2-(10) サクシオン(中)
ここで天儀総司令が、パンと手を叩いた。これで議論は終わりという合図だ。
「戦うかどうかは状況で決まる。俺たちが戦いたくなくてもな」
天儀総司令が、大会議室内の全員へむけ意味深にいうと、
「私達がそちらへ到着するのに、きっかり十三時間はかかる。それまで持たせられるか?」
そう李飛龍将軍へ向けて問いかけた。
『ええ、何十時間だって踏ん張りますよ。俺の麾下にいるのは、かつて不敗を体現した古参兵です。歯を食いしばって戦い抜くでしょう』
「――戦い方をしっているやつらばかりか」
『ええ、そうです。それにここに敵が何倍だろうと逃げだすような将兵はいない』
「で、どう戦う?」
戦うといっても最悪のケースを想定すると倍の敵だ。戦いは数だ。やる気だけでは勝てないし守れない。李飛龍将軍に向けられた問は、天儀総司令だけの疑問じゃない。この部屋にいる全員の問だ。大会議室内の意識がスクリーンへ集中した。衆目が集まる李飛龍将軍の目は自信に満ちている。その目が怪しく光った。
『――トラス陣形!』
「わかった。よくやれよ」
そこでブツリと通信が切れた。
――え、これで終わり?
俺はあっけにとられた。問も短ければ、応じも短い。阿吽の呼吸といえば聞こえはいいが、倍の敵を向こうに回した作戦の打ち合わせが、それだけでいいわけがない。それをこの二人ときたら。
「通信途絶。トートゥゾネ方面のトランスポンダは九割が消失。トートゥゾネとの通信は、しばらく無理です」
六川軍官房長が厳しい表情でいうと、大会議室内にはざわめきが広がった。
スクリーンには、すでに李飛龍の姿はなく『ディスコネクト』の文字だけ。やはり通信は、途絶したのだ。スピーカーから流れるザー……という砂嵐音が、俺には未練がましく聞こえたが、その音もすぐに消えた。
騒然とする大会議室内で、
「ハァ? トラスだと。できるとは思えねーがなァ」
とアクセルが、小馬鹿にしていった。
アクセルだけじゃない花ノ美もアバノアも懐疑的な表情だ。
「なるほどトラス陣形は防御最優良の陣形。倍の敵を前にそれを選択ってのはわかるけれど……」
「花ノ美お姉さま。仮に李飛龍将軍が、トラス陣形での防御をおこなったとして何時間持ちますの?」
花ノ美は、こういう計算が得意だ。
「一番のそれも最悪のケースを想定しても開戦から五時間は持つでしょうね……。一応ギリギリ私達の増援部隊は間に合うのかな」
「ふむ……。ですけれど、それはトラス陣形をやってのけられればのお話。これこそ夢物語に過ぎますのー」
――トラス陣形。
ピラミッド・フォーメーションともよばれるこの陣形は、トラス構造という建築学の理論を陣形に取り込んだ画期的なものだった。
宇宙には前後左右だけでなく、上下が存在する。宇宙での陣形の展開は、立体的だ。歩兵、航空機、そしてミサイル。もしくは艦隊、潜水艦、航空機という立体な戦力の展開を、人類はすでに二十世紀の時点で経験していたとはいえ、宇宙での陣形構築は勝手が違った。
火力を発揮するには、平面的に戦力を配置するのがよかったし、防御は大型艦を中心に小型艦艇を周囲に配置しただけの立体輪形陣。発想は地上戦の延長線。とりあえず上下にも戦力を配置しようという程度のものだ。だが、この程度で十分であったし、事実それで戦い続けたのが人類だった。
だが、トラス陣形は違った。地上では、実行不可能な宇宙に特化した陣形だ。それまでの平面的な戦力の展開から脱却し、さらにトラス構造という建築学の概念を陣形に取り入れたことで、類をみない強固な防衛陣形となったのだ。
