろ。それを真に受けるか普通」
「今回の戦闘は、勝てても大損害間違いなし、ただでさえ微妙なところだったのに、後先考えず総司令官職権を振りかざしたのがいけないんじゃないですか」
そして容赦ない星守副官房は、
「どーせ。あるから使ってみたかった程度の動機でしょうに」
と冷たい言葉を浴びせた。
「困った。ヤバイ事態だぞこれは」
青い顔になっていった天儀総司令が、近くで仕事をしていた六川軍官房長を見た。
――ダメです。
というように六川軍官房長が首を横に振った。
状況が進展するなか、俺はいまいち状況を飲み込めていなかった。天儀総司令は、どうして困っているんだ。戦果判定は、素人からみればわかりにくいところがあるのはたしかだ。パッと見で勝利でも、兵力を失いすぎていると、今回のように負けと判定される場合もある。だが、これは軍内の専門的判定であって、世間的な勝ち負けとは違う。
こうやって不満の種になることも多々あるが、それだけに軍内では誰もが承知していることだ。
俺は、この疑問を素直に口にすることにした。
「これは、どういった事態ですか? 今回のケースだと、敗北と判定されても直ちに士気に影響するような代物とは思えません。軍内では、守りきったが、損害は大きいと冷静に認識されるはずです」
「あーら、義成ぃわからない。この状況の不味さがおわかりにならないときた。さすがは雑用係。ぺーのぺーぺーで・す・の!」
――くそ、アバノアめ。
こいつ最近やたら俺を目の敵にしてくるな。俺が、天儀総司令の側近だからか?
俺が、嘲笑顔のアバノアが憎たらしさに腹立ちを覚えるなか、天儀総司令が答えを口にした。
「違う義成。今回のケースはこそまずい。統合参謀本部が敗北と判定したとなると、李飛龍艦隊の幹部達の階級もあげられないし、報奨もできん……」
困りはてる天儀総司令に、星守副官房は容赦ない。
「いうまでもないですけど、勲章もダメですからね。これ以上、統合参謀本部の存在を無視すると、軍官房部と統合参謀本部が戦争になりますから」
星守副官房は、やれることはないと天儀総司令へ釘を刺した。天儀総司令が頭を抱えてしまった。こんなこともあるのか。
頭を抱えてしまった天儀総司令に、今度は六川軍官房長が近づいたかと思ったら諭すように話しかけた。
「だから後悔すると、ご忠告したんです」
「……くそ。後悔先に立たずかよ。いや、待て。いいだろ。そうだ。私には最前線特権がある。大体、本国の制服組の承諾がなければ部下を報奨できないだなんておかしいぞ」
だが、おかしくはなかった。現場の将軍が、部下の戦果を水増しして報告する事例は多い。ヌナニア軍は、それを嫌って公正な審査を導入していた。ヌナニア軍では、基本的に客観的に戦果がわかる形でないと、戦果を報告しても却下される。
士官以上では、特に厳しい。逆に下士官の審査は甘い。士官と下士官の間では、越えられない壁が存在するからだ。下々の人々の戦果は、小さく曖昧だ。まともに審査なんてきない。士官クラスは、重要ポストへの配置や、年金などにも絡んでくるので厳しいのだ。なお下士官クラスが、士官へ上がるときはとても厳しい審査がある。
話を戻すと、大昔から戦果の判定は、微妙なところがあった。例えば二足機なら撃墜したのかどうかなんてはっきりいってよくわからないことが多い。
――取り敢えず撃墜でヨシ!
