2-(16) ファーストバーン(下)
不幸中の幸というやつだ。アクセルは無駄に長いケーブルのコネクターを偶然使用していたため言語野と音響ディバイスが繋がってしまうなどの多少の問題は発生したものの接続が途切れる事態には陥っていなかった。手順を踏まずに接続が切れると、廃人一直線ということもありうるのだ。
そして怒鳴られたトレーセン艦長といえば苦笑い。いまのアクセルには怖さはない。なにせアクセルの肉体は、艦長の腕のなかで力なくぐったりとして、しかも額が割れてダクダクと出血しているのだ。そして、それでもなおアクセルの戦意は旺盛というのもわかる。指揮を継続する気満々というのが、不思議と意識の通じていない体から伝わってくるのだ。
――本来なら絶対に医務室送りにすべき重症だが……。
とトレーセン艦長は思った。この状態での指揮継続は無謀だし規定違反。トレーセン艦長が、アクセルの目を見た。アクセルの目は、焦点が合っていないうえに、うつろとしている。視界も艦のカメラに移っているのだろう。だが、それでもやはりトレーセン艦長は、強烈な戦意を感じ、
――仕方ない。
と踏ん切った。
「……わかりました。指揮座にお戻しします」
『だから早くしろ! 急げ!』
すぐにアクセルの身は、指揮座に戻され今度は、しっかりとシートベルトで固定された。アクセルは、自身の体が座席に固定されるなか、
「なんできた」
とボソリといった。もう言語野が音響ディバイスに繋がってしまっていた不具合は、解消してしまったようだ。
トレーセン艦長は、アクセルの問に答えずシートベルトの装着を完了。トレーセン艦長は、アクセルの血まみれの顔を自身のハンカチで拭いながら、
「よっし」
と、いってにこりと笑った。だが、アクセルからすれば解せない。
――こいつがなんでいの一番に駆けつけやがった。
アクセルにとって座席から放り出された自分に真っ先に駆け寄ったのが、国家親衛隊でなく、トレーセン艦長だったのは不思議なことだった。アクセルが思うに、艦が急速に右に曲がった直後には、トレーセン艦長はアクセルの状態を確認したはずだ。
――確認した先にあったのは宙を舞うオレの肉体。
それを見た瞬間に、まだ急速に動く艦内ですぐさまシートベルトを外して駆け寄った。それほどトレーセン艦長のアクセルの救護は早かった。これは、かなりの忠誠心といえるが、アクセルからすればトレーセン艦長からそんな厚意をうけるような覚えがないどころか、あまつさえ殴り虐げたいたのだ。座席から放り出される自身の姿を、ざまあみろ、と思われこそすれ、駆け寄られて手厚く介抱されるいわれはない。
「オイ、無視するな。答えろなんで飛んできたムカつくぜ」
「誰だってそうしますよ。だから私もそうした」
「嘘だ――」
トレーセン艦長は、少し困った顔をしてから、
「では、言い換えましょう。義務です」
といった。
「……義務か」
「そうです。兵士の義務です。天儀総司令は、各員が義務を全うされることをお望みです」
「……オレを指揮座に戻していいのか?」
とアクセルが鋭くいった。アクセルがこのまま意識不明の重体などになれば、トレーセン艦長の責任問題となる。なぜ直ちに医務室に送りにして適切な治療をうけさせなかったのかと。軍は、アクセルの能力の研究開発に莫大な予算をかけている。
――オレを管理する研究所は、絶対に許さねえぞ。
研究所は、軍政本部を動かしてトレーセン艦長を殺しにかかるだろう。降格や放逐ですめばいい。本当に文字通り殺す。報復に暗殺者を送り込む可能性が高い。主任研究員は、それほど神域工学研究に入れ込んでいる。
「いいですよ。指揮官が望んでいるんですからね」
「……規定では――」
規定では、指揮官が重症を負った場合には、指揮を交代し治療をうけさせねばならない。治療を受けても再び指揮を執るには軍医の許可が必要だった。当然だ。負傷した状態では適切な判断もできない。出血は意識を混濁させ、精神は衰弱させる。敗北する可能性が高まる。
「ご存じないようなのでご助言しますが、規定と伝統は違うものです。ここは戦場なんですよ」
「ハァ。伝統だと?」
「ええ、指揮官というものはブリッジ指揮座で死ぬものです。旧軍からの伝統で、いまも変わりません。戦場で重症の指揮官が死ぬまで指揮を続行したいと望めば、部下はそれを邪魔しないものです」
アクセルとしては、カビの生えた古臭い発言に驚くやら呆れるやらだが、言葉を吐くトレーセン艦長は揺るぎない。最初ブリッジにて、無警戒で近づいてきたところを殴り飛ばした人間とは同一と思えないほどに。
「いいですかアクセル司令。規定なんてのはクソ食らえなんですよ。伝統を前にはね」
