2-(20) 武名の顕門3
俺が部屋の扉を開けて飛龍将軍を室内へいざなうと、部屋の空気は一変していた。
あれだけ騒いでいた皇統派の連中は、まるで借りてきた猫。飛龍将軍を見た彼は、天儀総司令への非難、いや、罵詈雑言をやめたどころか、居住まい正しく座り、その姿からは清々さすら感じるぐらいだ。
顔を真っ赤にして天儀総司令に詰め寄っていたあの状況をしらなければ、俺は彼らを尊敬すべきオールド・アミーだと勘違いしたろうというぐらいに彼らは豹変していた。
部屋は、軍人の会に相応しい規律ある空気に包まれたが、総司令部側と皇統派側もといいトートゥゾネ総監部側とでは、微妙な温度差が生じていた。理由は、飛龍将軍が部屋に入ったときだ。
皇統派の連中は、飛龍将軍の姿を見るなり一斉に起立し敬礼。総司令部側の人間もその動きに何人か釣られそうになったが、総司令部側の人間は誰も敬礼をしなかった。
この部屋で一番偉いのは、いうまでもなく天儀総司令だが、皇統派の連中が天儀総司令にした挨拶といえば、無礼千万の罵詈の数々。一応、総司令部の面々は、全員が天儀側に立ったのだ。天儀総司令へ不満しかないように見える星守副官房すら、飛龍将軍の登場に冷淡な態度を取っていた。
――部屋の空気が冷えた。
と俺は不味さを感じた。ここトートゥゾネに至った以上、総司令部機動部隊とトートゥゾネ総監部は、手を携えて戦っていかなければならない。それが、最初の顔合わせですでに亀裂が生じている。
当然こんな空気のなかで、動けるものはかぎられる。天儀総司令は、部屋の空気を無視し、努めて明るい表情で飛龍将軍を出迎えた。
「よくきた飛龍将軍。待ちわびたぞ。迷ったのか? いや、そうだよな。瑞鶴は広いから仕方ない。だが、気をつけろ飛龍将軍。戦場で道を失うと大功を逃すぞ」
いまは、天儀総司令の明るい声が、とても空々しい。俺といえば、天儀総司令の言葉に、飛龍将軍が親しげに会釈したのでホッとした。本来はもちろん敬礼すべきだが、飛龍将軍としては無視も選択肢ありえたのだ。
――戦果をあげた軍人ほど偉いものはない。
軍は実力主義なところがある。とくに現場、戦争中はそうだ。いまの飛龍将軍は、二倍の敵を退けたという大戦果を挙げたばかり、着任早々慌ただしくトートゥゾネにやってきた天儀総司令よりも格段に存在感が重い。
それに、この対立的空気だ。六川軍官房長は、飛龍将を天儀総司令の信者といったが、俺がこの部屋で感じたのは、トートゥゾネ総監部側の総司令部への反感だ。これは間違いなく飛龍将軍も総司令部との対立軸に居るということだ。こういう場合に、飛龍将軍の個人的な感情は関係ない。本当に飛龍将軍が、天儀総司令を尊敬していても組織の状況が対立なら、彼も総司令部ひいては天儀総司令と対立するしかない。
――皇統派の連中は、総司令部も含めて気に食わないか。
天儀総司令も十分に、室内に漂う空々しさを承知のようだが、それでもこの人は更に言葉を継いだ。
「おい、義成。あれを持ってきたよな。あれを早くわたせ。あれだぞ!」
突然、俺に向けて飛んでくる言葉。俺は飛龍将軍を入り口に残し、急いで天儀総司令座る部屋の奥まで進み、あらかじめ部屋に持ち込んでいた一抱えほどの箱を天儀総司令に手渡そうとした。だが、天儀総司令は受け取らずかわりに小声で鋭く、
「違うぞバカ。跪いて箱を掲げるんだ。両手でだぞ」
とかなり強めに叱責してきた。
――跪く?
と俺は怪訝に思ったが、いわれたとおりやった。片膝立ちになればいいのか? そんなことを考えながら跪いて天儀総司令へ両手で箱を掲げた。
正直、意味がわからなかったが、正解だったようだ。天儀総司令からそれ以上の叱責はなかった。ただ、俺がいそいそと片膝立ちになるなか天儀総司令は、皇統派の連中へ、
「こいつは新兵なんで、旧軍のしきたりをしらんのです」
とか、
「大目に見てやってください」
などといっていた。……情けない。なんでこの人は、ここまで皇統派に気をつかうんだ。
俺が跪いて箱を掲げると、天儀総司令が身を固くし緊迫感ある声で、
「恩賜である――!」
と叫んだ。そこからは驚きの光景が広がった。天儀総司令が言葉を放った瞬間、入り口に立っていた飛龍将軍が、がばりと床に平伏した。飛龍将軍だけじゃない皇統派の連中もだ。慌てて席を蹴って、飛龍将軍の後ろに並び平伏したのだ。突然の事態に、総司令部側は目を白黒させるばかりだったが、天儀総司令は、驚く彼らへこれまた難しい言葉をいきなりぶつけた。
古代の哲学を好んで読んでいる俺ですら、いっていることが難しすぎてよくわからない。時代劇以上の台詞回しだったが、
――全力で敬意を示せ!
という意味のことを口走ったであろうことは、総司令部側の人々も感覚で理解できていた。
――いま、突然始まったのは式典だ。
とにかく俺を含め誰もが、そう理解した。
なお、六川軍官房長や星守副官房は、何食わぬ顔で起立し角度三十度程度のお辞儀をしていた。事前になにをやるか、この二人は聞かされていたのだろう。他の総司令部側の面々も困惑しつつも、二人に習うように立って頭をさげた。
天儀総司令が、俺のかかげた箱の蓋をおごそかに開けた。そして中からするりとなにかを取りだした。俺の視界に、綺麗な飾り羽がはらりと落ちた。
――長い。尾羽根か?
だが、なんだこれは、天儀総司令は、いま、なにを手にしている。俺は顔をうつむけ跪いているので、箱から取り出されたものがなにかわからない。だが、箱から取りだしたものを、天儀総司令がうやうやしく両手で掲げているのはわかった。
取りだしたなにかを掲げた天儀総司令が、くるりと平伏する飛龍将軍のほうへ向いた。天儀総司令の動きは、ぎこちない。やはり緊張しているのだろう。部屋の空気もピリピリとしている。
俺の視界のなかにあった天儀総司令が消えた。
天儀総司令が、飛龍将軍に立つように命じた。
――こんな儀式で皇統派の連中を満足させられるのか?
俺は、空の箱を掲げたままの状態で、疑念を強くしていた……。