だが、ヨシじゃない。これは旧軍での悪しき伝統だった。自己報告制度は、上司と部下のよくない癒着を生んでいたのだ。上司は、部下の戦果を過大に報告する。部下の戦果は、イコールで上司の評価ポイントの上昇だ。上司も部下もウィン・ウィン。この戦果水増し報告は、旧軍でも旧セレニス軍の方で深刻だった。天儀総司令のいた旧グランダ軍は、帝政軍。嘘がバレると降格や、地位の剥奪だけじゃ済まない。即死刑だった。
とにかく最前線特権の行使をいう天儀総司令に、六川軍官房長は断固反対のようだ。
「ダメです。今回それを使えば、軍官房部と統合参謀本部の関係は、完全に死にます」
「私にもわかりやすい率直な意見をありがとう六川軍官房長」
「ゴリ押しすれば、天儀とマキシマという個人的な対決では済まされない事態に発展するとご認識ください」
最前線特権を行使すれば天儀総司令の一存で、あらゆる報奨が可能なのだが、それができないのがいまなのか。しかも原因は、ちょっと前の天儀総司令自身の軽率な決定。
天儀総司令は、心理的に追い詰められたといっていい。しかも、現実でも六川軍官房長、星守副官房、そしてアバノアや俺に取り囲まれ逃げ場のないような格好だ。
――どうするんですか?
天儀総司令を取り囲むものたちの思いは、それぞれ違えど、これが共通の問。
事態は深刻といっていい。李飛龍以下の将兵は、トートゥゾネで勝ったつもりでいるだろう。それが負けだと判定されたとしれば、彼らは怒るだろうし、報奨もされないとわかれば、トートゥゾネ戦線で深刻な混乱が生じる。
「とにかく、いまは李飛龍艦隊の連中に会うしかない。与えられるものがないからといって〝よくやった〟の通信一つで済ませれば、私はやつらに本当に刺されかねん。数日中に死体となって発見だ。国軍旗艦に招いての彼らの称揚は絶対事項だ」
「なるほど。では、総司令官さま。どうぞ、ご結論を。李飛龍艦隊の方々、もといいトートゥゾネ総監部の方々は、敗北という判定には怒りまくるのは目に見えていますの。しかも英雄的防戦を達成したのに、賞されることもないとなれば、ストライキすら発生しかねませんの。戦争中の最前線でストライキ。総司令官さまの統率力が疑われる事態だと思いますのー」
アバノアは容赦ないな……。だが、本当にどうするんだこれ。だからアクセルの昇進なんてやめておけばよかったんだ。天儀総司令あなたって人は、もっと後先考えるべきだ。
「……教えない」
と天儀総司令がボソリといった。
「ほう。その心は?」
「統合参謀本部の判定は、最前線にかぎって極秘事項とする。トートゥゾネは勝った。李飛龍は勇戦した。トートゥゾネの将兵は大功を建てた。広報でそう宣伝させる」
「無難ですわね。いずれはバレるでしょうけれど。で、個別の報奨どうなさるのです。きっと飛龍将軍さまや高官の方々は昇進できると信じ切ってますの」
「報奨は与える。私の独断で……」
「……はい。これ、軍官房部と統合参謀本部の戦争決定。トートゥゾネの敵を叩いたら、次の敵は、本国の統合参謀本部。統合参謀本部ビルにでもミサイル攻撃で宜しいですかしら?」
統合参謀本部の判定はともかく、なんやかんやいってアバノアも李飛龍艦隊の活躍は十分認めているようで、本心では勝ちと考えているのだろう。
そして同時にアバノアが、天儀総司令へ強い非難の色を示していた。アバノアだけじゃない。六川軍官房長と星守副官房、さらに周囲にいた軍官房部の人々も厳しい目を天儀総司令に向けている。天儀総司令が、たまらず叫んだ。
「そんなことはせん!」
「では、どうするおつもりですの」
「空手形を切るッ!」
「ほう」
「とびきり豪華なやつだ。くそ、無茶苦茶だ」
