2-(18) 戦場の束の間
「義成さーん」
俺を呼んだのは火水風だった。電子戦科の兵士は、基本的にグレードの高い扱いをうけるが、さすがに総司令部区画にはパスなしでは入れない。
火水風は、いま、総司令部区画を示す白のラインギリギリに立って俺に向けて手を振っている。宇宙船内に無駄な仕切りや壁はない。広いフロアーを仕切りたい場合に、床に線が引かれるというのはよくある方法だ。
俺は、火水風へ近寄ろうとして足を止め手招きした。パスのある俺が、許可すればこっちに入ってこられる。もちろん浅い場所までだがな。
「休憩ですよね? 私もです。先遣部隊が戻ってきたってことはあと数時間でまた大忙しですよ。いまのうちに食事とか仮眠とかとっておいたほうがいいと思って」
「そうか。あまり楽観視できない状況だと思うが――」
「ふむ。私は、上官からいまのうちに休憩しとけーって戦闘室から追い出されたんですけど義成さんは違うんですか?」
アクセルの先遣部隊は大勝利して帰ってきたが、本命の李飛龍将軍の艦隊がどうなっているのかは未だ不明だ。しかも、敵の十重二十重と取り囲まれる李飛龍艦隊を見つけたら、そのあとどうなるのかわからない。李飛龍艦隊を取り囲んでいる廉武忠の艦隊と戦闘になる可能性が高いが……。
「あ、またなにかあの鬼に、仕事を押し付けられてるですか? あの人って事務仕事やりたがりませんよね。義成さんダメですよなんでも返事しちゃ。変な雑務は断ってもいいんですからね」
火水風が離れた場所で、高官達に指示をだしている天儀総司令を睨んでからいった。俺が黙っているものだから、あらぬ勘ぐりをさせてしまったようだ。
「いや、そういうわけじゃない。休憩しようと思っていたところだったよ。火水風の顔を見たらホッとしてしまったんだ」
「うふふ。そうだったんですか。よかったぁ。最近の義成さんって天儀、天儀ですから。あの人はお兄さんの仇だってこと忘れちゃダメですよ」
俺はなんとも応じ難く、曖昧に返事をしてブリッジの出口へと歩き始めた。同時に携帯端末で、食事を取れる場所の確認だ。
「下士官用の食堂は全部閉まってるのか」
「ええ、主計部の栄養管理科が総出で炊き出しの準備中らしいです。到着すれば息つく暇もない大戦闘だって」
おそらく俺が天儀総司令と、先遣部隊の戦闘を観戦しているときに、手の空いている下士官以下の人員は、食堂に集められたり各部署に食事が運ばれたりして食事を済ませてしまったのだろう。俺と火水風は、下士官のグループだ。こうなると俺達は、売店か、予め配布されている携行食で、いまの空腹を補うことになるが……。俺は、手にしていた携帯端末の画面を火水風に見せた。
「あ、特別パス! 士官用の艦内サービスが利用できるやつ。天儀がくれたんですか!?」
「意外となんていったら失礼だが、ちゃんと面倒は見てくれる人だよ。というわけで士官用の食堂へいこう」
俺と火水風は、並んで手近な士官用食堂へと歩き始めた。火水風といると俺は、何故かホッとする。不思議だ。
「そういえば、ブリッジに入ったときにアクセル・スレッドバーンとすれ違ったんですけど、随分と機嫌良さげでしたよ。いつも仏頂面なのに、なにかあったんですか」
「昇進が決まったからな」
「なるほど。先遣部隊は、大勝利でしたしねぇ」
「……まあな」
「天儀ってやっぱり悪ですよ悪。アヘッドセブン序列一位っていっても悪名高きアクセル・スレッドバーンって有名ですよ。そんな人をほいほい昇進させちゃうだなんて、勝てればなんでもいい能力主義者ってことですからね」
「初戦で敗北し敗戦待ったなし。政府の方針が、その能力主義に頼らざるをない状況だからな」
「うぅ。天儀が総司令官に任命されたぐらいですからねぇ。うーむ。悪人でも結果次第で出世しちゃうって、いまの状況だと仕方ないのかぁ」