だが、トラス陣形はいくつかの問題点を抱えていた。
悶々と考える俺をよそに、花ノ美が挙手し、さっそく具申を開始だ。こいつの行動力には、いつも感心させられる。
「はい、天儀総司令! トラス陣形には幾つかクリアーすべき条件があります。私は、李飛龍将軍と、その艦隊が条件を満たしていると思えません」
花ノ美のいうとおりだ。まず戦力。ピラミッドの先端部分に強力な機動部隊を配置が必要であり、残りの末端部に防御力と火力にすぐれた大型戦艦配置が必須だ。加えて艦隊の練度も重要だ。さらに……。
「艦の数と種類は問題ない」
「練度は?」
「飛龍将軍の手元にあるのは、旧グランダ軍の精鋭だ。よくやるだろう」
「そっか。そういえばいってたわね。前の戦争で不敗の紫龍のもとでトラス陣形を経験した将兵も多いって。でも最大の問題が残ってます」
そういって花ノ美が、六川軍官房長と星守副官房を見た。天儀総司令を除けば、歴戦の二人だ。立場的にも天儀総司令は、やはり六川軍官房長と星守副官房の意見は無視できない。
「トラス陣形の実行には、指揮官の卓越した指揮能力が必要とされます。それも人智を超えるようなね。李飛龍将軍にその能力があるのか、六川軍官房長と星守副官房の意見を聞きたいです」
六川軍官房長は沈黙を保ち、星守副官房がそっぽを向きながら、
「李紫龍の弟って自己紹介してくれれば、誰だって一発でわかったのに……。無駄にグランダの軍事の名門李家なんて誇っていうから、どうせ名門を鼻にかけただけの分家の出身って勘違いしちゃったじゃない」
と、うめいた。とても恨みがましい口ぶりだ。
「え、嘘。まさか!?」
「はは、花ノ美は、やっと気づいたか」
「……えっと、天儀総司令。まさか李飛龍って、不敗の紫龍の!」
「弟だ」
「うは……。もろほんのレジェントの弟ってわけ……。非の打ち所がないサラブレッドじゃない。なるほどね。あの若さで戦線総監なの納得した……」
かつてグランダ帝国の李紫龍は、トラス陣形を考案し宇宙の一大決戦星間会戦で、二倍の敵軍を押し留めグランダ軍へ勝利をもたらした。故に不敗の紫龍。トラス陣形は、当時セレニス星間連合軍と艦隊決戦をやると決めた天儀総司令の意向をうけた李紫龍が、この決戦のために準備した秘匿陣形だった。なお、不敗の紫龍は故人だ。戦死している……。
「李紫龍。……奇跡の産物。天然の超人か」
とアクセルがいうと、花ノ美とアバノアも続いた。
「アヘッドセブンのように軍の研究所で作られた能力とは違うわ。私達の能力は、天才の指揮能力の再現だって可能なはずだけれど、それでもトラス陣形は難しいわよ」
「というか。あのかたの能力は、昔でいう天賦の才というやつですの。いわゆる万年級の逸材。遺伝子の塩基配列の偶然と、育成環境、そして本人の努力が必然にしか見えない偶然でかみ合った奇跡の産物」
「――だが、その才能が弟にもあるって保証は、ネエわなァ」
トラス陣形は、宇宙専用の陣形だけでなく、きわめて維持の難しい陣形でもあった。指揮管制システムに高度なAIが導入されて幾年月。それでもトラス陣形には、人間のきわめて繊細で機敏な状況判断が必要だった。AIには察知できないものを人間は察知できるというのは、いまの時代常識だ。
トラス陣形は、維持できれば強いが、陣形は戦闘が開始すればほころび続ける。各艦は、どんなにポジションを維持しょうと意識すれど、徐々にその位置は変わる。指揮官は、その微妙な変化を察知し、戦力を移動させ、ときに一隻の位置にすら気をつかうのがトラス陣形だった。