「けれど、不渡りはまずいのでは? もらった昇進や賞与の書類を提出したら無効だったでは、総司令官さまの信用問題に発展しますけれど」
「不渡りにはならん。あいつらは俺が与えるものに価値を見出すだろう」
そんなことがあり、皇統派の連中。もといいトートゥゾネ総監部の幹部達は、国軍旗艦瑞鶴に招かれていたのだ……。
そう。跪いた俺の前で始まったのは、旧グランダ軍内で行われていたような皇帝の権威に依る式典。天儀総司令のいったとても豪華な空手形だ。
皇統派の連中が喜ぶような皇帝の権威による賞揚。皇統派を満足させ、かといって統合参謀本部を刺激しない苦肉の策。突如始まったグランダ式の式典の理由はこれだ。
この策は当たったと思う。皇統派のドン大東提督などの反応はかんばしいものだ。あれだけ天儀総司令を罵っていたのに、いまはとても誇らしい顔をしている。目論見通りうまくいきそうだった。だが、俺はゾッとしていた。
――まかり間違えば議会から責任を問われるぞ。
ヌナニア連合は、グランダ皇帝の世俗権への関与をとても好ましく思っていない。政治には一切関与させる気がないのだ。とくに軍では、グランダ皇帝の影響力を感じさせるような行為は厳禁……。
この式典は、間違いなく天儀総司令の即興。これをやることは、六川軍官房長と星守副官房しか聞いていなかったろう。こんなことやるなんてしったら、軍官房部内では大反対が巻き起こって、飛龍将軍達を瑞鶴に呼ぶことすら難しかったはずだ。
おそらく六川軍官房長は、天儀総司令からこの秘策の提案されたとき、勢いで終わらせてしまえると踏で、この危うい策に乗ったのだろう。部屋にいる総司令部側の人間は、俺を含めてもたった九人だからな。
俺が、懸念を抱くなか式はおごそかに始まった。
「以て大賞を下す――!」
天儀総司令が叫んだ。若干声が上ずっていた。やはりめずらしく緊張しているようだ。そして始まった言葉はなかなか難解だ。
「禍は福の依るところ。福は禍の伏するところ。喜憂は同じ門に集まり、吉凶は域を同じくする。古く事を善くする者は、禍を転じて福となし、敗に依りて功をなす。臣李飛龍と諸将に、諸劌之勇有り。命は一生にして、益々功業をよろしくて義を修めよ」
文字数としては、さほどでもないような気がするが、これをなにも見ずに諳んじたのだから天儀総司令には、なかなかどうして学がある。自分で、古典や歴史好きの古好癖なんていってたしな。やはり相当なのだろう。
なお、意味は、『幸運も不運は表裏一体。思えば昔から危機のときこそ人は功績をあげるものだが、それにしても李飛龍以下の将兵は、死地において恐れずよく戦った』こんなところだろう。
「飛龍、立て――」
と普通の口調で天儀総司令がいった。あらかじめ決めていた台詞は、もう終わったのだろう。ここから俺は、室内で唯一これから始まることの目撃者となった。
なにせ皇統派の連中は、床に平伏しているし、総司令部側の面々はお辞儀しているのだ。俺も本来は、頭を下げるべきだったのだろうが、膝立ち状態で思いっきり飛龍将軍を見ていた。
――しまった目があった。
飛龍将軍が、俺の視線に気づいて微笑んできた。
「笑うな飛龍。頼むから場をわきまえてくれ」
「これは失礼しました。あまりの栄誉に嬉しくてつい」
「……。まあいい。私がいま手にしているのは、お前に授けろと帝から申し付けられ預かってきたものだ。受けるか?」
「そんな。嫌なら断っていいだなんて、顔をしないでくださいよ。ボクには、いや、違う。俺は喜んで受けますよ」
「そうか……」
天儀総司令が、手にしていたものを飛龍将軍の頭に載せた。
――冠だったのか。
そう。俺が掲げた箱から天儀総司令が取りだしたのは、東洋の古代の冠に今風のデザインを加えたもの。まさしく目に見える形の皇帝権威。