俺は、やはりなんとも答え難く曖昧に頷いた。側近に任命されてから見てきた天儀総司令は、善人とはいい難いが悪人という印象もない。トートゥゾネ行きを決める作戦会議での手腕には魅せられた。反対する部下たちを見事に説得してしまっていた。
「ところで義成さん。アクセル・スレッドバーンは、昇進するんですよねッ」
「よせ火水風。頼むから〝で、義成さんは?〟なんて目で見ないでくれ」
「えーでも戦略参謀ですよー。これって昇進確定みたいなものじゃないですか。天儀ってやっぱり義成さんの能力認めてるんだなーってちょっとだけ天儀をよく思っちゃいましたよ」
そのあとも、
――お祝いしなきゃって鬼美笑さんと色々準備してるんですからー。
なんて好き勝手せっついてくる火水風を、俺は適当にはぐらかすしかなかった。
……天儀総司令は、抜擢か戦闘で結果をだしたものしか昇進させない。火水風や鬼美笑が、いったことじゃないか。
俺はすでに特命係に抜擢されたので、また突如昇進だなんて考えは甘いだろう。となると戦闘による報奨しかないが、いまの天儀総司令の側近。カッコ、雑務係、カッコ閉じる。まともに考えれば昇進なんて絶望的だ。
だが、火水風の期待もわかる。戦略参謀は、それだけ特別な立場だ。普通ならそうだ。天儀総司令の場合だと黙って横に立っているだけの虚しい役職だったがな。
「それでアクセル・スレッドバーンはどれぐらい昇進したんですか? 等級の上昇だけ? それとも一気に中佐とか?」
「大佐だ」
「え!? アクセル・スレッドバーンって少佐ですよね!?」
「ああ、二等少佐だ」
「それが一気に大佐……。すごい……。二階級特進って戦死でもしたんですかあの人」
「不本意ながら生きてる。五体満足だ。あと火水風、もう一度いうが頼むから〝で、義成さんは?〟という目で見るのは止めるんだ。それにアクセルの昇進がすんなりいくとも思えない」
「えー、そうなんですかぁ」
「アクセルの昇進には、統合参謀本部の同意が必要だ」
「あー……」
「察し顔だが、なにか知ってるのか火水風」
「はい。大きな声じゃ言えませけど、アクセル・スレッドバーン始めアヘッドセブンの面々は、統合参謀本部の幹部と上手くいってないそうですよ。しかも、どうも若手と幹部達との対立に発展したって噂です」
俺は、絶句した。大問題じゃないか。いまは戦争中だぞ。ヌナニア軍で、大きな権力を持つのが統合参謀本部だ。そこが内訌の真っ最中では勝てるものも勝てない。
「軍の情報がリークされてる裏サイトの掲示板の情報だとアクセル・スレッドバーンが、議長代理を面罵したって。義成さん面罵ってしってます? 面と向かって悪口いったってことですよ。統合参謀本部の議長代理相手に〝バカー〟とかいったんですかね?」
「アクセルならありうるな」
「ありうるんですか……。議長代理って首相に戦略的なアドバイスできる超偉いポスト。ある意味総司令官より上。……ま、私もまとめサイト見て知ったんですけどねー。軍三部の一角のトップってやっぱすごいんですねぇ」
なるほどな。やはりアクセルや花ノ美、アバノアなどの統合参謀本部の若手が、最前線で連日の勉強会というのは、統合参謀本部の懲罰的な処分だったのは間違いないようだ。
「統合参謀本部は、いまのアヘッドセブンの飼い主が誰かわからせにかかったか」
「ほう?」
「だが、それぐらいでアヘッドセブンが大人しくなると思ったら統合参謀本部は勘違いしているな」
「いまの統合参謀本部で一番偉い人。つまり議長代理ってマキシマ准将って人なんですよね。優秀な人なんですか?」
「どうだろう面識はない。統合参謀本部のトップの座に居るのだから優秀なのだろうとしかいえないな」
「へー……」
「なんだ火水風。またその察し顔は」
「いえいえ、義成さんもあまり優秀だと思っていないんだーって」