「ハハ、そりゃあいい。じゃあオレが、ヌナニア軍の伝統ってのを作ってやるぜ。なにせヌナニア軍は新生軍だ。出来て幾年も経ってない。旧軍からの余計なのはあっても、ヌナニア軍としての伝統なんてネーからなァ」
「お、お手柔らかに……」
「この戦争で、オレ流のやり方がヌナニア軍の伝統になるぜぇ。ハハ、戦場ってのはつくづく面白え!」
「アクセル司令。あまり興奮なさると出血が……。おい、国家親衛隊たち止血してさしあげろ。普段から君たちは生傷がたえない。こういったときの処置は得意だろ」
応急処置をうけながら戦闘指揮を続行したアクセルは、先行していた先遣部隊の右翼列に敵待ち伏せ部隊への砲撃を刊行させ、それと入れ替わるように右翼列へ射撃を命令。その間に左翼列を、素早く待ち伏せ部隊へ突入させた。この計算され尽くした極めて攻撃的な指示により、敵の待ち伏せ部隊は壊滅。
これは小さいが、絶大な戦果といっていい。本来なら先遣部隊は、損害をうけて本隊の進路を切り開くことが役割だ。敵の待ち伏せ部隊から一方的に攻撃されつつも、その存在を暴き後退させるだけだ。
そして当然だが、この戦闘の一部始終は、国軍旗艦瑞鶴でも観戦されていた――。
「すごいぞ義成。見たかいまの?」
「知りませんよ」
と俺はむくれて天儀総司令の言葉に応じた。自分でも大人げないとは思いもしたが、俺はこの話題を続けたくないのだ。ちょっと邪険な態度をだすことで、天儀総司令に俺の気持ちを察してもらいたかったが、この人は気づかない。いや、気づいていてもおかまいなしだろう。
「段階的に突入し、先行させた左翼列を囮にしたのかと思ったが違った。まさか自身のシャルンホルストを囮にするだなんてアクセルは度胸がある。しかも戦いのやり方を知ってる。これが初陣とは信じられん」
やはり天儀総司令は、アクセルを褒めちぎった。俺は、むくれた調子で、
「……そうですね」
と感情を押し殺した声で答えた。見せつけられた華麗な戦果。正義とは対局にいるアクセルがどうして……という黒い感情が自身のなかにあることは否定しない。それが女々しいとも思う。だが、結果をだしたことで、アクセルの傍若無人は、今後ますます拍車がかかるだろう。そして傍若無人のアクセルは、また結果をだす。周囲はまた甘やかす。最悪のループだ。正義からどんどん遠のく。
「フルチャージでの発射反動を回避に利用するだなんて絶対に教本にはないぞ。どうやって思いついたんだ。義成、ヌナニア星系軍士官学校ではこういったことも教えるのか?」
「さあ……。ですが、あらかじめいまのやり方を思いついていたのなら、軍アカデミーにいた頃でしょうね」
ヌナニア連合内から選りすぐったエリートが集まるのが、ヌナニア星系軍士官学校なら、軍アカデミーは、ヌナニア軍内で選りすぐった優秀なものだけが進める教育研究機関。
入るのは簡単じゃない。正規に部隊に配置され数年勤務して、そこで実力を示した場合にお声がかかったり、上司から推薦されたりして進むことができる軍事学術団体だ。ここに入れるのは、軍内でも血肉どころか髪の毛の先まで軍事できた戦術の天才だけだ。
つまり軍アカデミーに入るものの年齢は、通常なら早くても三十代。だが、黄金の二期生は特別だ。ヌナニア星系軍士官学校卒業後すぐに、俺以外の二期生は軍アカデミーに進んだ……。
「アカデミーか。いまはなにを教えてるかわからんが、とにかくアクセルは表面上の態度こそ悪いが、意外に仲間思いじゃないか」
「……違うと思います」
「そうなのか? だが、自分の乗るシャルンホルスト単独で真っ先に発砲させることで、敵待ち伏せ部隊の攻撃をシャルンホルスト一隻に引きつけたんだぞ。これは友軍を敵の砲火から守ることを目的としていたのは明らかだ」
「ええ、結果的にはそうでしょう。ですが、ヤツはそのほうが効率がいいから、そうしたまでです。例えば左翼列を犠牲にしたほうが、戦果がだせると判断したなら遠慮なくそうしたでしょうし、結果がだせるなら大量の死人をだす選択だって平気でする邪悪な男です」
俺は、うちに秘めていた感情を爆発させるように言葉を吐いていた。みっともないとも思ったが、放置はできなかった。このままだと国軍旗艦瑞鶴に戻ってきたアクセルを、天儀総司令は褒めちぎるだろう。そうするとアクセルは、増長してますますやりたい放題。だが、誰も注意できない。だって戦果を挙げたうえに、総司令官の天儀総司令が褒めまくれば誰もが遠慮せざるを得ない。
当たり前だが、俺が注意したってアクセルは止まらない。アクセルからしたら俺は、実力のないカスだ。だが、これは事実だ。客観性の問題だ。俺がアクセルならどうか。義成という男は、学校時代の成績も悪かったし、実戦で結果をだしていない。そりゃあ軽く扱われる。
