2-(20) 武名の顕門1
天儀が、『わめく猿の檻』と表現した部屋から少し離れた場所では楽しげな女子の黄色い声。皇統派の男どもがわめき散らすあの部屋と比べれば、ここは別天地といったところか。
この部屋は、緊急避難とちょっとした休憩所を兼ねたエマージェンシー・ボックスと呼ばれるスペースだ。自販機が設置され、いざとなれば体を固定できる座席がある。艦の急な機動などの緊急時には、ここに入って体を固定し安全を確保。それ以外では、会議の合間の休憩や、ちょっとした待合などに利用できる休憩スペースとなる。
そんな場所で、ペコリと頭を下げるのは見慣れない軍服の見るからに育ちのよさそうな若い男子。男子が頭を下げた相手は女子二人。冒頭での黄色い声はこの二人だ。
「お二人共ありがとうございます。ご親切に助けていただいて感謝の言葉もありません。連れとはぐれて迷ってしまって困っていたんです」
「いえいえ、いんですよ。携帯端末を部屋に置き忘れてきちゃったら、こんな広い船迷っちゃいますねぇ」
「えっと王仕火水風さんでしたね。ご親切には感謝します」
「うふふ、いですよ。あと火水風って呼んでくださいな。年齢近いんですからそんなかしこまらないでいいんですよ」
火水風の言葉に、男子は頭をかいて人懐っこくニコリと笑った。
「瑞鶴には初めて乗艦するし広いしで、もうボクは自分がどこにいるやら。そしてこちらの嫋やかな女性が――」
「焔ヶ原鬼美笑よ。嫋やかだなんてあんた女を見る目あるわね。気に入ったわ」
「お世辞ですよ鬼美笑さん。こんな育ちの良さそうないい子が、派手な女性なんていうわけないんですから」
「あらー火水風ちゃんったら、ぶっ飛ばされたわけねー」
「ほら気をつけて、見た目はいいけど凶暴なんですよこのお姉さんって」
「あはは、凶暴だなんて、お二人共お美しいのでボクは面食らってしまってますよ」
歯の浮くような褒め言葉も、不思議とこの男子が口にすると爽やかで耳障りがとてもいい。火水風も鬼美笑も悪い気分ではないどころか口元を緩めずにはいられないという感じだ。
「で、君の名前は――」
と火水風が男子をあらためて見てみれば、見慣れない軍服は着古したもので、ところどころに繕いもある。
――旧軍の軍服?
疑問顔の火水風が覆ったところで男子が口を開いた。
「飛龍です。失礼しました。まだ名乗っていなかったのをすっかり忘れていた」
「飛龍くんですか。へー……」
「火水風ったら、そんなにジロジロ見たら失礼じゃない。しょうのない娘ね」
「でも鬼美笑さん。飛龍くんの軍服って、どっかで見たような見たことないような。正規のやつじゃないですよねこれ」
「そういわれてみれば、あんた変わったの着てるだわね……。ふむ。旧軍の軍服よねそれ」
「ああ、これですか」
といった飛龍が腕を広げて二人へ服を見せるよう優美にポーズし、身軽にくるりと一回転。火水風も鬼美笑も思わずため息をもらした。飛龍の動きは、さながらトップアイドルのそれ。まるで蝶が舞うようだ。
「正解です。旧軍のやつですね」
「へー……。どっちのだろう。旧グランダ軍?」
「これまた正解です。火水風さんは勘がいいですね」
「えへへ、なんかいかめしいデザインなんでピンときたんです」
「これはね実は兄のお下がりなんですよ。出征前に実家に帰ったら、母がこれを持っていけときかなくてね。だけどこんなの縁起がいいんだか悪いんだか」
「そうなですか?」
「ええ、兄は戦死してますからねぇ」
「げ、ごめんなさい。私ったらデリカシーなくて!」
「火水風ったらバカね。調子に乗るからよ」
「いえいえ、いいんですよお二人共。なんか気を使わせてしまって逆にすみません」
とはいわれても火水風も鬼美笑は気まずいし、そもそもなんで旧軍の軍服を着ているか不思議だ。いまのヌナニア軍には再招集組でも旧軍服は着用していない。
飛龍は、二人の不思議を察したかのように喋りだした。
「激戦のゴタゴタで着替えがなくなってしまって、そういえばこいつを持ってきてたって思いだして引っ張り出して着たんです。いやーまったく世の中って、なにが役立つかわかりませんね」
「そうだったんですかぁ。大変でしたよね。激戦だったって聞いてます。えっと飛龍くんの乗艦は扶桑でしたっけ」
「扶桑っていったら旧グランダ軍の武勲艦だわね。いまはトートゥゾネ戦線総監部の旗艦。……ひょっとしてあんたってエリート?」
「おおー、そうかも? 戦線総監部の旗艦っていったら戦線選りすぐりですよ。ちょっとちちょっと飛龍くんどうなんですか」