アクセル達の疑問はもっともだ。一族優秀揃いというのは、ないわけじゃない。だが、天才の息子が天才という確約がないのは、人類史をみれば簡単にわかる。
懐疑的な雰囲気が、大会議室内に広がったが、六川軍官房長と星守副官房だけは違った。
六川軍官房長が、静かに天儀総司令を見て、
「李飛龍は、トラス陣形の考案者。そうですよね天儀総司令?」
と、やはり静かにいうと大会議室内には、驚きのざわめきが広がり、天儀総司令が、
「そうだ」
そうあっさり肯定したためさらに驚きの波紋が、大会議室内には広がった。
にわかに信じがたい事実だ。なぜなら、
「嘘をいうな。オレらと同じような年齢だったぞ。旧軍で不敗の紫龍が、トラス陣形についての論文を発表した時期を考えると、李飛龍はまだ十歳やそこらになっちまう。大体、不敗の紫龍だってもう一度再現できるか怪しいのがトラスだ。その弟だからってお上手にやれるって確証はゼロだァ」
ということだからだ。このアクセルの言葉がすべてを物語っている。
「だが、当時、私が前の戦争の決戦にトラス陣形を採用すると決めたとき紫龍本人から聞かされたのは、弟が考えたものを自分が軍事論文にしたということだ。これは、わざわざいう嘘じゃないだろ」
確かに、と俺は思った。それに普通は自分ひとりの手柄にしてしまいたい。不敗の紫龍という人は、随分と青簾で、それに兄弟仲も良かったんだろう……。俺と義潔兄さんのように……。
「私が考えるに、トラス陣形を最も知る男であり、最も上手く扱えるのが李飛龍だ。諸君の懸念は、杞憂だと断言しよう」
天儀総司令は、自信満々で言葉を吐いたけれど、それだけで誰もが納得するほど、大会議室内に集まった軍幹部は甘くはないし、仮に李飛龍がトラス陣形を扱えて、泊地パラス・アテネからの増援が間に合ったとして、それが勝利につながるという確証はないのだ。
「我々が到着したときに、李飛龍艦隊が壊滅していた場合に、そのまま我々も戦闘に巻き込まれ敗北というシナリオになれば最悪です」
という一人の軍幹部の発言を皮切りに、大会議室内には次々と発言を求める挙手があがり、懸念の声が噴出した。
「連鎖的に連敗。李飛龍艦隊を破った敵の士気は高揚しているでしょうし、こちらは逆にメンタルデットしかねないほど士気がさがるでしょう。トートゥゾネに到着しても戦えるか疑問です」
「李飛龍艦隊が、壊滅してしまった場合、こんどは我々増援軍がトートゥゾネで孤立し、およそ二倍の敵を抱えるハメになる。連鎖的敗北の可能性が高いです」
「総司令官閣下が、増援軍を直率するのも問題です。増援軍単独での敵との交戦となれば。軍総司令官の戦死という最悪の事態を招きかねません。断固反対します」
「こうなれば別の選択肢もあります。李飛龍艦隊の壊滅が不可避ならば、増援の意義はない。意義のない増援を送って、いたずらに戦力を消耗するなら温存して、それこそ軍官房部のいうように、トートゥゾネの一つ後ろの宙域に防衛ラインを構築したほうが現実的では?」
「そうです。すでに李飛龍艦隊と合流してトートゥゾネ内に防衛線を作るというプランが成り立ちません。そうなるとトートゥゾネへ増援を送る意味はないのです。トートゥゾネを放棄すべきです」
喧々諤々の意見の嵐。さすがの天儀総司令も、まったく困った顔。それでも天儀総司令は、立ちあがって自ら一つ一つの意見に反論していたが、埒が明かない。ついには苦い顔になって、座り込んでしまった。
そして、やはり軍高官達の発言は止まらない。各々が勝手に議論を始め簡単には収集がつきそうにない。