現代の軍服に古代の冠。
冠には、長い鳥の尾羽根が二本。飛龍将軍が、あご紐を締める揺れで、それはふわりと揺れ、キラキラ光った。
――格好いい。
と俺は思わず漏らしていた。
「飛龍。帝は責任をお認めになったぞ」
「そうですか。なるほど。でもボクにいわれてもね。母に謝って欲しいですね」
天儀総司令が、苦い顔になった。
「でも、直言してくれんたんですね。さすがだ。でも宮廷官僚達が聞いたら驚くでしょうね。彼らはグランジェネラルを、陛下の腰巾着のイエスマンの狡猾な狐としか思っていない」
「飛龍。少し言葉を選んでくれ……。まだ式は終わってないんだ」
「これは失礼しました」
そういうと飛龍将軍が、天儀総司令へ向けて跪拝した。
「諸将にも恩賜がある。謹んで受けられよ」
と天儀総司令がいうと、このグランダ式の式典は終わった。飛龍将軍が、冠の尾羽根を揺らしながら席ついた。飛龍将軍の席は、天儀総司令の右横だ。ちなみに俺は天儀総司令左横の席だ。
床に伏していた皇統派の連中も立ち上がって各々の席へと戻っていった。
俺も席についたが、飛龍将軍が気になって仕方ない。より正確には、飛龍将軍の頭のものだがな。飾り羽が揺れると、気になるんだ。つい見てしまう。
――あれは今後も付けたままなのか?
格好いいが、どうなんだろうか。いまどき冠って……。宝石が散りばめられた本体部分はさほど大きくないが、とにかく飾り羽が長い。立っていても床を擦りそうだった。
そのときまた飛龍将軍が微笑んだ。さり気なく天儀総司令越しに見ていたんだがバレてたか……。
とにかく天儀総司令の軍令スレスレの策で、皇統派もといいトートゥゾネ総監部側は大満足。場の空気は、会が始まったときからは信じられない良好なものとなっていた。
天儀総司令が、飛龍将軍へ無難な問を二三して、飛龍将軍が無難な答えで応じた。天儀総司令と皇統派の対立はあるものの二人の個人的な関係はとても良好のようだ。
とてもいい感じだ。と俺は、ほっと胸を撫で下ろし会の終わりが近いと感じた。このまま無事に会は終了する。そう思った。天儀総司令が、室内を見渡した。会の終了をつげるつもりだろう。室内の面々も会の終わりを感じているようだ。だが、ここで飛龍将軍が、怪しく目を光らせた。
「ところでグランジェネラル。ボク、じゃなくて俺からも問いたいことがあるのですが、お許し頂けるでしょうか」
会の終わりを感じていた面々は、少し面倒くさそうに、けれど飛龍将軍の問はなにかと興味ありげに椅子に腰を据え直していた。
「どうした妙にあらたまって。飛龍将軍らしくないな。君と私の仲だ。気兼ねなく聞いてくれ」
「それじゃあ一つ」
「なんでもいいぞ。あ、だが、童貞をいつ捨てたかとかはやめてくれよ。昔それを聞かれて大恥をかいたんだ」
……すごい。ものすごく白けた。誰も笑ってない。天儀総司令だけが、ハハハーなんて笑っているが、星守副官房なんて殺意のある目で見てるぞ。天儀総司令。あなたは、これ以上星守副官房の信頼を失うのは不味いんじゃないですかね……。
場の空気に苦味がでるなか飛龍将軍は、にこにこ顔で問を発した。
「グランジェネラルにおかれましては、我が兄李紫龍をどのような計謀を以て殺したのでしょうか。是非お聞かせください」
さらりと静かに飛龍将軍はいったが――。
天儀総司令が、笑顔のまま凍りついた。
星守副官房の顔は真っ青で、あどんなときもの無表情を貫く六川軍官房長の頬が引きつっている。俺や他の総司令部側の面々も、
――いま、それを聞くのか!?
と席で凍りついて微動だにできない。
反対に、大東提督以下、皇統派の連中が嬉々として気迫をみなぎらせ天儀総司令へ、
――さあ早く答えろ天儀!
と鋭い視線を向けていた。