「いえいえ、お二人には負けますよ。なにせここは国軍旗艦。二等兵だって選りすぐりだ」
気軽に応じる飛龍は、とてもポイント・アッツで死線を戦い抜いた直後とは思えない涼やかさ。しかも飛龍の話はたくみで面白い。三人の会話にはすぐに花が咲いたようになった。
飛龍との会話を楽しむ火水風も鬼美笑だったが、そんなときに無粋な邪魔。携帯端末が震える音だ。
メッセージの着信をしらせるそれは、火水風と鬼美笑の携帯端末に同時だった。
飛龍が、どうぞすぐに確認して、という仕草をしたので、火水風も鬼美笑も自身の端末を取りだして画面を確認。
「あ、義成さんからのメッセージだ。いまどこにいるかって聞いてきてますよ」
「ほんとだわね。というか義成の場所はどこなわけよ……」
悪態一つして鬼美笑が、
――あんたこそどこよ。
と打つと、義成はすぐに居場所を返信してきた。
「なによ義成ったらよすぐ近くにいるじゃない」
「じゃ義成さんにきてもらいましょうよ。私達は、飛龍くんも案内しないといけないですし」
「だわね」
といった鬼美笑は、
――あんたが来なさい。
とタイプして場所のリンクをペタリ。しばらくすると義成が姿を現した。
「あ、義成さんきたきた。義成さんこっちですよー」
「義成あんたこんな所で何やってんのよ。まーた天儀のお使い? いい加減その側近っていう名の雑用係なんて卒業させてもらいなさいよ。黄金の二期生の名が泣いてるわよ」
いつものように気軽に話しかける火水風と鬼美笑。だが、今回の義成の反応はいつもと違った。いつもなら義成は、
『違う。雑用係じゃない。特命係だ』
と不機嫌にも可愛く答えてくるのだが、今回の義成は驚き顔で硬直して微動だにしない。
「なによ義成黙りこくっちゃって。私達ちょうどこの子を案内するために近くいたのよ」
「うんうん。飛龍くんっていうんですけど、すっごくいい人ですよ。義成さんもすぐに、お友だちになれると思います」
鬼美笑と火水風が声をかけたが、やはり義成のようすがいつもと違う。硬いというか驚いているというか、なにかぎこちない。
「義成さん?」
と火水風が怪訝に義成の顔を覗き込んだ。
「あーわかったわよ。義成ったら私達が、こんなステキな男子と一緒いるから浮気でもしたかと思ったんじゃない?」
「え!? 違いますよ義成さん。浮気なんかじゃないです。飛龍くんはとってもいい子ですけど。私は、義成さん一筋ですから!」
「ちょっと火水風ったら何本気にして必死になってるのよ。笑えるわね」
「義成さん。鬼美笑さんは、飛龍くんにデレデレしまくってましたよ。メスのフェロモン振りまきまくり。飛龍くんに乗り換えるそうなので、おめでとうを言って送りだしてあげましょう。これでめでたく積年の三人の関係は終止符です」
「ちょっと火水風!? あんた根も葉もないことをいいだしてどういうつもりよ。義成いまの嘘よ嘘。火水風あんた後でただじゃおかないからね」
話があれよあれよと斜め方向へ進み始めたが、ここで飛龍が、と進みでた。
「ええ、二人とは、年齢が親しいもの同士っていいったらいいのかな。とにかく楽しく会話していただけですよ」
飛龍から見ても、二人に任せていたら収拾不能な状況に発展しかねなかったのだ。
「そうよ義成。私達、艦内で迷ってるこの子を案内してあげてたの」
「はい。案内してました。ただ、鬼美笑さんは、飛龍くんに乗り換える感じでした」
「ちょっと火水風あんたいい加減に!」
掣肘直後、また始まってしまったバトルに飛龍は苦笑だ。
「本当に安心してください。大丈夫ですったら。貴方が現れたときの二人の顔ったら。あんなの見てしまったら戦意喪失。ボクの付け入る隙きなんてまったくないですよ。妬けるなぁ」
火水風と鬼美笑がは顔を赤くして黙り込んだ。飛龍の言葉は、あけすけなさすぎる。
飛龍が、
「参月義成特任少尉ですね。天儀総司令から名前は聞いていますよ」
と、義成へ向けて握手を求めたが、義成は直立不動のままだ。
火水風も鬼美笑も少し困惑した。親しげな飛龍に、義成の態度は不自然に頑なだ。もしかして本当に知らない男子と仲良く話していたに怒っているのか。そんなことすら二人の頭にはよぎりハラハラしたが、次の瞬間、義成が硬い表情のままで跳ねるようにビシリと敬礼。
「李飛龍戦線総監。皆さんがお待ちです!」
「「は?」」
と同時にとても間抜けな顔になったのを、火水風も鬼美笑も自分ではまったく気づいていなかった。