天儀総司令は、俺の言葉に
「……そうか。耳が痛い話だな」
とポツリといった。気分を害したふうではないが思うところがあったようだ。こんな表情されたら気になるじゃないか。
「世の中でも特に、政治家と軍人は結果だけで評価される。人格は問題視されない。その恩恵に預かるものとしては、お前の言葉は胸に突き立つぜ」
「言い繕うわけではありませんが、天儀総司令はアクセルとは違います。アクセルは真っ黒で、どこまでいっても邪悪ですが天儀総司令は違います」
天儀総司令が、俺の目をジロリとみてきた。なんだ気色悪い。怒っているわけではなさそうだが、言葉を吐く俺の心中を覗き見てくるような視線だった……。いや、考えを見透かされたような不快感がある。
「そうか。義成お前にとって黒は悪の色か」
「……はい」
と俺は一瞬間こそおいてしまったが、臆さず応じた。
「だが黒は強いぞ。それに何色にも染まりにくい」
「強いことがすなわち正義ということはありません」
「それはそうだ」
「アクセルを注意してください」
俺は思い切って言葉を吐いた。天儀総司令は少し弱った顔をした。そうだろう。アクセルは戦果をだした。それを注意するというのは難しいだろうし、士気に影響する。だが、最初こそ肝心だ。褒めるだけだとアクセルは増長する。いや、褒められることは当たり前なので悪態すらつくだろう。そんな男へは、褒めるのと同じ量だけ部下への配慮を説くべきだ。天儀総司令なら、それができる資格も立場もある。
「難しいのは理解しますが、ここはあえて苦言を呈して、アクセルの手綱を握るべきです。褒められなれたあいつは、褒めたとろであなたには服従しませんし、増長するだけで――」
だが、俺の言葉を天儀総司令は遮って、
「ときに義成。正義の色とは何色だ?」
と問いかけてきた。
「白です」
俺は、今度は間髪入れずに応じた。正義のイメージカラーは白。間違いない。ただ、考えてみれば、俺がいまでも好きな戦隊モノのヒーローで、白色というカラーを持つ戦士はすくない。
――大抵は赤が主人公で、脇には青や黄色だな。
俺は、天儀総司令に正義の色を問われたことでそんなことを一瞬頭によぎらせていると、天儀総司令がボソリと
「そいつこそ極悪人の色だ」
そう口走った。
「え?」
「いや、なんでない気にするな」
気にするなって気になるじゃないか。白が悪人の色? 意味がわかからない。困惑しまくる俺にこの人はお構いなしだ。
「で、義成。その正義とやらの前で、黒の濃淡など問題になるのか?」
鋭い問だった。俺は、答えに窮した。正義の前では、悪は悪。結局滅ぼすべき対象。どちらがより悪いから罰して、より軽いから見過ごすなんてことは真の正義においてない。
「そういうことだ。所詮は正義とやらの前では、ひとしく悪に過ぎない。アクセルが間違っていて、天儀総司令は違うだと? 俺に気を使って変に取り繕おうとするな。俺は、お前の正直なところを気に入ってるんだぞ」
「……すみません」
――天儀総司令にとっての正義とはなんだろうか。
と俺は気まずさのなかに身をさらしながら思った。状況主義者。天儀総司令は間違いなくこれだ。戦場は、外的状況によってすべてが左右される。外的状況とはつまり勝利。どんな不利な状況でも勝利という状況を作りだせればすべてを覆せる。つまり、この人にとっての正義とは、結果だろうか。
そうなると天儀総司令にとって、勝つことがすべて……。だが、勝てば何でもいいのか? すべてが許されるのか? 事実そうだろう。戦場では、結果だけが未来を約束する。結果さえでてしまえば、過程と内容は問われないことが多い。
――これが矛盾を生んでるんだ。
悪辣なやり口で勝っても勝利は勝利。このせいで勝利が、そのまま正義といえない状況ができている。だが、そこであえてやり方を正しくすれば、それは正義の勝利といえるのではないだろうか。
「天儀総司令は、やはり正しい戦いをすべきです。ご自覚があるならそうすべきです」
俺の決意を伴った言葉に、天儀総司令はフッと笑みを見せただけだった。やはりその心中は伺いしれなかった。この人はわかりにくい。一見邪悪に見えるが、たんなる悪人には見えない。
現在(2020/8/16)改稿が終了しているのはここまでです。
ここまでお読みいただいた方には、感謝の気持しかありません。
もしブクマや点数をなどを入れていただいたのなら大変な活力をなっております。
9月中に、なんとか二章を終わらせ最新話の更新を開始したいと考えております。