「そんなことはない」
「嘘ばっか。私にはわかっちゃうんですからねー」
マキシマ・白秋。ヌナニア軍統合参謀本部に三人いる副議長の一人で、一番偉い議長代理。ミカヅチが、戦争指揮を降りたあとの総司令官候補の一人だったと噂される男だ。切れ者、出世欲が強い、強権家、エリート主義。秘密情報部の特殊工作員として俺が、彼について知る情報はこんなものだ。
「マキシマ准将は、天儀総司令に総司令官の座を奪われたと逆恨みしているという噂がある。裏で動くのが好きな人物だ」
「ほう。もしかして義成さんの原隊の監視対象だったして?」
「それはいえないな」
「ふーん。いいですけどね」
「とにかくマキシマ准将については、組織内での世才があるのは間違いない。天儀総司令と似たような年齢という若さで、統合参謀本部の議長代理なのだからな。政治的立ち回りは間違いなくうまい」
「ほう。つまりマキシマ准将と天儀総司令が、対立するとヤバというわけですね」
「……そうだ。まったく俺にとっては面白くない。天儀総司令は、戦闘は得意のようだが、政治的な駆け引きに強いタイプにはとても見えない」
マキシマ准将は、統合参謀本部のトップになるような男なのだから間違いなく頭はいい。テストは常に満点のタイプ。これは断言できる。天儀総司令を、失脚させようと思えば陰謀を巡らすことも容易いだろう。
「天儀が失脚しちゃうと、側近の義成さんも転落ですからね。でも思うんですけど、優秀なマキシマ准将が、総司令官になるってことはできなかったんですか? 天儀が任命されたってことは勝てれば誰でもいいんですよね。つまりマキシマ准将でもよかったって思うですよ」
「それは、ないだろうな」
「ほう。じゃあマキシマ准将は、内部抗争は上手いけど戦闘はからっきしってタイプですか」
「それはわからないが、統合参謀本部の議長代理という時点て総司令官の目はなかったと思う。俺としては、本当に総司令官候補に挙がっていたかすら怪しいと考えているよ」
「そうなんですか?」
「政府は、巨大すぎる星系軍の力が一人に集まることをとても警戒しているんだ。そんななかマキシマ准将は、生粋の統合参謀本部の人間ときてる。議長代理を辞めて、総司令官になったとしても統合参謀本部内に大きく影響力を残せるというより、むしろ軍官房部と、統合参謀本部という軍の三分の二がマキシマ准将の手中に収まることになる」
「ほー……。あー……。なんか天儀が、総司令官に任命された理由がちょっと見えてきたも」
「本当か。すごい」
これは本心だ。俺は、天儀総司令が、総司令官に任命されてしまった理由に明確な根拠を見いだせてない。天儀総司令は根拠となるようなものを口走ったことがあるが、それが決定的な理由とはとて考えられない。政府は、非常に芳しくない戦況を覆したかったというのはわかるが、勝ちたいだけなら天儀という男でもなくともよかったはずだ。
「だってですよ。マキシマ准将は、天儀総司令が多分嫌いなんですよね? となると天儀総司令と、統合参謀本部は必ず対立軸になることになるので、分けた軍権力が一本化しちゃうことはないですから。強いけど嫌われ者の天儀に白羽の矢が立ったってことですよ」
「……なるほど」
「ムム。正解じゃないって顔です」
「むくれないでくれ火水風。一理ありだとは思う」
「いいですよーだ。で、アクセル・スレッドバーンは、そんな状況で無事昇進できるですか? 下手すると統合参謀本部は、アクセル・スレッドバーンの昇進を拒みますよね。拒まなくても大佐は過大すぎるので、四等中佐にしろとか注文付けてくるはずです」
「ところが天儀総司令は、総司令官職権でアクセルを昇進させてしまうらしい」
「へ、どういうことですか?」
「有事の総司令官には、最前線に配置された戦力のすべてを、その権限に下に置けるというルールがあるんだよ。だから別に、天儀総司令がアクセルを昇進させたいと思えばできる」
「え、じゃあなんで義成さんは、アクセル・スレッドバーンの昇進が上手くいくかわからないなんっていったんですか。いまの義成さんの話じゃ昇進確定じゃないですかぁ」
「そんな非難の目で見ないでくれ火水風。あくまで有事の総司令官最前線特権については建前だ。できるから、ルールがこうだからといってゴリ押しすれば問題になる」
「あ、理解」
火水風も軍の人間。公務員。お役所の組織間の微妙な関係というのは、頭でも肌で理解しているのだろう。俺の言葉をすんなり受け入れてくれた。お役所というのは、誰を通して手続きしろとか、慣例に従えとかうるさいのだ。
「アクセル・スレッドバーンの昇進すんなりいくんですかね。頓挫したらあの人大暴れしますよ」
「わからない。それより俺は、目の前のことが心配だよ」
トートゥゾネの李飛龍艦隊は、いま、どういう状況なのか。未だ新たな情報ない。トートゥゾネの交戦ポイントに到着したはいいが、李飛龍が壊滅していたでは話にならない。総司令部機動部隊が単独で、廉武忠の艦隊と戦うのは厳しいだろう。俺は、そんな不安を抱えながら火水風とたわいもない会話を続けながら食堂へ入ったのだった。
俺と火水風が、食事の乗ったトレイを手に席についてしばらくしてからだ。食堂には、大量の人間が押し寄せていた。俺達のように食事を取れなかった下士官達だ。理由は、天儀総司令の判断だ、
総司令部は、休まない。俺達がブリッジでてしばらくしてから六川軍官房長が、
「食事を取れなかった下士官達から不満の声が出ています」
と報告すると、天儀総司令の対応は早かった。全酒保(艦内の売店)を開けるように命じて、それが無理だとわかると、即座に士官用の食堂の開放を命じたのだ。それも自ら声で全艦内に放送した。しかも……。
『そうだお前らコックには、好きなメニューをいってやれ。私は今日に限り誰がなにを、いつ食べたかなど把握する気もないし、報告をうけることもない』
と大宣言。この瞬間に局所的に高まっていた不満は一気に解消。下士官用の食堂と士官用食堂とでは、メニューが天と地のさほど違う。とくに軍幹部が大量に乗り込む国軍旗艦ではそうだ。
俺と火水風は、食事を取りつつこの放送を聞いていた。
「うわーすごい。でもこれって公平じゃないかも?」
「あ、なるほど。すでに食事を済ませてしまっている奴は不満を持つかもしれないか」
「そうそう。食べてなかった人って、めっちゃラッキーじゃないですかぁ」
俺は、火水風の言葉に、
「どうだろうな」
と答えを濁すなかスピーカーからは、天儀総司令の言葉が続いた。
『食事より職務を優先したものへの報奨だ。私の軍隊では、真面目に務めることで損をしない。約束しよう』
「うわ。決まりと慣例を守るのが軍隊じゃないですか。すごい大盤振る舞い。こんなことってあるんですね。だったら私も、もっといいの頼めばよかったぁ」
火水風は、称賛のような反応をしめしているが、やはり俺にはなんともいい難かった。
「だって義成さん。いま、天儀がいったことって、地上だって5万ヌーナはするフルコース頼んだってOKってことですよ」
興奮げにいう火水風だが、俺は、
――だが、やはり最後の晩餐には釣り合わない。
と思った。一部の軍隊では慣例なのだ。出撃する部隊には、その日一番の食材で料理を振る舞うという。天儀総司令は、おそらく総司令部機動部隊を死地に引き込もうとしている。俺には、この先に激戦が控えているとしか思えなかった。
だが、天儀総司令は、決断が早く、臨機応変で、的確だ。
この処置で、国軍旗艦瑞鶴内の士気は一気にあがった。
俺は、天儀総司令の戦闘における指揮能力の高さを、一見戦闘とは直接関係ない細かなところで、このあと幾度も知ることになった。




